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浅緑  作者: 菜箸
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一、

珈琲を飲みながらこう考えた。

近頃はどうも美しさというものを感じづらい。

今、何かが生まれたと思えば次には何かが生まれているような世である。

やはり盛者必衰の理は存するようで、歴代のあらゆる国が肥える度に自らの手下であったはずのものに滅亡させられてきたように、あれほどまで威勢に満ち溢れていた我々人類は今に機械という名の臣下に寝首をかかれそうである。

その機械はというと我々に情報という餌をやっていきている。一度、餌を食らえばそのあまりの美味に次へ次へと欲するようになる。

欲の深きは恐ろしいもので人々は餌に向かって一目散に走りだす。走りだしたのだから足元に咲いている今にも倒れそうな一輪の彼岸花に気付くのは難しかろう。

多忙は人の慧眼を曇らせる。強欲は人の丹青を奪う。

今の世は、美しきものはいつの時代でも美しきものとしてそこにあるということを忘れさせる点において生きにくいのである。

生きにくさが高じていくら厭世的になろうとも、技術で強く結びつけられたこの俗界を解脱するのは難儀だ。

今の世はどこに行っても人の視線がついてくる。己が属する社会がある。

生きにくき世から生きにくきを引き抜いてあるがままの美を写すのが芸術とするならば、生きにくきを引き抜けん現代において芸術の語られる隙は無いのだろうか。

陸の果てまで来ても社会が追いかけてくるのならば海を渡るしかないと思い立ったのがこの旅である。

実際、異国の地に来てみるとそこには私を結びつける社会はなかった。

海を越えて異なる言語の異なる人種の世界に来ているのだから、私は島のそれと別の乾坤を建立しえたと言えるだろう。

ここは生きにくきを引き抜いた世そのものであるから、我々疲弊しきった人間にとってまさに風光明媚な地である。

世界はもともと美しいものであったと改めて悟らされる。

今、この珈琲店の大きい窓の外を見上げててみても、宇宙の端まで突き抜けた雄大な青が広がっている。その青は工場の煙を含まない純粋な青である。青とは元来このような色をしていたのである。

どこを切り取っても芸術が生まれそうなところだ。

ところで先刻から芸術という言葉が多く見えるが、己はそんな大層な芸術家なのかと疑問を覚える人があるかもしれん。

確かに私は、殊に音楽などにおいては全くと言ってよいほど芸が無く、ここで一つ何か奏でてみようにも豚の鳴き声にも満たないような音しか出せないだろう。

しかし、私は世に散りばめられた哀れを拾い集めて、それを美に昇華する時、その人は芸術家を名乗っても構わないと考える。

そもそも芸術家というのが誉高く、貴いものというのが間違いである。尊いのは芸術であって人ではない。

芸術家は哀れを慶んで摂取する人種だからある方面から見ればただの気狂いだろう。

そんな芸術家という称号には威厳もなにもないのである。

言い換えれば誰もが芸術家になりうるということでもある。

長い間、飽きるほど世界平和が唱えられ、それでも人種、信条、思想は未だ理解しあえず、争いをやめない愚かな人類であるが、それほど個々が異なる人類でさえ、美しいと感じる心を持てば皆同じ芸術家として一括りにすることができるのである。

そんなことを考えていたら珈琲が冷め切ってしまっていた。さっさと残りを飲んでしまって、適当に勘定を済ませて外に出た。


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