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「こんなやり方は間違っている!」
兵庫県警の三須譲二はヒートアップした。三か月
前、年来の夢だった刑事課に配属されたが、刑事の仕事は彼の理想
とはかけ離れていた。三須の夢である刑事は、犯人の逮捕に全力を
あげ、嘘を暴き、国民の平和に資するヒーローのような存在だった。
今でもその理想像は変わっていない。ゆえに顔面が熱くなる。
「うるせぇ!つべこべぬかさんと平の自供をとるんや!い
つまでも青くせえガキやの」
田中は一喝すると、バシンと書類の束を叩きつけた。刑事課でも
古株の田中は、50歳を手前にして、階級は巡査部長だった。三須も
今度の昇進試験で巡査部長に上がっていたが、組織ではいっぱしの
口を利くのは許されなかった。
書類の束は、平幸四郎の筆跡と、先に警察や
新聞社に宛てられた怪文書との一致を鑑定するものだった。鑑定書
にはハッキリとこう書かれていた。
「被鑑定人の筆跡と文書の筆跡の一致は認められない」
兵庫県警にとって、この文書の内容は恐ろしいものだった。筆跡
の一致が認められないということは、平を逮捕することができなく
なり、そして、真犯人は他にいることを示している。
「警察の威信とかそんなもの考えてはるんですか?こんなの違法じ
ゃないか!」
「だからじゃかあしい言っとるんじゃ!黙れ!」
第二取調室の近くの休憩室での口論は、廊下まで聞こえ、何人か
の課員が顔をのぞかせていた。被疑者が逃げ出したのかと思ったの
だろう。三須と田中の口論と知ると、とたんに踵を返して帰ってい
く。三須が誰かと口論してるのは、日常茶飯事だった。
連続通り魔事件が起きてから、捜査本部では不眠不休に近い捜査
活動が行われていた。捜査員たちはみな疲れきって、精神がおかし
くなる人間もいくらか見られた。三須もそんなうちの一人ととらえ
られ、捜査員たちからは哀れみの目で見られていた。
我が国を震撼させた連続通り魔事件の犯人は、大半の予想を裏切
り、中学生の少年だった。兵庫県警は、報道が過熱するにつれ、そ
の捜査の秘匿性から、マスコミには一切発表せず、少数精鋭で極秘
裏に捜査を進めた。三須は中学校への聞き取り調査をすすめる精鋭
の一人に入っており、連日の激務から、精神的に参ってしまっても
おかしくはなかった。同僚の誰もが、彼に同情していた。
「トラさん、朝っぱらから何を激論しとるんや。二人で生TVでも出
たらどや」
とりなすように声をかけてきたのは、ベテラン刑事の“落とし”
のカワさんだった。トラさんというのは、田中のあだ名で、彼が大
酒のみであることに由来している。非番のときには一升瓶をあける
こともしばしばである。
カワさんにかかれば、どんな犯人も落ちる。そんな噂があるほど、
カワさんは犯罪者心理をよく読んで、四十八手を使いこなす。
「カワさん、どうもこうもないですわ。この若造」
田中はキッと三須を一瞥すると、カワさんを振り返る。
どうも好かんわ、このおっさん。田中に対抗心を燃やしながら、カ
ワさんには逆らえず、三須は文句を喉下まで飲みこんだ。
「上のやり方を気に食わんちゅうて、俺に噛み付いてくるんですわ。
どうにかトバしてほしいところですわ」
「何や。あんたにそんな権限はない。大方、ボンが噛みつく理由が
あるんやろ?」
カワさんは、三須のことを未だに子ども扱いしているところがあ
る。優しい目をして、三須の方に振り返り、孫をあやすような口ぶ
りで話しかける。この手法にはあっさりと口を割りそうになる。三
須は少し被疑者の気持ちがわかった。
「言えません。上からの命令なので」
「お前、何やその口の利き方!」
「トラさん、まあええ。今日アイツが来とんやろ。気が立ってるの
はわかるんや。ボン、焦って下手打つなや」
カワさんの最後の言葉は、三須に向けられていたが、脅しのよう
に力がこもっていた。彼自身もかなり気負っているのを感じられた。
事件の早期解決は、捜査本部の、県警の、いや日本全国の悲願であ
り、カワさん自身がその取り調べに関わりたかったに違いない。で
きれば、自分の手で解決を、署員の誰もがそう思っていた。
まだ、若年の、刑事課に配属されたばかりの三須が、この大役を
任されたのには、理由があった。彼の前の配属先は少年課であり、
不思議と少年犯や非行少年からの人望があった。まだ26歳になった
ばかりで、年若いということもあったが、根っからの人好きで、誰
からも愛されるように育ったのもあるかもしれない。
短髪長身で、ごつごつした刑事課の連中よりもさわやかで見た目
もよい。聞き取りや面取りの際には、その人当たりの良さも一役買
っていた。
実際、平の同級生への聞き取りは、彼が行っていた。同級生に聴
取を行って、彼自身も、平の犯行が疑いないように感じていた。十
中八、九、平は犯行に手を染めている。そんな確信があった。これ
は刑事としての勘よりも、多くの少年を見てきた大人としての勘が
働いていた。
カワさんが休憩室から去るのを見送り、田中は改めて切りだした。
「大人になるんや。正義ばっかりじゃ警察はやっていけん」
「しかし、こんなやり方はいずれバレます」
細長の目をキッと開くと、田中は、
「絶対にバレへん。わしが何年、調べやっとると思とるんや。
嘘も方便、言うやろ」
三須は真剣な面持ちで、何やら考え込んでいる。
「とにかくそういうことや、失敗は許されないんや。ええな」
田中はまるで何かに追われているかのように、まくし立てた。
「……」
「お前は、鑑定書を見せるふりをするだけでええ。あとは俺が追い
詰める。ええな」
「……しかし」
「ええな」
結局、三須は田中に押し切られるような形でしぶしぶ肯いた。こ
んな形で騙すようなことは、犯人に対する裏切りで、後ろめたさも
感じた。しかし、三須自身も犯人逮捕、早期解決を願っている。平
の犯行も疑っていない。ほんの些細な嘘であれば、その方法も間違
っていないのかもしれない。そんな気持ちもあった。
14歳の少年を逮捕するロジックは着実に完成しつつあった。




