Four Brats in The So-Colled Promised Land 1
アキラ、篠原、成田、小林の四人は停学仲間だ。
停学の原因は――
高校生活が始まって間もなくの頃、アキラは通学路で不品行に行き会った。その横断歩道には信号機がなく、脚に障害を持つ同じ学校の女子生徒がゆっくりと渡るあいだ、軽自動車がプップカプップカ、クラクションを鳴らしまくっていたのだ。のちに判明した事情によると、運転手と同乗者はどちらもパチンカス。新装開店のジャンジャンバリバリを目当てに遠出と洒落こんで、急いでいたらしい。
運転席から降り立った男がつかみかからんばかりの勢いで女子生徒に怒鳴りだすに至って、アキラは思わず割って入った。第三者の介入で頭が冷えればと期待してのこと。男の息は酒の臭いがした。「おまカンケーねえだろチビ、コラ」と頬を張られたアキラは、反射的に相手の股間を蹴り上げてやり返し、ほぼ全教科の教科書類が入っている重い通学鞄をフルスイングした。あとで聞いたところによると、鞄の一撃でくそ運転手の前歯が二本折れたそうだ。助手席から飛び出した同乗者がアキラに踊りかかったものの、通りすがった三人の新入生、篠原と成田と小林が加勢しくてれて事なきを得た。これまたあとで聞いたところによると、くそ同乗者は複数の打撲傷に加えて肋骨が何本か折れたそうだ。しつけのなっていない二匹のチンパンを組み伏せているところへ、今度は通勤中の教員が止めに入ってきて――
暴力は暴力、というのが学校側の下した沙汰。
悪いのは向こう、と証言する生徒が複数いたにも関わらず。
善行の報酬が停学かよ、薄のろ教師どもが、と篠原は吐き捨てたもの。おれらむしろ市長と署長と総理から感謝状をもらって然るべきじゃね? と成田。ちょいやりすぎたかもな、と反省の色を見せたのは小林ただ一人。
なんにしろ、この件を機に出身中学もクラスも性格もバラバラの四人は親しくなった。週に何度か、登校前に駅ビル近くのファミレスで一緒に朝食を取るほどに。四人とも親が忙しいのだ。
いつもの朝活は宿題を写し合ったりダラダラ過ごしたりするのが通例だが、今朝は違う。
高校生活一回めの中間試験を数時間後に控えて、成田と小林は最後の悪あがきをしている。慌てる必要のない篠原はオンライン版の〈フィガロ〉を読み、アキラはゲーム雑誌。
「あかん、これムリなやつ」成田が教科書を放り出す。「コバっちも一緒に補習で挽回しようぜぇ」
「補習食らってる時点でアウトだろ」小林はまだ試験を投げておらず、一つでも多くの英単語を脳細胞に焼き付けようと奮闘している。「つか今はマジで話しかけんな」
成田が対面の篠原に目を向ける。
「満点様は余裕っスね」
篠原が名門の一角の私立西条学園――偏差値七二――の開校以来一〇人めの全教科満点合格者になったことは在校生の誰もが知るところだ。石器時代の教育システムを採用している西条学園では、あらゆる試験結果が貼り出される。
「一学期の中間でひいこら言っててどうするよ」篠原は携帯端末から目を上げようともしない。
「いやこれ、よそのガッコの期末の範囲ヨユーで超えてますから。悪しき詰め込み教育もいいとこですから」
「そういう学校だとわかってて入ったんだろ?」
「だから絶賛後悔中なんスわ。あーもう、無理して入るんじゃなかった。記念受験のノリだったのに、なんで受かっちゃったかなぁ」
「おまえさ、うだうだやってないで小林を見習ったら?」
「いやいや、今ごろ教科書一〇ページ開いてる人を見習うとか。どうがんばっても手遅れ」
「よけーなお世話だ、三二〇位」小林が成田の入学順位を持ちだす。
「ちっくしょう、三一七位め。目くそが鼻くそを笑いやがる」
その慣用表現は公正さを欠く、と篠原が異議を唱える。「小林は毎日サッカーで何時間も汗を流してる。おまえが漫然と食い物をクソに変えてるあいだに」
「読書とかしてますけど?」
「ラノベだろ? 語義を冒涜すれすれまで拡大解釈すれば、ああ、〝読書〟に入るかもな」
「なんつーこと言うんだ、おまえ。ちょっとアッキー、聞きました、今の? この人チョー上から目線で失礼なんですけど……アッキー? おーい、アッキー、応答せよ。アッキー?」
丸めたストローの包み紙を投げつけられたアキラは、ようやく雑誌から顔を上げる。
「ん? 何? 呼んだ?」
「うん、めっちゃ呼んだ。なーにを夢中になって読んでんの?」成田がテーブルに身を乗り出して、ゲーム雑誌を反対側から覗き込む。「ああ、これ。ネットでCM観たわ。一般参加アリのやつ?」
「アリのやつ」
「もしかして応募しちゃう感じ?」
「しちゃわない感じ。てか、アマ枠の予選、もう終わってる」
「お、賞金スゲェな。アッキーFPS上手いんだしさ、メンバー集めて出りゃ良かったじゃん」
というか出るんだ、とアキラは胸の中で言う。
テスト明けの週末に控えたプロデビュー戦が、この競技会なのだ。生放送直前に「実はぼく……」と打ち明けるびっくり計画を温めているので、クラスメイトはおろか、この三人にもまだ、プロゲーマーになったことを教えていない。
「そのうち出るかも」と何食わぬ顔で応じる。
「アッキーならプロ相手でも善戦できると予想。つってもプロの人ら、人間やめてるけど。動画見たらくそヤベェの。反応速度が神。あとアレ、最近流行ってるリアル系、めっちゃやること多いのな」
「おい、ナリ」ノートに被っている成田の腹を小林がシャープペンで突く。「邪魔」
「ごめんちゃい」
八時ちょうど、四人は荷物をまとめて席を立つ。
店を出しなに成田が祈る。
「神さま、どうか学校がテロリストに襲撃されますように」
「テスト受けたくないにもほどがあんだろ」と小林。
「ガソリン撒いてマッチ擦るほうが確実では?」とアキラ。
「〝天は自ら助くる者を助く〟らしいぞ」と篠原。「自助努力しねえやつの面倒は見てくれないとよ」
「自助努力か」成田が考え深げに復唱する。
そして駅前広場をゆく勤め人や学生のほうへ進み出、機内で重病人が発生した客室乗務員を裏声で演じだす。ただし、呼んでいるのはお医者様ではなく――
「ムジャヒディンの方! この中にムジャヒディンの方はいらっしゃいますか!?」
小林がうんざり顔になる。「あいつマジか」
篠原がそっぽを向く。「他人のフリしろ、他人のフリ」
通行人の視線もお構いないしに成田が呼びかけを続ける。
「うちの学校は反ムスリムです! 悪のシオニスト軍団を支援しています! アメリカ人なんかうっちゃって正義の鉄槌を下すべき罰当たりどもの巣窟です! ジハーディストの方! いらっしゃいませんか!?」
「もうアレ奇行ってレベルじゃねえよ」と小林。「実はあいつ、心を病んでるに一票」
「水代わりにウォッカを飲んでるに一票」と篠原。
「ナリをもう少し信用してあげなよ」とアキラ。「〝LSDを染み込ませた聖書が手放せないんだ、山上の垂訓のページを食うと頭の中の声がよく聞こえるんだ〟に一票」
その発言とシンクロしたかのように、成田が「タオルヘッド・ジーザスの名のもとに西条学園を燃やせ、聖なる戦士たち! アラーアクバル!」とぶち上げる。
「〝タオルヘッド・ジーザス〟?」小林がどちらにともなく尋ねる。
「おそらく〝マホメット〟って名前が出てこなかったんだろ」と篠原。
「ハードコアなイスラム原理主義者が今の聞いたらナリの望みが叶うかもね」とアキラ。
「ハードコアなイスラム原理主義者は日本の高校を占拠するほど暇じゃないだろうから、あの阿呆を首チョンパ動画の主役にするのがせいぜいじゃね?」
「〝タオルヘッド〟って?」小林が再度、どちらにともなく尋ねる。
ステレオタイプな人種判断しかできない大馬鹿野郎だと思われたくないなら人前では使うなよ、との注意付きで篠原が語意を説明しているところへ、成田が戻ってくる。
「このへんに聖戦士のブラザーはいないくさい」
「じゃあIRAのブラザーを試してみればいいんじゃないかな」とアキラはそそのかす。
「あそこのブラザーはとっくに停戦してませんでしたっけ?」
ふざけ合いながら広場を渡り、四車線道路に面した歩道に差しかかったところで――
ぱっ。
朝の雑踏が掻き消える。
メガロポリスの街並みも。
バスや通勤車両の走行音も。クラクションも。何もかも。
アキラは最初、目が潰れたのかと思う。突然、真っ暗になったからだ。しかし真の暗闇ではない。ぼんやりとものが見える。青白い光に照らされた自分の手が。草木が。すぐそこにいる成田や篠原や小林の姿が。
ようやく、目がどうにかなったのではなく、夜の闇のせいだと気づく。
四人の少年は、銀色の月光が降り注ぐどことも知れない野原にいる。
アキラの頭に浮かんだのは特大の〝え?〟。
「ええ?」と思わず声に出す。
「おおおおおい! なんスか、これ!?」小林が辺りを見回す。「いやいやいや……マジで? ここどこ?」
「なあ、キミたち」成田が妙に平坦な声で呼びかける。「ちょっと空見てみ、空」
は? 空?
アキラは夜空を仰ぐ。
雲一つなく、粉々のガラスをぶちまけたかのような星屑が瞬いている。
天頂に月もかかっている。
その月には余計な飾りがある。
土星のような輪。
アキラは目をぱちくりする。
そしてじっと目を凝らす。
サイズも色味も明るさも見慣れたお月様だが……やはり輪がある。土星のそれより幅が狭いようだけれど、まがうことなき立派な輪。よくよく見ると……月の模様もなんか違くない?
にしても、輪。
あるはずのない、輪。
それの意味するところがじわじわと頭に浸透してくる。
篠原がお国言葉でつぶやく。「Mon Dieu...」
日本語には目下の心境を適切に表現できる語句がなく、アキラは英語でつぶやく。「Holy f#$%...」
小林が口をぽかんと開ける。「なんで月に輪っかがあるわけ……? おまえらも見えてるよな、あの輪? ここ日本、ていうか……地球じゃなくね?」
四人は互いに顔を見合わせる。
全員、半笑いだ。わけがわからなさすぎて笑うしかない、引きつった半笑い。成田だけは、どこか面白がっている風ではあるが。
アキラはポケットから携帯端末を引っ張り出す。圏外表示。
一応試してみろ、との篠原の言葉に各自、緊急電話番号にかけてみる。話中もしくは不通のビープ音。地図アプリ、GPS、SNS――すべて通信エラー。救難要請どころか、四人のあいだでメッセージをやり取りすることすらかなわない。
「不可思議な〝境界線〟か何かを通って渋谷に帰れるんじゃ?」との希望も早々に潰える。来た道を戻ろうが、行きつ戻りつしようが、どこをどう歩こうが渋谷は現れず、夜の野原が頑としてあるばかり。
篠原が輪っか付きのお月様を睨みつけて、のろのろと周囲を見渡す。
それから、硬い声で言う。「ちょっとマズい感じだな、これ」
賛成三、反対一の多数決の結果、「何かの弾みで元の世界に帰れるかもしれない、下手にここから動かないほうがいい」と四人はその場に留まる。
実際のところ、何が起きたのか?
皆の疑問に、成田が自信満々に解答を提示する。
「異世界転移で確定でしょ、これ」
異世界もの。一昔前に消費し尽くされた当該ジャンルについて、アキラの知識は、小学生の頃に少年誌でなんかそんなのチラッと読んだな、という程度。漫画・アニメ・軽い読み物に無関心な篠原はそれ以下。スポーツを通して現実の苦楽を学んできた小林にしても、友人に勧められた某有名タイトルのアニメ化作品を半ばまで視聴した時点で、幼稚な願望成就、と投げ出している。
成田は違う。
異世界ものに耽溺している。駄作・凡作・傑作を問わず愛している。
そんな成田が、無知な三人に転移系の講釈を垂れる。
複数パターンある王道展開、手を変え品を変え踏襲されるプロット、定番ネタ、お約束……
たまりかねて篠原が口を挟む。
「フィクションから離れろ。この神隠しみてぇなのは現実の話だぞ」
「そうそれ、現実」成田がぴっと頭上を指さす。「地球のとは違う月っスわ。今や転移系はガチの現象と証明されたわけです。とっくに奇妙なことになってんだし、フィクションの知識が役に立つかもって思わん?」
「思わねえよ」篠原はにべもない。「てか気になってたんだけどさ、おまえさっきからなんでそんな楽しそうなわけ?」
「馬鹿、異世界だぞ! モノホンの異世界! 不可能が可能になる約束の地ですよ? いやもう、テンション爆上がりなんですけど」
つける薬がない、と言わんばかりに篠原が肩をすくめて、立ち上がる。
「ションベン?」小林が尋ねる。
「ションベン。あと、渋谷に帰れねえかもうちょい……〝出入り口〟みてえのを探してみる」
藪のほうへ歩み去る篠原の背中を見送ってから、成田が転移系の講義を再開する。アキラと小林は八割方聞き流しているが、〝テンション爆上がり〟の成田は二人の聴講態度など気にも留めていない。
聞くともなく聞くうちに、アキラは小さくかぶりを振る。役に立ちそうな情報が皆無というか、かなり馬鹿っぽく聞こえるというか……
テンプレ試してみ、と成田に促されたとき、アキラは露骨に顔をしかめる。
「〝ステータス〟ってやつ?」
成田がうなずく。
「ナリは? やったの?」
「やった。さっきうんちしに行ったとき」
「ほいで?」
「反応ナッシング。でももしかしたら、アッキーとコバっちはステータス画面、出るかも」
しつこく促されて、アキラは根負けする。
教えられた文言を念仏のように唱える。「ステータス。ステータスオープン。オプションメニュー。ステータスウィンドウ。メインメニュー。アドミニストレイター。ヘルプ。鑑定」
それを横目に小林が面白くもなさそうに言う。「まじウケる」
成田が尋ねる。「どう、なんか出た?」
アキラは首を振る。「なんも」
特に失望した様子もなく、成田が学者然とした表情でうなずく。
「ま……予想どおり。コバっちもやってみ? ほれ、念のために」
小林が文言を機械的に唱えて、なんも出ねえぞ、くだらねえ、と報告する。
成田がふたたびうなずき、転移系にはゲーム性を排した物語形式がある、と解説する。そういった物語には、個人の能力値をお手軽に参照できるステータス画面が存在せず、過度なご都合主義やハーレム要素もなく、主人公は知識の暗闇の中、体当たり精神でもって新たな人生を切り拓いていくのだ、と。
「海外の昔からある異世界ものはこういうのが主流。パターンは主に三つ。寓話的な児童文学、リアル路線、ユーモア・ファンタジー。俺TUEEE系の主人公はあんま出てこない。でも多かれ少なかれチート能力を持ってて、やっぱ無双に近いことするわけ。地球じゃフツーの特技が異世界だと特殊能力みたくなるとか、単純に異世界人より身体能力が高いとか、科学や会社経営の専門知識をフル活用して身を立てるとか――」
「何が言いてえの?」と小林。
「おれらのケースはこれに該当するくさいってこと。つまり、ワンチャンあるかも」
「何がワンチャンだよ。おれは帰る方法が知りてえよ」
成田が悪いニュースを告げる顔になる。「転移系はたいてい、行きっぱの片道切符なんスわ。帰る方法があったとしても一時的で、恒久的なのはありゃしまへん」
小林が鼻を鳴らす。それを潮に雑談に流れる。受け損なった試験、ひたすら鬱陶しい熱血体育教師、B組の前髪ぱっつん大和撫子ちゃん、SNSでバズっているネタ……当然ながら、まったく盛り上がらない。
アキラがふと見ると、〝出入り口〟を探し続けていた篠原が、いつのまにか近くに腰を下ろして、むっつりと黙り込んでいる。アキラも次第に喋る意欲をなくす。普段はマッチョな体育会系を気取っている小林が最も不安定な心理状態に陥り、宇宙人によるアブダクション説をタガがはずれたように喋り散らす。
やがて空が白みだす。
美しい夜明けだ。
四人はしばしのあいだ現実を忘れて、曙光がピンク色の指を伸ばす様を眺める。
とうとう太陽が顔を覗かせる。
見慣れたサイズと輝き。特段、おかしなところはない。
その朝陽に暴かれた景色は……フツーだ。
地表を覆う植生は対称かつ放射状で、草や葉は緑色、幹や枝は茶色。そう、フツーだ。遠くの山も、抜けるような蒼い空も、緑なす大地も、何もかも。まったく違和感を覚えないほどに。北海道の牧草地や長野の高原だと言われたら、あっさり信じてしまうほどに。
「とりあえず方角がわかったな」数時間ぶりに篠原が口をひらく。
「それと時間」アキラは携帯端末をかざす。「スマホだと昼の二時。夏とか冬って感じでもないし、春か秋なら八時間くらいズレてる」
「早春と思われ」
と、成田が右手を差し出す。その手の平に一センチ大の紫色の物体が載っている。よく見る暇もなく、紫の物体が羽音を立てて飛翔する。宙高く舞い上がった小さな点を追って、みんなの顔が上を向く。
「虫があんまいねえし、夜は妙に冷えたし、そこらの草もなんか瑞々しくない? これから枯れていくっていうより、これから成長していくって感じで。だからたぶん春」
篠原がうなずく。「地球と同じ風に考えていいのはともかく、ぽいな。おまえら、スマホの電源落としてバッテリー温存しとけ。いつか必要になるかもだ。時計ならおれのがある」そう言いながら左手首のオメガの針を修正する。「午前五時ってことにしとくぞ。一日二四時間なのか謎だけど」
「で、どうすんの?」小林が迷子の三歳児のような顔で尋ねる。「てか、どうやって日本に帰んの?」
「すぐには帰れない前提で先のこと考えようぜ」篠原が立ち上がって尻をはたく。「実際、ムリくせえし」
「つっても……」小林が言い募るが、先が続かない。
「おれの考えを言うぞ。異次元ドアがまた開くかもしれないことを考えると、なるべくここを離れたくない。でも食料と水がない。雨風をしのげる場所もない。本式のサバイバルの知識もない。何より、この世界の知識がない。元やる気のないボーイスカウトとして断言させてもらうと、未知の植物と動物と昆虫がうじゃうじゃ繁殖しているかもしれねえ森に入って、シェルター作るとか食い物探すとかは論外だ。おれたちが主役の『一五少年漂流記』は確実に短い本になる」
「じゃ、どうすんの?」小林が繰り返す。
「移動しよう」篠原が三人を等分に見やる。「人里を探す。そもそも〝人間〟がいるのかどうかすらわかんねえけど、ここでじわじわ衰弱していくよりはマシだ」
昨夜の多数決で唯一の反対票を投じた成田は、これを聞いてにやりとする。「やっとかよ。だから昨日、さっさと移動しようぜっつったじゃん。この辺、モンスターがうろついてるかもなんだし」
「そしておれは、夜間の行き当たりばったりの行動は自殺行為だって説明したよな?」
小林が懐疑的な表情で話を元に戻す。「どうやって探すわけ?」〝もし見つからなかったら〟との副音声が聞こえてきそうな声だ。
野原の北側の遠い隆起を篠原が指さす。「まずあの丘に登ってここらの地形を確認する。人里をどうやって探すかはそれ次第。ちょっと待ってろ。この場所を記録するから」
「記録する意図はわかるけどさ――」と成田。「この場所から地球に帰れる見込みは低い気がしますけどね。帰れるならとっくに帰れてるでしょ」
「かもな、専門家さん。でもいつかここに戻らなきゃいけなくなったとき、正確な場所がわからないと困るのはおれたちだ」鞄からルーズリーフ式のノートとカッターナイフを出して、南のほうへ歩きだす。
「おーい」と成田。「そっちは丘と真逆なんですけど」
「あそこに木が一本生えてるだろ。ちょうどいい目印になる。おれらがこの世界に来た地点から木までの歩数を数えて、どの方向かわかるように印つけてくる」
「手伝うよ」
名乗り出たアキラに、篠原がちらりと笑みをみせる。
「じゃあ歩測、頼めるか? 普段の歩幅でいい」
「ほかのやつとカウントが違ってくると思うけど、それはいいの? ほら、ぼくはこの中で一番背が低いし」
「カウントの差は修正できる。身長かける〇・四五がおおよその個人の歩幅。あとは単純な算数。おれが踏み荒らした跡の真ん中らへんから始めてくれ。歩いてくるおまえを基準に印つける」
小林と成田が篠原についていく。
アキラは指示された地点に移動してから、約四〇メートル先の若木へと歩を進める。若木と向かい合っている篠原の横で足を止め、歩測の結果を伝える。
「五二歩」
「ありがとさん。っと、クソ」篠原が刃の折れたカッターナイフを下ろす。
幹の目の高さに刻みつけられたバツ印を成田が指でなぞる。「ちょっと浅くね?」
「カッターじゃこれが限界。この木が一年に何十メートルも成長しない限り、印が消えちまうことはないだろ。なあ、おまえら何か食うもの持ってるか? あと飲み物。よし。均等に分けるぞ。飴とかガムもぜんぶ」
各自の鞄に入っていたのは、飲みかけのお茶やスポーツドリンクが四本、食べかけのガムがふた包み、食べかけのアーモンド・チョコレートが二箱、のど飴が一袋、スナック菓子が一袋、ジャムパンが一つ。
「こんなんすぐなくなるぞ」と小林。
「節約する」と篠原。「腹がぐーぐー鳴るのを我慢すれば、チョコだけでも二、三日は動ける。問題は水。水がねえとその二、三日すらもたない。地形を確認しよう」
一行は野原を移動する。
丘のふもとに着くと、「おまえら先に行ってろ」と篠原はその場に留まり、腕時計を見ながらルーズリーフに何か書き込む。アキラは横からノートを覗き込む。
「地図?」
「そ。さっきの木からここまで約八分三〇秒。こうしておけば、距離を測るものがなくてもそこそこ正確な目安になる。この先、ぜんぶ歩数で記録するのは現実的じゃないからな」
アキラは来た道を振り返る。
「さっきの木まで……九〇〇メートルちょいかな。九二〇メートル」
篠原が片眉を吊り上げる。「目測できんの?」
「うん。何かを見たら、こう、自動的に? 距離がわかる。なんかちっちゃい頃からできた。自分でも未だにどうやってるのかよーわからんけど」
「ドイツの射撃場に行ったとき、レンジマスターのおっさんも同じことできるって自慢してたな。かなりレアな能力らしいぜ、それ」
「シノ、射撃やってたの? PRSみたいなロングレンジ?」
「クレー射撃。遊びで一時間くらい12ゲージぶっ放しただけ」
「ターゲットロードは反動が軽いらしいね」
「詳しいじゃん。慣れたらまあまあフツー。あっちの地元の一二歳でもバンバン撃てるくらいのモン。にしても雨宮、目がいいな。おれには遠すぎて見えねえよ、あんなちっこい木」
「シノ」アキラは片手を差し出す。
「何?」
「地図、代わるよ。図工みたいのは割と得意だから。隊長のおまえは手じゃなく頭を使ってくれ」
「〝隊長〟?」篠原が片頬で笑う。
「シノは合理的に判断を下してる。リーダーシップもある。みんななんだかんだでシノの言うことは聞く。だから隊長。実際家のまとめ役がいないと、ぼくらは終わりだ」
「雨宮、少なくとも一人はちゃんとものを考えてるやつがいて嬉しいぜ」
篠原がバインダーとペンをアキラに手渡す。
「地図は大雑把でいい。海賊の宝の地図みたいな感じで。指標になりそうな山や丘なんかの位置関係、わかりやすい目印、A地点からB地点までだいたいどの方角に何キロって具合に書いてくれ。目測が難しいときは歩いた時間で記録。平面図にするのが難しい情報とか、ごちゃつきそうな箇所は、メモで代用」
丘は遠目の印象より高く、急で、ローファーで登るには向いていないと判明する。アキラと篠原が遅れて三分の二ほど登ったとき、先に頂上に着いた小林と成田が口々にがなりだす。
「おい、川! あっちに川がある! 道っぽいのも! 早く来い!」
眼下を横切る小川が朝日をきらきらと乱反射している。
見たところ、川幅は一〇メートル前後。その手前岸には、川と並行に走る茶色い線。
未舗装の道だ。
川と道は、右手で小ぶりな丘の陰に隠れ、左手で森の中へ消えている。
「ほっほーう」遅れて頂上に到着した二人に向けて、成田が満面の笑みを向ける。「見よ。文明の証ですよ、ご両人。人里は近そうですぜ」
「にしても緑ばっかだ」小林がこぼしたものの、表情が明るくなっている。
篠原が爪先立ってパノラマを見晴らす。「人工物は?」
「道」と成田。
「それ以外。民家とか橋……はなさそうだな」
「三六〇度、あるのは森と丘と野原ですわ。あとは遠くの山。でも水問題は解決したし、道沿いに進めば家なり街なり、ぶち当たるでしょうよ」
「なんか見えるか?」篠原がアキラに尋ねる。
「いや、なんも。人工物っぽいのはないかな」
「下りようぜ」成田が陽気に言う。
四人は丘をくだる。
でこぼこの未舗装路には、最近雨が降ったのか、深く刻まれた往来の痕跡。
「見てみ」真っ先に未舗装路に立った成田が指さす。「足跡がある。おれと同じくらいのサイズの、靴の足跡。轍もある。あと、馬っぽい蹄の跡。馬車で間違いないでしょ、これ。馬車を使う文明人がいるってことは、いよいよ剣と魔法のファンタジーかもですよ」
「相手が〝人〟ならいいけどな」篠原が仔細に路面を観察する。
地図を書く手を止めて、アキラも地面を見下ろす。「雑草が結構生えてる。あんま使われてない道か、この辺に住んでる人が少ないのかも」
「もっかい言うけど」と篠原。「相手が〝人〟ならいいな」
「エルフかもよ」成田の特大の笑みは耳に届きそうだ。「それかモフモフの獣人。靴履いてるってことはゴブリンみてーなモンスターの線は低いぜ」
「ナリ、ちょっと疑問なんだが、おまえが馬鹿話を垂れ流し続けてるのは、救いようがないほどお目出度い脳みそのせいなのか。それとも、現実に対処できなくて精神的メルトダウンを引き起こしかけているせいなのか、どっちだ?」
「なんつー言い草。おれはね、篠原くん、可能性を指摘してるだけですよ。絶対にないとは言いきれないでしょうが」
「なあ、おい」と小林が皆の注意を川に向けさせる。「魚。魚が泳いでる。こいつら食えんじゃね? ああ……でも火がねえか」
「ある」と成田。「シノがライター持ってるはず」
皆の視線が篠原に集まる。篠原が首筋をぽりぽりと掻く。
「お見通しですよ」成田が続ける。「おまえから時々、煙草の臭いがしてますもん。今も持ってんでしょ、ライター?」
「持ってるよ、名探偵」と篠原。「どうやって釣るつもりか知らねえけど、魚を食うのはもっと切羽詰ってからだ。食っても安全かわからん」
「んなこと言ってたら飢え死にするしかないじゃんよ」成田が大げさに両手を開く。「火を通せばいけるって。太古からの知恵」
「地球ではな」篠原がむっつりと言う。
「なら、おれが実験台に志願しましょう。今日の晩メシは魚。はい決定」
アキラは好奇心から川を覗き込む。流れが速く、波打つ水面にそれらしい影が垣間見えただけ。魚は諦めて、朝靄が立ち込めている川向こうの野原を見やる。「なんかここ、北海道のど田舎に似てる」
篠原も向こう岸を眺める。「おれはノルマンディーのクソ田舎を思い出したよ。どこに行き着くにせよ、かなり歩く羽目になるんじゃないか、これ」
「どっちに行く?」小林が尋ねる。
「左」篠原が即答する。
「うん、左だな」成田が追従する。「足跡が左に向かってる」
「それもあるし、遭難したときは川下一択。サバイバルの初歩の初歩。でさ、おまえら遠足以外で長距離歩いたことある? フルマラソンぐらいの距離」
アキラと成田と小林は「ない」と答える。
「ハーフマラソンぐらいの距離は?」
今度は三つの首振り。
「バテないコツを教えてやる。ペースは普段よりゆっくりめを維持。一時間ごとに一〇分休憩。様子を見て三〇分か一時間、長い休憩。バテたときや、体調が少しでも悪いと感じたときは、すぐ申告。やせ我慢するなよ。ガチで動けなくなるぞ。ま、のんびり行こうぜ。さっきほど絶望的な状況じゃないんだし」
「出発の前に一個いい?」と成田。
「何?」
「うんち」そう言うと、成田が茂みのほうへぶらぶらと離れていく。
一行は道沿いに左へ――西へ向けて歩き始める。森に入ってすぐ、ゆるやかに蛇行している川や両岸の深い木立のせいで、視界が利かなくなる。先頭を行く篠原はゆったりとした歩調を維持しており、左右に振られる頭の動きから、絶えず周囲に注意を払っているのが窺える。対照的に、成田は成田だ。魚を釣る方法をあれこれ口にしては意見を求めている。この話題に小林が食いつき、二人はああでもないこうでもないと知恵を出し合う。
最後尾を行くアキラは内省に沈む。妙な気分だ。この環境に放り出されてからというもの、片時も休まることなく不安に苛まれている。その一方で、冒険心を刺激されてもいる。成田ではないけれど、未知への期待と高揚感は、確かにある。でも能天気にはなれない。篠原は正しい。ぼくたちにはこの世界の知識がない。何をするにも判断基準の拠り所がない。何がどう転ぶかわからない。これからどうなるんだろう? どうすればいい? わけのわからないうちに、もっとわけのわからない事態に陥るのでは?
アキラは前を行く三人を見る。高校一年生らしい楽観主義が友人たちの心の中で優勢を占めているようだ。あるいは、人生に対する無邪気な信頼にしがみついているのか。緊張を強いられた昨晩の反動や、ここが前人未到の未開の地ではないと知った安堵感から、少し浮かれている風でもある。慎重派の篠原でさえ――油断なく周囲に視線を走らせつつも――いくぶん肩の力が抜けている。
もちろん、不安はどこまでもついてくる。
「もし帰れなかったらどうする?」小林がそう疑問を投げかけたのは、出発から半時間ほど経った頃。軽い世間話のような口調だが、目に浮かぶ怯えの色がその意図を裏切っている。「ここで一生、生きていくことになったらどうする?」
「今は目先の問題に集中しようよ」とアキラ。「どうするかは、食い物と寝床を手に入れてからゆっくり考えればいいんだし」
この慰めの言葉を、アキラはむしろ自分に言い聞かせる。
小林が慰められたようには見えない。
「手に入れるってどうやって?」と噛みつくように応じる。「電子マネーも日本円も確実に通用しねえぞ。そこらの人にタダでくれって頼むのかよ?」
「物々交換なりなんなり、やりようはあるじゃん。経験上、田舎は親切な人が多いし。事情を説明したら、誰か一人くらいは助けてくれるって。実際、小三のときに北海道の日高で派手に迷子になって、見ず知らずの農家の人に一泊させてもらったことが――」
「現代の日本の話だろ、それ。弥生時代みてえなレベルの、原始的な相手だったらどうすんだよ? アフリカの野蛮な部族みたいな連中のときは?」
「はいはい、そこまで」成田が取り成すように割って入る。「コバっちの不安はわかるけどさ、雨宮氏に当たってもしょうがないでしょうが」
小林がそっぽを向く。
成田がアキラの視線を捉えて、しょうのないやつだ、と言いたげに小さく肩をすくめる。
そのとき、がさがさと森の中から音がする。
四人はぴたりと立ち止まり、鬱蒼と生い茂る木立に顔を向ける。
「何かいるか?」皆に確認しながら、篠原が木刀サイズの大枝を足元から拾い上げる。
「わかんね」小林も太い枝を拾い上げて構える。「なんか見える?」
「野生動物は基本、臆病って聞くけど?」成田が真面目な声で言う。「腹ペコのヒグマみたいのじゃない限り、人間を避けるとかナントカ」
「この世界でもそうであることを願うよ」と篠原。「注意しながら進むぞ。森の中にちょっとでも動きがあったらすぐ報せろ」
アキラはなるべく丈夫そうな枝を選び、試しに何度か振ってみる。何か大きくて素早くて凶暴な動物が飛び出してきたら、こんな棒切れ、クソの役にも立たないだろう。アキラは憂鬱な面持ちで森を見る。この場所がチーム戦専用マップを彷彿とさせるからか、それともヒグマと聞いたからか、『SNAFU』の一場面がふと頭をよぎる。貧弱な火力を駆使してグリズリーの群れから逃げ回る、あのジョークマップのことが。貧弱でも火力は火力。今この場に猟銃があれば。せめて拳銃でも……
おい、しっかりしろ。
アキラは益体もない考えを頭から振り払う。
最初の小休止でジャムパンを四つに分けて物足りない朝食にし、二度めの休憩では、ミルク味の喉飴を舐めながら各自のペットボトルに川の水を汲む。川床が透けて見えるほど綺麗な水なので、飲んでも害はなさそうだと判断したのだ。
「腹下したら野垂れ死にコース一直線だな」篠原が自分のペットボトルを睨みつける。
成田がお構いなしにぐびぐびやる。「いや、飲んでみ。めっちゃ美味いから。天然のエヴィアンすわ、これ」
「てか暑くね?」小林がブレザーを脱ぎ、シャツのボタンをすべて外す。「日が出てからあっちゅうまに暑くなってきた」
「もしかしたら――」篠原が空を見上げる。「春じゃないのかもな。北欧の初夏みたいだ。空気が乾燥してて、気温だけ上がってる。たぶん緯度が高い」
「お」成田が草むらから何かをつまみ上げる。「見て、こいつ。めっちゃキレー」
成田の親指と人さし指のあいだでのたくっている羽虫に、アキラは目をやる。
「それ何? 蛾?」
「いや、蝶でしょ」
「黄緑色の蛾に見えるんだけど。触覚が極太だし」
「ナリタ・シャートルーズ・バタフライと名づけよう」
篠原が小石を投げる。「おい、素手で触るな、ファーブル博士。毒があったらどうすんだよ」
「言われてみれば毒々しい色かも、こいつ」
「言われなくても毒々しい色だろ、そいつ」
成田が指を開き、羽虫を逃がしてやる。「バイバイ、ちょうちょさん。お元気で、ボクの可愛い人」
二度めの休憩明けから間もなく、不意に森が途切れて、とても牧歌的な平原に出る。点在する涼しげな木立と咲き乱れる野花の絨毯を挟んで、新たな森が広がっている。その中間地点、進路の二〇〇メートルほど先には、一〇頭前後の大型動物の群れ。
「不思議生物発見」と成田。「山羊と馬を交配したキメラみてえ」
「ちょっとエルクに似てるな」と篠原。
「あいつら、襲ってくると思う?」とアキラ。
「なあ、隠れたほうが――」言いかけて、小林が息を呑む。
エルクっぽいやつが一頭、すぐ脇の木立からぬっと現れたからだ。見上げるほどの巨躯だ。毛足の長い茶色の体毛、たくましい四肢、渦巻き型の立派な角、ハスキー犬や猫を連想させる青い瞳、野生の獣のきつい臭い。
「小林、落ち着け」篠原が小声で言う。「全員、動くなよ。刺激するな」
エルクっぽいやつは人間に無関心な様子で進み出、少年たちのあいだを悠然と通り抜ける。成田が出し抜けに手を伸ばして、まるで乙女の黒髪を撫でるかのようにふさふさの尻尾をすくい上げる。
「すげえ。シルクみてえな手触り」
「ça suffit!」
篠原がすかさずその手をはたき落とす。大型動物が平原のほうへ歩き去ったのを確認してから、フランス語で成田に怒鳴り散らし、やおら日本語に切り替える。
「刺激するなっつったのに、なんで刺激するような真似すんだよ、おまえは。頭がどうかしてんのか? しょうもねえ衝動をコントロールできねえのか?」
成田がなだめるように両の手の平を向ける。「なあ、おれはただ――」
「黙れ、クソ馬鹿が。あのデカブツが素通りしたのは、極めつけに運が良かったんだ。おまえが馬鹿げた方法で自殺するのは勝手だけどな、おれらを巻き込むな。わけわかんねえ動物に手を出すんじゃねえよ」
「りょーかい、船長。金輪際、美しい動物に手は出しません。でも一個言っていい? 尻尾をちょっと撫でただけだし、なんも起こりませんでしたけど?」
「おまえ、日本語理解できてる?」
「おフランス帰りのあんさんより理解でけてへん道理がありますかいな」
ったく、とアキラは二人のあいだに割って入る。お調子者の成田が篠原の怒りの火にガソリンをじゃぶじゃぶ注ぎ続けたら、血が流れる。今はこらえているようだが、篠原は喧嘩っ早い。成田も。
「はいはい、やめやめ。ストップ、ストップ」
篠原が無視する。
「問題はだ、お気楽で無分別なことばっかやってるド低能がここにいることだよ。何が起こるかわからねえ状況にも関わらずな。マジな話、脳みそあんのか、ナリ?」
「蛙の国から来たにしちゃ日本語がとてもお上手でいらっしゃる」
一触即発。
アキラは伸ばした片手で篠原を、もう片方で成田を押さえる。
「おまえらやめろってば。ナリ、今のはおまえが悪い」
「〝蛙の国〟は取り消しましょう」
「じゃなくて、尻尾を撫でたこと。あれはぼくもどうかと思った。軽率すぎる」篠原に顔を向けて、「シノも言葉がキツすぎる。気持ちはわかるけどさ、もうちょい言い方を考えなよ。小林、見てないで手伝って。この二人引き離すの」
いつもなら率先して動く小林が、のろのろと成田の腕をつかむ。その様子から、小林はメンタルの調子をだいぶ崩してるくさい、とアキラは心配になる。
成田が柔らかい声音で言う。「腹が減ってるせいだ」
「腹?」とアキラ。
「ああ」篠原が同意する。「腹が空いてカリカリしてたかもな。でもナリ、今度アホな真似したら、口からクソを吐くまで蹴りまくるからな」
成田が抜き撃ちガンマンの真似をする。「おいらのが速いぜ」
いつものじゃれ合いに近い。
少なくとも、火花が散りそうな張り詰めた空気は、もうない。
「行こう」
四人は平原を越え、次の森に入り、小休止を取り、また前進する。
アキラは休憩のたびに地図を描き足すが、実際のところ、描くべきものは少ない。目印になるものがないに等しい上、目に入るものときたら似たり寄ったりの地形ばかり。次第に、同じ場所を延々と歩き続けているような錯覚に陥る。
時折、狐や狸に似ていなくもない動物がぱっと道に出、人間の姿を見るなり森の中へ戻っていく。灰色の大きな鳥が川べりで羽を休めていたり、鹿っぽい大型獣が対岸に現れたり。皆、疲れが見える。カラフルな昆虫を発見するたびに騒いでいた成田でさえ、目に見えて口数が減っている。そろそろ一時間か二時間の長い休憩を取ろうかというとき、ふたたび開けた場所に出る。しかし川幅が急激に狭くなり、丈高い植物が両岸に繁茂しているせいで、森の中と同じくらい見通しが悪い。青空が広くなったのがせめてもの救いだ。
「異世界のヒマワリ畑って感じスね。ていうか、トウモロコシ畑?」成田が手近の房をもぎ取り、濃緑色の皮を剥く。「トウモロコシかと思ったら、中身は赤いぶつぶつでした。食えんのかな、これ」
「試すなよ」と篠原。
成田が房を放り捨てる。「なーんかさあ……人の手が入ってません? ここ」
「だな」篠原が植物の根元を指さす。「茎が等間隔に並んでる、計ったみたいに。農地じゃないか?」
「おっとう、とうとう異世界人と接触ですか?」
「馬鹿、声を落とせ。何が起こるかわかんねえだろうが」
「へいへい」成田がぐっと背伸びして、緑の壁のように生い茂っている植物の向こう側を覗こうとする。「しっかし邪魔だな、このトウモロコシっぽいやつ。なんも見えねえ。コバっち、どう? なんか見える?」
長身の小林がその場で飛び跳ねて、三度めか四度めのジャンプの最中に「お!」と声を上げる。「家! 家があんぞ!」
篠原が小林の視線を追う。
「向こう岸か? あと、声を落とせ」
「悪い」と応じながらまた跳ねる。「結構遠いし、ちらっとしか見えねえけど、ゼッテーそう」
「どんな家?」
「なんか、フツーの木造? でも遠すぎて――ちょい待ち」小林がスマートフォンを取り出して電源を入れ、その腕を上に目いっぱい伸ばしたり、そのまま飛び跳ねたりして写真を何枚か撮る。一枚ずつ拡大表示しながら舌打ちする。「駄目だわ。畑がくっそ邪魔。あとは方向がずれてるか、ぼやけてる」
篠原が横から写真に一瞥をくれる。「家は一軒だけ?」
「いや、二、三軒あった」
「変わらず圏外か」
「んん」タッチパネルを見つめる小林の顔に、苦痛に似た色がよぎる。
「ゆうべの時点で、スマホが大活躍するパターンは消えとりますがな」と成田。
篠原は無視する。「小林、ちょっといいか?」
「何?」
「おまえ一番背が高いだろ? 雨宮を肩車してくれ。で、雨宮が問題の家と、ここら一帯の写真を撮る。迂闊に近づいてクソを踏まないように、できるだけ情報を集めたい」
小林がその頼みを吟味するように小刻みにうなずく。「あー、オッケ。アキラなら軽そうだし」
「それもあるけど、雨宮はかなり目がいい。もし住民が辺りにいたら、遠くでも見つけられる」
「用心しすぎじゃね?」と成田。
篠原がきっと睨む。「このふざけた状況で用心しなくてもいいもっともな理由を述べてみろ。小林、雨宮、やってくれ」
「よし、来い」小林がスポーツバッグを地面に下ろしてしゃがみ込み、アキラがその肩に跨ってから、ゆっくりと立ち上がる。「何気に重いな。バランス取るのムズ」
「雨宮、頭突き出すなよ」と篠原。
「わかってる」
小林の肩の上で、アキラは前屈みになる。そろそろと首を伸ばして、道先のほうから一渡り眺め、対岸に目を凝らす。小さな丘の手前に、確かに家がある。
「あった。家と……納屋? 倉庫かな。なんかそんな感じの割と大きな建物が二つ、家からちょっと離れたとこに並んでる」
「住民は?」篠原が小声で尋ねる。
「見える範囲には誰も」
「ほかに建物は?」
「ない。いま見てる三つだけ」
「ここから家までどんくらいある?」
「六五〇……はないな。六三五メートル」
「その数字、どっから出てきた?」股の下から小林が尋ねる。
「雨宮は距離がわかるんだ」篠原が代わりに答える。
「どうやって? アプリ?」
「じゃなくて、絶対音感の距離バージョン。脳がそんな風に出来てる」
「へえ?」
「特殊能力みたいでカッケエじゃん」と成田。
「こんなの、普段はまったく使いどころがないけどね」とアキラ。例えばゲームとか。二五インチのモニターに映るゲーム画面には目測がまったく働かず、射距離を把握するためにいちいちレーザー測距計で……
ともかく、アキラは携帯端末を構えて、最高画質、最大倍率で三つの建物を写真に収める。
「拡大したらぼやけるけど、雰囲気がわかる程度には撮れてる。ほら」
篠原が携帯端末を受け取り、写真がデジタルの印象派絵画と化すまで拡大する。「スマホのカメラじゃ限界があるか。雨宮、どんな感じの建物?」
「木に隠れてて見えにくいけど……三つとも木造。コンクリとかトタンじゃないのは確か。よくある外壁用のタイルも使われてない。左端の家は、なんかこう、子供の絵みたいに単純。箱型で、三角屋根があって、窓が幾つもある。結構デカい。倉庫っぽい二つも屋根が三角。でも窓が少ない」
「誰もいないんだな?」
「動いてるものは何も。家の周りにも、見える範囲にも」
「トラクターや車は? もろ車じゃなくても、それっぽいのは?」
「あー……ない。見当たらない」
篠原が携帯端末を返す。「ほかの場所を頼む」
アキラは自分の股座に声をかける。「小林、左のほうに九〇度回れる?」
「落ちるなよ」言いながら、小林が一歩ずつ回転する。
「ストップ」アキラは道先の写真を撮り、小声で情景を説明する。「川沿いにトウモロコシ的な畑がずっと続いてる。正面の……七五〇メートル先の低い丘の上まで。丘の右側の斜面に葡萄畑みたいのがある。境目がはっきりしてるし、直線的だから、自然の木立じゃない。丘のずっと左のほうは、一キロ先に森」
「建物は?」と篠原。
「ないね。人影も」アキラは左側に上半身をひねる。「川のこっち岸は畑ばっか。八〇〇メートル先に森。建物も人影もなし。畑の陰になってて見えないだけかも」
左岸も撮影してから、携帯端末をふたたび差し出す。
篠原が受け取りながら言う。「ほかにも家があるはずだ。ないとおかしい」
「広いからか?」と小林。
「そう。今わかってるだけでもざっと二五〇エーカー。原住民がどんな連中か知らねえけど、ひと家族で管理するには広すぎんだろこれ。川沿いにあるっていう丘の裏が怪しいな。町でもあるんじゃないか」
「じゃあ……町を探す感じ?」小林の声は気乗り薄だ。
「いや、今は無闇に動き回りたくない。アプローチの方法はともかく、おまえが最初に見つけた向こう岸の家が手ごろだ。悪い、二人とも。もういいぞ。ありがとう」
「どっかに橋が架かってるんじゃね?」成田が、鋭いカーブを描いている下流のほうへ進む。
「おい、ナリ、どこ行くんだ?」と篠原。
成田が不可解そうな顔になる。「〝どこ〟って家に行くんでしょ? え、行かねえの?」
「行くとも。食料がろくにない現状、行くしかない」
「だったらなんで止めたわけ?」
「どっかの考えなしが原住民の住まいにずかずか乗り込んで、ことによると相手を死ぬほど驚かせようとしてるからだよ」と篠原。
「お行儀良くしますってば。ずかずか乗り込んだりしませんよ、あたしゃ」
「行儀の問題じゃねえ。地球仕込みの行動様式と先入観が問題なんだ」
成田がわざとらしく天を仰ぐ。「この世界の住人は靴を履いてて、家に住んでて、しかもこの……なんだかよくわからん赤いぶつぶつを育ててる。洞窟暮らしのネアンデルタール人じゃない。とりま農耕文化に達してる文明人です。礼儀正しく振る舞えば、お茶に誘ってくれるかもしれない人たちとも言える。これは先入観とかじゃなくて、事実の観測に基づく演繹から導き出された蓋然性高めの論理的な仮定なんですけど」
「気のいい田舎農夫みたいな連中って前提だろ、それ」
「そこも訂正させてもらうと、文明社会に暮らす知的な存在っていう前提」
「文明が高度になればなるほど、知的な存在は異質なものを無暗に忌避するって点が抜け落ちてるぞ。肉体上の相違が大きいとき、相手から見たおれたちは化け物か、良くて下等な存在だ。その場合、どんな反応が返ってくるだろうな?」
「珍獣扱い?」
「歴史を見ろ。肌の色が違うだけでスポーツみたいに殺し合ってる」
「おやおや? それって地球仕込みの先入観では?」
「つまらねえ揚げ足を取って満足か? 最悪を想定しろっつってんだ」
成田が降参するように両手を挙げる。「ほいで? どうすんの?」
「住民を観察する」篠原が言う。「外見はともかく、着てる物と使ってる道具と振る舞いを見れば、文明の程度とおおよその気質に関して、まずまずの推測が成り立つ。もちろん、推測を間違う恐れはある。でも手掛かりゼロよりはマシだ。だから気づかれないように近づいて、観察する。ばったり出くわしたときは……覚悟を決めて即興でやるしかない」
「つまり、ストーカーになるわけか」
「文句があるなら理に適った代案を出せ」
「いえ、文句なんてないですとも。それでいきましょう」
小林が呆れ口調で言う。「おまえら喧嘩してないと死ぬ病気にでも罹ってんの?」
「違うと思うな」とアキラ。「きっと歪な愛情表現なんだよ」
篠原が目を剥く。「雨宮、おまえまでナリみたいな口利くなよ、頼むから。ステレオでたわ言を聞かされるとマジで気が狂いそうになる」
「ごめん。でも冗談でも言ってないと……こう……」
「わかるよ。でもやめろ」篠原が携帯端末をアキラに返す。「雨宮、先頭頼む。おまえの目を当てにしてる。どんな動きも見逃すな。なんなら、畑の植物が少し揺れるたびに止まるぐらい――やりすぎってぐらい――慎重にやってほしい。臆病な兎になったつもりで」
「了解。一応、斥候のやり方は知ってる」
「どこで習ったんだ、そんなもん」篠原が不思議そうに尋ねる。
「いや、ゲームの話。FPSの」
「とにかく慎重にな」
「了解」
篠原が全員の顔を眺め渡す。
「緊急手順を決めとくぞ。問題が発生したときは絶対に、出鱈目に逃げるな。迷子どころか遭難しかねない。逃げるときは、この道沿いに、来たほうへ戻る。隠れるにしても、なるべく道を確認できる場所にする。それなら万が一はぐれても、ほかのやつと合流しやすくなる。ナリ、復唱しろ」
「だいじょぶ。理解しました」
「復唱しろ」
嘆息。「テキトーに逃げない。来た道を戻る。道に近いとこに隠れる」
「今からお喋りはなしだ。周りに注意して、少しでもおかしいと思ったら声をかけろ。いいな? 雨宮、行ってくれ」
アキラはゆっくりした足取りで下流側のカーブを曲がる。そこから先は――小林の肩の上で見たとおり――川がほぼ一直線に流れている。緑の壁に挟まれた通路を進むようなもので、数百メートル先まで見通しが利き、どれほど些細な動きであっても見逃すほうが難しい。逆に、付近にいるかもしれない住民から発見されやすくなったのも確かだ。
とはいえ、辺りは静かだ。
動きどころか、気になる物音一つ聞こえてこない。風に撫でられた畑から葉擦れの音が響いたり、たまに極彩色の小鳥が地面から飛び立ったりする点を除けば、世界が静止したかのような印象すら受ける。
そして、大して進まないうちに橋を見つける。川に渡された数本の丸太に板切れを打ちつけただけの、ごく簡便な代物。向こう岸では、畑を突っ切るようにして小道が伸びている。
「あの横道、さっきの家のほうに行くんじゃない?」とアキラ。「方向は合ってる」
「橋を渡ったら――」篠原が囁き返す。「道をはずれて、畑の中を進もう。人が通れるくらいの隙間はある」
「マジすか」と成田。「野菜泥棒と間違われんじゃね?」
「見つかったらな。雨宮、先頭、代わるか?」
「大丈夫」
後続の三人が丸太橋を渡り終えるのを待ってから、アキラは畑の中に足を踏み入れる。穂先を揺らさないように横歩きし、行く手を遮る大きな葉や房を手で払う。視界はほぼゼロだ。『SNAFU』を思い出すじゃん。あの農場マップはディフェンス側がめっちゃ有利だったっけ。
横歩きすること一五分、前方で、太い茎や葉っぱの隙間からちらちらと光が射す。アキラは背後に向けて片手を突き出す。
「畑が終わる」
「ナリ、小林、ここで待ってろ」後続の二人に声をかけてから、篠原が前に向き直る。「雨宮、ゆっくりだぞ。猫のように動け」
ほんの一〇メートルかそこらでミニチュアのジャングルが途切れる。その境界線でアキラと篠原はしゃがみ、葉の隙間から外の様子を窺う。
「あれか?」
「うん。丘を背にしてるし、横に生えてる木がおんなじ」
根菜か何かの畑の向こう、五〇メートル右手にくだんの家。ペンキも何も塗っていない木造二階建てで、屋根はおそらく、スレート敷き。あるいは、スレートに似た建材。全体的にかなり年季が入っている。その奥に並ぶ倉庫のような二つの建物も、やはり古そうだ。
「こうして見るとほんとフツーの家だね。ボロいけど。人かな、住んでるの?」
「かもな。住居の発想が人間のそれと似すぎてる。というより、西欧の発想と」
「雨戸がぜんぶ閉まってる」
「鎧戸っていうんだ。横板がヴェネチアン・ブラインドみたいになってるだろ」
アキラは鎧戸を順繰りに見、眉をひそめる。「今、昼過ぎだっけ?」
「ああ。なのに閉め切ってる」
「留守っぽいね」
「シエスタの習慣でもあるのか、そこらで野良仕事してるだけか……。もうちょい近づこう。の前に、あいつらにひと言いってくる。待ってろ」
篠原が数分で戻ってくる。
「よし、行こう」
二人は数メートル後退し、境界線に沿って畑の中をそろそろと進む。度々足を止めては、家と倉庫を新しいアングルで眺める。
「母屋も倉庫も、カンペキに閉め切ってるな」
「真ん中のはやっぱ納屋かな? 干草が周りに積んである」
「おい、あれ。納屋と倉庫のあいだにある荷車。見てみろ」
アキラは最初、荷車の何に注目すべきなのかわからず……ああ、と酪農を営む北海道の親戚宅にあった荷車とは決定的に違う部分を認める。
「ぜんぶ木で出来てるね。車輪まで木だ」
「いま気づいたんだが、辺鄙なクソ田舎の一軒屋であろうとも、あって然るべきものがない」
家と納屋と倉庫を順繰りに見やって、「えーと?」
「電柱と送電線。あるか?」
「いや、ない……と思う。うん、ない」
「さっき小林の上から見たときどうだった? 辺りに電柱あったか?」
アキラは記憶を反芻する。「なかった。一本も見てない」
「となると、おれらの歴史で言う一九世紀末から二〇世紀初頭に相当するのかもな。たぶん。もしかしたら」
「この世界が?」
「ああ。楽観的に見積もって」
「根拠は?」
「おれが読んだ本によると、電気が発明されて爆発的に広まったあとも、何十年かのあいだ、クソ田舎じゃランプと蝋燭の生活を送っていたんだと。その頃は馬車が現役で、木製の道具がたくさん使われてた。これ、先進国の話だぜ?」
「漠然ともっと古い時代にいると思ってた。そっか。そういう可能性もあるのか」
「つっても、この世界の事情はさっぱりだから、あんま当てにならねえけど」
倉庫の正面まで進んだところで、畑を分断している小道にぶつかり、アキラは左右を覗き見る。
「誰もいない」
「いやに静かだな」
「虫もいないね」
篠原が一瞬、何を言われたのかわからない顔になる。「虫?」垂れ下がっている葉や、柔らかい土の地面を見回してから、「ほんとだ、一匹もいないな。森の中じゃ結構いたのに。農薬でも使ってんのか?」
「シノ、行き止まりだし、そろそろ戻らない?」
「だな。ナリのやつが騒ぎ出す前に、いったん戻ろう」
「おい……おい、起きろ」
肩を揺さぶられてアキラは目をしばたく。仮眠のつもりが、熟睡していたらしい。すぐそばの地面では、同じく仮眠を取っていた成田が、枕代わりの鞄から頭を起こしたところだ。
「時間?」アキラはしわがれ声で尋ねる。
「ああ」篠原が腕を引っ込める。「おまえらの番」
「小林は?」
「まだあっちにいる」
成田が伸びをする。「いま何時?」
「四時ちょうど」
すでに日が傾き、似非トウモロコシ畑の中は影が深くなり始めている。あと一時間もすればお互いの姿が闇に沈み、自分のたなごころも見分けがつかなくなりそうだ。
成田が目をこすり、首の後ろを揉む。「なんか進展はございました?」
篠原が首を横に振る。
「じゃあ……この四時間半、誰も家から出てこなかったし、戻ってこなかったし、そこの道に人通りもなかったわけだ。監視の意義を承知した上で一個提案があるんだけど、怒らないで聞いてくれる?」
「それは約束できねえけど、言ってみろよ」
「もうちょい積極的に動いてもいいんじゃないスかね?」大あくびをしてから、「おれらが何時間もぼけーっと見張ってるあの家は、明らかに留守でしょ。調べ物するのに好都合だと思わん? この世界のこととか、住人のこととか、そういった手掛かり的なやつ」
はたで聞いていたアキラは、篠原がまたぞろいら立つのを予想する。
ところが、そうはならない。
「調べる方法は?」と篠原。
「ステップ1、出て行って玄関をノックします。ステップ2、ご不在ならドアと窓を試して――なんなら窓を破って――ちょっとお邪魔します。ステップ3、レッツ家捜し。もちろん、言いだしっぺのおれがやりましょう。おまえらはここで待機。どう?」
「実を言うと……おれも似たようなこと考えてた」
「マジ? じゃあ今から――」
「いや、まだだ。畑仕事か何かで出払ってるだけなら、そろそろ戻ってきてもおかしくない。こうしよう。日が落ちるまで待つ。動きがなければ、ほかにも家がないか辺りを調べる。あったら在宅かどうか確認する。いきなりノックはなしだ。おれも行く」
「別に保護者は必要ないんですけど。ほんっと信用ないのな」
「そうじゃねえよ。二人なら、お互いの死角をカバーできる。二人なら、不法侵入の実行と見張りって具合に役割分担できる。二人なら、割合安全かつ目立たず動ける。でも二人以上は駄目だ。見つかるリスクが高い」
「空き巣の権威みたいな言い草だな。何、経験者?」
「おれはおまえと違って、いつも頭を使ってるんだ」
成田がまた大あくびをする。「上手くいけば食いもんが手に入るかも。あー、マジ腹減った」
「断っとくが、最優先で探すのは地図だ。食い物関係は特に慎重にやるぞ。原住民には栄養満天でも、おれらには青酸カリの同等物かもしれない」
「わあってますって」




