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1-15

オベールロワイヤルの昼下がり。

 市場の喧騒は少しずつ熱を帯び、

 遠くでは祭りの準備の太鼓が控えめに鳴っていた。


 クレージュは〈ブラハム堂〉の店先で、

 焼き立てパンの入った籠を抱えていた。


「クレージュ、次の配達は市場通りだ。

 あんまり寄り道すんなよ」


「しませんよ! ……多分!」


「おい」


 フレイが目を細める。


「“多分”のときは、だいたい寄り道するんだよ」


「いや今回は本当にしません!」


 そう言いつつ、

 胸の奥が不思議とそわそわしていた。


(……なんでだろ)


 理由は、もう自分で薄々気づいていた。


(また……会える気がする)


 昨日までなら「偶然」で片づけていた気配。

 けれど今日は違う。

 胸の奥で、何かが“近づいてくる”と告げていた。


 



 


 一方その頃――

 王都の中央広場に足を踏み入れたリシェルも、

 同じように胸の光が温かく揺れていた。


「殿下、顔が緩んでいますよ」


「えっ、そ、そうですか?」


「ええ、とても。

 “誰かを探している顔”をされています」


「っっ……!」


 リシェルは慌てて頬を押さえた。


(だ、だって……今日こそ、話せるかもしれないから……)


 昨日からずっと、

 胸がざわざわして落ち着かなかった。


「殿下、今日はあまり長く歩き回ることはできません。

 昨日から不穏な影が街に増えています」


「……はい。気をつけます」


 それでも、

 視線は自然と市場通りの奥へ導かれる。


(あの人……いるかな)


 



 


 そして――

 二人の足は、まるで決められたように同じ方向へ向かった。


 市場通りの角。

 露店が風に揺れる布を並べ、

 子どもたちが駆け回る賑やかな一角。


 その中心で、

 クレージュとリシェルの視線が重なった。


「……っ」


「……」


 ほんの一瞬だけ、

 世界が音を失ったように静まる。


 胸の奥で、

 六彩の光と白光の魔力が小さく揺れ、

 互いを“見つけた”と告げていた。


 



 


 動いたのは――

 クレージュのほうが少しだけ早かった。


 配達籠を抱えたまま、

 ぎこちなく、しかし真っ直ぐに歩きだす。


(話せ……話せ……話せ俺……!)


 足は震え、心臓は喉までせり上がっていた。


 距離が近づくたびに、

 胸が熱くなる。


 そして――


「えっと……!」


 声が出た。


 



 


 リシェルはびくっと肩を揺らし、

 両手を胸の前でそっと握りしめた。


「は、はい……!」


 声がわずかに上ずる。


 二人は向かい合い、

 気まずさと嬉しさの混ざった空気の中に立った。


「えっと……その……」


 視線が泳ぎ、言葉が詰まる。


「前から……何度か、お見かけしてて……」


 クレージュがどもる。


 リシェルの胸が、きゅっと鳴った。


「そ、それで……その……」


 一度息を吸い、

 クレージュは正面を見た。


「……気になってました」



一瞬、時が止まった。


 リシェルは、言葉の意味を理解するのに

 ほんの少しだけ時間がかかった。


「……え」


 頬が、じわりと熱くなる。


「……わ、わたしも……」


 声が震える。


「何度か……すれ違って……

 そのたびに……胸が、変で……」


 自分でも何を言っているのか分からない。

 それでも、言葉は止まらなかった。


 ほんの少し沈黙が流れ、そして

二人は笑ってしまった。


「……はは」


「……ふふっ」


 笑った瞬間、

 胸の奥の光が小さく触れ合うように揺れた。


 



 


 リシェルの方が、少しだけ勇気を出した。


「あ、あの……お名前……聞いてもいいですか?」


「っ……あ、えっと!

 クレージュです! クレージュ=ブラハム!」


 背筋がぴんと伸びる。


「わたしは……」


 リシェルは迷った。


 本当の身分を言うべきか。

 でも、言えば彼を困らせてしまう。


 だから――


「わ、わたしは……リシェ……です。

 リ、リシェって呼んでください……」


「リシェ……?」


 クレージュがその名を口にした瞬間、

 リシェルの胸が柔らかく弾けた。


「はい……!」


「リシェさん、ですね。

 すごく……綺麗な名前だ」


「っ……!」


 頬が一瞬で熱くなる。


 彼の声で自分の名前が呼ばれた。

 ただそれだけで胸がいっぱいになる。


 



 


 だが、そのやり取りを

 物陰からじっと見つめる影があった。


「……初めて言葉を交わしたか」


 黒鴉の羽の男が、

 フードの奥で笑う。


「白光と六彩。

 揃って動く時は、もう近い」


「計画を早めるか?」


「そうだな……

 王女が“心を寄せ始めた”なら、なおさらだ」


 男の手の中で、

 黒い羽根がゆっくりと舞い落ちる。


「近いうちに……王都は大きく揺れるぞ」


 



 


 クレージュとリシェルは、そんなことも知らずに

 まだ少しぎこちない会話を続けていた。


「そ、その……パン……いつも買ってるんです。

 ここのパン、すごく美味しくて……!」


「本当ですか!?

 うちの店、そんなに有名じゃないのに……!」


「わたし、あの丸い甘いパンが好きで……」


「丸い甘いパン……あっ、ハニーボールですね!

 あれ、俺がこねてるんですよ!」


「えっ……! ほ、本当ですか……!?」


 胸がまた跳ねた。


(この人の作ったパン……わたし、ずっと食べてた……)


 ただそれだけのことが

 どうしてこんなに嬉しいのだろう。


 



 


「殿下」


「!?」


 背後から、フランソワーズが声を掛けた。

 リシェルの護衛としての警戒が滲んだ声音。


「殿下、そろそろ戻りますよ」


「っ……は、はい!」


 リシェルは慌てて振り返る。


(もっと……話したいのに……)


 胸がきゅっと締めつけられた。


「えっと……また……会えますか?」


 勇気を振り絞ってリシェルが言うと、

 クレージュは驚いたように目を見開き、そして笑った。


「はい。

 また……会いたいです」


「……!」


 その言葉だけで、

 どんな宝石よりも胸が光る気がした。


 



 


 リシェルがフランソワーズに連れられて歩き始める。

 クレージュはその背中を見送りながら、

 胸の奥がぽかぽかと熱くなるのを感じていた。


(また……会えるよな)


 白い光が遠ざかり、

 市場の喧騒が少しずつ戻ってくる。


 だが――

 その日の会話は、二人の心に一生残る出会いとなった。

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