第10.5話 心の在り方
とあるビルのとあるフロア。
「なーバーさん、アンタなんで医者なんかになったんスか? アンタのスゲー頭とキレーな見た目だったらもっと羽振りのいい役職や嫁ぎ先でも見つかったんじゃねーの?」
とある機械を相手に悪戦苦闘している私に一杯のコーヒーを差し出しながら、計くんがそんな不躾な質問をぶつける。私はコーヒーを受け取りながらその質問に答える。
「物事は正確に言いたまえ。私は医科学者であって既婚者だ。もっと言えば外科手術でも診療カウンセリングでも論文誌の執筆でもなんでもござれなスーパーウーマンであって家族円満の秘訣は月一の家族旅行だった普通のババアだよ」
「へーそーなんだー。……で、なんでなんスか」
「ものを知ることにおいてこの仕事が一番効率的だと思ったからだ」
そう言って私は棚にぎっしりと詰まった医学書のみならずあらゆるジャンルの学術書を見せびらかす。計くんはそれを見て興味なさ気にへー、とだけこぼし、
「人体かなんかで知りたいことでもあったんスか」
「人体についてはもう免許皆伝だ。今の私が知りたいのは内面的で精神的で超自然的で形而上のものだ。有り体に言えば心、魂、精神、思想、思考、気力、意識、意思、意志、遺志、肝っ玉、などといったものだろう」
「? そんなモンを知りたいんスか? そんなモン人それぞれで調べようがないっしょ」
「そう、だから知りたいのだよ。計くんには分からないかね? 心の形や色、大きさ、密度、硬さなどをもし視覚化や数値化、有形化することができれば人の在り方や中枢を直感的に把握できるようになるのだ。その第一人者に自分がなれたら、かっこいいだろう?」
「実年齢の割にはガキ臭いこと言うんスね」
「それはそうだ。私はいわば好奇心だけでここまで上り詰めた人間だ。心とその持ち方一つで才能をも凌駕することを私の存在が証明しているようなものだよ」
「それが、儂があの無運枠に負けた理由とでもおっしゃるので?」
ここまで腕を組んで沈黙を貫いていた戦兵衛くんがその重い口を開けた。私は椅子に座って計くんが立っているだけに、床で胡座を掻いている巨躯の戦兵衛くんは凝ったインテリアになりそうだな。
「先生が人体についてすべてを網羅しておられるように、儂も『桶狭間流』で免許皆伝しております。他にも近代兵器への造詣も深めて戦闘の幅を広げ、『武器術』のジーニアスとして先生の許で仕事をこなし己を鍛え続けました。だというのに……」
戦兵衛くんがその頬にある痛々しいまでに大きなガーゼを撫でる。
「儂は、あの男に負けた。無運枠でなんの才能もない、あの男にじゃ」
「油断してただけじゃねーの? ベーやんに勝てる奴ってネクストでもそーいねーんだぞ?」
「言い訳はいくらでもできよう。だが、その上で言わせてもらえば、油断はたしかにあった。それがなければ勝てていたじゃろう」
「そうだね。たしかに戦兵衛くんは最初だけ油断していた。……最初だけ、ね」
「ぬ、……ぐう……」
「言っただろう。心とその持ち方一つだって。君には覚悟がなく、彼にはそれと決意があった。勝負を分けたのはその違いだけだ」
「ふん、何を馬鹿な。では聞くが先生、あなたは一匹の蟻が巨大な像を殺せるとでもおっしゃるのか。今回の件もそれと同義ですぞい。まさかそんな呆けたことを言うわけが」
「殺せる」
断定的な言葉に戦兵衛くんは二の句が継げない様子だった。
「口や鼻、目から体内に侵入して脳の血管の一本でも噛み切ればいい。そうすれば脳が血塊で圧迫され高い確率で死ぬだろう。他にも頸髄の神経を噛み切って全身不随にしたり、気管支で出血させて地上でゆっくり溺死させたり(血が肺胞に一つ残らず入ればの話だが)、腎動脈か輸尿管を噛み切って排尿障害を起こさせればいい。もちろん四方八方を細胞や体液で囲まれ呼吸もままならない中でできたらの話だ。だが、覚悟を決めた蟻にとっては些細な問題だろう」
「……ぬう」
「君の相手はそれだったのだよ。負けてもなんらおかしくない」
「……それでも解せませぬ。お聞かせください、奴はいったいなんなのですか。胸を撫で斬られても喉を潰されても腹を突き刺されても、なおも笑い続けた狂気の具現のようなあの男はいったいなんなのですか?」
「相変わらずの質問魔っぷりだね。いいだろう答えてあげよう。計くんも聞きたまえ。彼は誰よりも無能な代わりにある特別なものを持っている。それは無機義体の四肢でもネジの外れた頭でもなくて、『————』なのだよ」
「クカッ、アホらし。これじゃあ負けたべーやんが浮かばれねーな。ゴシュウショウサマ」
「…………(カチャッ)」
「おー怖い怖い。いい子だからそんな物騒なモン仕舞えって」
「……先生、それはいったいどういう?」
「教えられるのはここまでだ。あとは戦兵衛くん自身が調べたまえ」
「ぬう……」
「計くん、次は君の番だ。彼はおそらくこの場所に向かうだろうから二日以内に出向くように」
書類と一枚の地図を差し出すと、受け取った計くんの口の端が不気味に釣り上がる。
「ナニしたっていいんだよな?」
「ご自由に。部下の仕事スタイルや性癖にとやかく言うほど野暮ではないよ」
「クッカカ」
獣骨を転がすように耳障りな笑い声を残し、計くんは地上三十八階にあるこの部屋から飛び降りた。
さて、神は天上界の少女と全無能の少年を生かし給うかな? もしそうなら、私は神という存在を信じようではないか。




