1-2
クレージュと名乗ることとなり、フレイのパン屋で住み込みで働く事になった。
ここから色々な出来事や出会いを経て彼は異世界で成長して行くこととなります。
「決まりだな。うちに来い」
「……え?」
「うちで住み込みで働け。寝床と飯は出す。仕事は、パンの運搬、掃除、配達、店番。
元・Aランク冒険者直々の生活指導付きだ。悪くねぇだろ?」
「今、さらっと聞き捨てならないワードが混じりましたけど。元Aランク……?」
「おう。昔、ちょっとな。今はただのパン屋のフレイさんだ」
肩をすくめて笑うフレイ。
その笑顔には、照れと、どこか“引退した者”特有の影があった。
「もちろん、嫌なら断っていい。無理強いはしねぇ。ただ──」
そこで言葉を区切り、真面目な声色になる。
「この世界でひとりで生きていくのは、ちょっとばかし骨が折れる。
特に、お前みたいに“匂い”が抜けてねぇやつはな」
「匂い?」
「こっちの常識がまだ染みついてねぇってことだ。
歩き方一つ、物の見方一つで、“素人”ってのは丸わかりになる」
そう言って、フレイは周囲を顎でさした。
「この王都オベール・ロワイヤルは、人も金も情報も集まる。
良い奴も悪い奴も、ごっちゃだ。……だからこそ、根無し草は狙われやすい」
その言葉の重さに、思わず唾を飲み込む。
「……王都、オベール・ロワイヤル」
「そうだ。ここはオベール王国の中心だ。
“良い奴”のひとりとして、手ぐらいは貸してやる。どうする、クレージュ?」
差し出された手は、大きくて、温かくて──ふと、日本での自分を思い出した。
事故の直前、考えていたこと。
部活、進路、親との喧嘩。
どれも、もう戻ってこない。
どうしようもないほどに、遠くなってしまった。
だからこそ。
もう一度、手を伸ばしたかった。
今度こそ、自分の意思で掴めるものに。
「……お願いします」
深く頭を下げた。
手のひらに、フレイの力強い感触が伝わる。
「よし、ようこそ。〈ブラハム堂〉へ。
今日からお前は、うちの見習いだ」
フレイの声は、やけに明るく響いた。
◆
大通りから一本外れた通り。
賑わいは少し落ち着き、代わりにパンや焼き菓子の匂いが強くなる。
「この辺りは“西商業区”って呼ばれてる。庶民向けの店が多いな」
フレイの言葉を聞きながら歩いていると、木造二階建ての店が見えてきた。
白い壁に、薄い茶色の梁。
窓からは温かな光が漏れ、店先の棚にはパンがずらりと並べられている。
そして、頭上には木の看板。焼き印で〈ブラハム堂〉と刻まれていた。
「ここが俺の店だ。……いや、今日からは“お前の働く場所”だな」
「……すごい。こんな本格的なパン屋、初めて見たかもしれない」
「ほう? 期待されると照れるな」
フレイは嬉しそうに鼻を鳴らし、ドアを押し開けた。
ちりん、と小さな鈴が鳴る。
店内は暖炉の柔らかな熱と、焼きたてのパンの香りで満ちていた。
丸パン、長いバゲット、表面にチーズがとろけたもの、干し葡萄が顔を出しているもの──
見ているだけでお腹が鳴りそうだ。
「いらっしゃ──って、あぁ、フレイさんか」
奥から顔を出したのは、中年の女性だった。
どうやら近所の常連らしい。軽く言葉を交わし、パンを数個買って帰っていく。
「……いい店ですね」
「だろ? まあ、見た目だけじゃねぇ。味で勝負してる」
フレイは棚を軽く整えながら振り向いた。
「クレージュ。ここではまず、“挨拶”と“返事”ができればいい。
仕事は後からいくらでも覚えられる」
「はい……!」
「よし。じゃあ、二階を見せてやる」
階段を軋ませながら登る。
二階には、廊下を挟んで扉が三つ並んでいた。
「一番奥が俺の部屋。真ん中は倉庫。で──」
フレイは一番手前の扉を開けた。
「ここが、お前の部屋だ」
「…………」
そこには、こぢんまりとしているが、丁寧に整えられた部屋があった。
木の床に、小さなベッド。
窓際には机と椅子、小さな本棚。
壁には、ランプがひとつ掛けられている。
床板からは、木の香りがほのかに漂っていた。
「気に入らなきゃ、正直に言えよ。広くはねぇが──まあ、雨風はしのげるし、寝るには十分だ」
「……十分すぎます」
さっきまで、地べたに座り込んでいた自分が、今はこんな部屋を与えられている。
それだけで、胸がいっぱいになった。
「本当に、俺なんかが、こんな……」
「“俺なんか”は禁止だ」
フレイがぴしゃりと言った。
「自分を卑下する癖がつくと、どこかで足が止まる。
この世界で生きてくなら、自分の価値くらい、自分で信じてやれ」
「……っ」
胸に突き刺さる言葉だった。
図星だったのかもしれない。
「まあ、最初からうまくはできねぇさ。失敗したらそのぶん動け。頭使え。手を動かせ。
それで文句言うやつがいたら──俺がぶん殴ってやる」
「はは……頼もしいですね」
「当たり前だ。俺はここの店主で、お前はここの従業員になる。
“仲間”を守るのは、俺の仕事だ」
さらっと言われた一言に、胸がじんわり熱くなる。
(仲間……)
日本にいた頃、自分がそんなふうに呼ばれたことはなかった。
頼られるタイプでも、引っ張るタイプでもなかったからだ。
「仕事は明日から本格的に教える。今日は部屋を見て、荷物を──」
そこでフレイは苦笑した。
「って、荷物なんてないか」
「……はい」
「なら、まずは風呂に入ってメシ食って寝ろ。
風呂は裏庭の小屋だ。薪はそこに積んである」
「風呂まで……」
「当たり前だろ。パン屋は清潔が命だ。汗と小麦粉の匂いはいいが、その他は減点だ」
冗談めかして笑い、フレイは踵を返す。
「何かあったら階段の下から大きな声で呼べ。
……それと」
扉のところで、ふと振り向いた。
「この街でやってくなら、そのうち“力”の話もする。
ここの世界は、綺麗なだけじゃねぇからな」
「……力、ですか?」
「ああ。剣とか、魔法とか、そういうやつだ。……お前、少し、匂うからな」
「……?」
首をかしげる俺に、フレイは意味ありげに笑った。
「まあ今はいい。ゆっくり休め、クレージュ」
そう言って、扉が静かに閉じた。
お読みいただきありがとうございます。
異世界なんだから、っと魔法にも興味があるクレージュ。その力は一体どれほどのものなのか?
…次回の展開をお楽しみにしていただけましたら幸いです。




