第31話 矜持
(●ω●)………。
■吸血姫の古城、正門前。
「おや、ネア様にそちらの方は………」
「ガウディ・アムールだ。このワーウルフの嬢ちゃんの護衛をやってる」
結局ガウディを説得することも出来ず、護衛の一環としてルーディアのお城まで付いて来られてしまった。まあ危険性については散々警告したので、この後に文句を言われても責任は取らないつもりだ。
昨日は依頼が正式に受注された後、丸一日掛けて討伐の為の下拵えに費やしていた。俺の背後に大柄な護衛がいたお陰で材料を安く買えたのは嬉しい誤算だったか。
「そうでしたか。噂の『黒き咆哮』に会えるとは驚きです」
「『黒き咆哮』?」
なにそれ、称号? 二つ名?
「黒虎族の首領、ベンガル・アムールの次男であり最高峰の剣技、格闘術を誇る天才児。今は一族の長を決める戦いの前に傭兵となり、各地の戦場を渡り歩く修行の旅をしているのでしたか。噂では翼竜の群れに1人で打ち勝ったとも聞きますが」
ぴょこりと狼耳を揺らして首を傾げた俺に、老執事が詳しく教えてくれた。ガウディ、そんな凄いやつだったのか。というかこの執事はどうやって調べたんだろう。城から出る暇なんて無いだろうに。
「ガウディ、凄いおじさんだったんですね」
素直に賞賛する。黒虎族といえば40年前、ダークエルフと共に人間界で猛威を振るった種族だ。時の勇者に敗れた後は魔界に帰ったそうだが、1人で千の兵士を蹴散らす勇猛さは兵士達にとって恐怖の対象だったとか。
「お兄さんだ。それにまだ、俺は親父に遠く及ばねえ。しかも親父を軽々と負かした戦士の人族もいるからな。まだまだ強くならねぇといけねえんだ」
ガウディの親父を倒した人族の戦士って40年前の戦士さんのことだよな? ま、まさか10年前の殴り合いを見てたわけじゃーーー
「あの白髪頭は忘れられねぇ。親父の鋼を砕く拳が直撃したってのに、無傷で笑いながら殴り返す光景は衝撃的だった」
ガハハハと笑うガウディだが、俺は思わず頭を抱えていた。思いっきり俺じゃないか! くそっ、酒が入っていて、勇者の挑発に乗せられた所為でもあるが、今考えるとなんてアホなことをしていたんだ俺は⁉︎
出来れば記憶の奥底にしまっておきたい武勇伝(恥)に悶絶していたが、偶然にも老執事の呟きをほんの少しだけ聞き取ってしまった。
「それほどの英雄であれば姫を………
………執事さん。その男はもういないけれど(目の前に女としてはいるけど)、代わりにーーー私が助け出すから。
■吸血姫の古城、ルーディアの私室。
「あら、結構早く来てくれたのね。ネア」
前回来た時の記憶を頼りに、ルーディアの私室に辿り着く。少し緊張して扉を開けるが、彼女は特に変わった様子もなく読書に勤しんでいた。
ガウディと老執事には「大事な話があるから」と言って客間で待機してもらっている。ガウディは兎も角、老執事も大人しく了承したのは多少驚いたが、その真意を尋ねる時間を取るくらいならこの城の主の説得に時間を回した方が得だと考えた。
「うん。買い物が安く済んだから。ーーールーディアが持ってるその本って、『勇者冒険譚』?」
微妙に答えになっていない返答を返しつつ、ベッドに座って読んでいた本を指差す。富嶽牛の赤革で装丁されたそれは、人間界では小さな町の本屋でも置いてあるような超有名な伝記物だった。
「あら、やっぱり人間界では有名だったのねこの本。因みにこれは一番新しい第58代目勇者の冒険譚が書かれているのだけど、ネアはもう読んだのかしら?」
「………ううん、まだ読んでない」
脇役とはいえ、虚飾の入った小っ恥ずかしい英雄譚(笑)を誰が読みたいと思うだろうか。5年前に出版されたそれは勇者パーティーにも無料で配られたのだが、確か全員がゴミ箱に投げつけたり細かく寸切りにして残らないように処分していたはず。
「なら一緒に読まないかしら? 今は勇者パーティーが魔界に攻め込んで来て、《怪樹王》に戦いを挑む場面なのだけど、無限に再生する《怪樹王》を勇者様たちが軽々と撃破する描写は、本当に素敵」
《怪樹王》と戦ったことあったっけ? ………あ。確か黒竜が《竜の息吹》で灼き払った森がそうだったか。眼下で不気味に動いているのが目障りだ、とかいう理由だけで。
微妙に勇者の活躍ではない事が気にかかるが、まあダークエルフの王城出禁事件とか、サキュバスの集落に男娼として潜入した事を書かれるよりはよっぽどましだな。
「ルーディア、勇者のお話も気になることは幾つかあるんだけど、それよりも先に話しておきたい事があるの」
「え?」
彼女の隣に座り、しっかりとその緋色の瞳を凝視する。まだ出会ってからほとんど時間も経ってはいないが、俺の真剣な表情から何かを理解出来たようで、すぐに目を伏せた。
「無理よ。邪竜から逃げ出すなんて。すぐに捕まってしまうわ」
「そうね。逃げ出すなんて出来っこないわ」
俺も彼女の言葉に頷いてやる。彼女とは全く異なることを考えていたが、
「なら、」
「竜から逃げ出すなんてアホなこと、出来るわけないわね。さっさと変態トカゲを倒して一緒に旅に出ましょう? ちょっとむさ苦しいおじさまもいるけど、きっと楽しいわ」
ニコリと笑って手を差し伸べる。ルーディアがここに幽閉されている詳しい経緯とか、事情なんてものは一切考えない。ただ自由な冒険者に、そしてその筆頭である勇者に憧れる少女がこんな古びた城に閉じ込められたままなのが良いわけない。
いつも乾いた笑みしか浮かべていなかったルーディアが、初めてポカンとした表情で固まってしまっている。良かった、心まで凍ってしまっていたわけじゃないんだな。
「だからお兄さんだって言ってんだろ?」
「あらガウディ、乙女の語らいを盗み聞きなんて紳士のすることじゃないわよ?」
再び男だったものとしての尊厳がゴリゴリッ! と大きく削れたような音がしたが、鋼の心で持ち堪えて
「事情はこの爺さんに聞いたぜ。ったく、やけに戦闘用の道具を掻き集めてると思ったら、そういう事は初めから言えってんだ」
呆れた様に仁王立ちしているガウディとその後ろに立っている老執事。心なしか執事服がボロボロになっているし、少々強引な手を使って聞いたな?
「邪竜を倒すから3日待ってねぇ………。ただの馬鹿か、それとも本物なのか分かんねえな」
俺も普通に考たら頭おかしい方だと思う。何しろ普通の冒険者なら20人のパーティーで1ランク下に位置する翼竜を討伐するのがやっとなのだ。勇者パーティーと普通の冒険者とを比べてはいけないが、ガウディはそのことを知らないのだから仕方がない。
「勝算はあるよ。それに、ドラゴンには落とし前をつけないといけないから」
黒竜に負けた恨み、ここで晴らさなければいつドラゴンと戦えるか分からない!!
「そんなの無理に決まっているわ‼︎ お願い、ネア。そんな馬鹿なことは止めて………」
ルーディアが泣きそうな目で俺のことを引き止めようとドレスの裾を掴んだが、その壊れそうなほど華奢な指を、丁寧に引き離す。
「ルーディア。勇者のことは好き?」
俺の唐突な質問に、涙を流しているルーディアは戸惑うように俺を見つめていたが、やがて頷いてくれた。
良かった。これで俺も心置きなく戦える。
「なら、私は行かないといけない。勇者は困っている人を見捨てない。
私自身は勇者じゃないけれど、元勇者パーティーのメンバーとしてこんな可愛い子がお城に囚われていることを見過ごしたり出来ないもの」
緋色の瞳に浮かぶ涙を拭ってやり、錦糸のような白髪を撫でる。泣きそうになっている子を慰める事は、レイの時だっていつもやっていた事だ。人族や獣人族だけでなく、魔族が相手でもやることは変わらない。泣いている子供が再び笑えるように結果を示すだけだ。
大丈夫。かつてフィアナ達エルフ族を助けた時の無謀な戦いに比べれば、邪竜一体程度で絶望したりなどしない。
「ここで待ってて。サクッと倒してケーキでも一緒に食べましょう」
「あ………」
再び立ち上がり、扉へと向かう。今度は引き留められることなく扉の前に辿り着き、ガウディ達と相対する。
「ほんとに行くつもりなのかよ? 人狼族一人だけじゃ瞬殺されるのがオチだぜ」
呆れたように扉の前で仁王立ちするガウディに言われて幻惑の薬の効果を切っていないことを思い出した。そのついでに薬によって身体に流れている魔力を途切れさせて元の人族の姿に戻る。
「騙していてごめんなさい。私は人族よ。それも闇人族ではなくて、人間界のね」
いきなり狼耳と尻尾が消えたことに流石に驚いたらしく、ガウディは瞠目してゴシックドレスを纏った俺の姿を凝視する。
初めは抵抗感があったドレスも、今では慣れてしまったなぁ………。
「変な女だってのは薄々勘付いていたが、まさか人間界の人族だとはな………。勇者パーティーのやつってことは、また魔界侵攻にでも来たってのか?」
虎顏を顰めたガウディは腕を組んで唸る。
「まさか。ちょっと不慮の事故で強引にこっちに来させられたのよ。境界門に向かうのだって人間界に戻るためだから」
「成る程な。………で、お前と全く関係のない少女を助ける為に、わざわざ死ぬ危険を冒してでも邪竜と戦う理由が、『人助け』なのか?」
そうなるな。冷静に聞いてみると、自分でもとんでもない阿呆にしか思えないな。その理由。
「そうなるわね。ガウディ、依頼料は払うから護衛の依頼はここまでで良いわ。とても短い時間だけど助かった」
主に値引きの交渉とかで。
「ああ、くそっ。絶対に引き下がるつもりないな、お前」
しかしガウディは面倒臭そうに頭をガリガリと掻き、諦めたように笑った。徐に背を向け、振り返ることなく廊下に出て行く。
「依頼料はいらねえ。ったく、好きにやってろ。俺はそんな無謀なことには絶対、絶対に関わらないからな」
「………ええ。さようなら」
ちょっとぐらい付き合ってくれても良いだろうにと思うのは、いくらなんでも傲慢だろう。まだ出会って2日と経っていないのだ。そんなやつに付き合うやつは本物の馬鹿しかいないだろうな。
それに相手はこの世界で最強クラスの種族、竜種。平凡な味方がいたとしても足手纏いにしかならない。
それでも胸中のモヤモヤとした気分に顔を顰めていると、残っていたもう一人が口を開いた。
「………出来れば、私としてはルーディア様のご友人になっていただきたかった」
突き当たりに姿を消したガウディを尻目に、老執事が乱れた衣服を整えて頭を下げてくる。
「私が死ぬの前程なのね。さらっと言われると反応に困るのだけど」
「………かつての私の主にしてルーディア様の母、ルナティアール様がその命とルーディア様の身柄を以って翼を封じた邪神の僕。一介の人族では何も出来ることはありません」
「……………」
「それでも挑むというのなら、私に止めることは出来ません。かつて私達が挑んだ際は、周囲に絶えず毒霧を撒き散らし、爪の一振りで山脈の一部を崩壊させています。そして、邪眼にだけはくれぐれもご注意を」
地形を変えてしまう腕力に厄介な邪眼持ちか。毒は補助魔法を使えば問題ない。
俺の事を放置する口調ではあったが、ちょっとした情報をくれた老執事に礼を言って部屋を出る。
(………全く。見てるのならさっさと出てくれば良いものを。……ああ、封印されてるんだっけか)
この城に初めて来た時から感じていた、この城を牢獄であるかのように錯覚させた不気味な視線。間違いなくルーディアをこの地に縛り付ける邪竜のものだ。
明らかに誘っている魔力の気配を追うと、目に入った光景は険しく連なる山脈にぽっかりと空いた峡谷。まるで引き裂かれたかのごとくボロボロな崖が見えている。
「覚悟していなさい。糞トカゲ」
《遠視》で飛ばしてきている魔法の目を睨みつけ、手にした長剣で切り払った。
………書くことが思いつかなかった。
・次回予告
ぐへへ、ルーディアはネアのことを何て呼ぶのでしょうかねぇ………。