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4.朱鷺色の十三歳

 十三参りを終えた莢子(さやこ)は、いつもとはかなり違う外見の自分が、ひどく恥ずかしかった。


 髪結いさんに髪を結ってもらい、貸衣装屋で借りた豪華な丸帯を後ろで結んでもらうと、さすがに豪華絢爛だった。


 少女雑誌の小説に出てくる、深窓の令嬢になったみたいだ、と自分でも思う。

あまりにも普段と違うので、家族以外の人間にはあまり見られたくない。


 この辺りの地区では、3月から4月の間、十三歳になった少女が正装して神社へお参りに行くのが習わしだ。


 十三参りに付き添ってきた家族と写真館で記念撮影をしたので、あとはもう帰るだけだ。

だが、一家はなかなか帰れない。


それというのも、両親はそれぞれ褒めてくれるご近所さんたちに遭遇しするたびに、長い立ち話を始めるからだ。


 そしてその度に、皆に「まあ、なんて可愛いんでしょう」とか、「あら、莢子ちゃん、綺麗ね」などと褒められてしまう。


(……そんなのお世辞なのに……)


 そうと分かっていても、莢子の心はくすぐったかった。






 かつてこの着物の反物を一目見た父は、こう宣言した。


「この反物は、我が家の娘たちの晴れ着に仕立てよう!」


 この反物には、全体に豆のツルが大胆に描かれていて、その先に葉と小さな花、そして莢もデザインされている。


 莢子のきょうだいは、第一子の長男が(みのる)、第二子の長女が莢子(さやこ)。そして次女が葉子(ようこ)、三女は苗子(なえこ)という名前だ。


 全員が植物、とりわけ莢子には豆を連想させる名前が付いていたため、父はよけいにこの反物が気に入ったのだ。



 三月の穏やかに晴れた日だから、道行(みちゆき)を羽織っておらずともちょうど良い。


 寒くも暑くもなかったが、とにかく大人たちの会話を黙って聞いているのは退屈だった。


(早く終わらないかな……)


 遠くに見える山には霞がかかり、いつの間にか渡ってきた燕がクルリと半円を描いて飛んでいた。

どこからかふんわりと花の香りがしているのは、見えない場所のどこかに梅か沈丁花が咲いているらしい。


「軍需景気っていうんですか?そういう商売は相変わらず忙しいらしいけど、ねえ。他の商売はこれからどうなるんでしょう?」


 初めはお世辞めいた賞賛や両親の謙遜の応酬だった会話も、いつの間にかだんだんと戦争の時局や物価の話に移っている。


「聞いた話では、軍と関係ない商売は、締め付けがどんどん厳しくなって……。」

 ……などの話が延々と続く。


 戦争は莢子が小学生になってからずっと大人たちの話題のタネとなっている。

しかし、子どもたちの普段の生活にはあまり関係がない。


 待つのに飽きて、一人で帰ってしまおうかと思った時、話題がふと良太(りょうた)のことに移った。


「そういえば、お聞きになりました?唐津(からつ)さんちの良太(りょうた)くん、陸軍航空学校に合格したんですって。」


 莢子は驚いた。

 親友であり良太の妹でもある冬子(ふゆこ)から、彼が陸軍航空学校を受験したことは聞いていたが、合格したとはまだ聞いていなかった。



(合格通知、もう来てたんだ…。冬ちゃんにもっと早く確認すればよかった。)


 莢子が知るよりも先に、良太の合格の噂は早くもご近所さんたちに広がり始めている。



 良太は莢子より三つ年上だが、子どもの頃から面倒見の良い性分で、莢子のことも可愛がってくれていた。

彼は成績も優秀で、学校では常に級長だった。


 残念ながら良太の家は貧しかったので、中学校に進学することは不可能だった。

そのため高等小学校を卒業した現在は、家から通える工場で働いている。


 しかし彼はいつの間にか、陸軍戦闘機隊に入りたいという願望を、ひそかに抱いていたらしい。

 良太はその願望を突然両親に打ち明け、入学試験を受けていたのだ。



「あら、そうだったの?すごいわねえ。」


「偉いわよねえ。その学校の試験って、すごい倍率らしくって。なんでも今年は40倍だったんですってよ…。」


「あらまあ、そんな難しい試験に合格するなんて、この地区の名誉だわねえ。」


(良太さんが合格したら……それって……。)

「あら、噂をすれば影だわ。」


 長身で細身の青年がこちらへ歩いてくるのが見えた。彼は相変わらず髪を短く刈りこんでいて、軽い足取りで大股で歩いてくる。


 莢子は今まで彼を他人と見間違えたことは、一度もなかった。なぜだか急激に緊張してくる。


「あら、良太君、聞いたわよ、合格おめでとう!」

「あっ、おばさん。ありがとうございます。」

「また、お祝いしないといけないわね!」


 良太はこちらの大人たちに向かって軽く会釈すると、そのまま歩き去った。


 莢子は鼓動が脈打ち、顔から火が出そうな気がする。


(どうしよう、どうして、私は無視されちゃったんだろう?でも、でも、話したい…)


「あの、良太さん…良太さん!」


 思わず良太の後ろ姿に声を掛けてしまう。

もともと緊張していた頭は咄嗟に声を掛けたことにより真っ白になり、爆発しそうだ。


 立ち止まって振り向いた良太は、不思議そうにその綺麗な眉間を少ししかめていた。


 呼びかけた莢子の衣装の全体と髪型をざっくり確認したあと、その涼し気な視線は顔に移動した。


 それが誰なのかをようやく認識すると、彼の表情が一変した。ほとんど呆然としているように見える。


「あれ?莢子か……??」


(良かった、無視されたんじゃなかった!)


 喜んだのも束の間、今度はどうしようもなく恥ずかしくなる。


(私は、一体何をしてるんだろう??)


「うん、良太さん…あのね、私、今日、十三参り、行ってきたの。それで、この衣装を着せてもらったの…」


 やっとの思いでここまで告げると、やり場のない恥ずかしさと不安でいっぱいになる。


 彼の顔をまともに見ることが出来なくなり、足元の草履を見つめる。

 しばらく沈黙が続いた。


「そうか、誰だか分からなかった。」

 ゆっくりと近づいてきた彼は、少し離れたところで立ち止まり、莢子を眺めているらしい。


「おめでとう。似合ってる。着物のことはよく分からないけど、……綺麗だ。」


 少年から青年に成長した良太の声は低くなったが、話し方は昔から変わっていない。


 思わず安心して顔を上げると、良太が微笑んでいて、その瞳は柔らかい光を宿している。


 良太本人が気づいているのかどうか分からないが……

 最近の彼は、このあたりの女子の間で、ひそかに人気が急上昇していた。


 だが、家族でもない若い男性に話しかける勇気のある女子など、実際には現れてはいない。

しかし、莢子は幼馴染であるという特権を行使し、暴挙ともいえる行動に出ることが出来る。


「じゃ、もう行かないといけないから……」

 歩きだそうとした良太に莢子は食い下がった。


「待って、私ももう帰るの。……少しだけ、一緒に歩いていい?」


 良太は少し戸惑って、莢子に背を向けるとそのまま歩き始めた。莢子は無理やり彼について歩いていく。


 ご近所の大人たちがこちらを眺める視線が、自分の背中に突き刺さるように感じられた。

 莢子はそれを無視することにした。


「……あの、良太さん、本当に陸軍航空学校、に行くの?」


 良太がもし本当にその学校に入学することになれば、どこか遠い場所にある寮に入るはずだった。


 そしてその先は、陸軍で軍人としての生活を送ることになる。

もうこうやって話しかけることの出来る機会など、ほとんど皆無になるはずだった。


「……ああ。とりあえず、目標の第一関門を突破できたから。」


 後ろから声を掛けられた良太はかすかに眉をしかめて振り返ったが、それでも莢子に合わせて歩調をゆるめた。


「お、おめでとう!……そうだよね。あんなに競争率の激しい学校に合格するなんて、良太さんって本当にすごいんだね。……尊敬しちゃう。」


「ありがとう。本当に戦闘機に乗れるようになるには、まだまだこれから幾つも関門があるけどな。」


 良太は立ち止まって、振り返った。


「なるべく希望の進路に進めるように、しっかり修練するよ…」


 そこまで言ったところで、良太が怪訝な表情になり、足元をキョロキョロしはじめた。


「ぎゃーーっ!!」

 良太は裏返った声で叫ぶと、向かいの店のあたりまで一目散に逃げてしまった。


 いつもの「秀才」らしい落ち着いた態度は微塵も感じられない。


 いつの間にかどこかから猫が現れて、良太の足に身体をこすりつけたようだ。


 彼は運動神経抜群で優等生だったし、その人柄も非の打ち所がない青年と言えた。

 が、奇妙なことに、昔から猫が大の苦手だった。



 それはどこかで飼われているらしい、毛艶の良い三毛猫だった。

莢子の晴れ着の裾の周りにも、身体をこすりつけてくる。


 莢子はしゃがんで、ぐいぐいと押し付けてくるその小さな獣の滑らかな胴体を撫でた。


 頭の横から尻尾の方まで撫でられると、猫は満足げな表情で回れ右した。再び莢子の手に身体を頭の方から押し付けてくる。


 どこからどう見ても、怖いというより可愛い感じの三毛猫で、しきりに甘えてくる様子は実に愛くるしい。


(人懐こくて可愛いけど、着物に毛がついたらきっと怒られるよね。)


 紗綾は二、三歩ほど後ずさりした。


 思う存分すりつけることが出来なくなった三毛猫は、飽きてしまったのかふいに向きを変えた。


 良太と反対側の路地へ、女王のように自信に満ちた足取りでゆったりと歩くと、通りの奥の、家と家の隙間に姿を消した。


「もう猫、行っちゃった。良太さん、まだ猫が苦手だったの?」


 良太は商店の通りにはみ出した棚の後ろからこちらを窺っている。

 彼は自嘲気味に笑うと、わざと大きなため息をついた。


「……きっと俺の前世は鼠だったんだな。たぶん猫に頭からゴリゴリ食べられたんだ…」


 あんなにかわいい猫が弱点だなんて。


 莢子は少しおかしくなって笑いそうになったが、こらえた。


「昔、猫に噛まれてすごく腫れて、それ以来駄目になったって、前に冬ちゃんから聞いたよ。」


 ほとんどの人が知らないであろう、良太の秘密を自分は知っている。

なんとなく嬉しくなって、やはり我慢しきれずクスクス笑ってしまった自分の声で、紗綾は目が覚めた。






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