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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

硝子の隠遁者と竜の巣

作者: 徘徊猫

 弾けるような若々しい肌に、艶のあるくすんだ白髪。それを隠すように暗色のフードと外套を羽織っている。その目は硝子のように澄み渡り、全体的にぼやけた印象が神秘的な空気を醸し出している。

 その少女は今、薪を拾いに森に足を運んだところだった。これから寒い冬が来る。暖かな一室で読書に耽るのは素晴らしいことだが、凍えてしまえばページを捲るどころではなくなる。

 悠々自適に過ごしているといえど、少女にとっても冬は色々と寂しくなる時期ではあるのだ。そう思うと自然とため息が出るが、こんな辺鄙な場所では幸せが舞い込んでこないと思えば割り切れる。変化のない日常は見栄えが悪くとも、水が岩に染み込むようにじっくりと楽しむものだから。

 少女自身も活力を無理に捻り出すほど活発な人間ではない。家から出るのは最小限に留めている。とはいえ、先程からどうも森の様子がおかしいことに気づき始めていた。バサバサッ、と羽ばたく音が頻りに聞こえたかと思えば、それ以外は不気味なほど静寂に包まれている。まるで恐ろしいものから息を潜めるように。


 突如、少女を大きな影が覆った。空を見上げると、視界の八割を覆い隠すほど大きなドラゴンが飛んでいた。その目は前方を見据えて、幸いにもこちらには気づいていなかった。或いは気にかける価値もないと見逃したか。

 それは森を越えて人里のある方向に向かっていた。これほど大きなドラゴンであれば、襲来する前に衛兵たちが駆けつける余裕はあるだろうが、被害は大きなものになるだろう。他人事のように、少女はそう考えた。

 過ぎ去った嵐のように、次が来るまでは一息つける。ただ奇妙なのはドラゴンはここに来るような存在ではないということだ。竜騎兵が騎乗するような小さな種ではなく、何処かの洞窟の主でもやっていそうな巨大なドラゴン。

──思い当たる可能性は一つしかない。

 「そういえば、そろそろ時期なのね」

 竜災と呼ばれる災禍が間もなく幕を開ける。飛来する竜たちが通った場所には荒れ果てた土地しか残らない。人の財産と呼べるものは廃虚へと変わり、歴史の傍流は塵へと消える。

 人もドラゴンも争い、或いは共食いしながらもその大地を血によって潤すのだ。どちらかが全てを支配するまで。

 「……戻りましょうか」

 隠遁者としてはどちらも興味はない。家に残された家族ともいえる子どもたちが無事大人になるまで面倒を見て、折を見て人のいる場所に返すだけだ。

 これからは引っ越しも考えなければならないかもしれない。そう思うと少し憂鬱だった。


 ✽


 それは家といっても、部屋がいくつかある程度の質素なものだった。外に畑や植物が置かれても、目立つようなものは何も無い。置いたところで客が来ないからだ。

 ……告げなければならない。

 「二人とも、ここを出る支度をして」

 まだ背の低い男の子と女の子。私の言葉に片方は驚いたあと怪訝そうに、もう片方は胸の前に手を握り締めて私を見詰める。

 「どうしてですか?」

 「そろそろ竜災が始まりそうだからね。巻き込まれる前に遠くへ逃げないと」

 リュッカ、それがこの男の子の名前だ。正義感が強くて、人を見捨てられない。だから、彼は私の言葉に眉を吊り上げる。

 「落ち着いてよ……私たちだけじゃ、何もできないでしょ……」

 その様子を見て、優しくもおどおどした女の子のリスベルがリュッカを宥める。

 二人は私が拾った孤児で、それほど月日は経っていない。

 「見捨てるんですか? 先生」

 その目は鋭く私を貫く。私が静かに頷けば、彼は激情を抑えるかのように拳を強く握りしめた。

 「竜災は私には防げないから。一匹程度ならどうにかする方法はあるのかもしれない。けれど、そうであれば災害だなんて言われないよ」

 万を超えるドラゴンが人の生存圏を脅かす。それこそが竜災の恐怖だ。戦力を集中すれば防げるものではない。ドラゴンという波が城壁を乗り越えてなだれ込む。

 一刻も早くここから出たい。例え、夜であったとしても、何とか一つは山を越えておきたい。それほどまでに凄まじい被害を巻き起こす。

 自然界の強者が物量戦を仕掛けてくるのだ。力も、移動能力も、嗅覚も、人を超えた存在が数に物を言わせて攻め込んでくる。その羽根の届かない場所で、息を潜めて生きていくしかない。なぜなら、人にはドラゴンを絶滅させられる能力がないから。

 武器も、兵器も、あの硬い鱗を貫かなければならない。本来は人間同士が争う中で、そこまでの代物は用意する必要がないし、あったとしても数は少ない。特に、竜災は滅多に起きることはない。戦争がなければ、その心許ない備えすらも怪しいというのに。

 「乗り越えられる国はあるかもしれない。それは多くの血が流れる。私は君たちが離れるまでは守るつもりでいるし、ドラゴンであっても退けてみせる。けど、それは人のために戦うわけじゃない」

 逸れたドラゴン程度なら数も少ないだろうから、二人を守ることはできる。ただし、竜災に直撃されたら誰も生き残ることはできない。それは絶対という言葉で表せるくらいに。

 「あそこで仲良くなったやつだっていたんだ!」

 その言葉であっても、私は冷たく首を振る。森の奥にいるとはいえ、二人が人の輪へと戻れるように一番近くの人里に連れて行った。色んな人を知って、色んなことを学んでもらうために。

 送り迎えはしたが、私自身は人里まで降りることはなかった。だから、二人がどんな絆を築いてきたのかを知らない。しかし、リュッカの涙や蒼白した顔のリスベルを見れば、かなり親しくしていたのだろう。

 ……だから、告げなくてはならない。

 「もし友達のために残るなら、私は置いていく。最初に言ったはずだよ、庇護下に入れたのはついてきてくれたから。でも、そっちが離れるのなら見捨てる。それだけだよ」

 仮にも先生を誹謗する人間の言葉ではない。生徒の心に深く傷をつけることだと分かっているから。

 ゆっくり考える時間を与える暇はない。必要な言葉は口にした。そして私はこの場を去って、淡々と荷物をまとめる。

 この世界に都合の良い救いなどない。


 ✽


 二人はついてきた。

 何も言わず、ただ私の後について。


 どれくらい経ったのだろうか。考えもせずに歩いていたから、二人がついてきていることくらいしか考えていなかった。

 通りがかる度に多くの人を見てきた。家族を失い、故郷を失い、国を失った。おそらくそれから盗賊なり、生きていくために人から奪う人も出てくるだろう。

 私が考えていたのは、二人が離れたいと思った時に暫くは安心して過ごせる土地だった。いきなり殺伐とした場所に送りたくはない。そこから過酷な場所に流れ着いたとしても。

 私は二人の意見を尊重する。叶えてあげることはできないにしても、可能な限りは手を貸す。

 「……先生は、そんなに強いのに何故孤児だけにしか手を差し伸べないのですか?」

 家を出る前とは違う、少し荒んで低くなった声。それでもリュッカは己の正義感を手放さない。

 「孤児が頼れる人は少ないからだよ」

 強いから助けるわけではない。自分の命を助けられるくらい強くなっただけ。だから、誰かのために使おうと思えない。けれど、まだ力のない子どもに対しては手を差し伸べようと思った。

 「傲慢だと思う? それとも偽善者?」

 「そんなこと思ったことありませんよ!」

 リスベルは慌てて首を振って否定した。この子は昔から変わらないようだ。身体が成長して、私と同じくらいになっても私を見詰める眼差しは変わらない。


 「私は貴方達を尊重している。それは貴方達が自分の意志で私に付いてきているから。でも、それを考えられる機会を摘まれてしまった子どもがいる。全部の子どもを助けようとは思わないけど、目に入った子どもを拾って、教える。その子が自分の道を選択するまで」

 理由なんてものはない。強いていえば、暇つぶしなのかもしれない。

 ある日、教え子から言われたことがある。「人でなし」だと。自分でもそう思う。悲しいとか、そういう思いが湧き出ることなく、ただそうなのだと。

 先生として、これ以上の反面教師はいるのだろうか?

 「あとは貴方達が選べばいい。私は何も言わないし、聞かない」

 それは先生と生徒という枠組みから決して離れない溝。無関心とも、非情と思えるようなもの。


 ✽


 私についてくる限り、別れは突然やってくる。

 それは様々な理由で。

 竜災は滅多にないが、何度も経験した。竜の巣の近くで暮らしていれば、いつかは自然と起こることだから。

 他には、戦争だったり、飢饉だったり、森林の開拓だったり、地形の変化など多くのことがある。

 「先生は……これを発表しないんですか?」

 もう男の子とは呼べない、青年の顔つきになったリュッカ。その手には、私が研究してきたドラゴンと人間の相互作用に関する事が書かれた手帳があった。

 私は首を振った。わざわざそんなことをするつもりはない。

 「貴方が発表したいなら、その手帳を写してくれれば良いわ」

 ないと困るが、写されても困るものではない。

 リュッカはその言葉を聞いて、黙々と私の手帳を写し始めた。


 新たな家で、私はリスベルの淹れた紅茶を飲んで一息つく。

 「どんな内容……なんですか?」

 旅をしていた頃と違い、整った身なりななったリアベルが尋ねてきた。

 「大まかに言えば〝竜災〟が何故起きるのか、ということよ」

 人が文明を発展させればするほど、ドラゴンは人里に現れてその文明を滅ぼす。正確には、致命的な打撃を与える。人を喰らい、大地を荒らす。

 大昔ではドラゴンが神の使いではないかという説もあったが、今ではピラミッドの頂点に立つ生物として扱われている。

 ……人間と同じように。

 人は知恵を、ドラゴンは力を。

 知恵とは言ったが、結局のところ生きるための〝力〟だ。そこに大差はない。

 「人とドラゴン、それぞれ土地を奪い合っている。繁栄のためにはより広い土地、より多くの食料が必要。そして竜災が起きるタイミングは、ドラゴンがその土地が賄える資源を超えたときなの」

 とても簡単な話だ。家にご飯がないから外へと食べに行く。ドラゴンは繁殖能力こそそれほど高くはないが、それを補って余りある力と寿命。知恵を使わずとも、生まれたままで全ての頂点に立っている。

 「それは……人がドラゴンの土地を狭めてきたからってことですか?」

 リスベルはなんとも言えない表情をしていた。大方、人が自分の首を絞めたという話だろうか。

 「どっちもよ、リスベル。互いに決定打がないから、今もなお互いに争うしかない」

 もし人が土地を広げなければどうなっただろうか。とても簡単な話だ。人類はドラゴンの侵略に耐えきれずに滅ぶ。それだけだ。

 人は住む場所を選べる。だからこそ、ドラゴンと違って一箇所に固まることなく、その小さな命をほそぼそと繋いでいる。

 互いに手を取り合うなど、できるはずがない。なぜなら、互いが生きていくために必死だから。どちらかが圧倒的な強者ではないからだ。生存競争とはそういうものだ。

 人が繁栄する時期に、ドラゴンも繁栄する。だから、互いに数を減らして、増やしてを繰り返す。


 「では、なぜ研究しようと思ったのですか?」

 逃れられない因縁のようなものを振り払うように、リスベルは私を見た。奇妙に思うかもしれない、感情は執着とは縁遠そうな私が、この手帳の隅々まで埋め尽くすような研究をしていたのか。

 「……言ってなかった?」

 最近は細かなことまでは思い出せない。リスベルの様子からして、知らないようなので自分の長い物語について話すことにした。

 「簡単な話よ。私も、いつだったか、竜災で全てを失ったの」

 当時のことはほとんど覚えていない。それは既に風化した記憶で、何の意味もないから。

 父がいて、母がいて、町があって、国があって、みんながいた。子どもなのだから、よく笑う子だった気がする。

 それらは全て無数のドラゴンによって飲み込まれ、血に染まり、忘れ去られた。初めの手帳の最初に書いていたのは煮えたぎる復讐心だった。奪われたものを取り返すだとか、そんな感じのこと。

 色んなことをした。あの硬い鱗を突き破る方法だったり、その命を蝕む毒であったり、それを活かすための戦術だったり。あの頃はそれだけに明け暮れていた。

 だから、気付くのが遅かった。

 ……私の身体が、老いないことに。

 それは研究には都合が良いが、多くの権力者に狙われることも意味していた。それに対して思うことはなかったが、お陰で森の奥に住み着いて研究することがそれから今まで続く習慣になった。

 それからも徹底してドラゴンについて研究した。それは徐々に殺すためものだけでなく、知るためのものに変化したが。

 復讐心を忘れてしまうくらい、それほどの長い歳月が過ぎた。それくらい時間が経てば、人類の繁栄もドラゴンの力についても興味がなくなっていた。

 まるで糸の切れた人形のように。人と会話することもなく、一人で家に籠もる。身だしなみは整えていたが、言葉も危うく忘れそうになるくらいに。


 転機は竜災だった。

 巻き込まれればひとたまりもない。だから、私は引っ越すことにした。そして逃げる途中に孤児が足に抱き着いてきた。そのまま歩いて、しばらくしたら孤児が腹の音を鳴らしたので、食料を分けた。そして懐かれた。

 仕方なく、会話相手だと思って育てることにした。いつの間にか勝手に出ていったが、その間に他の子を拾ってを繰り返した。それが俗世から離れて暮らす隠遁者が生まれた物語。それだけの話だ。

 「もうそのことに関しては……何も思わないの。いや、思い出せないのかもしれない」

 時折考えていた、私に寿命はあるのかと。ドラゴンの血をずっと浴び続けてきたから、もう人間から外れているのかもしれない。少なくとも、心は既に別物に変化してるのかもしれない。記憶も、思い出すのは億劫だから時折昔の手帳を読み返している。

 「終わりがあるだけ良いと思うわ。人ではないにしろ、私はゆっくり余生を過ごせれば良いから」

 死を恐れているわけではない。というより、終わりがない方が困る。ただ、どうせなら痛みのないものが良い。

 「それに、今は編纂している歴史書もあるから」

 あまりにも長い人生、長過ぎて国は幾つも変わってしまった。ドラゴンを調べている内に、竜災の周期について調べることになった。それが人類の歴史を学ぶことへと繋がってしまった。趣味だと思えば悪くない。なにせ、多くの時代の変化をこの目で見てきたのだから。


 「先生……私は、私にとってはとても良い先生だと思います。先生は私を見放さなかったし、側にいることを許してくれた。私にとってはそれで十分なんです」

 彼女は万感の思いを持って私に伝えてくれているのだと思う。けれど、私の心は波風一つ立たないのだ。

 「私、思うんです。先生の心はその瞳みたいに澄んでいるんだって。だから、先生は人間だと思います」

 「そう……」

 共感できない。互いに分かち合うことができない。もしこの心が硝子のように澄んでいたとしても、それはとうの昔に砕かれているのだろう。

 「俺も先生は良い人だと思う。少なくとも、ここまで拾ってくれたことには感謝してる」

 リュッカも同じように私へ言葉を贈るが、それに対して頷くことしかできないのだ。


 「もう行くのよね?」

 なんとなく、二人は私の下から去っていくように感じた。

 「寂しいですか?」

 いつもと違って意地悪な、けれど震えた声でリスベルは尋ねる。

 「いいえ」

 私はいつも通り答える。

 「この研究成果は各国に広めて、〝竜災〟を解決する足がかりにしようと思っています。先生の成果を盗むのは心苦しいですが……」

 相変わらず不器用で、正義感の強いリュッカが決意を口にする。確かに、データは私が集めたが、それをまとめて伝えるのはリュッカの功績だ。そして、それはこれからのことでもある。

 「行きなさい、それが貴方の決めたことなら」

 背を押すことくらいはする。それが旅立ちの餞となるのなら。

 私はいつまでも雛を閉じ込める鳥籠ではない。羽ばたくというのなら、この子たちの意思に任せる。


 二人が頭を下げて去った後に、私は再び歴史書の編纂を始めた。私の歴史書なのだから、二人のことを付け加えたい。覚えている内に。


 ✽


 歴史は大河の如く、多くの傍流は海に辿り着くことは叶わない。けれど、いつの日か私は目にするのかもしれない。苦難と困難とを乗り越えて、新たな時代が始まる日を。

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