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1-4

クレージュとリシェルのほんの一瞬の出会い。

この一瞬から物語が進みはじめます。

朝の王城は、透き通るような静けさに包まれている。


 白い石壁に差し込む柔らかな陽光。

 遠くの庭園からは小鳥の囀り。

 まるで世界がゆっくりと目を覚ましていくようだった。


 王女リシェル=フォン=オベールは、

 窓際の椅子で白銀の髪をゆっくりと整えながら息を吐いた。


「……今日は、歩きたい気分ですね」


 誰に聞かせたわけでもない独りごと。

 しかし、胸の奥で小さく波紋が広がっていく。


 理由はわからない。

 ただ──今日は街を見たかった。

 城の外の空気を吸って、風を感じて、人々の顔を見て。


 “なにかに出会える予感”がした。


 思いつきでも、気まぐれでもない。

 説明のつかない胸のざわめきだけが、

 リシェルの背を軽く押していた。


 


 ◆


 


「殿下、支度は整いましたか?」


 扉の向こうから聞こえるのは、

 騎士フランソワーズ=クレマンの落ち着いた声。


「はい。すぐ行きます」


 扉を開けると、

 銀髪の女騎士が静かに一礼した。


「本日は南門から市場を軽く回り、

 その後は商業区を中心に視察する予定です」


「すべて回らなくていいですよ。

 ゆっくり歩くほうが好きですから」


「……殿下は本当に自由ですね」


 フランソワーズはそう言いながらも微笑む。

 幼い頃からずっと側にいた彼女にとって、

 リシェルの気まぐれは今さら驚くことではない。


「では、参りましょう」


 


 ◆


 


 王都オベール・ロワイヤルの朝。


 石畳に馬車輪の音が響き、

 露店には焼き菓子や肉串の匂いが漂い、

 街の人々の笑い声があちこちで弾ける。


「……やっぱりこの街は素敵ですね」


「殿下、あまり前を見ずに歩くと危険ですよ」


「ふふっ、気をつけます」


 城の窮屈さとは違う、

 外の世界の色と活気。

 リシェルはそれが何より好きだった。


 人々の視線が王女に気づいてざわめくが、

 フランソワーズが最小限の護衛線を引くことで、

 彼女は自然な形で街を歩ける。


 


 ◆


 


 市場通りへ近づいたときだった。


「殿下、馬車が通ります。一歩下がってください」


「はい」


 フランソワーズに促され、

 通りの端へ下がる。


 商隊の馬車が何台も列を成し、

 樽や布が積み上げられている。


 その合間──

 リシェルの視線がふと吸い寄せられた。


(……?)


 大通りの向こう側。


 パン屋の前で、

 茶の髪の少年が店先を掃除していた。


 目をこすりながら、

 朝の光の中で水を浴びているその姿は、

 どこか不思議な透明感があった。


(誰……?)


 名も知らない。

 見たこともない。

 それなのに──胸がきゅっと鳴った。


 視線をそらそうとした、その瞬間。


 少年がふと顔を上げた。


 目が合う。


(……っ)


 一瞬だった。

 本当に一瞬。

 それだけで、胸の奥に温かい何かが走った。


 少年の瞳は驚いたように見開かれ──

 次の瞬間、馬車の影がふたりを分断した。


「殿下? どうかされましたか?」


「な、なんでも……ありませんっ」


 リシェルは慌てて姿勢を正した。

 頬がほんのり熱い。

 胸の高鳴りがまだ止まらない。


(今の……誰?)


 そんな感情が胸を締めつけていた。


 


 ◆


 


「おいクレージュ! そこ、もう少し水まけ!」


「あ、はいはい……!」


 フレイに怒鳴られながら掃除をしていたクレージュは、

 ふと顔を上げた拍子に視界の隅に“白い光”を感じた。


(……え?)


 通りの向こう側。

 護衛に囲まれた少女がこちらを見ている。


 白い髪。

 薄い青の瞳。

 朝の光を浴びて、

 まるで淡い光そのものが形を取ったように見えた。


(すげぇ……)


 息を呑む。

 誰だか知らない。

 けれど、目が離せなかった。


 次の瞬間──

 馬車が割り込み、少女の姿は消えた。


「……誰だったんだろう」


 そう呟いた声は、

 自分でも驚くほど静かだった。


 


 ◆


 


 視察を終えて城へ戻る馬車の中。


 リシェルは窓を見つめながら、

 あの瞬間を思い返していた。


(……本当に、不思議)


 たった一瞬。

 ただ目が合っただけ。


 それなのに、あんなに心が揺れるなんて。


「殿下、本日の視察はいかがでした?」


「とても……良かったです。

 なんだか、胸が少し楽になりました」


「それは何よりです」


 フランソワーズは相変わらず冷静だったが、

 横顔には小さく優しい笑みが浮かんでいた。


 


 ◆


 


 同じ頃、〈ブラハム堂〉の店先でも──


(……あの子、誰だったんだろう)


 少年は、

 初めて見る少女の姿を思い返していた。


 白い光を纏うような存在。


 名も知らぬ王女と、

 身分も知らぬ少年。


 ほんの一瞬の交差。

 けれど、それが二人の灯火になり──


 その小さな光が未来の運命を揺らすことを、

 まだ誰も知らなかった。

お読みいただきありがとうございます。

二人の出会いがこの先物語を大きく動かしていきます。

引き続きお楽しみくださいましたら幸いです。

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