もっていくな!セーラーふく~シンデレラ~
水上夫妻の抱える四姉妹の末っ子、水上由佳もとうとう中学校を卒業した。
華の女子高生としての新たな生活が始まる! と由佳は進学先の高校が決まってから興奮を隠し切れずにいた。地味なブレザーとも卒業式でおさらばし、説明会や文化祭に行ったときからずっと憧れていた、それはそれは華やかで美しいセーラー服に身を包んで毎日を過ごすことが出来るのだと。
しかし由佳の歓喜に反比例するように、他の三人の姉は不満を募らせていた。
卒業式を終え、地味なブレザーから解放されてからというもの、三人の姉による執拗で陰湿ないじめが始まった。由佳にとって、悪い意味での新たな生活の始まりだった。
水上家では、家事を毎日分担して行っている。その日の由佳は食事当番であった。自分で作った夕食を早めに食べ終え、家族全員の食器を洗うために台所に向かう。
その時、今年高校三年生になる長女――由佳と顔がそっくりの水上由美がテーブルの陰から足を引っ掛けてきた。由佳は転びはせずともバランスを崩し、持っていた食器を落として割ってしまった。
当然母親に叱られ、由佳は由美を睨みつけるが当の長女は知らん振りで黙々とご飯を口に運んでいるのであった。
続いて由佳が台所で食器を洗っている時、今年高校二年生になる次女――由佳と顔がそっくりの水上由理が食事を終え、食器を持ってきた。だが由里は由佳の隣まで来たかと思うと、いつもなら食器を置くだけで去るのだが、わざとらしく「きゃっ」と悲鳴を上げた。かと思えば次の瞬間、持っていた食器を手放し、今度こそわざとシンクへと落下させた。その拍子で皿が一枚割れてしまった。
由佳が唖然としているのに対し、由里は「ちょっと由佳押さないでよ! あんたのせいで割れちゃったじゃん!」そしてまた由佳は母親に叱られ、由佳は由里を睨みつけるが当の次女は視線を無視して携帯をいじりながらテレビの前のソファに座るのであった。
そしてその日、洗濯の当番は今年高校二年生を迎える三女――由佳と顔がそっくりの水上由紀であった。ちなみに由里と由紀は双子である。
家族が洗濯機に入れた洗濯物を取り出しハンガーにかけて干すのだが、何故かその中に由佳が洗濯機に入れたはずの下着や制服のブラウス、ソックスなどが見当たらない。由佳が由紀に尋ねると「元々洗濯機に入ってなかったけど」と白を切る始末。
勿論由佳は洗濯機に洗濯物を入れたことくらい覚えている。問い詰めても「知らない。自分の部屋で脱ぎっ放しとかなんじゃないの?」そう言われ、何か嫌な予感がして自室に戻るとベッドの上には誰かが投げ捨てたかのように洗濯機に入れたはずの下着やブラウスが置いてあった。彼女は乱暴に衣服を扱わない。三人の姉のようにベッドに放り投げてそのままなんてことは一度たりともない。「お姉ちゃん!」と由佳は由紀を睨みつけるが当の三女は「洗濯機に入れなかった自分が悪いんじゃない」と嘲るような目つきで彼女を見下し、由佳が引き止めようとするのも構わず自分の部屋へと去っていく。
そのような悪質ないじめが何日も続き、三月が終わりを告げる頃には母親にもすっかり呆れられてしまった。「ちょっと卒業して気が抜けすぎなんじゃないの?」と、四姉妹の中に渦巻く不穏な空気にまるで気づいた様子もない。母親は由佳の失敗に一々怒ることもなくなったが、同時に彼女に対し冷たくなっていった。
由佳は家族から孤立していた。不幸にも父親は海外出張で半年ほど帰ってこない。元より海外出張の多い父親は、出張が決まるといつも母親と激しい一夜を明かすので間違いなくこんな大所帯になった原因である。とにかく、由佳が家庭で頼れる人物は、誰もいなくなっていた。
しかし人はいないが、頼れるものはある。それは自室のクローゼットに大切にしまった高校の制服――セーラー服だ。彼女は三人の姉にいじめられながらも、クローゼットの中のセーラー服を支えに一日を凌いできた。入学式まであと一週間ほどある。それまでの辛抱だと、由佳は自分とセーラー服に言い聞かせた。
そうやって気丈に振舞う由佳に対し、三人の姉はますます苛立ちを募らせていった。彼女達の行為がエスカレートしようと、母親に半ば見捨てられようとも、由佳はめげずに、倒れても何度でも立ち上がってみせた。由佳は不屈だった。まさか自分たち家族にここまで打たれ強い血が流れていようとは、三人の姉も思っていなかった。と、そんなことを思っている三人の姉も、末っ子に対する執拗さはまさに不屈だった。
姉達は許せなかった。彼女達、さらに母も含めて中学校、高校とブレザーの制服だったというのに、末っ子の由佳だけが華の女子高生時代を華のセーラー服で過ごすという事態を。由佳だけが偶然にも制服がセーラー服である高校に合格したという事態を。彼女達は、黙って見過ごせなかった。忌むべき事件とし、これを阻止するために由佳に様々な妨害行為を敢行したのだ。
しかし、気づけば由佳の高校の入学式が訪れてしまっていた。姉達はまだ学校に行く必要がないため、いつものように起床し今日はどんなことをしてやろうかと考えるのだが、それ以上に早く由佳は起床し、あのセーラー服を着て高校に行ってしまった。
「まさかもう入学式がくるなんて!」
三女の由紀が発狂する。
「許せないわ由佳の奴! 一人だけセーラー服だなんて!」
と同調する由里。
しかし、去年のうちから大学受験を視野に入れ始めていた長女の由美だけは冷静な態度を保っていた。彼女はいわば、姉連合の司令塔的存在だった。
「愚痴ってないで、後を追うわよ。」
彼女は二人よりも賢かった。セーラー服を着る末っ子に対する嫉妬が事の発端だという点では、三人は同じレベルであったが。
一方三人の姉よりも早起きし、頼りにならない母親を置き去りにし、無事に姉達からの難を逃れ学校まで辿りついた由佳だったが、いかんせん時間が早過ぎた。
まだ入学式の開始まで九十分以上あるのだ。一旦生徒が集合する教室には、まだ由佳しかいないし、他の教室にも人気はない。暇つぶしのものと言えば携帯なのだが、今日の入学式に対する興奮で一杯だったため昨夜中に充電し忘れており、バッテリーが残っていなかった。スマートホンにしたのはいいが、バッテリーの消費が激しすぎる。
由佳は一人で窓際の一番後ろの席に座って、ぼうっと外を眺めているしかなかった。
しばらくして、教室の扉がガラッと開く音がしたので由佳は窓からそちらに視線を移した。瞬間、校庭を挟んだ向かい側の道路を通過した車の数を、直前まで数えていたにもかかわらず、その数を忘れてしまうほどの衝撃に直面した。由佳は暗記科目が得意なのにも拘わらず、だ。
教室に入ってきたのは、一人の男子生徒だった。この高校の学ランを着ており、緊張した面持ちで教室内を見回している。そして、由佳と目が合った。その途端、由佳は頬が一瞬で熱くなるのをスローモーションで体感し、男子生徒は同じ新入生がいることに安堵したのかほっとした笑みを浮かべた。由佳の熱さは胸の奥へと侵入した。
「君も、新入生?」
男子生徒が恐る恐る尋ねてきたので、由佳もまた恐る恐る頷いた。
「俺もだよ。よかった、集合場所ここで間違ってないよね」
「た、多分」
「俺、岩佐康平。よろしく」
「み、水上、由佳です……」
ぎこちなく、由佳は礼をした。内心「来た!」と思った。
それから、入学式が始まるまで、二人はずっと話した。中学時代はどうだったかとか、受験勉強が大変だったとか、どうしてこの高校に入ったかとか。主に岩佐が質問する形で、由佳は細々とした声でそれに答えていた。別に人見知りということはないのに、どういうわけか岩佐と話すのは緊張した。教師が現れ、そろそろ体育館へと向かうことになった時、携帯のアドレスを交換しようと岩佐は言った。由佳は携帯を充電してこなかったことをこの日ほど後悔したことはなかった。スマホからガラケーに戻りたいぐらいだった。
入学式が終わった後、岩佐も由佳も母親と共に帰ることになった。母親は「どうして起こしてくれなかったの!?」と怒っていたが、無視した。由佳はそれよりも、岩佐と別れるのが寂しかった。だが、今度は高校の最寄り駅で待ち合わせしようと、別れ際に言われた。由佳は勿論首を縦に振った。それでも彼女はまだ自分の気持ちに正直になれずにいた。着ているセーラー服を見下ろしても、クローゼットにしまっていた時とは違い、支えてくれそうにない。セーラー服は、事の一部始終を見ていたというのに。由佳は自分から行動するべき時がきたのだと、勝手に納得した。
また、密かに保護者のふりをして校内へと侵入した三人の姉も、事の一部始終を見ていた。二人のいた教室も覗いた。三人とも顔がそっくりなだけに、余計に不自然な光景であったが、幸い誰にも見つからなかった。
この日、四姉妹はある一人の男子生徒に一目惚れした。
ドキドキしながら由佳は帰宅し、その日も姉達からの仕打ちを受けることとなった。だが、由佳はもう平気だった。明後日の始業式に、岩佐康平とまた会える――そう考えるだけで、どんなことにも耐えられるようになった。彼女の心の支えは、いつの間にか岩佐康平となっていた。逆にセーラー服は、ほとんど身体の一部となってしまった。欠けてはならない、内臓のようなものだった。由佳の内にも外にも、セーラー服は存在していた。決して支えとしてではない、セーラー服によって、由佳は新しい自分へと変わっていた。
由佳が居間で深夜枠のドラマを観終え自室で寝ようと廊下に出たとき、次女の由里が彼女の前に立ちはだかった。「由佳、このまま無事に明後日の始業式に行けるなんて思わないことね」と意味深な発言を残して去っていく。そして階段で二階に上がる途中で由紀に出くわし「あの男子、岩佐君だっけ? カッコいいよね。私もああいう人と付き合いたいなあ」と言われたところで、由佳は嫌な予感がした。案の定、由佳の自室のドアに由美が背をもたれて立っていた。「私達姉妹って、顔がそっくりよね? よく言われるじゃない?」とだけ言って、由美は彼女の部屋へと戻った。
漠然としない不安に駆られながら由佳は自室に戻る。今日は彼女が洗濯当番であったため、ベッドの上に服が散らかっていることもない。それでも部屋中に形を持たない悪寒が空気と混じり合って溶け込んでいるような気がして、由佳は半ば突き動かされるようにクローゼットを開いた。
「!」
そこに、セーラー服がなかった。間違いなく三人の姉達の仕業だ。単に隠したわけではないとすぐにわかった。三人の姉たちがそれぞれ言っていたことを思い出す。由佳はすぐに察しがついた。
――姉達は自分の代わりに始業式に出席し、岩佐君と親睦を深めるつもりだ。その後も、末っ子として学校に行くのかもしれない。
悔しいことに、四人の姉妹は全員顔がそっくりで、初見では見分けがつかないほどだ。由佳には姉達がセーラー服に固執する理由がわからないでもなかった。セーラー服は憧れだ。着たことがないのであれば、尚更。
しかし由佳とておいそれと譲るわけにもいかない。華の女子高生をせーら服で過ごせる機会など、二度とないのだ。
頼れる仲間はいない。自分で何とかするしかない。明後日、始業式に出席するためには。
由佳の内側には、まだちゃんとセーラー服がある。心臓の様に脈を打っている。
――明後日の始業式のために。
由佳は直ちに行動を開始した。明日は由佳が食事の当番である。
次の日、姉達からのいじめ紛いの行為は一つもなかった。嵐の前の静けさが、終始家中に立ち込めており、食事中に交差する視線が時折火花に似た何かを迸らせていた。
そして深夜のバラエティ番組をひどく真剣な面持ちで観終え、由佳が寝ようと部屋に戻ろうとしたとき、一緒に番組を観ていた次女の由里が突然口を開いた。
「由佳、あんたのセーラー服、私の部屋にあるから」
「えっ?」
「私達だけ知ってるのはフェアじゃないからね。ま、明日には私のものになってるだろうけど」
「そうはいかないよ、お姉ちゃん」
いつの間にか、台所の辺りに由里が立っていた。
「決戦は午前五時からよ。前日は何もしないって決めておいたの。由佳が可哀相だからね」
同じくいつの間にか由佳の背後に、嘲りを含んだ笑顔で由美が立っていた。
「……私、もう寝る」
由佳は激しい憤りを感じながら、部屋に戻った。完全になめられているのだ。三人に。負けるわけにはいかないと、もう一度強く心に誓った。
朝、水上由里が目を覚ますと置き時計の針は午前七時を示していた。由里は起きた瞬間はそれを寝ぼけ眼で見つめていたが、次第にその顔に青みが増していった。汗をびっしょりかいている。というより、部屋全体がやけに暑い。
「!」
ふと天井隅のエアコンに視線を移すと、なんと電源が入っていた。しかも暖房を効かせている。夜中、なかなか寝付けなかった理由がわかった。多少の違和感は無視してでも寝ようとした自分を後悔した。
更に、時計の目覚ましも携帯電話のアラームも全てオフになっている。寝る前に確認したので、夜のうちに誰かがオフにしたということしか考えられない。
由里は発狂しながら支度をし、急いで外を出た。始業式の開始は九時半。まだ勝機はある。
由里の起床する数時間前から、由里の部屋にて争いは始まっていた。彼女が寝ている午前五時に由美、由紀、由佳の三人は下着姿で部屋に忍び込んだ。三人は声も音も出さずに互いの邪魔をしながらゆっくりと由里のクローゼットに接近し、戸を開き、本来は由佳のものであるセーラー服を取り合った。
舞台は廊下へと移り、階段を下りながらもその激闘は続く。その間に、由佳はセーラー服の上着を、由美がプリーツスカートを、由紀はスカーフをそれぞれ獲得し身につけた。だが由紀はスカーフだけでどうすることもできず、すぐに由美に奪われてしまった。奪われた瞬間、由紀は階段を踏み外し転んで頭をぶつけた。
しかしあと一段しかなかったので、大した怪我ではなさそうだった。残る由佳と由美は安心して集中できた。由佳はどうにかしてスカートを脱がそうとし、由美は上着を脱がそうとした。由佳は隙を突いて何度も由美が握るスカーフも奪おうとするが、由美は由紀ほど甘くなかった。
二人とも、手を出しては引っ込めを繰り返しつつ、玄関へと近づいていった。しかし、あと一歩というところで由佳はバランスを崩して転倒した。廊下には何も置かれていない。
由美はそれを好機とし、素早く由佳の上着の両袖を引っ張り上げた。由佳も必至に食らいつくが、ずるずると上着は袖の方から由美の手元へ渡ってゆく。
「私の勝ちね!」
由美は革靴を履くと同時に、由佳からセーラー服の上着を奪い取った。
同時に、足元を激痛が襲った。笑顔が苦痛に歪み、悲鳴が上がる。
その瞬間、即座に由佳は立ち上がると、まずは由美の肩を掴んで後ろに倒した。彼女の両手から上着とスカーフを奪い返し、玄関へと向かって自分の革靴を履く――その前に靴をひっくり返して、予め仕込んでおいた割れた食器の破片を取り除いておく。昨夜のうちに、由佳は全ての革靴に食器の破片を仕込んでおいた。食事当番の際に、わざとコップを割って、破片を集めておいたのだ。
素早く靴を履いて、由美が痛みと戦っているうちにスカートを引き摺り下ろして奪い返した。
「由佳、あんた……」
下着姿になった由美は目尻に涙を浮かべながらきっと由佳を睨みつけるが当の末っ子は知らん振りして制服を着る。由佳なりの復讐であった。
「いってきます!」
着替えを終えた由佳は、元気よく外に飛び出していった。身も心もセーラー服に包んだ由佳に、もう怖いものなどない。あるのは希望に満ちた学校までの道のりだけだ。
時間は午前五時を少し回ったくらいだが、早く出ないと姉に何をされるかわかったものではない。
待ち合わせ場所の駅に着いてからおよそ三時間後に岩佐康平は現れた。
由佳は笑顔で彼に近づき、二人で学校へと向かった。
だが駅を出た瞬間、二人の前に由美と由紀が立ちはだかった。二人は口をそろえて、
「「岩佐君、そいつは偽者よ! そいつは私のお姉ちゃんなの!」」
「な、何言ってんのよお姉ちゃん!」
ぽかんとする岩佐を置き去りに、三人は言い争いを始めた。そんな彼の肩を、ぽんと叩く人物が現れた。
「三人とも偽者よ。本物はあたし。お姉ちゃんに制服を奪われたの」
由里だ。寝坊した由里は土壇場で間に合ったのだ。
「違う、あれもお姉ちゃんよ!」
「お姉ちゃん、なんで来たの!」
「制服返してよお姉ちゃん!」
やがて四人で言い争うのも疲れ、姉妹は揃って岩佐に顔を向けた。その視線は、誰が本物の由佳なのかを決めて、と告げていた。
岩佐は由佳とたった一度しか会ったことがないし、四人は顔もそっくりなので見分けようがない。セーラー服を着ているのは一人だが、他の三人のうちの誰かの可能性もある。
ふと思った。全員がセーラー服を着れば、はっきりとわかるのではないだろうか?
岩佐は口を開く。
「一番セーラー服がピッタリ似合う人が、本物かなあ」
その日から、四姉妹の争いはますます激化していった。