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第07話 無能の決意

 苛立ちを食欲に変えて軽く十人前を買い食いした照光は、財布の中を覗き込みながら大きくため息をつく。


「…………帳簿つけようかなあ…………」


 ハァ……、ともう一度ため息をつく。成長期だとしても通常の五倍以上を食べないと空腹で動けず、しかもなんの才能もない身体を作るだなんて、神様はなんて残酷なのだと胸の内で呪うしかなかった。もしかすると『大食い』のジーニアスに匹敵するかもしれないが、穀潰しの才能を持って喜んでいいのは寄生虫までだ。


 だいたい午後五時ぐらいだろうか。表通りを歩く照光が視線を巡らせるとそこには夏休みを満喫する学生、夏休みを満喫する学生、夏休みを満喫する学生、夏休みを————それ以外いなかった。ソフトクリームを舐めていたり教科書を読み歩きしていたり友達と駄弁っていたりと細かい違いはあれど、仕事をしている者はいなかった。彼らはどれも無運枠ラックラックと違って国から相当な補助金もらってるから、アルバイトや奨励金どころか仕送りの必要性もないのだ。


 ——見方を変えれば、それほどこの国は儲かってるってわけだ。


 恐ろしさはない。アリが地球を畏怖しないように、照光にとって高天原は想像の外の存在なのだ。


 ——……あいつは、こんな俺の何が羨ましかったんだろうなあ……。


 ふと、あの少女のことを思い出し、誘起するようにポケットからあるものを取り出す。


 白心が落としていった白いハンカチだ。


 何度も棄てようと思ったが、まるで白心を閉じ込めたのではないかと思えるほどの存在感があるそれに、手を下す勇気がなかった。


 それに、これを持っていれば白心とのつながりになるのではないか————彼女の笑顔を見れるのではないかと妄想してしまい、棄てることができないのだ。


 ——こんなもの持ってても意味ないってのに。


 照光はなぜここまで彼女を意識しているのかがまったく分からなかった。


 たしかに彼女はきれいだ。それも今まで見てきた女性の中で飛び抜けてだ。他にも浮世離れした雰囲気や何もかもを諦めきった無の表情、意外と激しい頭突きなど印象に残る要素はふんだんにあった。


 でも、それだけでは照光の頭の中には残らない。記憶力がないことも周りへの関心を絶ってきたこともあるが、天才しかいないこの国で生き続けたから周りの人間はどれも同じ生き物に見えて、病的なまでに区別がつかないからだ。


 それなのに、照光は彼女を克明に覚えていた。


「ッ~~~~~~」


 ガシガシと頭を掻いても記憶が混ぜられることはない。あの少女のことだけが脳裏に浮かび続けた。


「だークソ、頭突きはされるしカツアゲされるし女王サマに絡まれるしで散々だ。とっとと帰ってふて寝してやる」






「ほう、ならば永久とわの眠りをくれてやろうかのう?」






 虎に噛みつかれる錯覚を抱く。直後に思いっきり横へと飛んだのはほとんど反射的にだった。


 数えきれないほどの銃声が照光の耳を埋め尽くす。それは自分が先ほどまでいた場所に向けられたものだと————標的は自分だと気付くのに、時間はいらなかった。


「な、なんだぁ!?」


 銃弾越しにも分かる剥き出しの悪意。それは照光に素っ頓狂な声を上げさせるには充分だった。


 パニックになる頭を必死に鎮め、すぐに路地裏に飛び込む。本当は表通りの人混みに紛れて逃げたいところだったが、今さら表通りに戻ろうにも謎の襲撃者と鉢合わせするから無理な話だった。


 ——とにかく逃げないとまた……ッ!?


 奥へと逃げながら振り返ると、すぐ後ろにありえないものが追いかけていた。


 適当に結い上げた髪やたくましく大きな体、実年齢より老けてそうな顔のおかげで着ている和装が似合う侍のような男だ。


 だがこれがありえないものではない。たしかに時代錯誤な姿は超先進国のここだとそれだけで荒唐無稽に見えるのだが、問題はそいつが従えているものだった。


「ぬうぉおおおおぉキモいキモいキモぃぃいい! 何それ!? 全部武器・・・・!? もしかして数撃ちゃ当たる教信者の方ですかクソッタレ!」


 青龍刀、鎖鎌、三叉槍、メイス、アサルトライフル、果ては無反動砲カール・グスタフなど数え切れない兵器群をさながら千手観音のように————嫌悪感から言えばムカデの足のように和服の至る所————それこそ襟や裾のみならず和装を突き破る形であらゆる方向に————剥き出しにしていたのだ。


 ここは天才たちが集う国、高天原。あの数の武器を持てるということはあの襲撃者は収納術、または武器術の天才なのかもしれない。


 だが、その天才様がなぜ自分を狙うのか、照光にはまったく心当たりがなかった。


 学生カバンを投げつけるが難なく切り刻まれ、足止めにすらならない。


「ふむ、死に方ぐらいは選ばせてやろうか? 刺殺、斬殺、撲殺、銃殺、圧殺、焼殺、爆殺、すまぬが毒殺は持ち合わせておらぬが、今だとおまけで暗殺がついてくるぞい?」


 彫りは深いが何を考えているか分からない表情と、袖から数え切れない銃口を向けられた照光は、背中に氷をブチ込まれる思いだった。


「うおお……おおおおおおおおおお!!」


 死にたくない。


 先ほどまで死のうとさえ思っていた少年の本能がそう叫び、屋上に逃げようと天龍の脚ドラゴンブラストで強く地面を蹴った。


 明らかに人間が出せる以上の跳躍を叩き出しこれで逃げおおせると思った照光は、ホッと一息入れて路地裏を見下ろし————待ち構えていた光景に再び度肝を抜く羽目になった。


 ビルとビルに挟まれた路地裏。その状況を利用して襲撃者は連続三角跳びを敢行していたのだ。


「うわうわうわホントこの国はなんでもアリだなクソッタレ!」


 ぐんぐん昇る襲撃者は間もなく屋上に飛び上がり、数ある武器の一つ、クナイを数本投げる。


 照光がそれを辛くも魔龍の腕ドラゴンインパクトで弾くと、襲撃者は愉快そうに片眉を上げ、


「ほう? 義体とは聞いておったが、無機義体であったか。アレ・・が選んだだけあって奇異であるのう」


 ここで照光は襲撃者の目が完全に閉じられていることに気づく。盲目なのか戦いを楽しむハンデとしてそうしているかは分からないが、舌舐めずりする襲撃者の瞑目はどうしてか好奇や空腹で目を輝かせる獣のそれと同じだと感じた。


「あ、アレだと? いったい誰の話をしてるんだ」

手巾ハンカチの持ち主。そういえば分かるのでは?」


 ドクン、と胸が高鳴る。


 なぜここで彼女のことが話に上がるのかが理解できず、鉛のように重い汗が一筋頬を伝う。


 たしかに彼女には髪の色や濁った瞳などおかしいところが多々見られた。だがそれらと今回の件でなんのつながりがあるというのだ。


 頭の整理をする間もなく、襲撃者は飛びかかりざまに左袖からの刀剣の束を力任せに振り下ろし、それを照光が両腕をクロスしてまた防ぐ。


 ギリギリと鍔迫り合いのまま襲撃者はふむ、と何か独り合点して、


わしの名は桶狭間おけはざま戦兵衛センベエ。うぬは巻き込まれたのじゃよ。世界を変える力、それを巡る戦いにな」

聖母の愛マリアズギフトが世界を変える力だあ? 冗談は老け顔だけにしやがれ!」

「ほう、アレをただのネクストと思っておるのか。なんともまあ、滑稽ではないかえ? あとこう見えてまだ高校生ぞ」


 不意に右袖の銃器の束を眼前に向けられる。銃口から覗かせる深淵のような黒腔があまりに不気味で、鳥肌が浮かばせながら銃身を真上に蹴り上げる。それがすんでのところで間に合って射線が逸れ、数え切れない弾丸がさながら打ち上げ花火のように空を貫いた。


 もちろんこれで終わりではない。すぐに振り下ろされた銃器の束を足裏で受け止め、撫でるようにして地面に押さえつけた。


 これで両手を塞いだ。だが戦兵衛はそれでも慌てることなく閉じた目でこちらを見つめ、ほう、とまた何か一人で納得したようにつぶやいた。


「戦い慣れておるのう。先ほどの対応といい、相当の危機回避能力とそれを活かす素直な心を持っているようじゃ。一体どのようにしてそれを手に入れたのじゃ?」

「ニシシシ、そりゃ企業秘密ってヤツだ。ところでさ、ものは相談だけど、マジで勘弁してくれない? ハンカチ欲しいならあげるからさ」

「ほう、命乞いかえ? だが上司の命でな、うぬを殺さなければならない。悪く思うな」


 そう言った直後、戦兵衛の襟首から飛び出た無反動砲が火を噴いて、砲弾がグングン空を駆け上っていった。


 煙の尻尾を残すそれに一瞬驚いたが、照光はニシシ、と人の悪い笑みを浮かべ、


「焦りで暴発かよ。いくらジーニアスといえど人間ってことか、可愛いねえ?」


 そう悪態をついて砲弾を追う視線を正面に戻すと————戦慄が体中を駆け巡った。


 ニィィィ、と口角を上げただけの不気味な笑みが、目の前にあったからだ。


 逃げる理由はそれだけで充分すぎた。


 銃器を押さえる足を軸に戦兵衛の腹を蹴飛ばし、その反動を利用して隣のビルに移ると、


 先ほどまで立っていたビルが粉チーズになった。


 正確には打ち上げられた砲弾が下方広範囲に向けて大量の小型爆弾をばら撒き、ビルを芯まで粉々に爆破したのだ。


「打ち上げ式クラスター爆弾!? なんつう危ねえモン持ち歩いていやがんだ!」

「聞く必要があるのかえ? ここだから・・・・・という口上以外はいらぬと思うが?」


 超先進科学国家、高天原。


 日本の属国とはいえ、世界の生活水準を底上げできた所以であるこの国が不文律として、日本のみならず世界から治外法権が認められていてもありえないことではない。そもそも打ち上げ式クラスター爆弾は高天原が開発したものだ。自国で作ったものを自国で使って何が悪いと言い分が通るだろう。


 それでも、どうしても納得できない点があった。


 それはある意味では、条約で禁止されている兵器を持っていることより謎なことだった。


「お前なんで自分ごと殺ろうとするんだッ。自殺なら他所でやりやがれってんだ!」


 あの時、戦兵衛を蹴飛ばさずに自分だけ逃げていたら、今頃戦兵衛は肉片になっていただろう。それは当人にも分かっているはずだ。


 だというのにそれでも動かなかった理由が、照光には分からなかった。


 付き合ってられないと言わんばかりに照光は逃げ、それを戦兵衛が追いかける。


「ジーニアスだったら俺なんざ簡単に殺せるだろうがッ。なんで自爆紛いのことなんざするんだよ!」

「うむ、もちろん理由はあるぞい」


 戦兵衛の閉じた双眸が、まるで照光の内側を見据えるように向けられている気がした。


「儂にはとあるさががあってのう、それは人間の死に際を見ずにはいられないというものじゃ。あの時は誰もが平等に光の塊を吐き出す。おそらく魂というものだろう、あれは真に美しい。人によって色や形も様々で、儂にとっては極光以上に見る価値があるものじゃ。それをこの手で顕現させ空へと還らせる達成感など絶頂すら覚える。それこそ死んででも味わいたいと思うほどぞ」


 ゾッと背中に寒気が走り、振り返るとそこにはまたアレがあった。


 口角を上げただけの不気味な笑顔だ。


「この意味が、うぬにも分かろう?」


 日本刀のように研ぎ澄まされた殺意が、照光の心臓を切り裂いた。


 分かるに決まっている。分からないわけがない。


 死んでも殺す。言葉にするよりもその意思がはっきり伝わった。


 なぜ殺すことに美しさを見出す殺人鬼が氷のように冷たい殺意を卑小な無運枠ラックラックに向けてくるのか。悲しいことに照光の頭では理解に及ばなかった。


 そして、その襲撃者を従える黒幕がどんな人間なのか。もはや想像することすら難しかった。


「ふむ、そろそろ終わらせよう」


 ガシャガシャガシャ! と剥き出しにしていた兵器群をいったん和服の中に収納し、次に出されたものもやはり兵器だった。


 しかし、先ほどまでがあらゆる武器を装備した汎用スタイルだとしたら、これは少しわけが違った。


 ガトリング砲やロケットランチャー、ミサイル砲など重火器のみを装備した火力特化スタイルだったのだ。


「では、見せてもらおうか。うぬの魂がどれほどのものかを」


 重く低い、突き刺すような声による宣言の直後だった。


 悪意の砲弾が空を覆い、害意のミサイルが宙を抉り、塗り潰すような殺意が照光を襲ったのは。


 その光景はまるで、二度と日の昇らない悪夢のようだった。


「ぬぎゃぁぁあああああああああああッ!?」


 情けない声を上げながらブースト最大ギア全開の全速力で逃げるが、それでも発射されるものには敵わない。


 いくつもビルを飛び移るがその度に足場を破壊され、何度も崩落に巻き込まれそうになる。


 何度爆風が体をよろめかせ砲弾が手足に当たったことか。無機義体故に無傷で済んでいるが、あと数センチずれていたらどうなっていただろうか、と考えると冷や汗が止まらなかった。


 ——ツイてねえ。……ホントにツイてねえよ。

 ——なんだって俺なんかがこんな目に遭わなきゃならないんだよ!

 ——クソッタレ! クソッタレ! クソッタレ!


 もはや完全に心が折れていた。無理もない。銃口が一つならまだしも数え切れないほどのそれと道連れ上等の殺意を向けられたら、誰だって嫌にもなる。しかもその理由が不鮮明と来たものだから理不尽さすら感じた。


 ——だけどこの速さで走れば逃げ切れるはずだ!


 照光がそう思う通り、先ほどから発砲音は響き続けるのに攻撃の波が弱まってきていることから、もう少しで砲撃の手が届かないところまで至れるようだ。


 少しして振り返ると戦兵衛が米粒ほどの大きさになるまでに距離が開いていて、どう考えても攻撃が届くような距離ではなかった。


 今度こそ安堵のため息をついて向き直ろうとした————その時だった。


 ヂッッッ! と目にも止まらぬものが頬をかすめた。


 それがなんなのかは、考えるまでもなかった。


「狙撃かクソッタレ!」


 米粒ほどの大きさの戦兵衛が何をしたか見えたわけではないが、頬から滴る血潮と突き刺さんばかりの殺意から、見るよりもはっきり分かった。


 追いかけながら狙撃する技術よりもその殺意の鋭さに慄き、体が強張りそうになるがそれでも振り切るようにして手近の路地裏に飛び込む。だがその直前に今度は脇腹に精密射撃を受け、衝撃と痛みに体勢を崩した照光は真っ逆さまに地面へと落ちていく。


 比喩抜きで脇腹を貫いた痛みと頭から落ちていく恐怖で頭が真っ白になりそうだったが、歯を食いしばってそれを踏みとどまる。そして体を翻してなんとか着地するが、


「————がふぁッ、あがぁ……!!」


 無理な姿勢で着地したがために衝撃を天龍の脚ドラゴンブラストだけでは吸収しきれず、生身の上半身————つまり穴の開いた脇腹にも衝撃を走らせてしまった。


 想像を絶する痛みが脇腹で爆発した。


 まるで銃創に鉤爪をかけて内側から引っ張っているような、それとも銃創に風船を入れて膨らませているような、とにかく傷に傷を作ったようにドバドバと血があふれ出た。


「————ッ!! ……グッ————あァあァァ……」


 大声は出さない。出してはいけない。


 本当は痛みに身を委ねて獣のように絶叫を上げたかったが、それを許した時にはすぐにでも居場所がばれるだろう。逃げる上でそれだけは回避したかった。


 何度もアスファルトに頭を打ちつける。


「意識だけは、しっかり……持たなきゃ……」


 途絶えそうな意識への気付けとして、パニックになりそうな頭の鎮静剤として、なおもアスファルトに頭を打ちつける。


「起きろ俺……今までだって何度も、こんな目に遭ってきただろうが……!!」


 ニシシ、とムリヤリ表情筋で笑顔の形を作る。それにはやせ我慢の色が多分に含まれていた。


 さっさと逃げなきゃ……、と思って顔を上げると、その先には人が行き交う大通り————照光の日常があった。


 命を狙われることも殺意を向けられることも、ましてや狂人に遭うこともない、退屈で平和で、軽蔑と憐憫に満ちた日常だ。


 ——死ぬよりもあんな日常じごくを選ぶだなんてな。

 ——やっぱり俺は、どこまで行っても道化師ピエロだな。


 心の中で皮肉をつぶやき、ゆっくりと歩を進める。


 と、ここで大事なことを思い出した照光はポケットに手を突っ込み、あるものを取り出す。


 白心のハンカチだ。


 近くにあるポリバケツのふたを開け、その中に捨てようとする。


 これを持っているせいでこんな目に遭ったと考えると殺意が沸かないわけでもなかったが、これを捨てて日常に溶け込めばすべてが終わると考えたら、それもどうでもよくなってきた。


 そもそもはこのハンカチに、ひいてはあの少女に対して変な感情を抱いたのが間違いだったのだ。バカにされようが頭突きされようが————嫉妬されようが二度と会うこともない人間に思いを馳せても、意味はないのだから。


 心底安心した笑顔を浮かべ、ハンカチを握る手を広げようとした。


 したのだが。






『愚かな人』






 ピクリとも動かない。


 脳裏の最奥。普段なら気にも留めないそこで、あの少女が負に染まり切った瞳と憐憫の言葉を送っていた。


 頭を掻いて虚構も掻き消そうとするが、それでも機械の手が言うことを聞かずにハンカチを放そうとしない。まるで義体の意識が照光の意識と衝突し、反抗しているかのようだった。


 そして、それはこう呼びかけているようでもあった。






 彼女とのつながりを手放すな、と。






『大切なのは努力することじゃなくて、自分は何ができるかを、見つけることよ』


 なおも響く幻聴が機械の手を押しとどめる。いや、義手に意識などあるわけがないのだから、実際は照光の深層心理がそう言っているだけなのだろう。


 だが仮にそうだとしても、その深層心理はいったい何を思ってそう言っているのか、自分でも分からなかった。


『なのに、できることが努力することだという、本末転倒な妄執に捕らわれた、愚かな人』

「黙れ。お前に俺の何が分かる。才能がないことを認めたくなくて足掻く男の、何が分かるって言うんだ」

『私はこんなものを持って、幸せと思ったことなんて、一度もないわ』

「嘘をつくなよ。…………嘘をつかないでくれよ!」


 鬱積した声から一転、身を斬るような悲痛な叫びを上げる。


「才能があって困る人間はいないんだ。逆に才能がなくて悩む人間はいくらでもいるんだ。だから、頼むからそんなことを言うなよ。……そんなことを言われたら、そいつらは……俺は————」


 なんのために生きているんだ?


 道化師ピエロの顔を歪めてそう言おうとした。だが言った瞬間自分の中の大事な柱が音を立てて崩れる確信があったから、声にすることはできなかった。


 理由の一つ・・・・・・がそれだった・・・・・・


 向かいの壁が爆発して吹き飛ばされた。それが声が出なかった一番の理由だった。


「あがぁ……!?」


 後ろの壁に強かに体を打ちつけて、肺の中の空気を一滴残らず絞り出す。それだけで視界が真っ白に塗り潰れて意識が途絶えそうになったが、粉塵の中の影がそれを許さない。


 ズオンッ! と粉塵から日本刀が放たれる。それから来る死の予感に弾かれるようにして首を動かすと、先ほどまで目があった位置に刀が突き立てられ、壁に深々と刺さった。


「お、おおお……」

「ぬう、よもやこれもかわされるとは。危機回避能力もここまで来るともはや獣じゃな。うぬの生活環境が気になってきたぞい」


 戦兵衛の楽しそうな声が、路地裏に冷たく響く。


 壁から抜かれた刀が今度は照光の首筋に添えられた。晴れていく粉塵とともに刀身の反射光が強くなっていき、その様子が死の恐怖が具現化されているようだった。


「だがここまでぞ。アレと関わったうぬ自身を呪うことじゃな」


 心臓がじわりじわりと締めつけられる感覚を覚える。


「ふん、期待するにも無運枠ラックラック相手では無理からぬ話か。この殺しで満たされぬとなるととんだ無駄足というわけとなるのう、腹立たしい」

「う、あ、……」

「死に方は、……ぬう、面倒じゃ。もう打ち首で良いな?」

「ちょちょちょ、ちょっと待ってくれよ! なんで俺が殺されるんだよ! 理由を知らないまま死んでたまるか! いや知っても死にたくないけどね!?」

「ほう、お決まりの冥土の土産を所望するか。良かろう、何が聞きたい」


 偶然だがなんとか首の皮一枚つながった。あとは隙を窺って出し抜けば勝機とまではいかないにしろ逃げれる見込みはある。


 しかし、その考えは甘かったのかもしれない。


「いっ!」


 ズズッ、と刃が首の皮一枚に食い込み、思わず苦々しい声を上げる。


「ただし一つの問いにつき五十分の一寸ずつ刃をうぬの首に入れてゆく」


 口角を上げただけの不気味な笑みが、戦兵衛の顔に三度現れる。


「悔いなく逝くか、血の華を咲かせるか。どちらが早いであろうか、愉しみで仕方ないぞ?」


 本気だ。


 五十分の一寸というのがどれほどの長さなど分からないし知ったものではないが、戦兵衛の口元を見たらそう長くは持たないことが容易に理解できた。


 ——は、早く何か聞かないと……

 ——でも質問したら刃が首に……

 ——頸動脈ってどんぐらいの深さにあるんだ……?

 ——俺はあと、何秒の命なんだ!?


「ふむ、余程の動揺と恐怖を覚えているようだな。刃に伝わる脈拍で面白いまでに分かるぞ」


 照光の脳内は寿命の計算で目まぐるしく回転する。だがそれはあくまで空回りであって答えどころか計算式すら導き出せない。


 刻々と命のタイムリミットが迫る。


「ふむ、ないのか? では」

「あるある! そ、そうだな、なんで空井に関わったからって俺の命を狙うんだ?」

「うむ、上司からうぬを殺せとの命令を仰せつかった、と言えばそこまでじゃが、アレはこの国の最重要機密にして二つとない実験動物モルモットぞ。察するに、知られてはならないアレと関わったことが最大の理由であろう」


 実験動物モルモット。つまり彼女はどうにかして監禁されていた場所から脱出して、逃走中に照光と出会った、というわけか。


 ——んなことはどうだっていいんだよ!

 ——なんとか時間を引き延ばして活路を見出すのが先決だ!


 だが死は確実に近づいている。ズズッ、と刃がわずかに奥へと食い込み、鋭い痛みが脳を刺した。切り口から血があふれ、首を伝うそれの気持ち悪さに全身が冷や汗でぬめる。


「次の問いは?」

「ええっと、……なんでお前は俺の位置が分かったんだ? 事前に俺があいつと会っていることを知っているかのように攻撃してきたし、見えなくなってもここだとはっきり分かった。まるで俺のことを見ているみたいじゃないか」

「ぬん? 気づいておらんのか? そんな目に遭っているというのに、いやはやなかなかに滑稽じゃ」


 くい、とあごで指し示されたのは照光の右手————に握られているものだ。


「その手巾ハンカチぞ。それには発信機が編み込まれていてな、場所など手に取るように分かる」

「クソッタレ、そういうことだったの————」


 今、この男はなんと言った?


 ズズッ、と刃がさらに食い込むが気に留める余裕がなかった。信じたくないが照光の聞き間違いじゃなかったら……、


「は、発信機だと? じゃあなんだってんだ、お前らは最初ハナっからこれを持ってたあいつの居場所が分かってたのかよ? 最初ハナっから捕まるように仕組まれた出来レースを、あいつは走らされてたってのかよ!?」

「そういうことぞ。それはあの化け物の母親の手作りのものらしくてな。母親との唯一のつながりであるそれをどうしても手放したくなかったのであろう」


 それなのに、彼女は置いていった。


 二度と会えないであろう母親がくれた、大切な大切なハンカチを。


 ズズッ、と刃がさらに食い込み、血が流れる量とスピードが一気に上がる。今度は寒気すら感じ始めた。


 しかし照光の意識は完全にそれから外れている。


 代わりに思い浮かぶのは、白い少女の虚ろな瞳。


「つまり、うぬは体のいい囮として利用されたというわけじゃ。おうおうなんと虚しい話なのやら」

「それは違うな」


 おどけた調子で悲しがるふりをしていたがはっきりと否定され、戦兵衛は強面をキョトンとさせる。


 照光は今になって思う。白心があんな虚ろで黒く淀んだ瞳をしていたのは被験体として生かされるだけの自分への絶望と同時に、ハンカチを置いていく辛さがあったからではないだろうかと。


 仮にそうだとしたら白心があの時ハンカチを置いていったのは偶然ではなく意図的だということになる。


 では、なぜわざわざ置いていったのか。


「違うわけなかろう。……ふむ、ここまで哀れだと同情を禁じ得んな」


 顎に手を当てていた戦兵衛は懐をあさり、何かを照光に放った。


「せめてもの情けじゃ。切腹しろ。介錯は任せられい」


 ゆっくりと、目だけを動かしそれを見やる。それはキラリと光を反射する白鞘の小刀だった。


 ——これって……あいつにソックリじゃないか。

 ——冷たくてキレイで、触れると切れちゃいそうな白いあいつに……。


 伸ばした手でそれを拾い上げ、誘起するように彼女を思い出す。






『たしかに私は、人形かもしれない。地下室の奥でひっそりと、誰にも知られることなく、朽ちていくのだから』






 あの言葉。


 あれは普通に聞けば自虐や皮肉にしか聞こえないが、置いていったハンカチを考えれば別の捉え方ができるかもしれない。


 たとえば————


「……あいつは、助けを求めていたんじゃないかな」

「ぬん?」

「『私を見つけて。これを置いていくから、助けに来て』って。でも、何かがあって直接言うことができなかった。だから発信機が埋め込まれたそれを渡して暗に助けを求めていたんだ」

「? うぬはいったい何を言っているのじゃ?」

「質問を続けさせてもらう。お前はどうしてそんなに殺人が好きなんだ?」


 照光の雰囲気の変化を感じた戦兵衛は、怪訝な表情を浮かべながらも真面目に答える。


「好きなわけではない。魅入られているだけぞ。殺しというものは世間一般が思うほど世間離れしたものではない。呼吸をしない人間がおらぬように、殺したことのない人間はおらぬ。誰しもが虫を千切り殺すなり己の意思を押し殺すなり悲鳴を噛み殺すなりしている。儂はその『殺す』というありふれた日常に魅入られ、その道を極めようと殺人にのめり込んだ。ただそれだけの話ぞ」

「へえ、変わってるんだな」


 ズズッ、とさらに刃が首筋に食い込む。


「お前が初めて殺したのはなんだ?」

「儂の殺人衝動ぞ。あの頃は幼年ながらも己の異常性に悩んだものじゃ」


 ズズッ、とさらに刃が食い込む。


「その次に殺したのは?」

「儂の親父ぞ。初体験があのようなクズだと思うと今でもはらわたが煮えくり返りそうじゃ」


 ズズッ、と刃が食い込む。


「その後人を殺し続けてどう思った?」

「……鬱積した感情のすべてが解き放たれた気がした。斬り、撃ち、砕き、千切り、焼き、折り、潰し、毒し、殺すことこそが我が道と見定めることができたのう」


 ズズッ、と食い込む。


「殺すことは楽しいか?」

「貴様は先ほどから何が聞きたい? 何故なにゆえそのように死に急ぐ?」

「黙って答えろ。質問に質問を返すとテストじゃ0点だって知ってるか?」

「…………楽しい楽しくない以前にそれはわしの生き甲斐ぞ。それができなくなると生きていられないと言っても良いな」

「そうか」


 ズズッ。






 ニシシ。






「ッ!?」


 戦兵衛は一瞬、自分の感覚が狂ったのかと思った。あと少しで血の華を咲かせるであろう少年が無邪気に笑っていたら、そう思うのも無理からぬ話だ。


 そしてそれを視た戦兵衛は漠然と感じていた違和感の正体を知った。


 質問を連発したことでも、声から怯えや動揺が消えていたことでも、質問を強制する立場から返答を強要される立場に変わっていたことでもない。


 ——なんと薄気味の悪い。

 ——先ほどから此奴、自ら望んで・・・・・死の淵に立とう・・・・・・・としておる・・・・・ではないか・・・・・


 しかしそれは生きることへの絶望故の行動とは思えない。


 代わりにその無邪気な笑顔を見るとこう思ってしまう————今までの自分を殺し、新しい自分へと生まれ変わろうとしているのではないか、と。


「色々聞いた礼に俺の話をしてやるよ」


 戦兵衛の思考に割って入るように、照光から声を向けられる。


「俺にはな、夢があったんだ。『ヒーローになる』っつう幼稚で馬鹿馬鹿しくて壮大で、無運枠ラックラックなんかじゃ絶対に叶わない夢だ」

「ふん、時間稼ぎのつもりか? だったら今すぐやめておとなしく首級くびを」

「まあそう言わずに聞けよ。俺はガキの頃にちょっとあってこの夢を抱くようになったんだけど、全無能の俺にはそれを叶える力はなかった。それでも諦めきれずに足掻き続けて足掻き続けて、気づけば足掻く理由すら忘れてたよ」

「…………」

「でもそれももうカンバンだ。代わりに新しい夢を追いかけることにするよ」


 これ以上は無意味だと判断した戦兵衛はその首を掻き切


「ッ!」

「俺は、あの娘を笑わせる道化師ピエロになる。助けを求められたからとか開き直ったからとかじゃなくて、俺がやりたいからやるんだ」


 戦兵衛は気づかなかった。


 首を掻き切るよりも早く照光の手が刀を握り、万力の如くそれを押しとどめていたことに。


「ニシシシ。俺ってばホントに馬鹿だなあ。なんで今まで気づかなかったんだろ。きっと俺は・・・・・あの娘を・・・・笑わせたかったんだよ・・・・・・・・・。初めて会った時だって『笑ったら可愛いだろうな』って思ったじゃないか」


 ビギィ! と鋭い金属音が路地裏に反響する。それが刀に亀裂が入った音だと気付いた時、照光は片膝を立てて立ち上がろうとしていた。


「貴様ッ、立つでないわ!」

「……ふざけやがって」


 怒り、というよりかは、苛立ちに満ちた声が湧き上がる。


「俺は人間が嫌いだ、世界が嫌いだ、中途半端に聖女を気取るあいつが嫌いだ。でもそれ以上に道化師ピエロな自分が大っ嫌いなんだよ」


 ざわり。


 できることなら勘違いであってほしかった。天才以前に殺人鬼である自分が目の前で死に頻する少年に悪寒を覚えたなど、認められるわけがなかった。


 やおら立ち上がる照光に合わせて、戦兵衛は刀を手放して後ずさる。


「ああ嫌だ、ホント嫌だ、すっごく嫌だ。そんな俺が道化師ピエロになるだなんて冗談じゃない。なりたくないものになりたいとか思わせやがって、責任取らせてやろうじゃねえか」


 ニヤァァァ、と照光は不思議の国に住むチェシャ猫のようなおぞましい三日月形の笑みを、その顔に貼り付ける。


 だが、それもほんの一瞬のこと。


 玉鋼でできた日本刀を握り砕き、路地裏に弾け飛ぶは無数の金属片と、


 一つの怒号。


「こうなったら是が非でも笑わせてやるッ!! 覚悟しやがれってんだクソッタレがああああああああああああああああああッ!!!!」






 夢を見つけた無能と冷血なる殺人鬼。


 普通の枠から外れた二人の普通では終わらない戦いが今、始まる。


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