4話 依頼
「失礼しまーす。文化祭の立て看板の件で来ましたー」
扉をあける。
絵の具の匂いが濃くなった。
教室の隅には色とりどりの作品がスタンドに並び、まるで別世界に足を踏み入れたような鮮やかさが広がっている。
教室の中央で筆を走らせていた女子生徒がこちらに気付いて振り返った。
長い髪を後ろでまとめ、メガネの奥の真剣な眼差しがまっすぐ俺を捉えた。
その視線がぶつかった瞬間、胸の奥がざわついた。
「はい、どうしました?」
落ち着いた声。
けれど、その声がやけに耳に残る。
黒崎が明るく手を振る。
「あやせちゃん、ごめんね、忙しいときに。昨日言った立て看板の依頼で来たんだけど、今いい?」
「黒崎先輩。あ、文化祭の件ですね。大丈夫ですよ」
仕草も言葉も落ち着いていて、妙に大人びて見えた。
「立ったまま話すのもなんですし、こちらへどうぞ」
促され、教室の端に寄せられた席に案内される。
俺と黒崎が隣り合い、あやせが対面に腰を下ろした。
「自己紹介がまだだったね。今回の文化祭実行委員の委員長、藤枝透です。よろしく」
「美術部の副部長、一年の鈴木あやせです。よろしくお願いします」
一年生、、、驚いた。
こんな大人びた雰囲気で一年生?、同級生と言われても疑わないぞ。
「一年生で、副部長って凄いね」
「部員があまりいなくて。部長は三年生なんですけど、受験で忙しいので。実質、私が回しています」
ほんとしっかりしている。
そういえば、外からは話し声が聞こえていたよな。
「今日は鈴木さん一人なの?」
「いえ、もう一人います。あそこに」
鈴木が視線を部屋の隅へ向ける。
その先を追うと、そこには黙々と絵を描いている女子がいた。
「同じ一年の斎藤しおんです」
名前を呼ばれてようやくこちらに目を向ける。
「どうも、藤枝です」
軽く自己紹介をすると、彼女は小さく会釈をして、またすぐに絵へと意識を戻した。
物静かな子というのが最初の印象だった。
「じゃあ早速、立て看板の依頼をしたいんだけど、いいのかな?」
俺が切り出すと、鈴木はこくりと頷いた。
「はい。例年、美術部が製作していると聞いていますので、大丈夫です」
ふー、よかった。
受けてくれると思っていたが、正式に返事をもらえると一気に肩の荷が下りた。
「ありがとう。立て看板の材料が集まったらこっちに持ってくるよ。その後は任せるね」
「えっ、それだけですか?」
それだけとは?
「何か不十分なところあった?」
「あのー、いくつか質問があるんですけど」
鈴木が手を挙げるように言った。
「ん?」
「いつまでに完成させればいいんですか?あと、イラストのイメージがあれば助かるのですが」
しまった。期日のこと、何も考えてなかった。
イラストのイメージ?綺麗であれば何でもいいし、俺らより上手いのは間違いない。
「期日は当日にさえ間に合えばいいよ。イメージも、君の好きな感じで」
鈴木の表情がきゅっと険しくなった。
「あまり適当にされると困ります。私たちも文化祭で美術部として展示するので、作品を作る時間を確保したいんです。だから、期日はしっかり決めてほしいですし、イメージも丸投げされると...その、困ります」
俺は完全に面食らった。
え、怒られた?
しかも初対面で?
しかも年下の女子に?
人生でこんなストレートに注意されたことなんてなかったから、衝撃がデカすぎる。
でも、言われてみればその通りだ。
相手の都合も考えずに依頼したのは俺の落ち度だ。
反省します、はい。
「すまない、君たちの都合も考えないで。明日までにまとめて決めてくるよ。それでいいかな」
自分でも驚くほど素直に謝っていた。
「明日までに、ですね。わかりました」
そうして話し合いは終わり、俺と黒崎は美術室を後にした。
自分たちのクラスに戻る。
「大変そうだったね」
黒崎が笑いながら言う。
「初対面であんな言ってくるとは思わなかった」
「まぁ真剣に打ち込んでるってことなんだよ、きっと」
そうだろう。
だから、あそこまで言えたのだろう。
あれほど打ち込めるものがあるのは、少しうらやましい。
ふと、聞きそびれていたことを思い出す。
「黒崎さんはどこで鈴木と知り合ったんだ?」
「あー、文化系の部活で集まりでね。席が隣になったんだよ。そこで仲良くなったんだ」
こいつ、ほんとコミュ力お化けだな。すげぇや。
次の日の放課後。
期日と立て看板のイメージを簡単に描いて、鈴木へ持って行った。
「これでお願いできますか」
昨日怒られた記憶がよみがえり、思わず敬語になってしまう。
「分かりました。これでやっていきます」
その一言に、胸をなで下ろした。
「これ先輩が描いたんですか?」
「あー、そうだよ」
「絵、下手くそですね」
こいつはただの生意気な後輩なのかもしれない。
でも、なんだろう...全然ムカつかないんだよな。




