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浅緑  作者: 菜箸
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五、

今朝は早く目が醒めた。

妙に冷えたと思って、布団の裾を引っ張ると、立て切った硝子窓に斜めに打たれた雨の糸が白く光る。

懐中時計を見ると七時である。空が曇っていたから分からなかったが、存外穏やかに眠っていたらしい。

このまま寝っ転がっていてもいいが、春雨を零す雲翳のしなやかに、日の本を越えて、遥々神代の国まで三条の光線を洩らしつつ浸透したるが、私の想像の内に顕現して是非この雨に濡れたいと思ったので、私はにわかに布団から起き上がった。欠伸を添えて、防寒具の釦を留めながら、廊下を歩いていると、老人の部屋の戸がふと目に入った。老人も散歩に誘おうと思って、戸を幾度か叩いてみたが、まるっきり返事がなかったので、止しておいた。眼鏡とスーツを拵えた下宿人の欠伸を横目に私はこの宿の扉を開ける。春は眠たい。殊に雨においては、勤勉な人の視界をも濃やかな雨の内に曇らせて、浮世の世界に誘う。たいていの人はこの引力に身体をあずけるまいとして、吞み込まれるのみであるが、私は、春雨の手を引いて浮世の乾坤を建立しようと画策している。戸を押し開けて、浮世の乾坤に踏み込むと、雨が我が肌に染みて融ける。幽玄の春雨の地に落つるも、その柔らかさ故に一抹の波紋も生じない様がなんとなく心地いい。その景色の下、眼前には鉄筋の長屋が窮屈そうに、整然と並んでいる。ブラチスラヴァとうってかわってこの町は銀色の色相世界である。銀世界といってもこちらには汚れがある。汚れは必然、人の手で塗られるものである。一見、幾何学的に見える長屋の景観も、人の日常と絡み合って、頗る複雑である。これは金時計の数学博士でも解けぬ境地である。しかし芸術家は、畢竟解けぬからといって煮てしまってそれを発句をするから面白い。

濡れてしまって、踏みつける度に水々しく跳ね返ってくる芝を歩く。左を見れば、ベレー帽で鷲鼻の老婆が犬の尿を片している。右を見れば、廂の下で葉巻を咥える男がいる。上と下を見れば、天と地がある。取るに足らない只の日常でも、どこか物憂げである。この感は日本にいるうちは味わえない。小説の主人公が、芸術家になりえないのはこれが故である。己が動乱の渦の真中にいる限り、己を見て、画になると思うことはない。小説の作者が哀れを芸術に昇華させるのは、主人公とは隔絶された世界の住人だからである。画を淋しげに見つめられるのは、画の中の人間が忽然動き出して、話しかけてくることがないからである。その点、私という存在は、この地の日常とは隔絶されたもので、最も芸術について、うんとかすんとか言える立場である。ヨーロッパを俯瞰しながら、うんとかすんとか言っていたところ、隔絶された世界の住人がもう一人現れてしまったのが今の状況である。

通りを出ると、すこしばかり車が走っていて、久しぶりに私以外の人間の活動を聞いた心持になる。老人は無口であるから、また孤独のようでもあるから、このような騒音が懐かしいのである。信号機の青が、水を多く含んだ絵具をカンバスに垂らした如くに、雨を抱える大気のうちに染みわたる。地面には、水たまりがあってまだ開いてもいない散髪屋の看板を映している。

雨がいよいよ強まってきて、私は傘を持っていなかったから大いに狼狽した。俯いた姿勢で足早に雨を凌げる所を探す。ところに、地面の水たまりに大きく、日本食と書かれた看板が映っている。驚いて前を向くとそこには確かに日本食の看板が立てかけられていた。これは物珍しいと思いつつ、私はその店の戸を跨いだ。







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