Kev 2
ハルドゼッヘ街道と並行に走っている農道に入って即、アキラは幌を外す作業――というか、荷車の部分的な破壊作業――を手伝う。幌の枠は簡便な取り外しなどできず、残しておくと遠目にも目立つため、ケヴの指示のもと、渡された鉈で一本ずつ叩き斬る。枠の残骸は道端の畑の中に捨てられたが、小さく畳まれた幌は雨に備えて荷台に積まれる。
ケヴが不要と判断した荷の半分も打ち捨てられる。中身は高価そうな衣類だ。
「兵卒どもが道中、田舎貴族の屋敷からかき集めた戦利品だ」とケヴ。「あたしにこの馬車をあてがった輜重隊のやつ、仲間から半殺しの目に遭うかもな」
「こっちの木箱は?」
「銀食器と陶磁器が入ってる。越境したら売っちまおう」
歳相応に潔癖な性分のアキラといえど、この緊急時に盗品の売却をどうこう言うつもりはない。生存優先だ。あるものはありがたく使わせてもらう。
「こんなもんかな」
ケヴが両手をぱんぱんと払い、だいぶスカスカになった荷台を見回して、アキラの左肩を指さす。
「傷、見せろ」
「いえ、大丈夫です。もう痛くないし」
「放置すると膿んだり熱が出たりするぞ。いいから見せろ」
アキラは半袖をまくり上げる。ケヴが革袋のぬるい水をかけ、茶褐色に変色した血を洗い落とし、布で擦り落とす。手当てに慣れているのか、看護師みたいにテキパキしている。
「縫わなくても、ま、いけんだろ」小瓶の蓋をあけて、どろどろした灰緑色のペーストをすくい取る。「治療用の軟膏だ。これくらいの切り傷なら粗方キレーに治る」
原材料が気になったものの、アキラは大人しく緑色のどろどろを塗られる。やけに沁みる点も、薬効成分のおかげだと信じることにする。
仕上げの包帯を巻きながら、ケヴがPDAに注意を向ける。
「地球には紙の地図、ねえの?」
「ありますよ、紙の地図も」
「ふうん。はい、終わり」
「すみません、ありがとうござ――」
「その地図、ちょっと見せろよ」
アキラが指南するリアルタイム戦術マップの見方を五分ほどで呑み込むと、ケヴが周囲の地形と見比べて、その精緻さに感心する。とりわけ、等高線の役割に感じ入る。自分の指でマップをスワイプさせたときはおっかなびっくりといった様子だったが、ピンチアウト/インで縮尺を変えたときには、テレビにかじりつく幼稚園児のような表情が浮かぶ。
無暗にピンチアウト/インを繰り返すケヴを、アキラはさり気なく観察する。
これが演技なら主演女優賞もの。
文明の利器に初めて触れた未開人にしか見えない。
そして、まったく演技に見えない。
素に見える。
どうやら本当に、お姉さんはこの世界の人のようだ。
「地球はイカれてんな」とケヴ。「どういう仕組みなんだよ、これ? 動力は?」
「電池です」
「デンチって?」
実際なんなんだ、電池って? 確かプラス極とマイナス極の化学反応がどうたら……
「詳しいことはちょっと」
「よう、心配すんな。おまえ絡みで見たこと聞いたことは口外するなと、アルマ=クフに釘を刺されてる。わざわざ戦女神の怒りを買うほど、あたしのおつむは弱かねえよ」
「いや、隠してるんじゃなくて、ほんとにわかんないです。専門知識がないと仕組みを理解できない道具で溢れてますから、地球は。ぼくにわかるのは〝こうすればこうなる〟っていう使い方だけです」
疑わしそうな視線をアキラに注いだあと、ケヴが何かに納得したかのようにうなずく。
「反射構造なんて聞いたことないやつでも望遠鏡を使える、みたいな感じか?」
「たぶんそんな感じ」
「ふうん。地球人にも仕組みがさっぱりな地球の道具を再現しちまうとは、さすが女神だな」
ケヴがPDAを返して御者台に腰かける。
馬車を出しながら荷台のアキラに言う。
「後方警戒を頼む。姿勢を低くしてろよ」
「了解しました。で、ケヴさんがアルマ=クフに命令された件なんですけど」
アキラの声の微妙なニュアンスを正しく聞き取り、ケヴが短く笑い声をあげる。
「ま、戦女神どうこうなんて信じらんねえわな。神秘と奇跡が溢れるこの世界でも、神々との交流を口にするやつはペテン師と相場が決まってる。でもあたしに関しちゃ、ペテン師じゃない証拠がある。わかるか?」
ケヴが肩越しに見やる。
アキラは首を横に振る。
「おい、おい、トロいぜ。あたしらは今、何語で話してる?」
「日本語……ですね」
「そう、おまえの生まれ故郷の、異世界の、地球の、日本の、言語だ。念のために言っとくが、日本語なんてこの世界には存在しねえ。少なくともあたしは、そんなモン聞いたことも読んだこともねえ。ともかくだ、戦女神はおまえとの円滑なコミュニケーションのために、それと内緒話すんのにうってつけだからって理由で、あたしも日本語を喋れるようにした」
「どうやって?」
「話せるようにしてやるって言われた次の瞬間には、生まれたときから日本語で話してたみてえに話せるようになってた――そうとしか言いようがねえよ。地べたを這う人間風情にゃ、神の御業なんて理解不能だ」
ケヴがまた前を向く。
「いきさつをかいつまんで言うとだ、ハルドガルダ市の包囲が完了したとき、あたしは少し後方の丘からエクサリオ軍の働きぶりを眺めてた。そしたら急に、どこだかわからねえ海辺にいた。白い砂浜と、翡翠色の海と、尖った植物がわさわさしてる天国みたいな場所に。
目の前に一四、五歳くらいの若い女がいて、目が合った瞬間、その女が戦女神のメイシア=ウギ=アルマ=クフだと悟った。霊感に打たれたみてえな確信だよ。ともかく、こっちは頭がぼんやりした夢見心地で、相手が差し出すモンをただ受け取ってるような状態だった。そしたら唐突におまえの姿を見せられた。三人のエクサリオ兵に囲まれて、殺されかけてるおまえを」
あのときのぼくを。
ワルサーで射殺した三人組の死に様がアキラの脳裏をよぎる。
「ちなみに、モニターか何かで見せられたんですか?」
「モニター。何かの道具の名前だな、それ? ちげぇぇよ。頭ん中にこう、情景を挿し込まれた感じだ。アルマ=クフと一緒にいるあいだは全部が全部そうだった。言葉は交わさず、情報の塊っつーか、概念が直接頭に流れ込んでくるって具合に。モニターってどんな道具?」
「えーと、説明はあとで。もう話の腰は折りませんから続きをお願いします」
「おまえのことをざっと教えられたよ。おまえらの歴で言う三ヶ月ほど前に、この世界に迷い込んだこと。べらぼうに科学が発達してるおまえの故郷、地球のこと。一緒に迷い込んだ地球のツレと離れ離れになったり、市の奴隷になったり、今回の侵略戦争に巻き込まれたりで、ご難続きなこと。
そんな踏んだり蹴ったりの異世界人、雨宮アキラ少年を、アルマ=クフは大層お気に召したそうだぜ。ほいでおまえ、エクサリオ兵に殺されかけたあの瞬間、戦う力を望んだらしいな? だからアルマ=クフは、戦女神としてお望みの加護を授けることにしたそうだ。おまえにとっての戦う力、地球の銃や装備を。ちょろっと見せられたけど、すげぇ性能らしいじゃんか。しかも五〇人殺したって? やるぅ」
〝やるぅ〟に皮肉の響きはなく、素直な感心の色だけがある。アキラは耳を疑う。まさか大量殺人を褒められる日が来ようとは……
ケヴが口調を改めて言う。
「加護の件のあと、アルマ=クフは本題を切り出した。地球産の小僧が加護を上手く扱えるようなら、幾つか仕事を任せるつもりがあると。その仕事振りを見たのち、受肉しておまえに会う用意があるとも言ってたよ。それから、どう転ぶにせよ、この世界に不案内な雨宮アキラの面倒を見てやるベビーシッターが必要で、事態は切迫していて、近場にいる子守り候補はあたし一人だと言われた。神に指さして〝行け!〟と命じられたら黙ってそっちに行くもんだし、あたしにもメリットのある話だった。
そこで了承すると、日本語をブッ込まれて、今後のことは雨宮アキラを介して通達する、さっきの十字路で当人を待てと指示された。したら元いた丘に戻ってたよ。主観的にはあの海辺で半時間くらい過ごしたが、実際は一秒も経ってなかった。遠くのほうからマスケットとは違う銃声が連続して聞こえたとき、おまえの仕業だってすぐわかったぜ。あたしもソッコー動いた。敵の秘密兵器の連発式マスケットだとか伏兵だとかいう急報で慌ただしくなってるうちに、しれっと顧問団の傍を離れたのさ。あとはさっき話したとおりだ。顔の利く輜重部隊のやつをだまくらかして、ゲットした馬車で先回りして、おまえと無事合流。以上だ」
アキラは沈思黙考する。
そして口をひらく。「なんていうか……お尋ねしたいことが増えたんですけど」
「なら訊けよ」とケヴ。「答えられることは答えてやる」
しかしアキラは、ケヴからろくに情報を得られない。
Q:海辺とやらへどうやって移動したのか?
A:知んね。気づいたらそこにいた。
Q:その海辺に作り物っぽい違和感はなかったか?
A:なんも。
Q:この世界に実際、そのような海辺があるのか?
A:知んね。もしあるとしたら、たぶん南のほうじゃね? そんな感じの景色だったぜ。
Q:〝頭がぼんやりした夢見心地〟の状態になる前に、薬品のようなものを嗅がなかったか?
A:なんも。
Q:概念が直接頭に流れ込んできたとき、何か見慣れない道具を使われなかったか?
A:なんも。
Q:アルマ=クフの詳細な外見は?
A:混血が行き過ぎた感じの、人種の定かじゃねえカワイ子ちゃん。
Q:アルマ=クフはどうやってぼくのことを知ったのか?
A:さあな。でも相手は神だぞ? 隣んちの飲んだくれじゃねえんだ。世界中の砂粒の数を把握してたって驚かねえよ。
Q:アルマ=クフがぼくをお気に召した理由は?
A:さあな。
Q:アルマ=クフの加護が武器や装備の形を取るのは普通のことなのか?
A:フツーかどうかは知んねえけど、似たようなケース、読んだことあるぞ。気になるなら、このゴタゴタが落ち着いたあとでその手の本を漁ってみろよ。
Q:ひょっとして、この世界では地球のことが知られている?
A:地球のことなんざ、これまで一度として聞いたことないね。
Q:この世界の神は地球に精通している?
A:人の身のあたしがンなこと知ってると思うか?
Q:ぼくの世話を引き受けることで得られるあなたのメリットとはなんなのか?
A:チョー個人的なことだ。いつか機会があったら教えてやるよ。
Q:なぜケヴさんが世話役に適任なのか?
A:さあな。
Q:世話役のあなたにはいろいろと説明があったのに、世話をされるぼくにはなんの説明もない点を、憶測でも結構なので、ケヴさんの考えをお聞かせください。
A:見当もつかねえよ。本人に訊け。会いに来るっつてんだから。
Q:戦女神の降臨はいつ?
A:教えられてねえ。
Q:ぼくが任される仕事とは?
A:教えられてねえ。
「もういいだろ?」とケヴ。「で、おまえは? 地球の兵隊でいいの?」
「違います。ただの学生ですよ。ていうか、ぼくのこと聞いてるんじゃないんですか?」
「異世界人ってことだけ。学生って大学の?」
「いえ、高校です。私立の高等学校」
「コートーガッコーね。どんなガッコ?」
「大学の一つ前の一般教育課程」
「そこじゃ軍事訓練、してんの?」
「まさか。フツーの勉強だけです。国語とか数学みたいなやつ」
「でも民兵みたいな形で戦争経験はある?」
「も、ないです」
「つーことは……ガチの民間人?」
「です」
「よくそんなんで追跡をかわしながら五〇人も殺せたな。いや、地球の銃がすげぇのか?」
「運が良かったんですよ」
と、そこで新着通知が届く。
要件は三つ。リアルタイム戦術マップの表示範囲が三キロメートル四方に拡大。脱出ルート変更。PDAに広域地図がダウンロード。
範囲が広がったリアルタイム戦術マップを見る。
現在地から二・五キロ北に〝the ROFT-CATHELINA border〟と付された点線が山形にぶら下がっている。
国境線だ。
脱出ルートはというと、道先で直角に折れてカセリナ国境を越えている。
そしてタスクバーに〝Map〟と書かれたアイコン。タップすると簡素な地図が全画面表示される。いびつな台形の中央に〝CATHELINA〟。各所に地名だか都市名。距離尺度からして南北に約三五〇キロ、東西に約四〇〇キロ。マップの縮尺は固定。スクロール不可。
その地図上を、脱出ルートを示す緑の点線がジグザグかつ斜めに縦断している。
終着点はカセリナ北西部と国境を接する(かなり見切れている)デルマール王国。スカリベド王国(やはり見切れている)の真上にある小国だ。ルートはデルマール王国のジェダイトなる場所を通り、表示範囲の外へ。
距離尺度(一五〇キロ)の両端に親指と人差し指を当て、カセリナ地図の脱出ルートに重ねてみる。すっぽり二つ入る。直線距離にして三〇〇キロ超。ジグザグだから実際はもっと……
しかし〝カセリナ〟? アキラは小首を傾げる。
地理の授業で、カラン先生がユーエリカ大陸の地図を地面に書いてくれたが……ロフト王国は北東でエクサリオ王国と、北西でスカリベド王国と接し、真北の広範囲は空白だった。てっきり山とか森の大自然が広がっているものとばかり思っていたのだが……その未開拓地の名が〝カセリナ〟?
「ケヴさん、ロフトの北にあるカセリナって、何かわかります?」
「約二〇〇年前に滅んだ王国」御者台から答えが返ってくる。
「滅んだあとは?」
「ノーマンズランド」
「へえ。一五〇メートル進んだら右に曲がってください。脱出ルートがカセリナを通ってます」
「は?」ケヴが血相を変えて振り向く。「カセリナ?」
「はい、そうなってま――」
「嘘だろマジかよ」
「何か良くない場所なんですか?」
「この世の地獄だ」
「〝この世の地獄〟?」
「いいから地図見せろ」
ぽつんと建っている大きな納屋の陰で馬車を停めると、ケヴがカセリナ地図を食い入るように見つめて、固定縮尺だとアキラが告げたにもかかわらず、ピンチアウトしようとする。
そして無表情に独り言ちる。「いくらなんでもこりゃ……」
「あの、この世の地獄って?」
「モンスターだよ。モンスターがはびこってる」
アキラはきょとんとする。「〝モンスター〟?」
「怪物、人外、呼吸する悪意、摂理を外れた悪しき存在――そういう連中だ。地球にはいねえの?」
「いません。あの、この世界には本物の怪物がいる?」
「腐るほど」
FPSとSFホラーアクションゲームを偏食し、ファンタジー全般にこれといって興味を抱いてこなかったアキラが思いつく怪物は、ゾンビやフランケンシュタイン、吸血鬼、宇宙侵略者、〝マイ・プレシャャャス〟のソドムだかゴモラだかいうアレ、あるいは河童のような妖怪がせいぜいだ。
「怒らないでほしんですけど、マジで言ってます?」
「マジもマジ、大マジだ。嘘ついてどうなるよ?」
「いや、でも……モンスター?」
ケヴが咎める目つきになる。「地理には明るくても、大事なことがすっぽり抜けてるみたいだな。パム=デ=クリム――聞いたことは?」
「ないです」
「進歩を司る神だ。魔王、悪魔とも呼ばれてる。ていうのも、二〇〇年前にご顕現あそばされたとき、人間社会にクソの塊をお投げ入れくださったからだ。モンスターカントリーっていうクソをな。
全力でクソをぶん投げられた被害国の一つが、カセリナ王国。逃げおおせた宮廷関係者の証言によれば、第一王子の成人を祝う夜会に、見慣れぬ美貌の青年が現れて言うにゃ、〝わたしは進歩を司る神パム=デ=クリムである。人類の大いなる跳躍を願って今宵、環境との摩擦という偉大な贈り物を進上しよう。堕落の極みにある貴国にはその肥しとなっていただく〟。すると、至る所から化けモンが現れたそうだ。怪物の大波に呑み込まれた王国はほとんど一夜にして滅亡。二〇〇万国民のうち、生存者は千に満たなかったらしい」
「〝被害国の一つ〟ということは、ほかにも?」
「あるよ、判明してるだけで世界中に七ヶ所。ユーエリカ大陸に二ヶ所。中央大陸から東方にかけて三ヶ所。植民地を絶賛建設中の余所の大陸に二ヶ所。ものの本によると、ほぼ同時多発だ。状況はカセリナとそっくし。腐敗国家と美貌の若者、大量虐殺宣言、人外魔境」
ケヴの淡々とした話ぶりが、アキラの地球仕込みの常識に新たな亀裂を入れる。
オーケー、この世界には、物理法則の耳をつまんで引きずり回すかの如き魔法が存在する。この目で見たし、殺されかけた。そんなくされワンダーランドには――魔王のくだりは大いに眉唾だが――くされモンスターだっているんだろう。カラン先生の授業でそこに一言も言及がなかった点は気になるけれど、しょせん語学メインの一般常識初級編みたいな勉強だったし、一日当たりの勉強時間も期間も短かったし、その後のカリキュラムにモンスター講座的なやつが組まれていたのかもしれない。
モンスター。
冗談だろ?
「どんなモンスターなんです?」
「言葉じゃ上手く説明できねえよ。二足歩行のやつらは気色悪い外見で、狂暴。知能はそれほど高くねえが、簡単な道具を作ったり使ったりする程度の頭はある。四足歩行は、野生動物をグロくした感じで、狂暴。人よりデカい虫みたいのもいる」
「つまり、チョー危険な場所なんですね?」
「そんな言葉じゃ足りねえよ。この世の地獄っつったろ?」
「ケヴさん、ルート無視しましょう」
「ああ……いくら戦女神の指示っつっても、確かにこれはな……」
ケヴが思案顔になる。
ふとその顔を上げる。
「聞こえるか?」
アキラもそれを耳にする。
重なり合う、重い、遠い、蹄の音。
後方の西寄りだ。
アキラはカービンを手に立ち上がって、念のために来た道を見る。一直線の細い農道に人馬の影なし。やはり四〇〇メートルほど西を並行に走るハルドゼッヘ街道からだ。しかし納屋の長い壁が邪魔。馬車を降りて納屋の横から覗こうにも低い起伏と麦もどきが邪魔。
「来い」
ケヴが足台から飛び下りて納屋の裏口を試す。あっさりひらく。ケヴに続いてアキラも中に入る。陽射しに慣れた目が屋内の暗さに戸惑うも、建付けの悪い板壁のあちこちからスリット状の陽光が射している。ケヴが隅の急な階段を駆け上って、板壁の隙間に目を近づける。その隣でアキラも外を覗く。
ハルドゼッヘ街道の辺りに軽騎兵の縦列。数は三〇前後。納屋には目もくれず、軽く流す競走馬の一群のように北西へ駆けてゆく。
「追っ手ですよね、あれ?」アキラは尋ねる。
「ああ」ケヴが舌打ちする。「マズいな」
「気づかれなかったのに?」
「問題は、予想より動きが早くて抜け目ないってことだ。今の連中が空ぶったら、捜索の手を広げてくる」
ケヴがアキラに目を向けて言い足す。
「おまえはたっぷり恨みを買ってるし、あたしはあたしで、サロ帝国軍中央参謀本部勤務の歩く機密情報だ。しかも騒ぎと同時の唐突な無許可離隊、馬車泥棒、最後に目撃された地点。勘が良くないやつでも、ニル=ヴープ大尉が――あたしの偽装名だ――連発式マスケット襲撃犯に通じている可能性を疑う。あたしとおまえの両方を捕らえるか、死体を確認するまで、連中は手をゆるめねえよ。特に身内の恥で面目丸潰れの軍事顧問団がな。馬車と徒歩、両方の移動範囲を計算して、あらゆる場所に先回りしてくるのは確実と見ていい」
ケヴの視線がアキラのカービンに落ちる。
「一応確認だが、出会ったときの状況からして……地球の銃といえど圧倒的多数の兵士には対処できない。所詮は連発できるマスケット。合ってるか?」
「マスケットがどういうものかよく知りませんけど、ええ、そうです。対処できません」
「なら……」
「なら?」
ケヴがアキラを見据える。
「クソ壺に嵌まったあたしらを救う手はただ一つ。予想外の行動」
アキラは顔をしかめる。「それって……」
ケヴが暗い笑みを浮かべる。「カセリナ」
「別のクソ壺に飛び込もうとしてるだけ、のように聞こえますけど」
「かもな。けどタイミングを考えてみろよ。包囲網が不可避なのを見越したみてえな、アルマ=クフの指示。あたしとおまえが生き残る道はカセリナという名のクソ壺しかねえと、戦女神はお考えってことだろ。今の騎兵の動きを見るに、そこは全面的に同意だ」
「でも――」
「明るい面を見ようぜ」ケヴが遮る。「こっちの足取りをカセリナまで追った時点で、連中、諦めるかもだ。諦めねえにしても、人食いモンスターどもの領域じゃ、追跡どころじゃなくなる見込みが高い」
「人食――」
「まあ聞けよ。帝国軍で少尉任官後、あたしはエクサリオ国境側から二度、カセリナに入ったことがある。マスケットの運用評価を兼ねた化け物退治で。つまり、モンスターカントリーの歩き方をいくらか知ってる。おまえっていう切り札もある。やたら詳細な地図と、すげぇ銃と、旅の守護神でもあるアルマ=クフの指示が」
「ケヴさ――」
ケヴがアキラの後頭部をがっちりつかんで引き寄せ、アキラの額と自分の額をゴツっと触れ合わせる。アキラはどきまぎする。数センチ先に、挑むようなケヴの上目遣いがある。意志の力と覚悟を放射している目が。
「選ばせてやるよ、地球人。勝算なくデーエル地方を逃げ惑うか。それとも、アルマ=クフの導きとあたしの経験を信じてカセリナ行きに賭けるか」
確信犯的な〝ホブソンの選択〟だ。
選り好みの許されない選択。
見せかけの二者択一。
しかしアキラには〝とても深い肥溜め〟と〝二センチくらい浅いかもしれない肥溜め〟の違いにしか――
――柔らかな電子音が鳴る。
「すみません、メッセが来ました」
「メッセ?」
「とりま確認させてください」
後頭部をわしづかむケヴの手が離れると、アキラは一件めの新着通知に目を通す。
Mission 2:
Monster Control
主目標:指定コロニーの壊滅
副次目標:脱出ルート上で遭遇するモンスターの駆除
*ミッション2は15日間を予定しています。
*移動ペースにより期間は伸縮されることがあります。
*状況の推移を反映し脱出ルートは随時変更されます。
【重要】
全般的にモンスターの活動がピークを迎えるのは日暮れから夜明けの時間帯になります。夜間はな
るべく行動を控え、指定ビバーク地点で休息を取るようにしてください。
*ビバーク地点は現在精査中です。精査終了後、通知にてお報せします。
アキラの顔が引きつる。
くそ馬鹿エイリアンのやつ、マジで言ってんの?
「これか」上下逆さにPDAを覗き込むケヴが得心した声を出す。
「〝これ〟って?」
「お仕事だよ、お・し・ご・と。アルマ=クフがおまえに任せるっつってたやつ。間違いねえだろ。ミッションって書いてあるし」
「ケヴさん……日本語読めるんですね」
「ああ、なんかフツーにな。英単語もわかるぜ。ちなみに、ミッション1はなんだった?」
「エクサリオ軍から逃げろって。で、ケヴさんに会うように誘導されました」
「ああ、やっぱそんな感じか。なんにしろ――」
ケヴがアキラの胸を指先で小突く。
「――決まりだな」
「いや、待ってください」
「何を待てって? 元々カセリナに行くしかねえんだぞ。そして戦女神はやれと仰せだ。おまえは選ばれ、仕事は開示された。天命だ。おまえも今はっきりと、これ以上ない形で、神に指さして〝行け!〟と言われたんだ。女神クラブへようこそ」
「ちょっと待って。メッセージがまだありますから」
アキラは二件めの通知をひらく。
【重要】
ミッション2の難度に鑑みて装備の支給方法をシングルプレイの脱出イベント・モードからマルチ
プレイ・モードへ移行します。移行に際してマルチプレイの初心者マップ、通常マップ、チーム戦
専用大規模マップに準拠した以下の諸機能が開放されます。
・アンロック
・アーセナル
・SHOP
・ポイント
・チーム作成
これらの諸機能を現実世界でシームレスにご活用いただくために以下の機能が追加されます。
・IS
【注意】
マルチプレイ・モードに変更した時点で現在の逃走支援キット装備はデリートされ、マルチプレイ
の初期装備でのリスタートとなります(PDAはデリートされまれません)。PDAを装具に装着
している場合、逃走支援キット装備のデリート時に落下するなどして破損、故障する恐れがありま
す。変更前にPDAを手に持つか、しっかりとした平面に置いてください。
マルチプレイ・モードに変更
〈YES〉
*モード変更を手動で行わない場合は300秒後に自動変更されます。
逃走の前提条件のこの変化はプラマイどっちだ? とアキラは判断に迷う。
メリットは、ある。
好みや要求に応じた自衛手段の強化だ。
デメリットも、ある。
初期装備が貧弱。索敵や夜間行動を補助するガジェットが一切なく、購入できる銃火器はハンドガン――ハンドガン!――のみ。
自動小銃と拳銃とでは火力に雲泥の差がある。
カービンをデリートされたら、どうにもならない。
ほとんど死刑宣告だ。
本物のピストルは扱いが難しくてろくに当たらなかったというのに。
当たらない拳銃で人食いモンスターに接近戦を挑むだなんて、想像するだにぞっとしない。かといってエクサリオ軍から逃げ回るのも……
アキラは無理やり気を落ち着かせて、先のケヴの問いを言い換えて自問する。
訓練と装備と(魔法という名の)火力の充実した追跡能力に優れる人間の軍隊に袋の鼠にされながら『ボニー&クライド』ばりの壮絶で無慈悲なラストシーンを回避すべく無駄くさい悪あがきを試みるか。それとも、道具を作ったり使ったりする(つまり相応に知能が高い)人肉嗜好グルメどもに自分由来の頬肉や肩ロースを狙われながら一か八かで脱出ルートを辿るか。
とても深い肥溜めか。二センチくらい浅いかもしれない肥溜めか。
どっちも吐き気を催すくらいご免だけれど――
――まだしもドア・ナンバー2のほうがマシに、現代兵器ゴリ押し戦法が効きそうに、思える。
アキラは目を上げる。ケヴが眉をひそめてメッセージを読んでいる。
「意味わかんねえんだが。日本語はわかるぜ。でも内容が……」
「ケヴさん」
「ん?」
「準備を整えてカセリナに行きましょう」
ケヴが探るようにアキラを見る。
「どういう心境の変化だ? このチンプンカンプンな文章と関係あんの?」
アキラは投げ槍に肩をすくめる。
「その仕草の意味は?」
「この場合は、言語化しがたい複雑な心模様の表明」
「なんにしろ――」ケヴが片側の口角をゆるめる。「女神より神託を授かりし使徒とその従者。笑えるよな」
「ぜんぜん笑えませんよ」応じながら、PDAを手に持ってYESをタップする。
モジュラーベストやカービンの重量がいきなり消えてアキラはビクッとする。
ケヴもビクッとする。
「ぜんぶ消えちまったぞ」
「大丈夫です。消えるって書いてあっ――」
「おま、血だらけじゃねえか。肩以外も怪我してんの、おまえ?」
殺された可哀想なロフト兵について説明しながら、アキラはヴーヴー振動しているPDAのタッチスクリーンに触れて、新着通知にさっと目を走らせる。
【重要】
マルチプレイ・モードへ移行したことによりアンロック機能が開放されました。
*詳細はヘルプを参照してください。
マルチプレイ・モードへ移行したことによりアーセナルが開放されました。
*詳細はヘルプを参照してください。
マルチプレイ・モードへ移行したことによりSHOPが開放されました。
*詳細はヘルプを参照してください。
マルチプレイ・モードへ移行したことにより初期ポイント7000が支給されました。
*詳細はヘルプを参照してください。
マルチプレイ・モードへ移行したことによりチーム作成機能が開放されました。
*詳細はヘルプを参照してください。
マルチプレイ・モードへ移行したことによりIS機能が開放されました。
*詳細はヘルプを参照してください。
設定画面を出して、増えた機能の中から真っ先にSHOPをタップする。
表示された大カテゴリーは四つ。ゲームより一つ多い。このSHOPは飲食物も買えるらしい。
さておき、武器、武器、武器。あるいはひょっとして自動小銃を最初から買え……たりはしないようだ。ピストルとナイフ以外はロックされている。くそ。
気を取り直して未知のカテゴリー、〝飲食物〟をひらく。
戦闘糧食、缶詰、フリーズドライ食品、プロテインバー、ジャーキー、ナッツ類、ガム、飴、ゼリー飲料、ミネラルウォーター、スポーツドリンク。戦闘糧食? タップして詳細を出す。缶詰またはレトルトパウチの軍用保存食。MRE、IMP、EPA、RCIRと国ごとに名称は様々。
これ、とても助かるのでは?
値段も手頃だ。グラノーラバーが一ポイント。サラダが二ポイント。チキンが三ポイント。三食分の詰め合わせが二〇から五〇ポイント。野菜ジュースまである。半リットルで一ポイント。
ほかのカテゴリーもざっと目を通す。ゲームにはなかったものがちょいちょい含まれている。例えば衛生キット。安いほうはフツーの歯ブラシセット。高いほうは電動歯ブラシセット。
ヘルプでほかのゲームシステムもチェックしていく。
見たところ……各種装備のアンロック条件に宇宙人野郎考案のオリ要素なし。
アーセナルも『SNAFU』のシステムそのまんま。ゲーム時代に二個中隊規模の装備をアーセナルに保管していたアキラにしてみれば、空っぽの初期状態には薄ら寒い思いを禁じ得ないが。
アンロック毎のボーナスポイントや殺害ポイント、条件に応じた殺害ポイントの増加率……この辺りも概ね変更点なし。相違点は二つ。モンスターの駆除がキル数および殺害ポイントに計上されることと、戦闘手当(途中退室せずにフルラウンドを終えたときのボーナスポイント)がないこと。
うん、まあ、リアルには〝部屋〟なんてないのだから、戦闘手当がないのはわかる。でも塵も積もれば山となる的な収入源の一つがないとなると、収支の計算がだいぶ変わってくる。
アキラはヘルプを最小化して、設定画面のポイント欄を見やる。
ポイント――『SNAFU』プレイヤーが呼ぶところの〝ドル〟または〝ユーロ〟。装備の購入に必要なポイントが、リアル装備品の小売価格や市場価格とだいたい同じせい。
初回支給の七〇〇〇ポイント。
あるいは七〇〇〇ドル/ユーロ。
日本円に換算して約一〇〇万円。
要は支度金だ。
拳銃フェーズを乗り切るだけなら潤沢な資金と言えるが、ここで考えなしに使いまくると――「わーい、ほしいハンドガン全部ゲットだぜ!」――あとで困ったことになる。
〝この世の地獄〟ではクソほど困る羽目になるだろう。
先々考えて、ゲームのときよりも倹約しないと。
で、インミディット・スワップ。即時交換とはいったい……?
ヘルプの当該項目を読む。
アキラは胸の中で独り言ちる。このオリ機能、バチクソ便利じゃね?
実際どんなもんか、図説を見ながら試してみる。
タスクバーに増えたISアイコンをタップすると、ISスロット1から8が並ぶ小ウィンドウがポップ。小ウィンドウの〝オプション〟をひらいて、クロックシステムの任意の方向、〇・五メートル以上二メートル以内にISトランクなるものの出現位置を……。真正面にはケヴがいるため、利き腕側、九時方向の〇・五メートルに設定しておく。
それから、ISスロット1を指定し、スロット対応トランクのサイズ(XSからXL)を選び、小ウィンドウ右上の赤字の〝RECEIVE〟をタップ。
【失敗】
障害物があるためシークエンスを実行できません。ISトランク出現位置に障害物がない方向へ体
の向きを変えるか、障害物から一メートル離れて、受け取りコマンドが青で表示されたのち再実行
してください。
障害物。
板壁のことだろうと思い、アキラは壁と正対する。
RECEIVEが青字に。
再実行。横手の壁際に逃走支援キットとそっくりなやつがぽんと出現。こちらのほうが――XSサイズ――二回り小さい。アキラは片膝をついて黒いトランクをあける。
「んなもん、そこにあったか?」とケヴ。
「いま出したんです」とアキラ。
「〝出した〟?」
「ちょっと待って」
首から提げている革袋を外し、トランクに入れて蓋を閉める。トランクが消える。PDAを見ると、ISスロット1に〝三ラート入り革袋、アルマ=クフ派の司祭の指輪、正装用の鎖紐〟。スロット画面隅の〝アーセナル保管〟にドラッグ&ドロップ。装備一覧表のその他項目に〝三ラート入り革袋、アルマ=クフ派の……〟。
ほほう。
つまり――残弾がヤバい? ISトランクで出して使え。喉が渇いた? 買ってトランクで出して飲め。使わない装備が邪魔? 空のトランク出してアーセナルに突っ込んどけ。
論理的には、アーセナルに保管してある装備の数だけ、あるいはポイントが続く限り、延々と物資の補給を受けられる。必要な装備だけを帯びて常に身軽でいられる。
「今のなんだよ?」ケヴが囁くように尋ねる。「また消えたぞ」
「装備を受け取ったり保管したりする手段。まだ何も用意していないから空でしたけど」
「〝保管〟ってどこに? どうやって?」
「〝どこ〟はぼくにもさっぱり。〝どうやって〟は、これで」PDAを掲げる。
ケヴがトランク消失地点を疑わし気に見やる。「地球はイカれてんな」
アキラはその誤解を解かずにおく。誤解を解こうとすると確実に話が長く、ややこしくなる。
片膝立ちのままチーム作成の詳細を出す。
・チームメイトにはマルチプレイに準拠した装備が支給されます。
・チームメイト間では装備の貸借や譲渡が可能です。
・貸借装備は500m制限の対象外になります。
・チームメイト間ではPDA本体でのテキストの送受信や内臓無線機能を介した音声コミュニケ
ーションが可能です。
*無線機能使用時はバッテリー消費量が増加します。詳細はヘルプを参照してください。
尚、設立者/チームリーダーの恣意的な判断によるメンバーの勧誘はできません。チーム設立後は、
綿密な背景調査・資質・人格などを考慮した加入に相応しい人物がメッセージにて通知されます。
アキラはケヴのほうをちらりと見る。ベビーシッターに任命されるくらいだから、お姉さんは黒幕野郎の謎めいた選考基準を満たしているはず。
設定画面の〝チーム〟をタップ。〝設立〟をタップ。
たちどころに新着通知。
【重要】
ケヴィイム=フロレターリがチーム加入資格を有しています。チームリーダー権限によりケヴィイ
ム=フロレターリをチーム〈FNG〉に加えることができます。
〈YES/NO〉
「チームってなんの?」
その声が耳元で聞こえてアキラの心拍数が上昇する。肩越しに覗き込む顔が近い。アキラは一瞬、ケヴのカッコイイ顎のラインと、白く滑らかな首筋に見惚れる。
「えと……ぼくとケヴさんが一緒に戦う仲間になる、みたいな。で、ケヴさんも、地球の銃と装備がもらえるようになります」
「マジで?」と目をみはる。
「マジで。そう書いてありました」
「すげぇ。嘘だろ? アルマ=クフの加護を授かれんのかよ」
ケヴの顔が驚きと悦びに輝く。
まるで神がいるかのように。
カランを思わせるじゃないか。
実証主義的な性向が強いアキラとしては、〝神さま本人がぼくをお茶に招いて大皿山盛りの奇跡と神秘と真実を見せてくれたとしても幻覚やトリックを疑う〟といったところで、加護にしても、この後進世界の住人はふとした拍子に使えるようなった不思議な力をどうにか理屈づけようとして〝神さまからのプレゼント〟という神話を創作した、と踏んでいる。
なんであれ――
「確認ですけど、チームメイトになるってことでいいですか?」
「断ると思うか? やってくれ」
「だと思いました」
「で、FNGって何?」
「さあ、なんでしょうね」アキラはとぼける。
FNG――クソ新人。総キル数一五〇〇未満の初心者帯のチーム名は一律コレ。プレイヤーに命名権なし。ゲームでは〈FNG1〉〈FNG2〉と自動的に振られる数字で各チームを識別していたが、こいつにはない。普通に考えて、リアルFPSをやらされているモルモットがぼく独りだからだろう。同胞/地球人の不在を寂しく思うべきなのか、似たような境遇に陥っている可哀想なやつがほかにいないことを喜ぶべきなのか……
アキラはYESをタップする。
また新着通知。
【重要】
新規加入メンバーのPDA(x2)がアーセナルに保管されました。PDAは作戦行動に不可欠な
装備のため直ちに新規加入メンバーに譲渡してください。
装備一覧表を出す。PDAが二機。アキラは二機ともISスロット1にドラッグ&ドロップする。今は板壁に向いているので、受け取りコマンドは最初から青色だ。
ふたたび小型トランクが現れて、ケヴが小さく飛びすさる。アキラは笑みを噛み殺してトランクを自分の前に引き寄せる。中に二つの保護ケース。両方ともあける。自分のと色違いのPDA。
「これ、ケヴさんのPDAです。使って」
ケヴが隣にしゃがみ込む。「それがこの機械の名前?」
「です。パーソナル・デジタル・アシスタントの頭文字」
「個人……デジタル介助? ヘンなの」
「ヘンな名前ですけど、誇張抜きに、PDAがぼくらの命綱です。地図とメッセだけじゃなくて、装備を選ぶときや、今みたいな受け取りにも使いますから。早速ですけど、装備、選んじゃいましょう。今のうちに準備しておかないとマズいし」
「どっち使えばいい?」
「どっちでも。片方は予備です」
ケヴが一機をトランクから出す。「おまえのみたいに光ってないんだが」
アキラは起動方法を教える。ケヴのPDAに光が灯る。名指し脱出イベント開幕時のふざけたタイトル画面が出るかと思いきや、いきなりリアルタイム戦術マップが表示される。
すると、アキラのマップに変化がある。UNIT‐1がAKIRAになり、右隣にKEV。これはおもくそ本名だが、プレイヤー名で現在地が表示されるマルチプレイ仕様のマップだ。
「このKEVってのが、あたしの位置だな?」
ええ、と返事をしながらアキラは横から覗き込む。ケヴのタスクバーにもメールBOX。未読通知4。そして最初から装備アイコンとISアイコンがある。タスクバーと各アイコンの役割を簡単に解説してから、アキラはメールBOXをひらくように指示する。ケヴの受信トレイに目新しいメッセージはない。五〇〇メートル制限やPDAの紹介、ポイント支給の通知だけだ。
アキラのやり方を見ていたからだろう、ケヴが迷わず通知をタップする。
四通とも黙読してから言う。「なんつーか、ワケワカメだな。キーワードみてえになってる『WWⅢ』なんちゃらって何?」
テレビすら知らない異世界人にFPSひいてはビデオゲームの概念をわかりやすく口頭で説明せよ。
ムリだろ。
「今は気にしなくて大丈夫」
「ふうん?」と双眸を眇めて、ケヴが矢継ぎ早に尋ねる。スリープモードとは? また使うときは? バッテリー残量ってどれ?
アキラは訊かれる端から答える。
「あたしの理解が正しいなら、電池ってやつはどんどん減っていく?」
「減っていきます」
「スリープモードで節約しろってあったけど、そのあいだは減らないんだな?」
「ほぼゼロ。なので、一機当たり一二時間以上はもつはずです。ちなみに今、ぼくらの時間的余裕ってどれくらいあります?」
「あー、そうさな……馬車をかっ飛ばしたとして……一時間に移動できる距離は一五キロから二〇キロ。ここから一〇キロないし一五キロ進んでもへばってる馬車の姿がないとくれば、当然、さっきの騎兵連中は引き返してくる。馬を休ませながら二人一組くらいに分散して枝道をさらうとなると……早けりゃ二時間から三時間でそこのカセリナ方面を確認、かな」
そっからさらに引き算だ、とケヴが続ける。
「現在地からカセリナ国境まで三キロ弱。馬をちょいと急がせて一五分。冒険者組合の手続きに一五分。食料と飲料の補給に一五分――」
「食べ物と飲み物は大丈夫」アキラは口を出す。「PDAで買えます」
「食いモンって、地球の?」
「地球の」
「どんな食い物か想像もつかねえけど、そりゃ助かる。カネ、どれくらいかかる?」
「お金はかかりません。あとで説明します」
「ふうん。なら内輪に見積もって、時間的余裕は九〇分。でも何があるかわかんねえからな。もっと短く見といたほうがいい。三、四〇分もあれば足りるか?」
諸々を考え合わせるとまったく足りないが、「充分です」とアキラは答えておく。
「ところで、冒険者組合ってなんですか?」
「ほんとヘンなところで無知だな。冒険者組合っつーのは、化けモン退治やらなんやらが生業のフリーランサーを管理してる国境なき巨大組織だ」
ああ、と思い出す。
冒険者。成田が言ってたやつじゃんか。まさか本当にそんな仕事が存在するとは。そして成田はどこへ消えてしまったのか。
「マップ見ろよ。国境のロフト側にデカい人里、あるだろ? ザ・ヴィレッジってやつ」
「ありますね」
「いわゆる冒険者村だ。最大で数千人の冒険者と傭兵が活動できる宿とか鍛冶屋とか売春小屋とか、なんでも揃ってる。村っつーのは俗称で、機能は実質、街だよ。直轄してるのは冒険者組合。村ん中は治外法権。今みたいな戦時下じゃ、その権利をどこまで尊重してもらえるかは極めて怪しいけどな」
「手続きっていうのは?」
「単なる冒険者登録。名前と身体的特徴を書いて、説明聞いて、終わり。あたしはエクサリオの冒険者村で登録済みなんだが、認識票はサロ帝国の官舎に置いてきた。だから、もっかい登録しないとカセリナに入れねえ。悪いけどカセリナに入るとき、おまえのことは、あたしの奴隷ってことにするぞ。そうすりゃおまえの冒険者登録が省けて少しは時短になる」
ケヴがアキラの喉元を指さす。
「個人所有の首輪だな。市の奴隷と聞いていたんだが?」
「いろいろあったんです。その時短ですけど、冒険者村とかいうのは無視して国境を越え――」
ケヴが片手を挙げて遮る。「旧カセリナ王国は、モンスターカントリーになった時点で国土全体が地盤沈下してる。五〇メートルほどズドーンと。出入りに使う坂道は組合支部の敷地内。管理してるのも冒険者組合。組合を避けて通るなら、何本も結び合わせたロープを崖から垂らして忍び込むことになる。ちなみに崖はどこもオーバーハングしていて、足掛かり手掛かりゼロ。些細なミスで転落事故だ。試してみたいか?」
アキラはぶんぶん首を振る。
マンションの一五、六階相当の高さからロープで降りるなんて、きっと握力がもたない。
「つーわけで、冒険者村に寄らないわけにはいかねえのさ」
「なんで五〇メートルも地面が沈んだんです?」
「専門家連中の考察を聞かせてやってもいいけど、長話してる場合と違くね?」
うん、違う。
装備アイコンをタップ、と指示しながらアキラも自分の設定画面をひらく。
「これ何?」とケヴ。「下穿きだけ履いた人間の……絵か? ゆらゆら動いてんぞ」
「アバターって言葉、わかります?」
「わかんね」
「なんというか、機械的に作られたイメージ図です。選択する装備がこのイメージ図に反映されて、実際に装備を着けたときの格好や、装備の重量がわかるようになってます。ゆらゆらしてるのは気にしないで」
「へえ……なんかすげぇな」
「ケヴさん、上のほうにあるSHOPの欄をタップ。エイリ――じゃなくて、あー、ケヴさんがぼくの加護のことを教えられたとき、地球の銃のことも教わりました?」
アキラはつい〝加護〟の部分を皮肉っぽく発声したが、ケヴに気づいた様子はない。
「なんも」とケヴ。「ちらっと見せられただけだぜ? 妙な格好の連中がバンバン撃ってる場面を。あたしにわかったのは〝アレは連発式マスケットのようなもの〟ってことぐらだよ」
「じゃあ、なるべくわかりやすくいきます」
SHOP利用時の最大の分岐点――
・NATO
・Neo-Warsaw Pact
全般的にハイテク関連の品質が高いとは言えず、軍用・民生用を問わず弾薬の種類と質が今一つの新ワルシャワ条約機構の装備は、ゲームで遊ぶならともかく、現況ではデメリットが多すぎる。
というわけで、NATO。
「ナトーってなんだよ?」
「装備の供給元。説明すると長くなるので、また今度」
「りょ。なんか字が出たぞ」
出てきた字、大カテゴリーは――
・Small Arms
・Infantry Equipment
・PPE
・Foods and Beverages
聞きそびれていたことを思い出して、アキラは尋ねる。
「今更ですけど、モンスターに銃、効くんですか?」
「効くよ」〝当たり前だろ〟という顔でケヴが言う。「マスケットは通用してる。相手の大きさや当たりどころによるけどな」
当たりどころの重要性はアキラにもわかる。22LRの二連射を腹に食らっても即死のリスクは低いが、処刑スタイルで後頭部に二連射を食らうと九九・九九九……パー死ぬ。ショボい火力でクマちゃんの群れに追い回されるお遊びマップでの経験から、各種弾薬の有効性は標的のサイズ次第、という点もわかる。
わからないのは――
「モンスターのサイズ、どれくらいなんです?」
「ひと口じゃ言えねえな。けっこう幅があるよ。二本脚はちっこいので一三〇センチくれえ。デカいのは三メートルかそこら。言ってみりゃ二足歩行の……ボフってわかるか?」
アキラは首を振る。
「北部に棲息する大型のプレデターだ。日本語的にはなんだろうな……」ケヴの視線が宙を泳ぐ。「ヒグマ? ヒグマってやつを見たことねえからこの言葉で合ってんのか謎だが、二足歩行のヒグマみたいなモン」
「なる……ほど」
「四本脚もまちまち。小型の家畜サイズから超大型の捕食動物サイズまで、忌々しいほどバリエーションに富んでるよ。軍の仕事で仕留めた一番デカいクソ野郎は、体長八メートルだった」
「八メートル?」三階建ての家くらいあるじゃんか。「そんなのどうやって倒したんです?」
「魔術師の遠距離攻撃で。言うほど簡単じゃなかったよ」
「なる……ほど」アキラは憂鬱な声で繰り返す。
「あと虫系は、体高一メートルから二メートル。頭の天辺からケツの先までだと、その数倍」
なんて出鱈目な……
これじゃ『ボニー&クライド』コースのほうが望みがあるのでは? とアキラが考え直し始めたとき、ケヴが言葉を継ぐ。
「んな死にそうなツラすんな。大物にはそう滅多に出くわさねえよ。フツーの野生動物と同じで、デカブツは個体数が少ないんだ。あたしが読んだ資料にはそうあったし、カセリナでの経験もそいつを裏付けてる。むしろ気をつけるべきは、小型と中型の二本脚だ。やつらはだいたいどこにでもいる」
「その小型と中型――」
「人間様よりだいぶタフ」ケヴが先回りして答える。「でも不死身じゃない。剣で殺せる。槍で殺せる。弓矢で殺せる。当たりさえすればマスケットで殺せる。魔術がなくても対処できる」
なら……いけるか?
キル数が初心者帯を抜けるまでは装備のアンロック条件がぬるいし? アンロックしさえすれば、そして贖うポイントさえあれば、エントリーレベルからハイエンドまで、なんでも好きに使えるし? スタートラインのハンドガンだってそうだし? 夜に休める場所だって用意してもらえるみたいだし? 〝人間様よりだいぶタフ〟という点は気になるけれど……いけるか?
いけると信じよう、とアキラは自分を無理やり納得させる。軍隊相手に絶望的な鬼ごっこ兼かくれんぼよりは見込みがあるはずだ。
「ケヴさん、装備の組み合わせ決めちゃうので、五分だけ待ってもらえます?」
「三分でできないか?」
「じゃあ三分で」
大前提:ゲームオリジナルの架空メーカー製品は地雷原。近未来装備であれ現行装備であれ、実在メーカー製品を選ぶべし。
その大前提を基に、アキラは〝当座絶対に必要なものリスト〟を頭の中で作成する。
装弾数が多いフルサイズの自動拳銃
あるのとないのとでは対応距離と命中精度に大きな差が出るドットサイト
ハイエンド自衛弾薬
ハイエンド狩猟弾薬
目くらましの発煙手榴弾
怪物に効くかどうかは謎だが、催涙手榴弾
ガスマスク
弾薬ポーチ
手榴弾ポーチ
各種ポーチを留めておくLBE(荷重支持装備)
アイプロ
PDAを固定しておくアームバンド
食料と飲料水
予備のPDAやらなんやら、こまごましたものを入れておくリュック
そして〝あったらいいものリスト〟も作る。
何かまともな衣類
何かまともな靴
帽子
ピストル周辺機器の大部分がロックされているのは痛い。
でも本当に怪物を殺すことができたら、割とすぐ手に入る。
割とすぐ手に入らないものを、アキラは切実に欲する。
作戦行動支援機器/ガジェットがほしい。しかしガジェットは、拳銃フェーズの次の段階、散弾銃フェーズに進むまでアンロックされない。何度も命を救ってくれた破砕手榴弾もほしい。しかし破砕手榴弾は、散弾銃フェーズの次の段階、SMGフェーズに進むまでアンロックされない。
とにかく、散弾銃フェーズまでポイントをたくさん残しておかないと。とても高価なガジェットを手に入れられないまま日暮れを迎えたら、きっと余命を分単位で計ることになる。
なので、〝あったらいいものリスト〟は後回しにする。衣類と靴はせいぜい数百ポイントだが、吝嗇家モードのアキラはその数百ポイントを惜しむ。目立つ馬車で移動する以上、偽装に気を使っても仕方がない。裸足にもすっかり慣れてしまった。
〝当座絶対に必要なものリスト〟のあれこれをショッピングカートに入れて総額を出す。
約三二〇〇ポイント。
よし、と思ったところで、必要なものもう一つ思いつく。
あのイヤプロ。うん、ないとマジ困る。モノホンの銃声は耳が痛くなる上、一時的に耳が馬鹿になる。将来的にはつんぼのリスクがあるとも書いてあった。短時間の耳鳴りですら、緊急時のコミュニケーションに支障が出るのは想像に難くない。
しめて三六〇九ポイント。
アキラは増えた総額を睨む。
まあ……大丈夫。
アンロックのボーナスポイントと殺害ポイントをざっと計算してみるに、戦闘手当なしでも、ガジェット諸々にギリギリ届く。
それから、選択した拳銃を撃ったときの反動がいかほどのものか試算する。
たぶん問題なし。
しかし〝購入〟は押さず、ショッピングカート内の各装備をいったんキャンセルしてしまう。
選んだ口径と弾に迷いがあるのだ。
じっくり考えたいが、時間がない。進めながらきちっと決めよう。
「お待たせしました。ケヴさん、始める前に一ついいですか?」
「言えよ」
「ケヴさんにはよくわからないものがいろいろ出てくると思いますけど、細かいことは、買い物のあとで現物を出すまで待ってもらえます? 物があったほうがわかりやすいので」
「りょ」
「こいつのシステム面に関しては、ま、やってるうちに覚えます」
「それもオッケ」
アキラはまずポイントの役割を説明し、あとで大きな買い物があるから要節約、もしケヴさんが一人で買い物をすることになったときはぜんぶ使ってしまわないように、と注意する。
「ポイントが日本の通貨単位?」
「とは違くて……あー、ややこしいので、また今度。とりあえずやってみましょう」
ケヴの画面を横から覗きつつ指示する。
「まずPPEをタップ。PPEはパーソナル・プロテクティヴ・イクイップメントの頭文字。この世界で言う鎧とか兜みいたな防具」
「ふうん。なんかずらっと出たぞ」
「PPEの種類と、その選択項目です。アイプロをタップ。リストからバリスティックアイウェアを選択。次はシューティンググラス。いま出たリストは、メーカーです。シューティンググラスの製造業者」
「〝メーカー〟って工房みたいなもんか?」
アキラのイメージする工房は親方と弟子が壺やら楽器やらをしこしこ作っている場所だが、時間に追われている今、話を広げたくないので「そんな感じです」と答えておく。
「で、どの工房がいい?」
〝チュートリアル〟で支給されたスミス社の製品はとてもかけ心地が良かった。でも今は予算がタイト。ヌーブ時代に使っていたのは……
「リストの上のほう、ESSをタップ。製品リストが出たら、クロスボウをタップ」
「した。ちっせえ窓が出た」
「上の矢印で〝+1〟にしてください。それが購入数で、隣が必要ポイント」
「四〇ポイント。高いの、これ?」
「リーズナブル。でも高性能。アイシールドは……スモークグレイで。色見本の一番下」
「したぞ」
「ポップアップ右上のショッピングカートの絵をタップ」
「ショッピングカートとは?」ケヴが問う。
「地球で買い物に使う……いや、時間があるときに。今はただ、右上の絵をタップしたらチェック済みのお買い物リストができる――それだけ覚えてください。使い方は……」
ショッピングカートに入れた装備、数、費用の細目、カートからの削除方法などを、ケヴは一度聞いただけで完璧に覚えてしまう。理解力と順応性がとても高いようだ。
「一連の流れはこんな感じ。あとは右下にある〝BUY NOW〟をタップで、購入決定」
「決定すんの?」
「いえ、あとでまとめて買います。いったんカートの画面、消してください。次にいきましょう」
PPE内の小カテゴリーに戻り、次はイヤプロを選ぶ。ゲームに登場しなかったイヤプロの優良モデルなどアキラは耳くそほども知らないが、つい先ほどテクニカルデータを読み比べた即席学習で大枠はつかんでいる。大きくは耳マフ型と耳栓型の二種類があり、一定レベルの遮音オンリーの受動型と、環境音を取り込みつつ騒音をカットする能動型に分かれる。
音がろくに聞こえないのはヤバイから、受動型はナシ。音響の質がだいぶ劣るようだから、能動型の耳栓タイプもナシ。使う予定のない内臓無線短距離交信機能やら何やらを備えた多機能かつ高価すぎるのも、ナシ。そこで、〝チュートリアル〟でお世話になったイヤプロ、サファリランド社製リバレイターHP4・0を選択。これはこれで四二〇ポイントと躊躇する値段だが……諸々を勘案すると大枚をはたかざるをえない。
そしてLBE。
拳銃フェーズでは戦闘ベルトしか買えない。
でも悪くない。
サスペンダーやハーネスと組み合わせれば古典的なウェブギアへと変貌し、相当量の装備を携帯できる。
上半身前面のスペースを広く使いたいのならウェビング付きボディアーマーもあるが、防弾パネルや防弾プレート抜きでも割と重い上、見るからに暑苦しい。背中がスカスカのハーネスになっていたモジュラーベストでさえ熱がこもって体力を奪われたのだから、夏場のボディアーマーはサウナスーツも同然だろう。
太いショルダーストラップにMOLLEマイナスのウェビングが施してあるHハーネスと、医療用ガードルに見えなくもない幅広の戦闘ベルトを選ぶ。
さらに、アサルトパックなる名前から連想される勇ましさゼロの小型リュックサック、TACOの模造品みたいなオープントップ拳銃弾倉ポーチを一〇個、発煙・催涙手榴弾用のフラップ型ポーチ六個、PDAをバンジーコードとフラップでしっかり保持・保護してくれるアームバンド、バイオハザードの対処に乗り出した科学者が被りそうなガスマスクを、ショッピングカートに入れる。ガスマスク以外はどれも安物で、すぐ破れたり裂けたり〝崩壊〟したりするかもだが、この辺の装具は当座を凌げればいい。
そして最後に、武器。
大カテゴリーの〝SMALL ARMS〟から小カテゴリーの〝HAND GRENADE〟へ進み、発煙手榴弾と催涙手榴弾を三個ずつ選び、小カテゴリーのリストに戻って〝PISTOL〟へ。
「地球でもピストル、使ってるんだな」
爪切りの話でもしているかのようなケヴの物言いに、アキラは眉を吊り上げる。
「この世界にもあるんですか、ピストル?」
「あるよ。短いマスケットだ。長い得物だと邪魔になる騎兵なんかが使ってる」
あれか。
ぼくを撃ち殺そうとした二人の騎兵。三人組の一人。
危うく心が飛びかけたものの、ケヴの問いかけがアキラを現実に引き戻す。
「消えちまったデカい銃、あれは使わねえの?」
「今はまだ使えません。細かい話は――」
「あとで、か?」ケヴがタップする。「項目が二つ出たぞ」
・AMMUNITION
・FIREARMS MANUFACTURERS
使いたい銃を目的に適った弾薬/口径から絞り込むか。贔屓の銃器製造メーカーから絞り込むか。
アキラは前者のやり方に慣れている。
「アムニションをタップ」
「弾って意味だよな? また項目。ケースレス・アモとカートリッジ」
「カートリッジで」アキラは即答する。
「この二つ、何が違う?」
「詳しいことは追い追い」
「そればっかだな。今度は……なんか数字がめっちゃ出た」
その長いリストの中で光っているのは、三つ。
4・6x30mm
5・7x28mm
9x19mm
「これは?」
「弾の種類」
「光ってるのと暗いのがあるが?」
「光ってるのは選べる弾。暗いのは、今はまだ選べない弾」
「今はまだ、ね。どれにすんの?」
「ちょっと待って」
アキラはピストル口径リストを見つめる。
ぼくの判断は正しいのか?
『SNAFU』の設定では――
4・6ミリ弾:NATO採用トライアルの評価点を反映して5・7ミリ弾にやや見劣りする。
5・7ミリ弾:複数の乱射事件で〝無防備な〟被害者たちを相当数死傷させた反面、マインドセットと身体反応が大きく異なる〝防備な〟悪人たちに向けて使用した法執行関係者の評価がとても渋く、そこを反映して一般的なピストル口径にやや見劣りする。別名〝法外な値段の22口径マグナム〟。
レベルⅢAソフトアーマーを着た相手には、両者とも適切。ソフトアーマーを着ていない相手には、不適切とは言わないまでも、急所を外したときの出血量の面で、また軟組織に対する貫通力の面で(なにせ両者とも質量が小さすぎる)、もっと大きな孔を開けてもっと深く刺さる一般的な口径に分がある。
そして当然、モンスターはレベルⅢAソフトアーマーなんて着ているわけがない。
それでいくと、9ミリ弾は現実世界で黒死病ばりに人を殺してきた歴史を持つ。人間サイズの二本脚モンスターや大型犬サイズの四本脚モンスターには、有効かも。でっかい二本脚には、効果のほどがちょっと読めない。でっかい四本脚には……出くわさないことを祈るのみ。
心の天秤は9ミリに大きく傾いているが、〝ミニライフル弾〟の低反動と有効射程もすこぶる魅力的で……。口径違いを二挺用意したい誘惑をアキラは振り払う。一ポイントたりとも無駄にできない。
「ケヴさん、9ミリをタップ」
「またわけのわからんリスト。これは?」
「9ミリ弾を作ってる弾薬メーカー」
検索範囲を絞るために、各種チェックボックスから〝for Self-Defense〟以外のチェックマークを外す。
自衛弾薬の大きな潮流は二つ。
弾頭が花弁のように広がって過剰貫通を防ぎつつ内傷を拡大させるJHP(被甲ホローポイント)弾。
弾頭に発生する空圧でもって軟組織を切り裂き空洞化させるFTM(流動伝達単一構造体)弾。
信頼性はFTM弾のほうが上だが、それだけでは決められない変数/問いがある。
銃火器と弾薬の相性は?
ハイエンド弾薬は滅多に弾詰まりを引き起こさないため、この点はそこまで心配しなくていい。
もう一つの問い:選んだ弾をうまく撃てるのか?
高性能な弾を外しまくっていては、性能以前の話。比較的低性能な弾でもうまく当てられるのなら、撃たれる側には致命的。
標準的かつ最も確実な選定方法:複数ブランドの複数種類の製品を用意して何百発も試射。
アキラはゲームでよくそうした。くそ忌々しいリアルでは、現状では、時間の面でも、環境の面でも、ポイントの面でも、そんな贅沢は許されない。
となると、『SNAFU』の経験頼り。現実世界にどの程度応用できるのかは甚だ疑問だが――というか、この数時間でゲームとリアルの差が浮き彫りになってきているが――そこ以外に指針がない。
〝ピストルONLY部屋〟で好まれた三強ブランドは、フェデラル、スピア、ホーナディ。アキラが贔屓にしていたG9はトップ5にも入っていない。が、拳銃で最もキル数を稼いだのはG9ディフェンス社の弾だし、モノホンも信頼性抜群で超高性能だと聞くし、究極的には好みの問題でもあるし、願掛けの意味も込めて、軍/法執行機関用の七七グレインAPC(徹甲軟組織空洞化)弾をチョイス。とりあえず二箱、四〇発までカウンターを回してショッピングカートに入れる。
と、メッセージがポップ。
9桁のロットナンバーを入力してください
【GND******‐***】
入力のない場合は【GND41K001‐001】が支給されます
「ロットナンバーとは?」とケヴ。
どのメーカーのどの工場でいつ作られたかを意味するコードだよ、とアキラは声に出さず答える。パソコンを自作する人には常識だが、同じ工場で同じ品質管理検査をパスした同じCPUでも、ロットによって性能にバラつきがある。弾薬も事情は同じ。一発一発の発射速度が安定しているロットもあれば、不安定なロットもあり、中には不良弾薬に起因するマルファンクション連発のくそロットもある。
メモが手元にない今、当たりロットなんてさっぱりだが、ロット選びの大雑把な安全策なら承知している。ゲーム世界で第三次世界大戦が勃発する2040年10月以降に生産された弾薬は、24‐7体制で休みなく稼働する工作機械の摩耗により年月を追うごとに品質が低下していく。逆に開戦前のロットは平均的な性能の弾薬を引く確率が高い。『SNAFU』プレイヤーはまるでワインの話でもしているかのように2039年を当たり年と呼び、とりわけ四月から九月のロットに高い信頼を寄せていた。ラッキーナンバーはゼロを含む鏡文字。もしハズレを引いたら、数字の組み合わせを変えて買い直せ。
「細かいことは今度。ぼくがやるとおりに入力して」
ケヴに自分の画面を見せながら、アキラはロットナンバーを手入力する。
「まず数字で〝39〟。次はアルファベットの〝D〟」軍のコードで四月。「また数字で……えーと、〝310013〟」最後の六桁はゲームでよく当たりを引いた思い入れのある数字だ。
ケヴの手入力を見守り、【GND39D310‐013】と打ち込まれたのを目視確認する。
続いて、ハイエンド狩猟弾薬。
今度は〝for Backcountry〟以外のチェックマークをすべて外す。
こちらは二種類の弾薬を選ぶ。
旧機軸:分厚い毛皮と脂肪と筋肉と骨を貫いて内臓に達するHCFN(高硬度鋳造先端扁平)弾。
新機軸:弾頭重量と形状を変えることで貫通力に特化したFTM弾。
前者は〝クマちゃん〟マップでの経験よりむしろ、実話を参考に、フルパワー弾薬の製造で名高いバッファローボア社の一四七グレイン・アウトドアーズマンをチョイス。後者は、個人的な好みからG9ディフェンス社のプラスP一二四グレイン・ウッズマンをチョイス。各四〇発。ロットナンバーも先と同じだが、この二つは民生用弾薬なので【#310013】と少し単純。
三種類とも少しお高い。
一発平均、一・八ポイント/約二七〇円。
弾薬は銃火器本体よりも重要なファクター。絶対にケチれない。
「次は右下のファイアアームズ・マニュファクチュアラーズをタップ」
有名無名の銃器製造メーカーが売れ筋の9ミリ拳銃をラインナップの〝旗艦〟にしているため、このリストは長い。フルパワー弾薬を安全に撃てる拳銃に自動検索範囲が絞られていても、まだ長い。
アキラの選考基準(安く上げたいけれど一定以上の性能もほしい)に適うブランドは――
「リストの上のほう、ケンイクを選んで。綴りはC、A、N、I、K。製品リストが出たら、TP9SFXミート。ミートの綴りはM、E、T、E」
TP9――比較的安価、高信頼性、高精度、と三拍子そろったシリーズ。通称グロックキラー。
ネジ付き銃身が標準装備、一八連弾倉と二〇連弾倉のオプション、ドットサイトに配慮したホルスター付属、と全部盛りセットで四八〇ポイントはなかなかのお値打ち品。
「数は?」ケヴが尋ねる。
「一挺で。ポップアップしたマガジンは20RDを選択。数は――」
デフォルトの弾倉はたったの二個。TP9が採用しているメクガー製二〇連弾倉は安い買い物ではないが、この世の地獄を行くことを思えば、予備弾倉は多いに越したことはない。
「カウンターの矢印か手入力で一〇個。終わったらサブカテゴリーに戻って」
マガジンてなんだよ、と問いたげな目つきでケヴが言う。「したぞ。次は?」
ドットサイト。
小カテゴリーのオプティクスから、ピストル用ウェポンサイト、リフレクスサイト、クローズドエミッター、そしてメーカーリストへ。
どうせ当座凌ぎだから、と安いマイクロドットサイトを選びたいが、たいていは〝窓〟が突き出ているオープン型で、脆い。少なくともゲームでは頻繁に壊れて都度買い直す羽目になった。頑丈なオープン型は高価な上、〝窓〟に雨粒や埃がダイレクトに付着し、ドットの反射および視認に支障をきたす。にわか雨が多い今、同じ高くつくなら、より堅牢な外殻と二重の〝窓〟に覆われたクローズド型。照準装置も最重要ファクターのひとつ。ケチれない。
「ホロサンUKを選んで、EPSキャリーをカート」
高性能な割にお値打ち品。四〇〇ポイント。
アキラはショッピングカート内の総額を見る。
二九八八ポイント。
あとで弾薬をがさっと買い足すから――初回アンロック時にピストルも買い足すから――確実に六五〇〇ポイントはいく。
ちょいとキツイけれど……致し方なし。
「お買い物、終了」
「オッケ。〝BUY NOW〟をタップ?」
「あー、念のためにカート、見せてもらえます?」
「嫌いじゃないぜ、その慎重な性格。間違ってたら言ってくれ」
合計品目数。個々の品目。総ポイント。すべて問題なし。
アキラは親指を立ててみせる。
ケヴが親指を見つめる。
「そのジェスチャーの意味は?」
「オーケーですよって意味」
「じゃ〝BUY NOW〟でいいんだな?」
「〝BUY NOW〟で」
「ほんとにこれでいいのか尋ねてきたぞ」
「YESで最終決定」
タップした直後、ケヴがPDAを取り落としかける。不意にヴーヴー振動して驚いたらしい。アキラのPDAも振動している。
「大丈夫、通知が来たって合図です。画面に触れたら止まりますよ」
「ニヤニヤすんな。ムカつくぜ」
通知は三件。一件めには〝新規保管装備のテクニカルデータとオペレーターズ・マニュアルがダウンロードされました〟。二件めには〝『初心者ガンスリンガー雨宮アキラくんのためのピストル射撃ガイド』『チーム行動の手引』がダウンロードされました〟。三件めは〝装備のお受け取りはIS機能をご活用ください〟。
ケヴに届いた通知も同じ内容だ――『射撃ガイド』のタイトル以外は。ケヴのほうは簡潔に『ピストル射撃のすべて』と題されている。
で、マニュアルとは? まんまの意味?
アキラは装備一覧表のTP9をタップする。ゲームでお馴染みのテクニカルデータと、お初に目にかかるデジタル・マニュアル。後者の内容は、ページのあちこちに添付されている洒落た図解、ページのあちこちに添付されている洒落た五秒動画、いささか散文的で簡明な説明文。これは……助かる。手探りで実銃の操作方法を確かめるのは限界があるし、その最中に壊したり事故ったりしないかと不安だったのだ。
目を上げると、ケヴが横から食い入るようにして観ている。口が半開きだ。
「ケヴさん?」
反応がないので、その視線を遮るように手を振る。ようやくケヴの注意が向く。
「よう……その動く絵、何?」
「コンピューターグラフィックスのアニメーションぽいですね」
「何が何やらだけど――」全注意が画面に戻る。「スゲェな」
アキラはマニュアルを閉じる。ケヴが名残惜しそうに唇を尖らせる。
「そろそろ二〇分経ちますし」と画面隅のデジタル時計を指す。「残りの準備、急いでやっちゃいましょう」
といっても、もう大して残っていない。
「装備設定の初期画面に戻って、アバターの左、縦に並んでる項目のプライマリ・ウェポンをタップ。選択項目のピストル、TP9。銃の小ウィンドウがポップしたら、オプション、オプティクス、リフレクスサイト、EPSキャリー。インストールするか尋ねてくるので、YESを選択」
「〝インストール〟って?」
「取り付けるって意味。この場合はドットサイトをTP9に」
「なんのことやらだが、したぞ。お、銃の絵が変わった」
「ポップした零距離設定の……ケヴさん、メートル法でものを考えられるんですよね?」
「ああ。日本語をぶっ込まれてからな」
「ヤード法ではどうです?」
「そもそもヤード法って何?」
「地球で使われてる度量衡の一つ。銃の規格はヤード法をよく使いますから、今度教えます。とりま距離関係はメートル法で統一しましょう。〝ゼロ・レンジ〟の欄の、メトリックをタップ」
「じゃあインペリアルってほうがヤード法?」
「です。上の矢印を――」
言いながらさっと思い返す。銃口初速がべらぼうに速いFTM弾なら、零点を少し遠くにしても、近距離を撃つときの弾道はフラットだったはず。間違っていたらあとで直そう。
「――〝50m〟になるまで押すか、手入力」
「したぞ。基準にする弾を選べって出た」
「七七グレインAPCで」
「した。銃の絵に戻った」
「下の〝OK〟をタップ」
すると、『SNAFU』にはなかった要素をシステムが問うてくる。
弾薬を弾倉に装填しますか?
〈YES〉なら、装填弾倉・空弾倉・バラで携行する弾薬の数を指定してください
〈NO〉なら、弾倉と弾薬が別個に支給されます
*上記設定はISスロットに引き継がれます
*上記設定はISスロットのオプションから変更可能です
弾を弾倉に装填しない意図がわからず、アキラはゲーム的な感覚で装填を選ぶ。現れた小ウィンドウで弾倉の数を指定し、弾薬カウンターを〝20〟まで回す。これで装填済みの二〇連弾倉が六個。もう弾がないので、残り四個は空。ケヴにもそうするように言う。
再度〝OK〟をタップ。
「へえええ。アバターってのがピストル持った。思ってたよりちっこいな」
「隠し持てるくらいコンパクトなのがピストルの売りですから」
同じ手順で戦闘ベルトに弾薬ポーチと手榴弾ポーチを取り付けて、セッティングの整ったTP9と戦闘ベルトをアバターから外し、ほかの装備と一緒にISスロット1に突っ込む。システムが推奨してきたSサイズのトランクを選択。
ドラッグ&ドロップも、IS機能の設定方法も、ケヴが秒で覚えてしまったので、アキラは改めて感心する。このお姉さん、学習効率めっちゃ高くない?
二人はISスロット1対応トランクを出そうと――
――PDAが振動し、またもやゲームにはなかった要素にぶつかる。
ポップアップしたメッセージをさっと読む。
新着メッセージをご確認ください
メッセージ確認まで受領シークエンスは強制停止されます
受信トレイをひらくと――
【自動メンテナンスについて】
マルチプレイ・モードでお受け取りいただく銃火器は基本的に〝箱から出してすぐ〟お使いいただ
けますが、ご使用前のイニシャル・クリーニング/フィールドストリップを強く推奨します。フィ
ールドストリップは、異物や破損パーツの有無の確認、動作不良の予防を目的としており、銃器の
簡易的分解・清掃・潤滑剤塗布・組立の4工程から成ります。
自動メンテナンスをご希望される場合、当該火器は待機時間満了まで使用不可になる点にご留意く
ださい。
・フィールドストリップ:10分~20分 50P~100P
*自動メンテナンスの利用上限は一度に二点です
*詳細はヘルプにてご確認ください
*オペレーターご本人またはチームメイトによるフィールドストリップは当該火器のマニュアル
に従ってお進めください
銃の掃除……マジで?
いや、そりゃ、現実世界は天地開闢の日から〝汚れ〟を実装しているし、『SNAFU』も〝汚れ〟を実装していたから……モノホンの銃を扱う以上、当然といえば当然の話、か? ゲームの銃はフルラウンド毎に勝手にキレーになっていたけれど。掃除なんて必要なかったけれど。
掃除。自分で? ないない。
「ケヴさん、一分だけタンマ」
返事を待たずに、アキラは検索バーで自動メンテナンスの詳細を呼び出す。
内容は概ね通知のとおり。
自動メンテは決定事項として……仕上げをどちらにするべきか。
古き良きガンオイルか。乾燥潤滑剤か。
説明によると、前者は数多の射手が信頼している伝統的な方法。ただし、油は埃を集め、細かい砂やらなんやらがくっつく異物ホイホイ。環境によっては頻繁なメンテ必須。
後者は、説明を読む限り、完全に前者の上位互換。モリブデンなるミクロン以下の物質が鋼鉄の表面に結合して保護層を作り、(1)各パーツの摩擦係数を極端に落として摩耗から護る。(2)埃や土や泥といった異物を寄せ付けない。(3)発砲時の炭素や胴の汚れが銃腔に固着・蓄積するのを不可能にして次回メンテナンス時間を大幅に短縮させる。(4)モリブデンの溶媒であるアルコールが揮発するため酷寒の地でも酷暑の地でも油性潤滑剤使用時のようなマルファンクションと無縁でいられる。(5)使えば使うほど効果が高まる。(6)仕上げの仕上げにモリブデンパウダーを擦り込むことで上記の効果がさらに高まる。(7)特に負荷のかかる箇所、スライドレールやボルトラグなどに微量のモリブデン配合グリースを塗布することで摩擦・摩耗への抵抗力を上げ、より滑らか且つ長時間の正常作動を促す。(8)銃身によってはモリブデンのコーティング後に命中精度の飛躍的な向上が見込める。
銃器愛好家は目に涙を浮かべて喜ぶに違いない。ただコレ、エイリアン考案のオリジナル要素なのか、ガチで実在するものなのか、アキラには判然としない。
乾燥潤滑剤でいこう。
コストが銃油の倍、かかるが。
仕上がり時間も倍、かかるが。
「いま出発したらカセリナ入りまで三〇分、ですよね?」
「スムーズにいけばな。追っ手の件があるから急ぐが、一〇分、一五分は余計に食うかもだ。いまの質問からして、自動メンテ?」
「自動メンテ」
二人はタスクバーに増えたアイコンから自動メンテナンス画面をひらき、ISスロット1のTP9を、装着済みのドットサイトごとドラッグ&ドロップする。メニューが幾つかあるが、今は特に用がないので、フィールドストリップを選ぶ。
自動メンテナンス画面の隅で、工程進捗度を報せる円形のカウンターと、完了時間を秒単位で刻むカウンターの両方が動きだす。
19:59、19:58、19:57……
「ほかの装備、出しちゃいましょう。グレネードの使い方を覚えてもらわなきゃだし、マニュアルでピストルの使い方も予習しておきたいし、ここなら人目がな――聞いてます?」
「ああ」と生返事したケヴは、難しい顔でPDAを睨んでいる。
「どうかしました?」
「このデジタル時計ってやつ、正確か?」
「だと思いますけど?」
ISトランクに顎をしゃくる。「この箱はどうする?」
「蓋を閉めたら消えます。あと、一〇メートル離れたら勝手に消えるみたいです」
「出るぞ」
「納屋から?」
「ちげぇ。出発だ」と予備のPDAをISトランクからひったくる。「今すぐ」
「急にどうしたんです?」
「いいから来い!」
さっさと階段を駆け下りるケヴを追って、アキラはわけもわからず納屋から出る。二頭のハラスが顔を向けてヴェーと羊みたいに鳴く。見ると、荷台からリュックサックがデリートされていて、その場所に、中に入れていた予備のPDAだけが残っている。ケヴが御者台に上がりながら怒鳴る。
「早く乗れ!」
その剣幕に押されてアキラは御者台の隣に乗る。
馬車が急発進する。
「あの、いろいろ準備しなきゃなんですけど」
「それ以前の問題だ」土埃を立てて駆けるハラスの背を、ケヴが手綱でピシリと打つ。「畜生が、時間的にかなり厳しい」
「説明してもらえます?」
「冒険者組合が夕方から夜にかけて込むの、忘れてたんだよ! ひと仕事終えた連中がどっと戻ってきて報告だのなんだのとやりだすと、受付はそっちにかかりきりになっちまう。軍でもそうだが、情報ってやつは何より価値があって、ときに鮮度が命になる。つまり、列に並んでやっと自分の番が来ても、重要性が低い新参の手続きなんざ後回しにされる。エクサリオの冒険者村じゃそうだったし、ロフトでも事情は同じだろうよ。んな風に延々待たされてるとこへ、ポンポンと追っ手に肩を叩かれるかもだ」
「じゃあ、後回しになった時点で冒険者村を出て、近場で一晩やり過ごして、明日の朝一で――」
「その一晩で冒険者村に手配書が回ったら、懸賞金目当ての連中が群がってくるぞ。あたしらを目撃した冒険者と傭兵が人間狩りに参加してくるのは一〇〇パー確実だ。そうなりゃ、くそったれ五〇メートルをロープで降りるか、デーエル地方で包囲網コースだよ。運が良くてもな!」
「もっと飛ばせます?」
「もう目いっぱい飛ばしてる!」




