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2.


 2.


 馴染みの泡姫の背に指を這わせながら江嶋は言う、猫を拾ったんだ。

 返事の変わりに彼女は甘い吐息を漏らす。

「実を言うと猫は余り好きじゃない」

 呟き、繋げる。

「……仔猫ならなおさらだ」

「そう。――なんで蹴り出さないの」

 江嶋は顔をしかめる。

「できればな。これでも並みの情くらいは持ち合わせてたみたいでね」

 ふ、ふ。と彼女は軽くわらい。

「難儀ね」

 同意し掛け、江嶋は否定する。


 そもそも。なぜ彼女を連れて帰る気になったのか。

 助けられた、借りがある。それならそれでいいが。


 いや。あれはほんとうに現実の体験だったのか。



 帰宅し、居間の明かりを付けると先の応急処置の現場がそのまま照らし出された。

 江嶋は肩を落としそれを確認する。

 やはりこれが現実のようだ。一時の性に溺れてみせても。

 残暑が見せた白昼夢だったというオチの方がマシなんだが。


 じゃあまだ彼女も存在するのか。


 部屋をのぞきこみ。

 目が合った。


 少女はベッドの上に膝を抱え座り込み。

 暗闇の中で眼を光らせていた。


「起きてたのか」

 声を出す。見ればわかる。我ながら間抜けな問いだ。


 少女はノーリアクション。

 その彼女を江嶋は改めて見る。


 モンゴロイドには見えない。

 セミ・ロングにまとめられた見事なプラチナ・ブロンドと相まって、くっきりした顔立ちと透き通る肌が北欧か、ロシアの方面の血を思われる。

 だが、記憶にある彼女と交わした言葉は、自然な日本語だった。

 年はよくわからない。見ようでは中学生くらいにも見えるが。いや。


 年齢などどうでもいい。


 彼女は何もので、昼間のアレ、は何だったんだ。



 いやそれもどうでもいい。


「俺の言葉が、判るか」

 少女の様子を見ながら江嶋は告げる。外を指しながら。


「判るなら、済まないが今すぐ出てってくれ。助けてくれたことは感謝している。だから俺も出来るだけの恩を返したつもりだ。後日改めてもいい、今夜はこれで終わりにしてくれないか」


 少女は動かない。不思議そうにただ江嶋を見ている。

 江嶋は違和感を覚えた。

 今眼の前にいる彼女と、つい先ほど、昼間、化け物相手に戦っていた彼女が同一人物に結び付かない。


 現実が、理性が、きしむ。


『頭部損傷、後遺症』

 彼の脳裏で不意に単語が閃いた。失語症?。


“読めるか 書けるか”

 江嶋がメモ帳に書いて差し出すと、初めて彼女は反応を示した。


 ふるふる。


 うすく涙を浮かべながらわずかに首を動かす。


 話せない、読めない、書けない。

 そうか、そうなのか。まいったな。江嶋は頭をかいてぼやく。

 これじゃほんとに仔猫が相手なのと変わらない。


 この娘が穏便に消えてくれれば。

 寝て起きれば明日、日常が再開するはずだと。それが。


 彼は少女に向き直った。

「江嶋孝憲、えじま、たかのり。俺の名だ」

 改めて名乗る。


 えじま。少女は発声し、ささやいた。


「カナン」


「君の、名か」

 訊ねてみるが少女は首を傾げる。まあいい、もういい。

「判った。君をカナンと呼ぶことにする」



 震源、原因不明の大津波で九州から日本海側、特に九州地方沿岸では大きな被害が出た、らしい。興味も無いではないが今は無関係なので回す。


 江嶋の隣りでカナンはレトルトカレーをおとなしくつついている。


 少しして歌舞伎町のニュースを拾った。

 これはやはり、というべきなのか。海外と国内の暴力団間での抗争と報じている。


 報道管制なのか。

 いや、これこそが現実なのか。


 発狂したのは俺か。

 それともこの世界か。



 何かを叩く鈍い音。



 彼は立ち、その方を見る。


 これが、俺の幻実、か。


 再び。轟音。

 玄関の方角から。


 ほらみろやつだやつが現れた。これはおれの脳内幻想。



 対してカナンは素早く動く。部屋の照明を落とした。


 ゆらり、と巨大な影が出現する。鼻がひしゃげそうな腐臭を撒き散らしながら。


 影は天井に頭部をぶつけながらぎごちない動きを繰り返す。まるで市街地に突入して身動きが取れない戦車だ。それに向け。


 カナン、敢然と攻撃。


 頭部に向かって飛び上がりながらいつ手にしたのか、右手逆手に構えたコンバットナイフが閃く。


 ずちゅ。


 目玉に似た眼球ではない何かが束の間光を発しながら、床に転がり落ちる。


 江嶋は見た。


 鼻はない。口もない。西洋甲冑の面当てのような形状とカナンが抉り出した二つの穴。

 その左右の腕がでたらめに振り回される。物が跳ぶ、壊れる。部屋ごと対象を破壊してしまえばよいというが如く。

 両手で口を覆い江嶋は必死で堪える。カナンの奇襲で視覚は奪えたらしい。だが聴覚は?!。カナンもじっと身を潜めている。

 オーバーラン。まるで戦車の蹂躙攻撃だった。こちらの恐怖心も手伝って規則性をもって部屋を虱潰しにしているようながらその実、おそらくでたらめに前後左右に移動していた。振り回す両腕も偶然、近くを掠め過ぎるときもあるが、何かを狙っての攻撃には見えない。そうであればもうとっくに二人とも死んでいる。何しろ、こちらには反撃の手立てがない。家具の殆どを破壊し間仕切りを破り。最後は外壁を突き破って落ちて行った。



 ぽたり。


 湿った熱帯夜の空気が押し寄せ、すぐに汗がしたたり落ちた。


 弾かれたように江嶋は動き出す。

 瓦礫を掻き分け中から免許とケータイとカードを引っ張り出す。


 おれは、くそ、つまりあのとき狂ったのはこの世界の方なのか。

 今のが”斥候”なら。当然この後”本隊”が、”増援”が来る。

 ”空振り”でもいい。そう考えて行動した方が”安全”だということだ。


 或いは既に”包囲”されているか、いや。

 であれば、もう”本格的な攻撃”を受けているだろう。

 江嶋は小さく頭を振る。どういう着想だどういう世界だ。


 俺も一緒に狂ってる。

 いや正気でいられる方がどうかしてるか。これこそ正常か。


 えじま。


 カナンを振り返る。

 不安げに見上げるその視線。


 天使。異世界からの使者。

 また救われた。

 違う。


 元凶はこの娘だ。


 彼女が警告した通りだ。

 今からでもいい、逃げろ。

 そして明日からまた。


 明日からまた、なんだ。江嶋は激しく自問する。

 何事も無かったように日常に帰る。誰がそれを保障してくれる。

 逃げる。彼女から、世界から、どこまで、どのように。


 躊躇は結局一瞬だった。江嶋はカナンの手をとる。


 認めろ、もう俺は当事者なんだ。


 世界の果ては目指せないが取り敢えず現場を立ち去ることは決断する。


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