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ж ж ж ж ж

 乳白色の留置場はくすみ、暗灰色になっていた。外はじりじりと太

陽が照りつけていたが、面会所は全体的に涼しかった。留置場の面会

所では、中年の女性が少年に面会を求めていた。2週間ぶりに我が子

の顔を見られることに、女性は内心、ひりひりしていた。

 ――ご飯は食べているかしら。狭い室内で病気になっていないかし

   ら。あの子は弱いから心配だわ。

 女性の煩悶は、集合しては散り散りになって、よりどころをなくし

ていた。手に握られた白いハンカチは、アイロンの目も空しく、くし

ゃくしゃになっていた。

 前代未聞の事件で、世間を騒がせた少年も人の子。また、その親も

人の親だった。我が子を心配する気持ちも、我が子を思う心も、世間

一般の親と何ら変わりない。

 ――Hくんには悪いけれど、ウチの子はそんなんせぇへんわ。あの子

   はそんな恐ろしいことできやしません。きっと、きっと何かの

   間違い。

 とめどなくあふれてくる思いと戦っているところに、白い扉が開い

て、制服警官が顔を出した。ガラスの仕切りの向こうに、わずか数m

先に我が子がやっと顔を出した。 


 担当の警察官に連れられてやってきた少年は、ひどくやせ細り、げ

っそりとやつれているように見えた。ふてくされたような、むっつり

とした表情をして、少年はガラスの向こうに突っ立っていた。両手に

はめられた手錠が痛々しい。

「コウちゃん、あんた、大丈夫なの?ご飯は食べているの?」

 母親の口をついて出た言葉は、そんなものだった。最初に何を聞く

か、さんざん考えたのに、いの一番に出た言葉はそれだった。

 少年は無言でパイプ椅子に座り、うつむいて一点を見つめた。母は

気にせず、言葉を重ねた。

「何もされてへん?すぐに出してやるから、ね」

「……」


 少年、平幸四郎(たいらこうしろう)は押し黙り、ただただ母親の言

葉を聞いていた。自分の身を案じる言葉の一つ一つに、彼女の愛情の

深さを感じたが、今の彼の耳にはあまり届いてこなかった。

 自分は殺人犯にされてしまった。世にも恐ろしい殺人犯に。そんな

思いが口をついて出てこようとしたが、唇を動かす前に虚空に消えて

いった。


「どうなってる?テレビで僕は」

 突然の少年の言葉に、母は一瞬言葉を詰まらせたが、その問いの意

味に気づいて、

「えげつない殺人鬼って」

 本当はもっと過激な表現をされていた。まるで親の敵のように連日

メディアは彼を叩いていた。少年事件であるにも関わらず、少年の身

元や写真を公開した週刊誌もあった。過激報道は行き場を失い、倫理

観を失っているようだった。

 うつむいた少年の目に大粒の涙が浮かべられるのを見て、母もまた

涙が止まらなかった。いつの間にかハンカチはしっとりと濡れていた。

「コウちゃんにそんなんでけんってお母ちゃん知ってる。コウちゃん、

 そんな子ちゃうってお母ちゃん知っとるねんで」

「そんなん言うても、みんな認めへんで。僕は人殺しや」

 息子の口から出た“ヒトゴロシ”という言葉に、母の気は遠くなり、

卒倒しそうになった。この子はホンマに……。ホンマに人を……。

 母は首を振り、自分の妄想をかき消した。

「ホンマはやってへんでしょ。そうなんでしょ」

「僕は人殺しや。人殺しなんや。警察の人がそう言うてるねん。偉い

 人もそう言うてる。僕は人殺しの八酒鬼薔薇って」

 少年はかわいた心を潤すように、目にためた涙を垂れ流した。

「違う。コウちゃんはそんなことでけん。ウチにはわかる。誰や、そ

 んなん言う人!お母ちゃんが叱ったる!」

 平は唇の端を歪めて笑った。泣きながら笑ったので、激しく咳き込

んだ。咳がやまないので重病人のようだった。

「僕は人殺しや。凶器も見つかったって警察の人が言うててん。もう

 お前は言い逃れできへんって」

「でも、やってへんのやろ。お母ちゃんにはわかるで」

「犯人はみんなやってへん言うねんて。でも警察の人にはわかるねん

 て」

 少年は、初めて母親の顔をまっすぐに見つめた。小さなおびえと闘

う姿が瞳に映っていた。そんなことに気づいてか、気づかずか、母は

「絶対負けへんよ。お母ちゃん絶対負けへん。やから、コウちゃんも

 認めたらあかんよ」

 少年はまたうつむき、ぽつりと漏らした。

「もうええねん。もう、遅いねん」

 家族を守るためやから。警察から何度も聞かされた言葉を飲み込ん

で、少年はそれ以上何も語らなかった。本当は怖い。とても怖い。自

分がしていないということを認めることは。しかし、もはや取り返し

はつかない。連日の警察や検事の取り調べに身も心も参っていた。も

はや彼からは闘う気力が奪われていた。


 夕暮れ間近のアスファルトが溶ける道を母はとぼとぼと帰った。彼

女は、少年の思惑が分からず、暑さと相まって頭がくらくらしていた。

蝉の声がジンジンと頭に響く。と、同時に少年の声も頭に響いた。


「僕はヒトゴロシや……」


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