1-11
いよいよフレイとの鍛練が始まります。
その中で自分の力のことをフレイに伝えるクレージュでしたが…
その夜、王都の空はいつもより静かだった。
昼間の喧騒が嘘のように消え、
遠くの鐘の音と、時折吹き抜ける風の音だけが
薄暗い通りを撫でていく。
パン屋〈ブラハム堂〉の裏庭には、
小さな土の広場がある。
荷物を置いたり、粉袋を干したりするためのスペース。
だが今夜は、そこに木剣と桶が並べられていた。
「……本気なんですね、フレイさん」
「ああ、本気だ。
お前の命がかかってるからな」
フレイはそう言うと、
慣れた手つきで木剣を一本放ってよこした。
クレージュはあわてて両手で受け止める。
「っ、重……」
「そりゃそうだ。
その体は“この世界の肉体”なんだ。
ちゃんと馴染ませてやらなきゃな」
その言葉に、胸が少しだけざわついた。
(この世界の……)
自分は、もともとこの世界の人間じゃない。
事故で転移して、気づいたら“クレージュ”の体になっていた…いや、入っていた、が正しいか。
それをフレイにはまだ言えていない。
◆
「まずは構えだ。
剣ってのはな、振り回す前に立ち方で決まる」
フレイは木剣を軽く構えて見せる。
足幅、体重のかけ方、肩の力の抜き方。
一つひとつは単純なのに、
組み合わさると“隙のない形”になっている。
(うわ……キレイだ)
思わず見入ってしまう。
ただ立っているだけなのに、
その姿には“昔の冒険者”としての重みが宿っていた。
「真似してみろ」
「え、えっと……こう?」
「足幅が広すぎる。腰が落ちすぎ。
それじゃあ一歩動いた瞬間にバランス崩す」
「うっ……」
「肩の力抜け。
あと目線を落とすな。敵の胸元くらいを見ろ」
フレイの声は厳しい。
けれど怒鳴りつけるのではなく、
一つずつ丁寧に直してくれる。
何度か構え直しているうちに──
ほんの少しだけ、足元が安定した気がした。
「……お、さっきよりはマシだな」
「ほんとですか?」
「ああ。
“ど素人”から“ちょっとど素人”くらいにはなった」
「微妙だなぁ!」
◆
しばらく構えの練習をした後、
フレイは木剣を軽く振ってみせた。
シュッ、という風を切る音。
無駄がなく、力みもない。
ただ、振ればそこに“斬る軌跡”が見えそうだった。
「次は足運びだ。
いいか、剣を振るときだけが戦いじゃねぇ」
「はい」
「生き残るには、“避ける”ことを覚えろ。
避けられもしねぇなら、戦っちゃいけねぇ」
フレイはそう言うと、
木剣を肩に担いで、まっすぐこちらを見た。
「クレージュ。
さっきの黒フードとの件、覚えてるか」
「……はい」
「お前は正しかった。
助けようとして飛び込んだ。
それ自体は、悪くねぇ」
フレイは少しだけ目を細める。
「だが、やり方を間違えれば──
お前が死ぬ。
死ねば何も守れねぇ。
意味ねぇんだ」
「…………」
その言葉は、
日本にいた頃の自分にはなかった感覚だった。
そこでは“正しいことをしない”理由を
いくらでも並べて言い訳できた。
けどこの世界では、動かなければ誰かが簡単に死ぬ。
動いたら今度は自分が死ぬかもしれない。
(……むずかしいな)
「だから、教える。
お前が“死なないため”の足の動かし方をな」
フレイはニッと笑った。
◆
その後しばらく、
クレージュはひたすら避ける練習をさせられた。
フレイが木剣をゆっくりと振り下ろし、
クレージュは横に一歩ずれる。
角度、タイミング、重心移動。
全部を意識するのに頭が追いつかない。
「うわっ──!」
「足が揃うな! 同じ線に並べるな!
それじゃあ転びにいってるようなもんだ!」
何度も何度も繰り返す。
避けそこねると、
木剣が肩や腕に容赦なく当たる。
「いってぇ……!」
「痛ぇくらいで済んでるうちは、まだ優しいほうだ」
フレイは笑い飛ばす。
「魔物相手なら、その一撃で終わりだ。
人間相手でも、殺す気で来るやつばかりだと思え」
「……はい」
(こっちの世界、ほんとに甘くない)
それでも──
クレージュの胸の奥には不思議な感情があった。
(生き残るために強くなるって、
こんなに“いいこと”なんだ)
ゲームのレベル上げでも、
部活の筋トレでもない。
本当に、自分の命と誰かの命がかかっている。
その緊張感が、逆に胸を熱くしていた。
◆
「よし、一旦休憩だ」
フレイが水を汲んだ桶を差し出す。
クレージュはありがたく受け取り、がぶがぶと飲んだ。
「ぷはぁ……!」
「どうだ、クレージュ」
「きついです……でも、なんかスッキリします」
「ははっ、顔がいいな。
殴られ慣れてないやつの顔じゃねぇ」
「褒められてるのか分かんないです……」
ふと、フレイの目が真剣になる。
「ところで──クレージュ」
「はい?」
「お前、魔法のほうはどうだ」
「……っ」
心臓が一瞬止まったような気がした。
「いや、隠してるつもりかもしれねぇが、
昨日の土の揺れ方、あれは素人じゃねぇ」
「……見てたんですね」
「当たり前だ。
そんな派手に土が動きゃ、誰でも気づく」
フレイは腕を組み、少しだけ考えるように間を置いた。
「一つだけ聞かせろ」
「……」
「お前、使える属性は──何個だ?」
その問いかけに、
クレージュの喉がからからに乾いた。
(言うべきか……隠すべきか……)
ここまで拾ってもらって、
一緒に働いて、飯も食わせてもらって。
それでも嘘をつくのか、と自分に問う。
ほんの少しの沈黙のあと、
クレージュはゆっくりと息を吸った。
「……全部、です」
「全部?」
「火も、水も、風も、土も……
光も、闇も。
試したら、全部出ました」
とたんに、裏庭の空気が固まった。
風も止まったような錯覚。
フレイの瞳が細くなる。
「六つ、全部……?」
「はい」
嘘は言っていない。
ただ、“どうしてそうなのか”は自分でも分からない。
「……見せてみろ」
「え?」
「一番得意だと思うやつを、少しでいい。
ここで出せ」
「で、でも──危ないんじゃ」
「俺がいる。
お前が暴れた分くらい、どうにでもなる」
フレイの言葉には不思議な安心感があった。
(……信じてもいいのかな)
クレージュはそっと右手を前に出す。
深呼吸をして、目を閉じる。
意識を手のひらに集中させる。
火の熱、水の冷たさ、風の流れ、土の重さ。
どれもが、自分の内側で当たり前に息づいている。
(一つだけ……今日は、火)
手のひらに、赤い光を集める。
ぽう、と
小さな炎が灯った。
ろうそく一本分ほどの、
それでも確かに“生きた火”。
周囲の空気がわずかに熱を帯びる。
「……」
フレイは無言で見つめていた。
クレージュは一度炎を消し、
今度は小さく水を出してみせる。
指先から滴がこぼれ、土の上に染み込む。
さらに、風を。
土を、ごくわずかだけ浮かせる。
すべて、“努力”ではなく“感覚”でできてしまう。
やがてフレイは、
ぐっと眉間を押さえて、低く笑った。
「……はは」
「フ、フレイさん……?」
「なるほどな。
道理で……“面白ぇ光”をしてると思った」
笑い声は小さかったが、
そこには驚きと、わずかな恐怖と、
それ以上に“覚悟”の色が混じっていた。
「クレージュ」
「はい」
「お前は、やっぱり“普通”じゃねぇ。
六属性全部なんて、聞いたこともねぇ」
「ですよね……」
「だが──」
フレイは木剣を肩に担ぎ、
真剣な目でクレージュを見つめる。
「それでも、お前は俺の弟子だ。
パン屋〈ブラハム堂〉の見習いで、
ここで働くクレージュだ」
その言葉は、
胸の奥の不安をゆっくりと溶かしていった。
「……はい」
「力を持つってことは、
それだけ“狙われる”ってことだ」
「……はい」
「だから、お前には覚悟がいる。
六属性の力から逃げるか、それとも──」
フレイは木剣の切っ先で、
夜空を軽く指した。
「“世界にとって必要な強さ”になっていくか」
世界。
その単語は、まだ実感が伴っていない。
けれど、不思議と心が震えた。
(……ここで生きるって、そういうことか)
自分の存在が、この世界にとって
何か意味を持つ日が来るのだろうか。
クレージュは、
木剣を強く握りしめた。
「逃げません」
自分でも驚くほど、はっきり言えた。
「この力が、誰かを守れるなら。
あの街の人たちとか……
フレイさんとか……」
そして、
あの白い光の少女の姿が胸に浮かぶ。
「……守りたいって、思います」
フレイは、
静かに口の端を上げた。
「よし」
それだけ言うと、
木剣を構え直す。
「だったら──今日からもっとしごくぞ」
「えっ、今ので終わりじゃないんですか!?」
「バカ、ここからが本番だ。
六属性持ちが“そこらのチンピラ”に負けたら笑いもんだぞ」
「うわぁ……未来がつらい……!」
「大丈夫だ。
お前には才能っていう反則技があるんだからよ」
フレイの笑い声が、夜空に響いた。
その夜、
クレージュの腕は上がらなくなるほど酷使されたが──
不思議と、心は晴れやかだった。
お読みいただきありがとうございます。
小さな一歩ですがフレイとの鍛練が始まり、そして自分の魔法のことを伝えたクレージュ。
物語は動き出してます。




