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第1章 転生先は決戦前夜?!


 鈍く光る液晶画面から放たれるブルーライトが、土門翼の疲れた顔を不自然に照らしていた。オフィスの蛍光灯が放つ白い光と相まって、彼女の肌は青白く、血の気が失せたように見える。

「今日も占いどおり…」

 翼は溜息をつきながら、スマートフォンを見つめた。画面には「今日は最強の日。運命が変わる」と表示されている。朝からこの言葉を信じて行動してきたが、現実は真逆だった。

 同僚たちが誘ってくれたオシャレなカフェランチを断り、占いの「人類は麺類」という謎メッセージに従って一人でラーメン屋に行った結果、食べ過ぎて午後は居眠り続き。おまけに書類のミスで上司に怒鳴られ、今は深夜の残業を強いられている。

「運命が変わるどころか、最悪の一日じゃない…」

 長い黒髪をポニーテールに結んだ翼は、肩のこりをほぐすように首を回した。タイトなグレーのスーツは午後からすっかりシワシワになり、化粧も崩れている。デスクには空のコーヒーカップが三つ並び、疲労の証拠となっていた。

「もう帰ろう…」

 翼は重たい体を引きずるように立ち上がり、バッグにタブレットと書類を詰め込んだ。最後にスマホを手に取り、明日の占いをチェックする。

「え? 同じ…?」

 画面には昨日と同じ言葉。

「今日は最強の日。運命が変わる」

「バグってるの?」

 首を傾げながらオフィスを出た翼は、夜の東京の喧騒に飲み込まれていく。アスファルトに反射する街灯の光、コンビニから漏れる蛍光灯、行き交う車のヘッドライト。様々な光が交錯する都会の夜。

横断歩道に差しかかったとき、スマホが突然けたたましく鳴った。

見慣れないアラートだ。

「これ、なに?」

画面に目をやった瞬間、轟音と共に激しい衝撃が翼を襲った。

「きゃあっ!」

体が宙を舞い、意識が遠のいていく。最後に見たのは、信号無視で突っ込んできた大型トラックのヘッドライトだった。


「翼殿、土御門翼殿、起きてください! 軍議の時間でございます。殿はお待ちです」

 低く落ち着いた男性の声が、翼の耳に飛び込んできた。頭がズキズキと痛む。体が重い。

「うっ…痛い…」

ゆっくりと目を開けると、そこはどう見ても現代のオフィスではなかった。土壁に囲まれた和室。所々に燭台が置かれ、柔らかな灯りを放っている。

「どこ…ここ…」

目の前には、髷を結った中年の男が正座していた。渋い茶色の裃を着け、腰には刀を差している。眉間にはシワが寄り、翼を心配そうに見つめていた。

「翼殿、ご体調はいかがですか? 昨夜の儀式の疲れが残っておられるのでしょうか」

「儀式?」

翼は混乱したまま自分の体を見下ろした。身に着けているのは、どう見ても昔の衣装。鮮やかな紅色の表着に緑色の袴。袖口には複雑な紋様が刺繍されている。髪は長く、黒く艶やかで、簪で緩くまとめられていた。

「こ、これ、どうなってるの?」

「軍師殿、お急ぎください。清洲城本丸の大広間で皆が待っております」

「ぐ、軍師???」

男は翼の様子に首を傾げながらも、せかすように立ち上がった。どうやら現状を理解するには、言われるまま従うしかないようだ。


大広間は緊張感に包まれていた。中央に座る男—おそらく殿様—を中心に、左右に武将たちが整然と並んでいる。皆、甲冑姿か裃姿で、重々しい表情を浮かべていた。

木の香りと汗の匂いが混じり合う中、翼は案内に従って末席に座った。膝を崩さないよう気をつけながら、状況を把握しようと周囲を見回す。

「軍師殿が参られた。軍議を始める」

左側最前列の男が一言発すると、場の空気が一層引き締まった。

(ぐ、軍師って…も、もしかして私?)

翼の横には若い男が座っていた。鋭い眼光に高い鼻筋、引き締まった顎。体からは若さが迸っている。他の男たちは、皆、不機嫌そうな表情が浮かんでいる。

(な、なんか、ヤバそう)

「昨日、今川義元が三河岡崎城に到着。松平元康を先鋒として大高城・鳴海城救援のため進軍を開始しました。その数、二万五千」

報告する武将の声に、場内がざわめいた。

「松平元康隊が大高城に兵糧を搬入成功、鳴海城周辺では今川軍前衛部隊が各地を制圧しています」

「に、二万五千人だと…我が軍は集めてせいぜい二千…」

「ここは籠城か撤退しかあるまい」

家臣たちの声が飛び交う。翼にはさっぱり意味がわからなかった。

(今川って? これっていつの時代なの?)

横に座っている若い武将に小声で尋ねた。

「あの…今っていつですか?」

「え?いつって言われても、永禄三年ですよ。五月十八日」

(永禄って…いつ?)

「ここはどこですか?」

「何言ってんですか?清洲城、尾張の清洲城です。どうかしましたか?」

(尾張の清洲…清洲って、もしかして!!)

「ちゃんとしてください。駿河の今川義元が織田を攻めてきて大変なんですから」

その瞬間、翼の頭に閃きが走った。

(織田、今川義元…教科書で見たことがある…尾張ってことは…も、もしかして、あの人、織田信長!?)

歴史の教科書で見た桶狭間の戦いの直前—永禄三年(1560年)五月。どうやら翼はタイムスリップして、戦国時代の織田信長の軍議に参加しているらしかった。

その間にも、軍議は進んでいく。家臣たちは今川との圧倒的な戦力差を考慮して、籠城策を主張していた。中央の男—おそらく信長—は黙って聞いている。

突然、武骨な顔立ちの武将が翼に声をかけた。

「軍師殿はいかがお考えか?」

周囲の視線が一斉に翼の方を向いた。

「えっ、私?」

「この席で軍師といえば、其方しかおるまい」

「えーと…えーと…」

返答に窮していると、突如、翼の懐からピロロンという音が鳴った。

(なんで??電波通じてるの?)

反射的に手を入れると、そこにはスマートフォンがあった。画面には:

『先手必勝!早く動いたもんが勝ち』

「軍師殿、お考えはいかに?」

無骨な武将は、翼に迫ってくる。

焦りのあまり、翼は画面に表示された言葉をそのまま読み上げた。

「先手必勝!早く動いたもんが勝ち」

「先手必勝だと?それは攻めろということか?」

「十倍の敵に戦を仕掛けるなど、あまりにも無謀!」

「陰陽師の名門・土御門家の言葉とはとても思えぬ」

反発の声が高まる中、信長はじっと目を閉じたままだった。

「やはり女子に軍師が務まるわけはない」

その言葉を聞いた瞬間、信長はカッと目を開いた。鋭い眼光が部屋を一瞬で凍りつかせる。何も言わずに立ち上がり、退席していった。

家臣たちは慌てて信長の後を追った。静まり返った広間に残されたのは翼と、先ほど隣に座っていた若い武将だけだった。

「さすが軍師さま!俺っちもここまで来れば、やるっきゃないと思ってました!」

活き活きとした声色で武将が言った。筋肉質な体つきに、はじけるような笑顔。現代でいえばダンスグループのメンバーといった雰囲気だ。

「はあ…」

「先手必勝、イケイケですよね!あ、俺っちは、前田又左と言います。槍が得意っす!」

額に巻かれた鉢巻がその若々しさを引き立てる。鍛え上げられた腕は、何度も槍を振るってきたことを物語っていた。

「なかなか、かっこいい…」

翼は思わず呟いた。前田又左—後の前田利家だろうか。彼の活力は、この緊張した状況の中でどこか安心感をもたらした。


しばらくして、信長から呼び出しがあった。

案内された部屋で、信長は幸若舞「敦盛」を舞っていた。

「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻のごとくなり…」

艶やかな声で歌いながら、信長は優雅に舞う。洗練された動きの中に、野性的な力強さが感じられた。汗で濡れた額に、松明の光が反射している。

舞い終えると、信長は翼をじっと見つめた。

「先ほどはよくぞ申した。あれでワシの決意も固まった」

「えっ、はあ…」

「出陣する。そちもついてまいれ!」

「えっ!?えーーーっ!?」

あっという間に、翼は甲冑に着替えさせられていた。女性用にアレンジされた軽装の甲冑は、意外にも動きやすい。胸当ては赤く、袖には金の紋が施されている。

すでに馬に乗った信長の前に立たされると、彼は問うた。

「お前は馬に乗れるのか?」

「い、いえ…」

「仕方ない。ワシに捕まるがよい」

信長は翼を自分の馬の後ろに乗せた。馬上の信長の背中は予想以上に広く、頼もしかった。

「しっかりと捕まれ」

翼は恐る恐る腕を信長の胴に回した。甲冑の隙間から伝わる体温と、鎧の冷たさが対照的だ。

「振り落とされるなよ」

信長が手綱を引くと、馬はゆっくりと走り始めた。やがて速度を上げ、清洲城の門をくぐり抜けた。

(う、嘘でしょ…私、織田信長と馬に乗ってる…)

翼は、なんだかわからなけど、胸の高まりを感じていた、

初夏の風が翼の頬を撫で、馬のひづめが大地を叩く音が耳に響く。甲冑がこすれる音、旗印がはためく音、武将たちの気合いの声。すべてが現実離れした体験だった。


信長はそのまま熱田神宮に向かい、参拝した。神社の空気は厳粛で、戦の前の静けさが漂っていた。古木の香りと線香の煙が鼻をくすぐる中、信長は深々と頭を下げた。

「タケミカヅチよ、勝利を授けたまえ」

参拝を終えると、残りの家臣たちが合流するのを待ち、一行は進軍を始めた。

前方を偵察していた忍びが、息を切らせて報告に戻ってきた。

「義元は大高城周辺の制圧を完了し、自軍主力を引き連れて尾張国内をゆっくり進軍しております。東海道沿いの丘陵地帯、桶狭間付近で休憩しているようです」

信長は満足げに頷いた。

「のどかに休んでいるか。我らがまともに攻撃を仕掛ける可能性は低いと思っているのだろう」

彼の読みが的中したことに確信を得た様子だが、具体的な策には迷いがあるようだった。

「軍師、何か良い策はないか?」

(そう言われても…)

困り果てた翼の懐から、再びピロリンという音が鳴った。スマホの画面には:

『10分後に、激しい雨が降ります』

「どうだ、軍師」

「もうすぐ激しい雨が降ります」

「雨だと…」

信長はしばし沈黙し、やがて不気味な笑みを浮かべた。その笑顔には、何かに取り憑かれたような狂気が宿っていた。

「雨が降り次第、進軍する。旗指物はここに置け!」

命令は即座に伝えられ、軍勢は準備を整えた。

間もなく、空が暗くなり、雷鳴が轟いた。ゴロゴロという音が山々に響き渡る。そして、突然の豪雨。滝のような雨が織田軍を包み込んだ。

「進め!」

信長の号令と共に、軍は動き出した。雨粒が甲冑を叩く音、泥濘を踏み締める足音、それらは豪雨の音にかき消されていた。

ザバザバと水溜りを踏み抜きながら進む兵たち。視界は悪いが、それは敵にとっても同じこと。むしろ、豪雨は織田軍の奇襲を助ける自然の同盟者となっていた。

やがて、今川本陣が見えるところにたどり着いた。丘の上から見下ろすと、今川義元の本陣は天幕の中で休息し、兵たちも雨宿りに集まっている様子だった。誰も織田軍の接近に気づいていない。

信長は間髪入れず号令を発した。

「かかれーッ!」

「うおおおおっ!」

騎馬隊を先頭に、織田勢が一斉に襲いかかった。急坂を駆け下りる馬のひづめが、ズシン、ズシンと大地を震わせる。

「敵襲ーッ!」

今川軍が気づいたときには既に遅く、織田軍は雨と共に彼らを飲み込んでいた。

ジャキン! カキン! ドドドド!

刀と刀がぶつかり合う音、弓矢が空気を裂く音、馬が駆ける音。戦場は混沌と化した。

信長は先頭で、まるで鬼神のように敵を薙ぎ倒していく。

「敵の首魁を探せ!義元を討て!」

その声に応え、織田軍は今川本陣に殺到した。

混乱の中、ある武将が叫んだ。

「義元様!お逃げください!」

今川義元の姿が見えた。立派な甲冑に身を包み、周囲の警護に囲まれている。しかし、その表情には明らかな動揺が見て取れた。

「退くぞ!」

義元が撤退を命じた瞬間、一人の織田の兵が槍を構えて突進した。

ズバッ!

鋭い槍が義元の喉元を貫いた。血しぶきが雨に溶け、赤い川となって流れていく。

「義元様ーッ!」

悲痛な叫びと共に、今川軍の士気は一気に崩れた。

「義元様が討ち取られた!」

「勝ったぞ!」

織田軍の歓声が戦場に響き渡る。雨は依然として激しく降り続けていたが、それは今や勝利の雨となっていた。

翼は馬上から呆然とその光景を見つめていた。まるで夢の中にいるような、しかし生々しい現実。歴史の教科書で読んだ桶狭間の戦いが、今、目の前で展開されていたのだ。

「軍師」

振り返ると、信長が立っていた。その顔には満足げな笑みが浮かんでいる。

「お前の言葉と予言が今日の勝利をもたらした。土御門翼、ワシはお前を正式に織田家の軍師として迎えよう」

信長は翼の前に跪き、深々と頭を下げた。周囲の武将たちも次々と頭を下げる。

(え、こんなことになるの?)

翼の頭の中は混乱していたが、ふと懐のスマホが震えた。表示されたメッセージは:

『運命が変わった』

翼は思わず微笑んだ。

「ありがとうございます、信長様。これからもお力になります」

雨は徐々に弱まり、戦場に太陽の光が差し始めた。これから始まる新たな人生に、翼は期待と不安を抱きながら、信長の後ろに続いた。



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