1-13
王都オベールロワイヤルの朝は、
陽光と喧騒が混じった活力の匂いで満ちている。
市場へ続く大通りでは、
露店が早くも準備を始め、
子どもたちが追いかけっこをしながら走る。
そんな賑やかな街を、
フードを浅く被った少女が軽い足取りで歩いていた。
「……いい朝ですね、フランソワーズ」
「殿下。嬉しいのは分かりますが、笑いすぎです」
「えっ、笑ってました?」
「はい。
“にこにこ”というより“にやにや”でした」
「そ、そんなに……!?」
フランソワーズがため息をつく。
「昨日、あの少年を見た影響ですね?」
「ぅ……ち、違います……!」
「殿下。恋はまだ早いですよ」
「違いますってば!!!」
しかしその声は否定しつつも、
フードの中の表情は隠せていなかった。
(……だって。あの人、綺麗な目をしてたから)
思い出すと、胸がふわりと温かくなる。
◆
同じ頃、〈ブラハム堂〉では――
クレージュがガスガスとパン生地を叩いていた。
「おいおい、そんな殺意を込めてこねるもんじゃねぇぞ」
「す、すみません……」
フレイが笑いながら腕組みする。
「で? 何があった。女か?」
「……っ!!」
「図星か」
「違います!!」
「顔が真っ赤だぞ」
「違いますってばあああ!!」
パン生地より柔らかい声で叫んでしまい、
クレージュは耳まで熱くなった。
(……俺、何言ってんだ)
けれど、胸が落ち着かないのは事実だった。
(昨日……ちゃんと話せなかった)
助けてもらった時の言葉も、
名前を聞くこともできなかった。
ただ見つめただけで、
何故か心臓が跳ねるような感覚。
あの白い光みたいな少女。
(また……会えるのかな)
◆
リシェルとフランソワーズは、
大通りを抜けて王都の裏路地へ向かっていた。
「殿下。今日は“視察”という名目ですが……
歩く時は顔を上げて。周りをよく見てくださいね」
「はい、わかっています」
(今日は……昨日よりも落ち着いてるはず……)
そう思った矢先――
「おや、そこのお嬢さん。新作の焼き菓子どうだい?」
「あっ、おいしそう……!」
「殿下」
「……ごくり」
結局フランソワーズが買ってくれた焼き菓子を頬張り、
リシェルはほわんと幸せな気持ちに包まれた。
「これ……おいしい……!」
「良かったですね」
「フランソワーズもどうです?」
「職務中ですので」
「……(もぐもぐ)」
「こっそり食べてるじゃないですか!」
「し、仕方ありません! 殿下だけ美味しい思いをするのは不公平です!」
二人は見つめ合って笑った。
そんな穏やかな時間の中――
リシェルの胸がふと揺れた。
(……?)
あの感覚。
昨日、少年を見つけた時の“光の共鳴”。
(まさか……近くに?)
思わず歩みが早くなる。
◆
一方クレージュは、
店番のために外へ出ていた。
(……胸がざわざわする)
王都の空気はいつもと同じなのに、
何かが近づいてくる気配。
(この感覚……昨日と似てる)
視線を上げた瞬間――
白いフードの少女が、人混みの向こうに見えた。
(……いた)
心臓が跳ねる。
声を掛けたい。
名前を知りたい。
けれど、
そんな勇気はまだ自分にはなかった。
◆
リシェルもまた、
クレージュの姿を見つけて息をのみこんでいた。
(また……会えた)
胸の光がふわりと揺れ、
足が勝手に進んでしまいそうになる。
「殿下? 足が止まりましたよ」
「っ……なんでもないです。なんでも!」
「……気になるなら、声をかけてもいいのでは?」
「む、無理です!!」
「殿下が緊張するなんて珍しいですね」
「や、やめてください……!」
顔を赤らめながらも、
リシェルは再び歩き出す。
だが、その頬は嬉しそうに緩んでいた。
◆
リシェルが通り過ぎたあと、
クレージュは胸を押さえた。
(なんで……こんなに苦しいんだ……)
ただ見ただけなのに、
心がぎゅっと締めつけられる。
(ちゃんと……話したい)
そう思った、まさにその時。
視界の端に黒い影が動いた。
(……またか)
昨日見た黒フード。
人混みの中に、明らかに“異質”な気配を放つ影が立っていた。
(あいつ……俺たちを見てた……?)
胸騒ぎが強くなる。
彼らが何者なのかは分からない。
だが、リシェルの近くに現れることが偶然とは思えなかった。
◆
「……王女は今日も外へ出たようだな」
人混みの奥で、黒フードの男が呟く。
「六彩の器も、まだ王都にいる。
どちらも“揃っている”のは好都合だ」
「急ぐのか?」
「いや……まだだ。
今は観察だけでいい。
だが――」
男の視線の先には、
クレージュとリシェルの二つの“光”が近づいて見えていた。
「近いうちに、必ず動く」
◆
その日は大きな事件もなく、
王都はいつも通りの夕暮れを迎えた。
けれど、
クレージュの胸のざわつきは最後まで消えることはなかった。
(……絶対に、何か起きる)
その予感は、
間違っていなかった。




