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風雲急を告げた少年の逮捕劇の当日、兵庫県警は記者会見を開いた。
日本中が注目した事件の記者会見は、捜査一課長が短めの報告をして、
5分ほどで切り上げてしまった。凶悪事件の会見としては、かなり異
例であり、突然の少年逮捕についてその理由がいまいち判然としない、
不可思議なものだった。
「凶器は何ですか?」
の質問に、
「凶器はナイフなど」
「刃渡りは何センチ?」
の質問に、
「わかりません」
捜査本部の長である捜査一課長のこの質疑応答は、犯人逮捕の快挙
にも関わらず、捜査本部が犯行の詳細をほとんど掴んでいないことを
表わしていた。この捜査本部の迷走は、のちにこの事件の異常性を助
長していくことになった。
犯行動機もわからず、凶器もわからず、逃走経路も、目撃情報も、
何もかもわからない会見は、当然ながらメディアの不満と好奇心をあ
おった。微に入り、細を穿って、根掘り葉掘り少年の周辺を嗅ぎ回る
マスコミ人が急増したのは言うまでもない。
須磨署に作られた捜査本部では、犯人の家宅捜索が行われた日から
3日後、深夜22時から定例の捜査会議が開かれた。50人を超える
捜査員の表情には、連日の捜査の疲れが色濃く出ていた。犯人が捕ま
り、自供が得られ、凶器まで発見されたのだが、捜査員の表情は日々
暗くなっているように感じられた。終わらない事件にイラだっている
ものもいた。
捜査一課長があわただしく捜査本部長席に座ると、会議の開始を促
した。昨日までと同じように進展のない報告が続く中、県警捜査一課
の山代が手をあげた。捜査一課長の加藤が発言を促すと、山代は立ち
あがり、一つ咳払いした。
「あー、加害者自宅から押収されたナイフ。こちらは血液反応が見ら
れへんということです。遺体が発見されたアンテナ基地、こちらに
は少量の血液反応が見られたが、あまり目立つもんではないいうこ
とです。まー遺体を遺棄したときについた血痕でしょうな。また、
加害者自宅からも血液反応見られず」
捜査会議は、一転、どよめきがあふれた。ざわざわと声が漏れる中、
山代はもう一度、今度は大きめの咳払いをして、続けた。
「えー、それから指紋についてですが、被害者の遺体、校門、犯行現
場からは指紋が発見されず。それから、犯行声明文からも加害者の
指紋が発見できませんでした。ご存知の通り、指紋はあらゆるとこ
ろに残りますんで、現在ではツルツルした面はもちろん、手紙やノ
ートなどの紙からも検出されます。それが、加害者の指紋は発見さ
れなかったと」
「おいおいどういうこっちゃ」
「どないなっとんねん」
さまざまな野次が飛びかう中、課長が遮り、山代に報告の続きを促
した。山代は肯くと続けた。
「それからですね、犯行声明文と加害者の自筆はやはり同一の筆跡と
見るのは難しい、せっかく調書に書かせてもらったんやけど。
それから、テレビアンテナ基地の錠が管理者のカギとは同じもんで
はないという鑑識結果が得られました。これは、管理者の証言とも
一致しとります」
ざわざわとした雰囲気はおさまらなかった。より一層ざわつきが高
まったとき、誰かの呟きが室内に響いた。
「誤認や……」
誤認逮捕……。誰もが頭に思い浮かべていた単語が呟かれた。室内
は一気に静まり返った。厳かな声で課長が誰何した。
「誰だ」
加藤は気難しげな表情で、もう一度静かに質問した。
「誰だ。誰が言ったんだ?」
加藤の質問は鉛のような空気を切り裂いた。一人の捜査員が手を挙
げた。四十絡みの刑事で、角刈りの五十嵐という男だった。
「私です。物証がこんなに否定されている中で、ホンマに自供がとれ
たんですか?」
加藤は眦をあげて、鋭く五十嵐をにらんだ。一重の鋭い
目がより鋭くなった。
「本当だ。自供がとれたから、本職が逮捕状の請求をした」
五十嵐と加藤はにらみ合って対峙した。同世代でありながら、エリ
ート組とノンキャリア組の加藤と五十嵐は、対立意識を隠さなかった。
ビリビリとした空気が捜査本部となった第一会議室を包んだ。
現場一筋の五十嵐は、会議室しか知らない加藤のやり方に不満があ
ると見えた。鬼の首をとったかのように、勝ち誇った表情をして五十
嵐は追及した。
「私は誤認やと思います。物証がない、人証もない、自供なんて簡単
に覆る。ない、ない、ないじゃ裁判で負けますよ。勝てへんですよ。
それどころか検事が証拠不十分で不起訴にして終わりやないですか。
誰が責任とりはるんですか」
誤認逮捕となれば、上官の責任問題は避けられない。成人事件の誤
認逮捕でも重大な問題だが、少年事件の誤認逮捕ならば、部長から刑
事課長まで芋づる式に馘首になりかねない。五十嵐の言葉は、
そのことを踏まえた発言だった。誤認が世間にわかれば、陣頭指揮を
とっていた捜査一課長の加藤は責任を免れない。順当な出世を重ねて
きた加藤にとっては、唯一の土となる。
ひとつ深呼吸をしてから、加藤は言った。
「責任は全て、本職がとる。証拠も出てくる。五十嵐捜査官は余計な
心配なくてもいい」
「ホンマですか?信じてええんですか?
我々、現場の人間は泥にまみれて、土かぶって、藪をこいで、骨折
りながら、証拠をかき集めとるんです。せっかくかき集めた証拠を
反故にせんでくださいよ」
事実、児童の捜索から遺体の発見まで五十嵐たち多くの捜査員が、
野山を大規模に捜索した。犯人からの挑戦状が届いてからは、目撃者
の聞き込みや、不審な者たちの洗い出しに追われた。地道な捜査で容
疑者を3人に絞り込んだ矢先の少年逮捕だった。現場捜査員たちの不
審がつのるのも当然だった。
「本当だ。少年事件だ。私が責任をとる。すぐに解決する」
「わかりました。放言失礼しました」
捜査員たちのため息がいくつか漏れた。息を飲む展開に、本当に息
を忘れたものがいたのだ。加藤の自信に満ちた発言に、五十嵐が折れ
た形だった。その場の緊張の緩和に安堵して、加藤の発言のおかしさ
に気づくものは誰もいなかった。
会議は、その後10分ほどして加藤捜査一課長が今後の方針を示し
て終了したが、供述書の整理に追われていた三須は、県警の自分のデ
スクに舞い戻った。証言が右往左往するだけで、少年の自供にはかん
ばしいものはない。今まで担当してきた少年事件からもわかっていた
が、少年の証言ほど信用ならないものはない。嘘を吐こうとしてか、
はたまた気まぐれか、初めから終わりまで同じ証言をする少年はまず
いない。
彼らは大人を信用していない。反抗心丸出しで噛みつく者もいた。
懐柔しようとしても、力で抑えつけようとしてもまったく無駄だ。逮
捕から3日目で目ぼしい供述が得られなくても、仕方がなかった。
今日の会議でも、ほとんど証拠がないことがわかった。残る牙城は
平の供述だけである。ここが崩されるといよいよ平を拘束しておく理
由はなくなる。
三須が供述書と格闘していると、捜査一課長から執務室に呼び出さ
れた。執務室といっても、事務机とファイルが所狭しと詰め込まれた
書棚が2、3あるだけの簡素な部屋だった。課長は窓の方を向いて、
事務チェアにこじんまりとおさまっていた。三須が部屋に入るのに気
づいてか、課長は振り向きもせず言った。
「被疑者は吐いたか?」
警察庁から一時的に兵庫県警に出向している加藤は、方言を使わな
かった。加藤の話す標準語は冷たい空気を含んでいた。
「吐きません。犯行は認めましたが、動機も犯行手段も吐きません」
「作れ」
「へ?」
三須は、一瞬、彼の言うことが理解できなかった。加藤は、ゆっく
りと振り向くと繰り返した。
「作れ。供述書を作れ」
「供述書は、今まとめていますが……」
フーッとため息を吐くと、加藤はゆっくりと繰り返す。
「証拠とすり合わせて、作れ」
「な、何を……」
「相手はガキだ。誘導に簡単に乗るだろう。作れ。これは命令だ」
「けったいな……。何を言うてはるんですか!無実の人間をはめるん
ですか!ほんで、そんなことバレたら、我々の進退問題ですよ!」
ぎろりと目をむくと、加藤は無言で威圧した。空気が止まる。窒息
しそうなほどに息苦しい空気に、三須の呼吸は荒くなる。
「お前は無実だと思っているのか?」
「僕だって無実だと思ってはいない!そやけど……」
三須の頭には、迷いが生じた。俺は平の有罪を信じて、違法な手段
も辞さなかったのではないか。田中の汚いやり方も、最後には追認し
たのだ。
「無実でないのなら、多少の荒っぽいことも仕方がないな。どちらに
したって責任問題だ。誤認とわかったら、俺もお前も解職はまぬか
れないぞ」
ガーンと鈍器で頭を殴られたように、三須は目の前がちかちかした。
先ほどの会議でも頭をよぎったことだった。いや、最初から頭の片隅
にあった問題だった。
「捜査の段階では、ままあることだ。被疑者の供述が一致しない場合
は、こちらが供述を作ってさしあげるのは当然だろう。幸いなこと
に、少年事件だ。少年のプライバシーということで、マスコミの質
問はかわせる。大丈夫だ。安心して作れ」
加藤は自分の保身を考えてこんなことを言うのだろう。今さら少年
を開放して、間違いでしたというわけにいかない。警察の威信は地に
落ち、酒鬼薔薇の思惑通りに警察組織はめちゃくちゃに叩かれるだろ
う。少年は誤認逮捕で解放、真犯人はほくそ笑みながら、街中を自由
に闊歩している。兵庫県警にとって、いや、警察組織にとって、こん
なに屈辱的なことがあるだろうか。それどころか、模倣犯たちが次々
と事件を起こすかもしれない。警察にとっても、国民にとっても、こ
のまま少年が犯人の方が都合が良いと考えているのかもしれない。
「供述で被疑者を教育しろ。犯行事実をすりこむんだ」
「できません」
「できませんではない、やるんだ」
「何故、僕が……」
「責任問題だ。俺もお前も一度手を汚したんだよ。手を汚してしまっ
たんだ。最後まで手を汚せ」
逮捕状のことを言っているのか。そもそも、あれは田中の指示だ。
それに唯々諾々と従った自分にも落ち度はあるが、組織で働くという
のは自分一人で考え、動くことはできないだろう。
これは脅しだ。脅迫だ。正義に燃える青臭い考えが頭をよぎったが、
悪意に打ち勝てるほど三須には体力も気力も残っていなかった。
「最後まで、ですか。僕はなんてことを……」
三須は泣きそうな顔になりながらうつむいた。加藤は語気を強めて
叫んだ。
「泣いている暇なんてない!さっさととりかかれ!凶器は私が用意す
る」
言い放つと加藤はビッチリ書かれたメモ用紙を三須に渡した。
メモには犯行動機や犯行手段などが綺麗にまとめられ、メモ端には
タンク山近くの池の地図と、金ノコについての説明が書かれていた。




