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藤田和之は、共同通信社から送られてきた原稿
を見てため息を吐いた。共同通信社からの原稿は、兵庫新聞でも取
り上げられる。一地方紙である兵庫新聞では、全国、特に中央のニ
ュースに弱いので、共同通信社から記事を買うことになっていた。
「なんやねんこれは?」
原稿には、神戸児童殺傷事件の被疑者である少年の手記と称して、
「懲役十三年」という文章が載っていた。何で今さらこの事件が出
てくるんや、藤田は独り言を漏らした。現場復帰してから、藤田は
様々な事件に追われていて、神戸事件の詳報も少なくなった今では、
当該事件の印象も薄れていた。
あれだけ真実にこだわり、一時は闇に葬られようとした真犯人捜
しに没頭したはずだった。社にいたければ、記者でいたければ、追
うのをやめろ、と言われ、気後れしたわけではない。現実が見えた
のだ。彼には生活があり、新聞記者であるということに未練もあっ
た。すべてをかなぐり捨てて真実の追求をするほど、現実は甘くな
い。神戸事件に触れる機会が少なくなるにつれ、思い出すことも少
なくなっていった。真実の追求と現実とのギャップを擦り合わせて、
人間は大人になっていくのかもしれない。それで良いのだ。彼は次
第にそう思い込んでいった。
家裁に係属してしまった以上、少年のプライバシーの保護のため、
ほとんど彼への接触は断たれてしまった。彼がどんな人物だったか、
周りの人間に取材することができても、それはあくまで事後の伝聞
情報だ。噂がどんな形で尾ひれがつくともわからない。藤田が知り
たい警察の調書や証拠などの発表は、警察がリークするか、家庭裁
判所の決定を待つしかなかった。警察のリークもほとんどなくなっ
てしまった今では、いったい何が行われているのかさえわからない
状態だった。
藤田は八酒鬼薔薇事件の担当から意図的に外されていた。少数精
鋭の兵庫新聞では、事件にさける記者数も限られているし、情報が
隠された今となっては、他の事件に人員をさいた方が効率が良い、
というのが表向きの理由である。本当はデスクの安田が彼を危険視
して、担当を外したと言っていい。
各新聞社が神戸事件の記事をほとんど載せなくなっていたいま、
突然、共同通信社からこの原稿が送られてきた。兵庫県警は少年の
友人の協力を得て、彼から少年の手記を入手したという。しかも、
逮捕前の5月には、この「懲役十三年」を手に入れていたというこ
とだ。こんな奇怪な文章が今までリークされなかったのには、何か
理由があるのだろうか。友人は少年に頼まれて、パソコンで清書し
てそれを本人に渡したという。
とても中学3年生が書けるような文章ではない。レトリック、比
喩の使い方、漢字や語句の使いまわし、引用文の絶妙な配置。どれ
をとっても、そこらへんの中学生には真似できないだろう。これを
パッと見て中学生に「正確に写しとれ」と言っても、100人中9
9人は正確に写すことは不可能だろう。よもやの天才ならば、あり
うるのかもしれない。少年と少年の友人は、天才少年ではない。普
通の少年だ。少年は、国語の内申点が「2」ということだ。急激に
作文の才能が開花したというのか。パソコンを正確に操れる中学生
というのもほんの少数だろう。警察の目は節穴だと自分で宣伝して
いるのか。とても証拠採用するに値しないシロモノだった。
なぜ今このタイミングで?藤田の頭は疑問符でいっぱいだった。
警察は自らの逮捕に正当性を裏付けるために、証拠の一部をリーク
したのだろうか。にしても、不自然すぎる。事件のことをよく知ら
ない人間がこの作文を見ると、なるほど、あの犯行声明文もこの少
年にはわけもなく書ける、と思い込むだろう。
自作自演じゃないだろうか……。
藤田の頭には、再びこの事件のきな臭さ、胡散臭さが舞い戻って
きていた。少年の逮捕から家裁への送致まで一息の間に終わったこ
の事件は、元を正すとよくわからないことが多かった。メディアは、
毎日のように、少年と少年の両親を叩き、中学校長や親せきまで、
報道被害とでもいうものが飛び火していた。加害者が少年であり、
少年が残虐な行動をしたらしいという、ただそれだけの理由によっ
て多くの人間が叩かれた。当の少年は、少年法という盾に守られ、
顔写真すら載せられないという有様である。メディアのストレスは、
周囲への異常な叩きに転化していった。
松本サリン事件を見るがいい。過熱した報道は、無辜の人間を加
害者として扱い、徹底的に叩き、サリン事件の被害者を拡散した。
いつしかメディアは、報道の自由と国民の知る権利を大きくはき違
え、王様のように振る舞っていた。自分は間違っていない。間違っ
ていないから何をしても許されるんだ、と。
メディアの歯車であり、一部である藤田は、心臓がぎゅうと押さ
えつけられ、悲しみと息苦しさに見舞われた。人間はなぜもっと冷
静に感じ、考えられないのだろう。新聞はTV報道とは違うというア
ピールのもと、速報性と詳報性に縛られ、事件を冷静に見る目、考
える力を失っていた。すっぱ抜きで嘘か真かわからない記事を載せ
るだけでは、報道の自由が泣くというものだ。もっと大切なものは、
国民が本当に知りたいことを、正確に、冷静に伝えることだ。
冷静な目で判断した情報を伝えたい。藤田の心には、神戸事件に
対する情熱の炎が再び燃え上がっていた。




