第04話 無能の少年の日常
虹野照光にはなんの才能もない。
人並みにしかできないのではない。何もできないのだ。
一応高校二年生として高天原の学園に籍を置いているが、数学は二次方程式止まり、国語は三十文字以上の文章の整理に苦労する、英語に至っては完全にさじを投げているなどと、およそ人一倍以上努力している人間とは思えないほど出来が悪かった。
運動においても同じだ。血反吐を出すような苦行とも言える訓練をしていても、義体の力を借りない照光の運動神経は『比較的』いい程度でしかない。
魔王クラスの経験値を積んだ雑魚モンスター。そう言えば照光の大体を表せるだろう。
その凡人以下の照光は今、突きつけられた現実を噛み締めた上で呆然とするしかなかった。
そう。
「……仕事したいのに……」
補習である。
まあ当然といえば当然だ。仮に平常点が満点近くあってもテストができないのだから、はっきり言って成績は下の下の下だ。しかも全無能だから才能を持つ学生ごとに課される個別テストを受けることすらできず、最下位は必至だ。
机に顔を伏せて、あああ……、と思わず野太い声を出す。まるでこの世の終わりへの嘆きだ。補習という拘束時間を何でも屋の仕事に充てれたら、一週間夕食のランクが上がっていたはずだったのだから無理はない。
「コラ虹野。眠そうにするのは構わんが板書は取っとけよ」
「うあーーい……」
注意を受けるも折檻などはない。この補習はあくまで自主性を重んじているから(とはいえ赤点を取れば要出席だが)、先生もそこら辺は生徒に任せているのだろう。それを知っている生徒もまたまともに臨んではいなかった。
同じくやる気のない照光は学生服(兼仕事着)のポケットからあるものを取り出す。
あの白いハンカチだ。
見れば見るほど綺麗だ。レースと動物の刺繍が施されたそれは美しさと可愛さを兼ね備えていて、手作りらしい若干の拙さもあってとても温かみに富んでいる。
人の温かみ————人の『アイ』というものを知らない照光にとってはまぶしすぎるものだ。
同時に、あの少女にとっても過ぎたものではないかとも感じた。
——返そうと思えば返せたけど、返せなかった。
——理由はいくつかある。ムカついていたのも一つだ。
——でも、一時的な感情とはいえ、可哀想なことしちゃったな。
かと言って悪びれる様子もなく鼻息を鳴らす照光は、好奇心もあって生身である顔にそれを当ててみた。
……何か硬いものが編み込まれてるけどやはりただの布か、と思って顔から離した。いったい何に期待してたのかも分からずに自虐に満ちた笑みを浮かべる。
前に向き直ると眠くなるような授業が続いていた。
「じゃあ次はネクストについて復習するぞ。ネクストとは俗に言う超能力者のことで、『人類の最終形態』とも『選ばれし者』とも呼ばれている。彼らの発生の原因や仕組みは今をもってしても解明されていない。ただ一つ分かったことは彼らにはある共通点があることだ。それがなんだか分かるか? ……そう、『虚数次元演算領域』を持っていることだ」
先生は黒板に『根源の羽根』と殴り書きして、
「『根源の羽根』とも呼ばれているそれはネクストの脳だけが持つ器官で、『世界を騙す、または書き換える力』を持っているんだ。たとえば……、」
続いて人間と雷、そして炎の絵を描いた。
「あるネクストは生体電気を放電できるまで電圧を引き上げたり、またあるネクストは肺に取り込んだ酸素を元に発火現象を起こしたりできるんだ」
今度は五人の棒人間を描き、その頭に小さな円を書いた。
「高天原の研究から人間には後天的にネクストへと進化する可能性があって、中でもその大多数が突出した才能を持つ天才、つまり『ジーニアス』であると判明している。条件は個人によって様々だが、唯一共通して言えることは『重大な転機に迫られた時に目醒める』ってとこだな。まあとにかく一人を除いてジーニアスであるお前らもネクストへと覚醒するかもしれないってことだからこんな授業とか思わずにしっかり受けるんだぞー」
周囲から視線と失笑を感じる。まるで「お前には関係ないよ」とバカにしているようなそれだ。
「ネクストは『赤鉄鉱』や『蛍石』など鉱石や金属名の『純度』でランク分けされている。当然だが希少なもので表されていたらそれだけ個体数が少ないことになって、中でも最高位である『白金』は十二人しかいないんだ。そういえばこの学園にも一人白金が————」
唐突に校舎を揺るがすほどの爆発音が轟く。
ドンッッッ! というその音によって先生の言葉が掻き消され、窓に目をやるとちょうど能力測定エリア辺りで数十メートル級の水柱や砂柱が巻き上がっていた。
そんな芸当ができるのは、世界でも『白金』ぐらいだろう。
『いつ見てもすごいな蠍原さんは』
『「反物質弾」だろ? やっぱ選ばれた人間って本当にいるんだな』
『この間も路地裏で大勢のヤンキー相手に大立ち回りしたらしいぜ』
『私もいずれはあんな風に……!』
『その点無運枠はいいよな〜そんな悩みなんてないんだからさ』
失笑と視線。
クソッタレ、と吐き捨てて窓に目を向ける。そこには暗い顔の照光をバカにするような晴れた空が広がっていた。
自分にもあの大空のように偉大なチカラがあれば。太陽のように輝かしい才能があれば。
こんな人生を送らずに済むのに。
詮無きこととはいえそう思わずにはいられなかった。
——いつの世も才能さえあれば、かあ……。
照光は物心つく前に特別抽選枠、蔑称『無運枠』に当選して高天原に入国した。才能や根源の羽根を持つことが入国条件であるこの国に全無能の照光がいる理由がそれである。
日本本島から遠く離れた太平洋の島国であるここに独り送致された照光は、周りには才能に満ち溢れた希望しかいないという事実によって自身の存在理由と価値を完全に見失っていた。
(「……クソッタレ」)
そうつぶやく照光は手袋に隠れた自身の手を眺める。
魔龍の腕。そして天龍の脚。衣服などで隠されたそれらは他とは一線を画する性能を持つ無機義体だ。
これを上手く振るえばもしかしたらジーニアスと————あわよくばネクストともいい勝負ができるかもしれない。あわよくば打ち勝ってバカにしてきた奴らを見返すことだって……。
——……するわけねえだろそんなこと。
すぐにそれを否定した。これはあくまで外付けのものであり照光に内蔵されたものではない。それを我が物顔で振り回して喜ぶほど照光は分別がないつもりはない。それにこれで殴る蹴るをしようものなら、いかに天才といえど大怪我は免れないだろう。
——だったら俺は一生このままでいいよ。
と、ここまでが建前。照光はそれを象徴するように虚しい笑みを浮かべる。
「…………」
実際のところ、見返すつもりで無機義体を晒してこれ以上の白い目で見られることを恐れていて、それがチカラを振るわない最大の要因なのだが、そんな臆病な自分を認めたくなくてどこかで自分をごまかしていた。
——世の中、認めたくないものばかりだよ……。
才能のない自分。周りの卑下の目。自分を作った世界。
そして————恵まれたあの少女の明るい未来。
神がいるなら聞きたかった。
なぜ自分のような存在を作ったのか、と。
平等を掲げる世界になぜ自分が入っていないのか、と。
やはり自分などが夢を見るのは身の程知らずというものなのだろうか?
「……クソッタレ……」
照光は才能ではなく憤怒と嫉妬の感情ばかりが研ぎ澄まされていくのを自覚していた。
才能がない以上にそんな自分が大っ嫌いだった。
※※※
チャイムが鳴り響き、今日の補習が終わった。
学習能力も低い照光にとって普段の授業すら地獄だというのに、補習まであったらもはや安楽の余地すらない。これが十年近く続いて慣れてしまったというのがさらにタチが悪い話だった。
「一生こんな日常なんだろなあ……」
うそぶきながら仕事(の受注準備)をするために帰路に就こうとした。
「テル、二時限目の追試はどうだった?」
カバンに教科書やノートを詰めていると後ろから声をかけられた。振り向くとそこにはメガネをかけた理知的な少年がいた。
「ジョーか。俺に話しかけるなって言っただろ」
つっけんどんに返すがジョーと呼ばれた少年はおどけた調子で肩を竦め、
「僕はさっぱりだったよ。なんで英語なんてあるんだろうね。あんなものできなくったって最低限の国語力があれば生きていけるっていうのにね」
「……それと生物学と機械工学の博士号、ってか?」
「ご、ごめんよ。そんなつもりはなかったんだよ」
ハァ……、とつまらなそうに息を吐き出した照光は、「冗談だよ」と言って笑ってみせる。
それに応えるようにメガネの少年————城ヶ崎改蔵も安堵の笑みを浮かべた。
「今日時間ある? 良かったらウチに遊びに来てよ。弟たちが会いたがっているんだよ」
「俺に話しかけるなって。被害を受けるのはお前なんだぞ」
チラリと脇を見て改蔵の視線を誘導する。その先を見た改蔵は照光の意図を理解したようで、不満そうに眉をひそめた。
「こんなもおかしいよ。仮にジーニアスじゃないからってこんな扱いは」
「俺のためを思うなら黙ってくれ。……仕方ないんだ。俺は本来ここにいるべき人間じゃないんだからな」
ニシシシ、と笑う。
高天原の学生の才能は極めて多岐にわたり、さらにどれも非常に高い能力値を示していることから、ここ高天原はまさに天上の者しか入れない聖域に等しい。
そして力を持つ者同士で匂いが似ているからか、彼らはお互いを認め合い尊重し合うので仲良くなるケースが多い。
では仮に。
片方が愚者だったらどうなるか?
答えは誰もが照光に向ける視線から明らかだ。
「俺の扱い、知ってるだろ? どいつもこいつも虫ケラを見るような目をして無能であることを鼻で笑ってる。動物園の珍獣と同じなんだよ、俺は」
もう一度脇目を振ると、ニヤニヤと笑いかける生徒たちと目が合った。きっと己の道を己で切り拓く力を持つ彼らだから、何をしても凡人以下でそれでも足掻く照光が滑稽でならないのだろう。
おそらく————冷たい目を向けたあの少女もそう思っていたのだろう。
嫉妬なんて、ありもしないことを言って。
「じゃあな。俺に関わってジョーまでハブられるのはバカらしいぜ」
「じゃあ一緒に帰ろうよ。友人と対等に付き合うのは当然なんだからさ」
「……例外っているもんなんだなあ」
「当然のことが例外というのも変な話だよね」
改蔵はジーニアスだが無運枠の照光と対等な付き合いをしてくれる数少ない存在だ。思ったことを口にし合うそんな存在がいるだけでも、冗談抜きで生きていて良かったと思う。
……あの少女も、その意味だと対等に接してくれていたのかもしれない。
「そういえば顔のニキビがないね。除去剤でも塗ったのかい?」
「いや、これはだな」
「おい虹野」
不意に声をかけられ、そちらを向くと先ほど蔑みの視線を送っていた生徒たちが近づいて来ていた。
彼らはどれも相当に鍛え込まれた体つきをしていて、一目見るだけで『強い』と確信させる威圧感がある。
「いつものヤツ、頼めるか?」
「ああ、アレか。んじゃ十分五千円な」
「三十分だ」
先頭の男が節くれ立った手で照光に五千円札を三枚渡してくる。
「すごいじゃんテル。さっそく仕事が来たよ」
「あ、ああ、まあな……」
仕事が入ったというのに曖昧な笑顔を浮かべて代金をポケットにしまう照光。それを不審に思ったのか改蔵がズイッと顔を覗き込んでくる。
その目に若干気圧されながらも、
「そ、そういうわけだ。ジョーは先に帰っててくれ。俺はちょっと一稼ぎしてくっからさ」
「……仕事、だよね」
「当たり前だろ? んじゃな。お前の弟妹たちにもよろしく言っといてくれ」
そう言い残して照光と屈強な同級生たちは教室を後にした。
金銭を稼ぐことを仕事というのなら間違いなく『仕事』と言えるだろう。
それに尊厳や人権が伴っていない場合でも、同じように言えるかどうかは知らないが。