表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/19

ж ж ж ж ж ж

「お前、こんなもん載せられると思とんのか?」

 デスクはぼりぼりと頭をかきながら、藤田の原稿をつき返した。2、

3日風呂に入っていないのか、ふけが盛大に飛び散る。

「ここは作文教室じゃないんや。お前は社会部の事件記者なんや。自

 分の好きなものを書いていればいいってわけやないねん」

 藤田が書いた記事はたった10行くらいのものだったが、デスクの

安田に即座に呼び出された。別の事件の取材にとりかかろうとしたと

ころ、社に呼び出されたので、とんぼ帰りした形だ。

「ですが、新たな目撃証言が得られたので……」

「ダメやダメや。せっかく事件のおかげで売れてるんや。水差すよう

 な記事はあかん。お前も10年ここにいるんやから、それくらいわ

 かるやろ」

 藤田が書いた記事は、警察発表の少年の供述との矛盾点をつく、重

要な目撃証言だった。非常にシンプルな構成だったが、一面記事でも

通じるネタだった。証言を拒む目撃者を説き伏せて、やっと手に入れ

た、足で稼いだ特ダネだった。

 藤田は食い下がり、デスクまでも説き伏せようとした。

「デスク。これは真正の特ダネです。こんなニュースソースは滅多に

 現れません。10年に一度、いや20年に一度、引っぱってこられ

 るか……」

「そんなことはどうでもええ。お前、この事件の重大性をわかってる

 のか?」

 安田は、たっぷり10秒間は藤田の顔を眺めたが、藤田の表情に変

化がないのを見ると、ダメだこりゃ、とばかりに首を振った。

「アホ!

 十代のガキが前代未聞の事件を起こした!日本中が盛大なお祭り騒

 ぎになっとる!これ以上恐ろしい事件があるか、ってなばかりにな!

 大人も子どももこの話題で持ち切りや。もっとアイツのことが知り

 たい。どんな凶悪なガキなんやって盛りあがっとるんや。それをな

 んや。真犯人がどうや、新事実がどうやって、そんな記事出してみ

 ろ。お祭り騒ぎがあっという間に閑古鳥や。お前は長いことブン屋

 やっとってそんなこともわからんのかい!」

 安田は机をけっ飛ばし、イライラを爆発させた。

「安っぽい正義なんていらん。ましてやホンマかどうかわからん目撃

 証言なんてもっといらん。いらん、いらん。クソガキの周辺を洗っ

 て、アイツがどんな変態なのか持ってこんかい!話はそれからや!」

 バンと机に両手をついて、藤田を一睨みすると、安田はそっぽを向

いて編集室を出て行った。

 確かに安田の言うとおり、少年の犯行だと判明した途端、6月末に

なって冷えはじめた報道が再度加熱し、世間もその話題で持ちきりだ

った。多くの人間が事件の詳報を知ろうと新聞を手にとり、新聞紙各

社の売り上げが上がったのも事実だった。少年が起こした前代未聞の

事件と犯行声明や不可解な犯罪事実があいまって、事件は華やかな一

面を見せ始めていた。

 ここで、真犯人が成人の男だったなどと報じられると、事件に対す

る熱も冷め、新聞の売れ行きが怪しくなるという主張もわかる。

 しかし、安っぽい正義と言われて、黙っていられるほど藤田は大人

でなかった。体がかっかと熱くなり、ネクタイを締めているのも邪魔

くさくなり、引きちぎるように外すと、地面に叩きつけるように投げ

付けた。チラチラと同僚たちが控えめな同情の目線を送ってきている

のを感じる。


 奇しくも警察は、大々的にテレビ報道を呼んで、凶器の発見をして

いたところだった。少年の証言通り凶器が発見されたことで、テレビ

を中心としたメディアでは、少年の犯行が決定的なものと大宣伝を繰

り返していた。また、週刊誌では少年の個人情報を晒し、顔写真まで

公表するものまで出てきた。

 少年事件では、被疑者の秘匿性は完全に守られなければならない。

これはマスコミ人の最低限のルールのはずだった。しかし、重大な少

年事件が起こると我先にと個人情報を晒したがる人間がいるのは、昔

からの常だった。彼らの情報が晒されると、自身の人生はおろか、家

族の生活もめちゃくちゃになる。事件が重大であればある程、世間か

らの目は痛くなり、石を投げられることも多くなるのだ。


 同僚の事件記者の石岡は警察の怠慢を嘆いていた。7月6日になっ

て、大々的に公開された凶器と見られる金ノコだったが、金ノコから

は血液反応どころか使用した形跡があったかどうかの警察発表が一切

なかった。石岡は追加の記事を書きたくてうずうずしていたのだが、

警察の鑑定結果を聞かないと書けない。せめて、犯行に使われた凶器

と断定してくれればいいのだが、彼はぼやいていた。

 警察の発表には、逮捕当時から一貫していないところがある。凶器

は少年の部屋にあったナイフとしたり、山深い池で発見された金ノコ

としたり、刃渡りはわからないと言ったり、記者連中は何もわからず

やきもきしていた。世間はしかし、ぼんやりとしたこれらの情報を聞

いて、誰も少年の犯行を疑わず、少年の詳報を求めた。

 そもそも、金ノコなどののこぎり類では、遺体の切断はできないと

いうのが、法医学者の一致した見解だったはずだ。今回の事件の遺体

のような鋭利な切断であれば、なおのこと不可能であるという。


 新聞記者の中には、少年の犯行の懐疑説を持っているものも少なか

らずいたが、多くの懐疑説の記事はデスクの編集方針によって握りつ

ぶされていた。各社一斉に足並みそろえて、“少年犯人説”に異論を

唱えなかったのは、真実を求めようとする姿勢が記者になかったばか

りではないだろう。真実の追求よりも、報道の正義よりも、自社の売

れ行きが重要なのだ。“売れる”記事が優先して載せられるのが現在

の新聞なのだ。



 藤田は姫路で起きたひき逃げ事件の現場に向かった。ステアリング

を握りながら、ユラユラと視線を泳がせる。握りつぶされた原稿の山

を、記事の腹案を、どうにか発表する手立てはないかと、思案に思案

を重ねた。酒鬼薔薇事件の不審な点は、山のようにあり、足で集めた

記事もフロッピィディスクの中に溜まっていた。

 ともすれば、記者生命に終止符を打つことになるかもしれない。世

間の正義漢たちから、石を投げつけられるかもしれない。真実は一つ

であっても、世間にまかり通る事実は一つではないのだ。


 藤田はクラクションの音で、自分が反対車線にはみ出しているのに

気づいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ