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はじめてクレージュとリシェルがお互いを認識する。
ただ認識だけであったが二人の心はさらに引き寄せあう。
しかし、その様子を伺う暗い影が少しずつ近づいているのであった…
その日、オベール王国の王都オベールロワイヤルは朝からざわついていた。
市場では小さな祭りの準備が進み、
商人たちの呼び声はいつもよりも賑やかで、
装飾用の布や花が通りを鮮やかに彩っている。
そんな活気の中心に、
パン屋〈ブラハム堂〉の看板も当然のように混じっていた。
「クレージュ、表の補助頼む!
客が増えて手が足りねぇ!」
「はいっ!」
クレージュはトレイを抱えて店先へ走る。
焼きたてのパンの香りが、外のざわめきと混じり合い、
胸の奥が少しだけ誇らしくなる。
(今日も忙しいな……でも、悪くない)
異世界に来たばかりの頃の不安は、
少しずつ「ここで生きている実感」に変わりつつあった。
◆
一方その頃――
王城の東棟では、こっそりと抜け出そうとする王女がいた。
「殿下、本当に一人で行くつもりだったんですか?」
「し、仕方ないじゃないですか……!
フランソワーズがいつも見張ってるから、一人じゃ行けないし……!」
「その“見張ってる人”が今まさに隣にいるんですが」
「うっ……」
白銀の髪をフードの中に隠しながら、
リシェルは気まずそうに視線を逸らした。
「……でも、今日はちゃんと許可を取っています。
“視察”という名目で、ですけどね」
「それは……フランソワーズが無理やり通してくれたわけで……」
「殿下のためです。
王女である前に、ひとりの女の子でもありますから」
フランソワーズはそう言って微笑むと、
リシェルのフードをそっと深く被せた。
「身分が分かれば、きっと騒ぎになります。
今日はあくまで“街の娘”ということで」
「わ、分かってます……!」
胸の高鳴りを抑えきれない。
理由は、もう自分でも分かっていた。
(今日こそ……会えるかもしれない)
あのパン屋の少年に。
◆
王都の通りは、いつも以上に人であふれていた。
露店がずらりと並び、
香辛料の匂いや焼き菓子の甘い香りが漂う。
リシェルは思わず目を輝かせた。
「わぁ……今日はいつもより賑やかですね!」
「殿下、声が大きいです。
“目立ちたくない”と言っていたのはどこのどなたでしたか?」
「……はい、小声で楽しみます……」
そう言いながらも、胸の鼓動は早くなる一方だった。
(本当に……いるかな)
あの焦げ茶色の髪の少年。
パン屋の店先で、汗を拭きながら笑っていた姿。
思い出すだけで、胸の中の光が小さく揺れた。
◆
一方その頃、〈ブラハム堂〉。
「ほらクレージュ、そのトレイはこっちの棚だ!
丸パンと角パンを逆にすると常連がうるせぇぞ!」
「了解です! 丸が右、角が左ですね!」
「そうだ。それを覚えたら一人前だ」
「基準そこなんですか!?」
いつものように、
フレイと軽口を叩きながら仕事をこなす。
ふと、クレージュの胸がざわりと騒いだ。
(……なんだ、これ)
魔力の揺れ方が、いつもと違う。
火でも水でもない、“もっと柔らかい何か”が胸の奥をくすぐる。
「クレージュ! 表、様子見てこい。
行列できてたら、少し並ばせ方を変えるぞ」
「了解です!」
店の扉を押し開け、通りに出た瞬間――
視界の端で、白い光が揺れた。
(……え)
人混みの向こう。
フードを被っていても分かる、
あの色の髪。
◆
リシェルもまた、
市場通りの先に見えるパン屋の看板を見つけていた。
(あ……)
〈ブラハム堂〉の木の看板。
扉の前で、トレイを抱えた少年が外の様子を見ている。
(いた……)
心臓が跳ねる。
フードの影から、そっと見つめてしまう。
クレージュもまた、
通りの向こうの“視線”に気づいていた。
(やっぱり、あの――)
目が合った。
一瞬だけ、
世界の音が遠のいたように感じた。
祭りの準備のざわめきも、
行き交う人の足音も、
すべてがぼやけていく。
残ったのは、
互いの瞳と、胸の奥で揺れる不思議な光だけ。
◆
「殿下。立ち止まらないでください」
「っ……!」
フランソワーズに肩を軽く押され、
リシェルは一歩前に踏み出す。
「ご、ごめんなさい……」
「ここは人が多い。
狙われやすい場所でもあります」
フランソワーズは周囲を警戒しながら言った。
「殿下が見つめていたのは……
あのパン屋の少年ですね?」
「っっ……!!」
「顔が真っ赤です」
「み、見ないでください……!」
リシェルは俯きながら、それでも一度だけ振り返った。
そこには、
まだこちらを見つめている少年の姿があった。
(……やっぱり)
胸の奥の光が、少しだけ強く揺れる。
◆
クレージュは、
去っていくフードの少女の背中を見つめていた。
(名前、聞きたい……)
ただのパン屋の見習いが、
王都のどこかのお嬢様に気安く声をかけていいのか分からない。
でも、このまま見送るのは悔しかった。
そんな葛藤で胸がいっぱいになった時――
別の“気配”が、背筋を冷やした。
(……これ)
昨日、路地裏で感じた黒フードの気配。
重く、鈍く、冷たい魔力の残り香。
視線を巡らせると、
人混みの奥に、黒いフードを被った男たちの姿がちらりと見えた。
(また、いる……)
心臓が早鐘を打つ。
「クレージュ、どうした。顔色悪いぞ」
「い、いや……なんでもないです」
クレージュは慌てて店に戻る。
だが視線だけは、黒い影と白い光の残像を追っていた。
◆
人混みの外れで、
黒いフードの男が小さく囁く。
「王女は、あのパン屋の通りをよく通るようだな」
「……例の少年も、近くにいた」
「六彩の器……本当に生きていたとはな」
隣の男が低く笑う。
「王女と六彩。両方手に入れば、計画は一気に進む」
「焦るな。
勇者の残党――あのパン屋の男も、まだ健在だ」
「剣を捨てた男など、いずれどうとでもなる」
黒いフードの陰から、
薄く笑みが覗いた。
◆
その笑みのことを、クレージュもリシェルもまだ知らない。
ただ――
互いの存在だけは、確かに刻み始めていた。
(また会えるよな)
(また……会いたい)
違う場所で、同じ想いが胸に浮かぶ。
白光と六彩。
まだ名前も知らない二人の距離は、
少しずつ、しかし確実に近づいてい
お読みいただきありがとうございました。
次回もお楽しみくださいませ。




