面倒くさい
ああ、面倒くさい。中でもあれをしなきゃいけない、これをしなきゃいけない、と「しなきゃいけない」というのはタマラナイものがある。そのタマラナイものの筆頭格が床屋で、気が付けば随分と髪が伸びてしまっている。
生来の厭な癖毛の所為で、少し伸びすぎればすぐさま蓬髪といった体になり、元来の老け顔をより老けてみせ、元来のだらしなさをより強調してしまう。左様な訳で、真っ当な社会人としてこまめに床屋へと行かなければならないのだけれど、これがまた面倒くさい。
親のバリカンでの丸刈りを卒業し床屋、というか当時雨後の竹の子の如くポコポコと出来始めた、安さが売りの美容院へと行っていた中学高校生時分、兎に角あの空気が苦手であった。全体お洒落とは程遠い青春時代を送っていた自分にとり、彼らの慇懃な姿勢と、被害妄想によるものだろうが「洒落もので無きモノこの門を潜るに能わず」といった空気をまこと勝手に感じ、行く度にむやみな緊張をしていた。毎度聞かれる「今日はどんな感じで?」だとか「前髪は~」だとか「もみあげは~」とかいう質問に、毎度しどろもどろに返すのに一杯一杯で、帰る頃にはくたくたになる。正直な所、取りあえず短くなっていれば良いのだから、江戸っ子よろしく「おう、お洒落にしてくれぃ」
「へぇ、お洒落、ですか」
「おうよ、仕上がりに文句はいわねぇ。兎に角やってくれや」
とピシリ決めれれば実に堂々たるもの、それは一つの憧れではあるけれど、そんな事当時の自分はもとより今の自分にすら言える訳がなかった。結局あの頃の苦手意識を、当世増えた安い床屋へと河岸を変えても払しょく出来ず、髪の伸びる度「ああ面倒だ」と思い煩う羽目になる。
その様な苦手意識があるものだから、シャンプーの最中ひどく痒い所があっても
「痒い所有りますか?」
「はいダイジョブです」
シャンプーブラシで頭皮が捲られそうに痛くても
「ブラシの強さ如何ですか~?」
「はいダイジョブです」
シャワーの温度が火傷しそうに熱くても
「シャワーの温度どうですか~?」
「はいダイジョブです」
こんな具合である。
大丈夫な訳がない。が、兎に角その空気の中では何か波風たちそうな事をさけ、仕上がりが予想より長かろうが短かろうが何か問題があろうがなかろうが、「ダイジョウブです」と言う癖がついてしまった。
大体もうかれこれ5年は通っているのだから
「いつもの」
「アイヨ」
と言った阿吽の呼吸があってもよさそうだけれど、一度勇気をだしていった「いつもの」は、見事に「前回どんなでしっけ」という無残な空振りに終わってしまい、以降二度と試す気も無く、毎回しどろもどろな説明をしなければならなくなり、より行きたくないという気持ちが強まる。
だから休みが出来る度、兎角行かない、或いはいけない理由を探す。先週は目の調子が悪かったし、腱鞘炎の所為でちょいと目立つサポータを付けていたの恥ずかしかった。今日は暑かったし、きっと明日も熱いだろう。だから行けないのは仕様のない事なのだ。そして髪は社会人らしからぬ蓬髪となる。