1-17
クレージュは何かが起こる予感があった。
そして街に視察に出たリシェルとフランソワーズが急に霧に包み込まれ…
その日の朝、
オベールロワイヤルはいつもと変わらぬ顔をしていた。
市場では商人たちが声を張り、
子どもたちは石畳を駆け回る。
昨日と同じ、平和な王都。
――だからこそ、
誰も気づかなかった。
◆
王城の裏門から、
小さな一行が静かに街へ出ていく。
フードを被った少女――リシェル。
その半歩後ろを、フランソワーズが油断なく歩いていた。
「殿下。
本当に行かれますか?」
「はい。
孤児院の子たちに会いたいです」
それは王女としての務めでもあり、
ひとりの少女としての素直な気持ちでもあった。
(……クレージュも、あそこで育ったって言ってた)
胸の奥が、少しだけ温かくなる。
◆
一方、〈ブラハム堂〉。
「クレージュ、今日は配達ないぞ」
「え?」
「市場が忙しくてな。
外に出るなら、買い出しぐらいだ」
「……分かりました」
そう答えながらも、
クレージュの胸は落ち着かなかった。
(……嫌な感じがする)
理由は分からない。
ただ、胸の奥がざわざわして仕方がない。
六彩の魔力が、
眠りの浅い獣のように身をよじっていた。
◆
城下の孤児院は、
王都の外れ、古い水路の近くに建っている。
「殿下、ここです」
フランソワーズが周囲を確認する。
人通りは少なく、
静かすぎるほどだった。
「……少し、静かすぎませんか?」
「ええ。
ですが、今のところ異常は――」
その瞬間。
石畳の下から、
鈍い衝撃音が響いた。
◆
「っ……!」
地面が揺れ、
足元の石板が沈み込む。
「魔法陣……!?」
フランソワーズが叫ぶ。
次の瞬間、
視界を覆う濃い霧が噴き出した。
「殿下!!」
白い光が瞬間的に走る。
リシェルが反射的に魔力を放ったが、
霧は光を吸い込むように広がった。
◆
――遅れて届いた異変。
〈ブラハム堂〉で、
クレージュが胸を押さえてうずくまった。
「……っ!?」
息が詰まる。
胸の奥で、
何かが“引き裂かれた”感覚。
(……消えた?)
白く、柔らかかったあの感覚が、
突然、遠くへ引き離された。
「クレージュ!?」
フレイが駆け寄る。
「どうした!?」
「……リシェ……!」
名前が、
無意識に口からこぼれ落ちていた。
◆
霧の中。
フランソワーズは剣を抜き、
必死に周囲を探る。
「殿下!!
返事をしてください!!」
返答はない。
代わりに、
黒いフードの影が霧の奥に浮かんだ。
「……遅いな、護衛殿」
「貴様ら……!!」
斬撃が走るが、
霧は距離感を狂わせる。
次の瞬間、
複数の衝撃が同時に襲いかかった。
◆
霧が晴れたとき、
そこにいたのはフランソワーズ一人だった。
地面には、
倒れた護衛数名。
そして――
「……殿下……?」
リシェルの姿は、
どこにもなかった。
◆
王都に、
わずかな異変が走る。
だが、それはまだ噂にもならない。
公式には、
「王女は視察中」。
誰も、
“白光の王女が攫われた”とは知らない。
◆
夕刻。
クレージュは、
じっと空を見上げていた。
(……連れて行かれた)
確信があった。
理由は分からない。
だが、胸の奥がそう告げていた。
六彩の魔力が、
静かに、しかし確実に目を覚ます。
(……俺が、行かないと)
まだ力の使い方は分からない。
敵が何者かも知らない。
それでも。
あの白い光が消えたままなのは、
耐えられなかった。
◆
その夜、
王都のどこかで、
黒鴉の羽が静かに笑っていた。
「成功だ」
「白光は手中に。
六彩は……すぐに動く」
「ええ。
あの少年は、必ず来る」
運命は、
静かに歯車を噛み合わせる。
──白光が消えた街で、
六彩の少年は、
初めて“選択”を迫られていた。




