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1-11

いよいよフレイとの鍛練が始まります。

その中で自分の力のことをフレイに伝えるクレージュでしたが…

その夜、王都の空はいつもより静かだった。


 昼間の喧騒が嘘のように消え、

 遠くの鐘の音と、時折吹き抜ける風の音だけが

 薄暗い通りを撫でていく。


 パン屋〈ブラハム堂〉の裏庭には、

 小さな土の広場がある。


 荷物を置いたり、粉袋を干したりするためのスペース。

 だが今夜は、そこに木剣と桶が並べられていた。


「……本気なんですね、フレイさん」


「ああ、本気だ。

 お前の命がかかってるからな」


 フレイはそう言うと、

 慣れた手つきで木剣を一本放ってよこした。


 クレージュはあわてて両手で受け止める。


「っ、重……」


「そりゃそうだ。

 その体は“この世界の肉体”なんだ。

 ちゃんと馴染ませてやらなきゃな」


 その言葉に、胸が少しだけざわついた。


(この世界の……)


 自分は、もともとこの世界の人間じゃない。

 事故で転移して、気づいたら“クレージュ”の体になっていた…いや、入っていた、が正しいか。


 それをフレイにはまだ言えていない。


 



 


「まずは構えだ。

 剣ってのはな、振り回す前に立ち方で決まる」


 フレイは木剣を軽く構えて見せる。


 足幅、体重のかけ方、肩の力の抜き方。

 一つひとつは単純なのに、

 組み合わさると“隙のない形”になっている。


(うわ……キレイだ)


 思わず見入ってしまう。

 ただ立っているだけなのに、

 その姿には“昔の冒険者”としての重みが宿っていた。


「真似してみろ」


「え、えっと……こう?」


「足幅が広すぎる。腰が落ちすぎ。

 それじゃあ一歩動いた瞬間にバランス崩す」


「うっ……」


「肩の力抜け。

 あと目線を落とすな。敵の胸元くらいを見ろ」


 フレイの声は厳しい。

 けれど怒鳴りつけるのではなく、

 一つずつ丁寧に直してくれる。


 何度か構え直しているうちに──

 ほんの少しだけ、足元が安定した気がした。


「……お、さっきよりはマシだな」


「ほんとですか?」


「ああ。

 “ど素人”から“ちょっとど素人”くらいにはなった」


「微妙だなぁ!」


 



 


 しばらく構えの練習をした後、

 フレイは木剣を軽く振ってみせた。


 シュッ、という風を切る音。


 無駄がなく、力みもない。

 ただ、振ればそこに“斬る軌跡”が見えそうだった。


「次は足運びだ。

 いいか、剣を振るときだけが戦いじゃねぇ」


「はい」


「生き残るには、“避ける”ことを覚えろ。

 避けられもしねぇなら、戦っちゃいけねぇ」


 フレイはそう言うと、

 木剣を肩に担いで、まっすぐこちらを見た。


「クレージュ。

 さっきの黒フードとの件、覚えてるか」


「……はい」


「お前は正しかった。

 助けようとして飛び込んだ。

 それ自体は、悪くねぇ」


 フレイは少しだけ目を細める。


「だが、やり方を間違えれば──

 お前が死ぬ。

 死ねば何も守れねぇ。

 意味ねぇんだ」


「…………」


 その言葉は、

 日本にいた頃の自分にはなかった感覚だった。


 そこでは“正しいことをしない”理由を

 いくらでも並べて言い訳できた。


 けどこの世界では、動かなければ誰かが簡単に死ぬ。

 動いたら今度は自分が死ぬかもしれない。


(……むずかしいな)


「だから、教える。

 お前が“死なないため”の足の動かし方をな」


 フレイはニッと笑った。


 



 


 その後しばらく、

 クレージュはひたすら避ける練習をさせられた。


 フレイが木剣をゆっくりと振り下ろし、

 クレージュは横に一歩ずれる。


 角度、タイミング、重心移動。

 全部を意識するのに頭が追いつかない。


「うわっ──!」


「足が揃うな! 同じ線に並べるな!

 それじゃあ転びにいってるようなもんだ!」


 何度も何度も繰り返す。


 避けそこねると、

 木剣が肩や腕に容赦なく当たる。


「いってぇ……!」


「痛ぇくらいで済んでるうちは、まだ優しいほうだ」


 フレイは笑い飛ばす。


「魔物相手なら、その一撃で終わりだ。

 人間相手でも、殺す気で来るやつばかりだと思え」


「……はい」


(こっちの世界、ほんとに甘くない)


 それでも──

 クレージュの胸の奥には不思議な感情があった。


(生き残るために強くなるって、

 こんなに“いいこと”なんだ)


 ゲームのレベル上げでも、

 部活の筋トレでもない。


 本当に、自分の命と誰かの命がかかっている。


 その緊張感が、逆に胸を熱くしていた。


 



 


「よし、一旦休憩だ」


 フレイが水を汲んだ桶を差し出す。

 クレージュはありがたく受け取り、がぶがぶと飲んだ。


「ぷはぁ……!」


「どうだ、クレージュ」


「きついです……でも、なんかスッキリします」


「ははっ、顔がいいな。

 殴られ慣れてないやつの顔じゃねぇ」


「褒められてるのか分かんないです……」


 ふと、フレイの目が真剣になる。


「ところで──クレージュ」


「はい?」


「お前、魔法のほうはどうだ」


「……っ」


 心臓が一瞬止まったような気がした。


「いや、隠してるつもりかもしれねぇが、

 昨日の土の揺れ方、あれは素人じゃねぇ」


「……見てたんですね」


「当たり前だ。

 そんな派手に土が動きゃ、誰でも気づく」


 フレイは腕を組み、少しだけ考えるように間を置いた。


「一つだけ聞かせろ」


「……」


「お前、使える属性は──何個だ?」


 その問いかけに、

 クレージュの喉がからからに乾いた。


(言うべきか……隠すべきか……)


 ここまで拾ってもらって、

 一緒に働いて、飯も食わせてもらって。


 それでも嘘をつくのか、と自分に問う。


 ほんの少しの沈黙のあと、

 クレージュはゆっくりと息を吸った。


「……全部、です」


「全部?」


「火も、水も、風も、土も……

 光も、闇も。

 試したら、全部出ました」


 とたんに、裏庭の空気が固まった。


 風も止まったような錯覚。

 フレイの瞳が細くなる。


「六つ、全部……?」


「はい」


 嘘は言っていない。

 ただ、“どうしてそうなのか”は自分でも分からない。


「……見せてみろ」


「え?」


「一番得意だと思うやつを、少しでいい。

 ここで出せ」


「で、でも──危ないんじゃ」


「俺がいる。

 お前が暴れた分くらい、どうにでもなる」


 フレイの言葉には不思議な安心感があった。


(……信じてもいいのかな)


 クレージュはそっと右手を前に出す。

 深呼吸をして、目を閉じる。


 意識を手のひらに集中させる。

 火の熱、水の冷たさ、風の流れ、土の重さ。

 どれもが、自分の内側で当たり前に息づいている。


(一つだけ……今日は、火)


 手のひらに、赤い光を集める。


 ぽう、と

 小さな炎が灯った。


 ろうそく一本分ほどの、

 それでも確かに“生きた火”。


 周囲の空気がわずかに熱を帯びる。


「……」


 フレイは無言で見つめていた。


 クレージュは一度炎を消し、

 今度は小さく水を出してみせる。

 指先から滴がこぼれ、土の上に染み込む。


 さらに、風を。

 土を、ごくわずかだけ浮かせる。


 すべて、“努力”ではなく“感覚”でできてしまう。


 やがてフレイは、

 ぐっと眉間を押さえて、低く笑った。


「……はは」


「フ、フレイさん……?」


「なるほどな。

 道理で……“面白ぇ光”をしてると思った」


 笑い声は小さかったが、

 そこには驚きと、わずかな恐怖と、

 それ以上に“覚悟”の色が混じっていた。


「クレージュ」


「はい」


「お前は、やっぱり“普通”じゃねぇ。

 六属性全部なんて、聞いたこともねぇ」


「ですよね……」


「だが──」


 フレイは木剣を肩に担ぎ、

 真剣な目でクレージュを見つめる。


「それでも、お前は俺の弟子だ。

 パン屋〈ブラハム堂〉の見習いで、

 ここで働くクレージュだ」


 その言葉は、

 胸の奥の不安をゆっくりと溶かしていった。


「……はい」


「力を持つってことは、

 それだけ“狙われる”ってことだ」


「……はい」


「だから、お前には覚悟がいる。

 六属性の力から逃げるか、それとも──」


 フレイは木剣の切っ先で、

 夜空を軽く指した。


「“世界にとって必要な強さ”になっていくか」


 世界。

 その単語は、まだ実感が伴っていない。


 けれど、不思議と心が震えた。


(……ここで生きるって、そういうことか)


 自分の存在が、この世界にとって

 何か意味を持つ日が来るのだろうか。


 クレージュは、

 木剣を強く握りしめた。


「逃げません」


 自分でも驚くほど、はっきり言えた。


「この力が、誰かを守れるなら。

 あの街の人たちとか……

 フレイさんとか……」


 そして、

 あの白い光の少女の姿が胸に浮かぶ。


「……守りたいって、思います」


 フレイは、

 静かに口の端を上げた。


「よし」


 それだけ言うと、

 木剣を構え直す。


「だったら──今日からもっとしごくぞ」


「えっ、今ので終わりじゃないんですか!?」


「バカ、ここからが本番だ。

 六属性持ちが“そこらのチンピラ”に負けたら笑いもんだぞ」


「うわぁ……未来がつらい……!」


「大丈夫だ。

 お前には才能っていう反則技があるんだからよ」


 フレイの笑い声が、夜空に響いた。


 その夜、

 クレージュの腕は上がらなくなるほど酷使されたが──


 不思議と、心は晴れやかだった。

お読みいただきありがとうございます。

小さな一歩ですがフレイとの鍛練が始まり、そして自分の魔法のことを伝えたクレージュ。

物語は動き出してます。

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