正義の味方
夜の繁華街にはたくさんの人がいる。仕事帰りのサラリーマンや、遅くまで遊んでいる学生。俺はそんな街の中を一人で歩いていた。
「……ちっ。またか」
俺は思わず舌打ちをした。
背後より感じられる謎の殺気。俺がそれを感じ始めたのは数日前からだった。常に誰かから発せられているそれは、俺にも例外なく襲い掛かってくる。以前までの俺なら、その殺気に対して震え上がってしまうだけで、何もできずただその場に立ち尽くしているだけだっただろう。
けど今日の俺は違う。
「へ、へへ……」
自然と口元が歪むのが分かる。
今から俺は、この社会に蔓延する悪しき者達を制裁する。この社会には、一般市民に混ざって世界を乗っ取ろうとする輩がたくさんいるから、そういう奴らをこの俺が排除しなければならない。俺は『正義の味方』だから、弱き者を守る為に、今日、立ち上がる。
右手で握っているナイフが、ブルブルと揺れている。感情が昂ぶっているのか、俺の心の奥底から何かが湧いているような感覚すら感じられる。
『コロシテヤル。オロカナニンゲンドモ』
聞こえてくる声。明らかなる殺人宣告。
ああ、分かるさ。
お前達は人間が憎いのだろう? だからこうして俺達の世界を乗っ取り、人間をすべて排除しようと企んでいるんだ。そうすることで、お前達は安らぎを得ようとしているのだろう?
「いいだろう。お前達に安らぎを与えてやる。この俺が、一人残らず、な」
周囲にいる奴らの中に、人間がどれだけ残されているのかは分からない。『奴ら』は完璧に人間に成り済まし、世界に溶け込んでしまっているからだ。そうして内部から、俺達人間の存在を、消していくのだ。この街がどれだけ侵略されているのかは分からない。
だから今日、俺は『奴ら』からこの街を守る為に立ちあがる。ナイフなんてチンケな武装ではあるが、『奴ら』を殺すにはこれで十分だ。
「さて、狂気に包まれた宴の始まりだ……」
誰にも聞こえないような小さな声で、俺は呟く。
その時、前方から歩いてくる四十代のサラリーマンらしき男が、俺の方を見て、笑った。
間違いない、コイツは『奴ら』が送り込んできたスパイだ。俺達人間を完璧にバカにしたようなその嘲笑が証拠。『奴ら』は俺達を憎んでいる癖に、なんの力も持っていないことを嘲笑うのだ。
そうして笑っていられるのも今だけだぞ、クソ野郎共。
「哀れだな、お前」
ただ黙って俺の横を通り過ぎていれば、目をつけられることもなかっただろうに。
決めた、最初の標的はこの男だ。コイツを見せしめに懲らしめて、『奴ら』をあぶり出す。仲間意識だけは強い奴らだから、恐らく仲間の内の誰かが殺されたならば、迷わずその存在を俺に見せてくれるはず。それこそ、俺の狙いだ。
だからお前は、その為の火種役となって、大人しくこの場でその命を散らせ。
「っ!」
地面を強く蹴りあげて、俺はナイフを構え、男に勢いよく突っ込んでいく。
男は俺の突然の行動に驚いたようだが、身体を動かすことが出来ないでいた。当然のことだろう。何かしらの訓練を受けていなければ、目の前の人物の突然の行動に対して何のアクションも起こせるわけがない。
「ぐっ」
男はうめき声をあげる。男の腹部は、たった今俺が刺したナイフによって赤く染まっていた。薄黒くて、汚い。それが『奴ら』の血だった。
ざまぁ見ろ。何もすることが出来ないまま、お前はここで命を落とすのだ。どうだ? 侵略しようと企んでいた先で命を落とす感想は。一体どんな想いを抱いている? もっとも、そんなことは俺には関係ない。俺はただ、お前達を殺し尽くすことが出来ればそれで十分だ。お前達をここで皆殺しにして、『正義の味方』となる。そうすることで、俺はこの街を、この世界を守るんだ。
「き……きゃぁあああああああああああああああああああ!」
阿鼻叫喚。
今のこの状況を語るのにぴったり当て嵌まる四字熟語だ。誰のものか分からないその叫び声を聞いて、周囲の人々は一斉にこちらを振り向く。
恐怖に染まる者、怒りを見せる者、ただ茫然と立ち尽くす者。その反応は様々だが、
「見つけた」
間違いない。この場にいるほとんどが『奴ら』の手先だ。三十は軽く超えていることだろう。
数が多いからどうした? 粛清することに変わりはない。
お前達はこの世界における毒だ。毒は大人しくここから立ち去れ。
「ぎゃっ!」
一人の少年がうめき声をあげる。見た目わずか九歳足らずと思われる少年だ。何故うめき声をあげたかと言えば、俺がその少年を蹴り飛ばしたからだ。
「な、何するのよ!」
「邪魔だ、失せろ」
その少年の親だと思わしき女性が、俺に対して明確な怒りを見せながら迫ってくる。ただし、その表情には若干の恐怖が入り混じっているかのように思われた。
だからどうした。
こんな幼い少年でも、侵略者であることに変わりないのだ。
故に、その邪魔をするこの女もまた、粛清対象だ。
そう考えた俺は、その女性の胸にナイフを突き刺そうと、思い切り振りかぶり――。
「やめろ!」
間に、一人の青年が入ってきた。絵に描いたような一般市民。
俺は思わず動きを止めてしまう。それを見た女性が、我が子を抱えて慌ててその場から離脱するのが俺の目に映ってきた。
ちっ、邪魔しやがって。
「こ、殺されるぞ兄ちゃん!」
「はやく逃げて!」
逃げまどう群衆の中から、この青年を心配するような声も聞こえてくる。恐らくこれらの言葉は、すべて『奴ら』がかけているものなのだろう。こんなパッとしない奴相手にここまでの言葉をかけられるなんて、『奴ら』はどうもおめでたい連中らしい。もしかしたら、いきなり現れた見ず知らずの人間を、『正義の味方』とでも称しているのかもしれない。
いや、はたしてこの青年も『人間』なのか?
頭の中でそのような疑問を抱きながらも、俺は青年の言葉に答える。
「何って、お前達を皆殺しにしようとしてるんだよ」
「は、はぁ? 皆殺し?」
青年は信じられないと言いたげな表情を浮かべながら、その単語を機械的に繰り返してきた。
「そうさ、皆殺しさ! お前達はこの世界を侵略しようとしている愚かな連中だ。そんな連中から俺は、この世界を守る為に立ちあがったのさ!」
「お前、何言ってんだよ。頭おかしくなっちまったのか?」
何かを必死に抑えながら、男は言う。
……俺には分かるぞ。それは『笑み』を殺そうとしているんだということが。
そうか、つまりコイツも。
「お前も、『奴ら』の仲間だったということか」
「は? 『奴ら』? 何の話?」
「とぼけたって無駄だ。お前が『奴ら』の仲間だということは分かっている。隠していたって無駄な足掻きだ!」
この青年が『奴ら』の一味なのだと分かったのだから、もはや遠慮なんて必要ない。お前もコロシテヤル!
「くっ!」
俺はナイフを両手でしっかりと握りしめ、青年の腹部めがけて勢いよく地面を駆ける。青年は地面に転がってそれを何とかやり過ごす。
はっ! いいねぇ!
簡単に死なれてもつまらないだけだ。
もっと俺を楽しませろ!
「ちっ!」
地面を転がって未だに立ち上がれていない青年に、俺はナイフを突き刺そうとする。狙うはその首。この一撃で確実に息の根を止めてやる。
だが青年は身体を無理矢理捻り、それすらも避けてしまう。
「や、やめろ! 殺す気か!」
「いまさら何言ってんだよ。俺はお前を殺すつもりだぞ? 甘ったれた考えを抱いてるんじゃねえぞ、侵略者の癖に!」
必死に訴えてくる青年。自分の命の灯が消されそうになっているのだから、必死になるのも仕方のないことだと思う。俺がもし青年の立場に立たされていたとしたら、まったくもって同じことをするのかもしれない。
それがどうした?
仮定の話をしたところで何の意味がある?
「だから侵略者って何のことだよ! もう訳分かんねぇよ!」
「うるせぇ! とっとと逝けぇ!」
俺は青年の身体に馬乗りになり、心臓を突き刺そうと思い切りナイフを振り上げる。そのまま重力に引き寄せられるように、両手を振り下ろす――。
「そこまでだ!」
「あがっ!」
瞬間、ビリッ! という音と共に、首筋に強烈な電撃が走る。誰かが背後から攻撃してきたのか? 『奴ら』の奇襲か?
いろんな考えが思い浮かんできたが、それらの思考すらも弾き飛ばしてしまう程に、俺の意識は急速に暗闇の中に引き摺られていく。
俺が最後に見たのは、青年の怯えきった表情だった。その表情を見て、俺は自分の認識が誤っていたことを感じだ。
コイツは『奴ら』の一味なんかではなかった。ただ、コイツは勘違いをしてしまったのだ。
だから最後に俺はその青年にこう言い放つ。
この青年に送るに相応しい、残酷な一言。
ざまぁ、みろ……。
*
自然と息が荒くなっているのを感じる。
僕の身体の上には、首筋にスタンガンを突きつけられたことによって気絶している、一人の男がいた。この男を見ていると、我ながら大層なことをしたと改めて感じさせられる。
僕が最初にこの男を見た時、尋常じゃない程の狂気を感じた。それこそ足が地面に縫い付けられるような程だ。しばらくの間意識が刈り取られるような感覚がして、気付けば男が一人のサラリーマンを、ナイフで刺し殺し、小さな男の子を蹴り飛ばし、その子の母親まで殺そうとしていた。
男は頻りに『奴ら』とか『侵略者』と言ったような意味不明な単語を発していた。結局最後まで何が言いたかったのかまったく理解できなかった。
もし男に攻撃してくれた勇敢な人がいなければ、今頃僕はこの男によって殺されていたかもしれない。
そう考えたら、身体が勝手に震えていた。
「あ、ありがとうございました」
僕はその場にいるだろう人に感謝の言葉を述べる。そして、その人の正体を初めて知った。
「どう致しまして。それに、ご協力感謝致します」
そこに居たのは、一人の若き警察官だった。交番でよく見かける、刑事ドラマで見かけるような、絵に描いた警察官。
警察官は笑顔を浮かべながら、言った。
「この男は、重度の麻薬中毒者だったのですよ。それでしばらくの間施設の中に入れられていたのですが、逃げ出してしまいまして」
「そ、そうだったんですか」
なるほど。
つまりこの男が今まで言っていたことは、単なる妄想だったという訳なのだろうか?
『奴ら』とか『侵略者』と言ったワードも、この男が作り出した設定だったということになる。つまりこの男は、自分の作りだした妄想の中で『正義の味方』を演じていたということなのだろう。
……いや、はたしてそんな簡単に片づけてしまって構わないのだろうか。本当にそれが麻薬中毒によるものと処理してよかったのだろうか。この男が嘘を言っていたとは到底思えない。だが、現実的な話ではないことは確かだ。こんな話、誰も信用するわけがない。僕も、信じることは出来ない。
そんな中でも気になる、男が告げた最後の言葉。
『ざまぁ、みろ』
この言葉が何に対しての言葉だったのか。いや、考えるまでもない。あれは僕に対して告げられた言葉だった。そうだとしても、どうしてあんな言葉が出てきたのか、些か理解することが出来なかった。その言葉の真意を理解する程、僕の脳は働いてくれなかったのだ。
「とにかく、ご協力感謝致します」
「あ、はい」
警察官が敬礼をしながら僕にそう言う。
僕もそれに合わせて敬礼を返す。
「……」
男を連れていく警察官を見つめる。僕の視線を感じ取ったのか、警察官は何回か頭をペコリと下げてきた。
えっと、これで事件の方は幕を閉じたと言ってもいいのかな? だとすれば、僕の役目はこれでもう終わりだろう。そう考えて、そのまま家へ帰ろうとして。
「あ、あの」
背後から、僕を呼ぶ声が聞こえてきた。その声は女性のものであった。恐らく、先ほどあの男に刺されそうになっていたあの母親のものだろう。てっきりそのまま逃げたと思ったのに、律儀にお礼を言いに来るとは。そんなことを考えながら、僕は後ろを振り向く。
「先ほどは本当にありがとうございました」
「いえいえ! 礼なら先ほどの警察官に言ってあげてくださいよ。僕はそんなに大層なことをしたわけじゃありませんから」
僕は女性に対してそう言った。
彼女に言った通り、僕は真ん中に割って入ったのはいいものの、結局何も出来なかった。もしあの場に警察官が入ってきてくれなかったら、男のナイフに刺されて死んでいたことだろう。
そんなことを頭の中で考えながら、僕はふと先ほど男に蹴られた少年が気になった。あの少年は大丈夫なのだろうか。そう思った僕は、少年の方を見て、
「――え?」
目を疑った。
そんなバカな。あり得ない。
僕の見間違いでなければ、およそ人間とは思えないような姿をした何かがそこにいた。
「!?」
女性は『しまった!』と言いたげな表情を浮かべながら僕の方を見つめてきた。
え、つまり何か? あの男が言っていたことはまったくの事実だったということなのか? 『奴ら』というのは本当にいて、この世界を乗っ取ろうと企んでいるということなのか?
「……ばれてしまっては仕方ないわね。こうなったら貴方にはこの場で消えてもらうしかなさそうね」
分からない。意味が全く分からない。
これは夢だ。そうだ、夢に違いない。でなければ、こんな人外生物なんているわけがない。
気付けば僕の目の前には、少年と同じような姿をした、元々は女性だった何かがいた。そして、今にも僕に襲い掛かってきそうな形相を浮かべながら、ゆっくりと僕の方に歩みを進めていく。
冗談じゃない。そんなことがあってたまるか。
気付けば僕は、その場から駆け出していた。
「助けた相手に殺されるなんて、冗談じゃない!」
叫びながら、僕は全力で街の中を駆ける。目的地なんて考えない。ただ前へ、前へ、前へ。
捕まったら最後。僕の人生はここで、終わる。
走りながら、僕は周囲を見渡してみる。
「……え?」
そこはすでに人が住むべき場所なんかではなかった。周りにいる奴らのほとんどが……いや、全員が、人間ではなかったのだ。男の言うところの、『奴ら』だったのだ。
ということは、つまりあれか? さっきの警察官は、あの男を処理する為にその身柄を捕獲したということか? だとすれば僕も……逃げなきゃ!
「死んでたまるか!」
だが運命というものは残酷だ。不運にも、僕が逃げ込んだ先は、行き止まりだったのだ。コンクリートで固められた牢獄。僕はそこに迷い込んでしまったのだ。
「鬼ごっこはこれでおしまいのようね」
ソイツは、歪んだ笑みを浮かべながら、僕にそう言ってくる。動けなくなった僕の身体にゆっくりと近づきながら、手らしきものを伸ばしてくる。薄くなっていく意識の中、僕は悟った。
そうか。これが、これこそが――。
あの男の声が、僕の頭の中で響き渡る。
ざまぁ、みろ。
〈了〉
こんにちは、風並将吾です。
部誌に載せた小説シリーズ第二弾。
その名も、『正義の味方』です。
タイトルから溢れだすこの厨二臭。
そしてぶっちゃけタイトルがただの皮肉にしかなっていない。
そんな作品となっております。
これ、部誌に載っちゃったんですよ?