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21.こんがり狐色

 涼太は搬送された病院で、精密検査を受けたが特に異常は見られなかった。


 一応、念のためということで数日入院したものの、無事に退院することを許された。


「どこも異常は見られないですねえ?うーん、なんで意識を無くしたのかなあ…。」

 医師はしきりに首をひねっていた。


 派手に倒れたものの、実際にはほとんど異常なくすっかり回復したことに、紗綾は心の底からほっとした。




 駆けつけた家族の前で、平身低頭で平謝りした紗綾に対し、涼太の両親はなぜだか好印象を抱いたようだった。


 後に、涼太の母親から「よかったら、今度うちへ遊びにいらっしゃい」などと声を掛けられたりした。




 警察沙汰になり、紗綾の家族、涼太の家族、そしてバイト先にも二人が一緒に居たことが知れ渡った。


 その後は気まずくなるのではないかと思ったが、涼太は平然としていて以前とまったく変わりのない様子だった。




 莢子の母はいつもやかましいのに、今回のことについては驚きすぎて、初めは絶句して、倒れそうになっていた。


「ごめんね、紗綾…。私が変にプレッシャーを与えてしまったのかもしれないわね…。」

 珍しくうるさくない声で、母は反省していた。

 どうやらかなり自責の念にかられたらしい。




 ◇◇◇◇◇◇



「マジで災難だったよなあ。一方的に遠藤さんに執着してたんだろ?ヤバイ奴が居るもんだよなあ……。」


 川本が感慨深げにこぼした。

 大学のテスト期間が終了し、休んでいた学生たちも、ここ数日でほぼバイトに復帰している。


「まあ、もう警察に任せてますし、これからはもう大丈夫なんじゃないですか?」


 洗い場のシンクにもたれた涼太が、こともなげに軽く返した。



 刃物を振り回していた男は現行犯で逮捕されていた。


 マッチングアプリで一度会って話しただけの紗綾に一方的に執着し、SNSを特定して以来、ずっと付きまとっていたようだった。

 何という鈍感さだろう、紗綾はまったく気づいていなかったのだ。




「涼太はよくそんなヤバイ奴に立ち向かえたよな……。俺だったらどうしてたか、正直わかんないよ……。」


「いや、でも川本さんも、もしも冬木(ふゆき)さんが変な奴に何かされてたら、助けるんじゃないですか?」


 涼太はからかうように笑って言った。


「え???なんでそうなるんだよ……。いやあ、だって、冬木さんは別に俺のこととか何とも思ってないだろうし……」

 川本はたじろいだ。


「あ、冬木さん、出勤してきたみたいですよ!」


 涼太に言われ、川本の挙動が急激におかしくなる。


「あ、まずい、おい、あんま大声出すなよ……」




 川本は、以前は加恋さんに対してやけに執着していた。

 だが、最近の加恋さんはサークルや就活が忙しくなってきたそうで、あまり出勤してきていない。


 それと入れ替わるように、新たにフロアのバイトに冬木礼華(ふゆきれいか)さんという女性が採用された。


 そしてどうやら川本はその彼女のことも気にしているらしい。

 なんというか、目移りの激しい男性なのである。




「おはようございます。」

 二人に挨拶した冬木さんは、色白で細身の女性だ。

 長くまっすぐな黒髪と意志の強そうな瞳、どちらかと言えば和風な美人である。


 加恋さんとは少し異なったタイプだったが、川本の女性の好みはかなり幅広い可能性があるように思われた。


「おはようございます!」

「お、おはよう、冬木さん……。」


 川本がどこかに身体をぶつけたような、ドスンという鈍い音がした後、ガラガラと金属の調理器具が落ちる派手な音が続いた。


(その会話、思いっきりこっちにも聞こえてたし、冬木さんにも聞こえたんじゃない……?)

 フロアにいた紗綾はため息をついた。



 まだ数回しか一緒に勤務していないが、紗綾はなんとなく、冬木さんと仲良くなれそうな気がしている。





 ◇◇◇◇◇◇





 時々、涼太にじっと見つめられている時がある。そんな時、いつだって紗綾は戸惑ってしまう。


「………もしかして私、なにか、食べ方とか、変、かな……??」

 切ったパンケーキのかけらを運ぶフォークの手を止めて、紗綾が尋ねた。


(それとも、私、すごい勢いで食べてて、あきれられてる??)


「あ、いや、別に……。ただ、美味しそうに食べるな、って思っただけだから。」

 紗綾は恥ずかしくなる。


「そ、それならいいんだけど……。ずっと楽しみにしてたお店だし、実際に美味しいし……。そうそう、このクリームも、フルーツも、パンケーキの部分も、全部美味しいよ!特にクリームが、なんか、絶品な気がする!……そう、思わない?」


 そう尋ねた紗綾を、静かに涼太が微笑んで見つめている。


(あれ……??うーん、もしかして、口の周りに何かついてるとか?)

 慌てて紙ナプキンで口を拭いてみるが、特に何も付いている様子はなかった。





 二人で会計を済ませて店の外に出ると、外はまだまだ寒かった。時折雲の切れ間から光が射すことはあるが、風は冷たい。


「美味しかったね!次はどんなお店がいいかなあ…?行きたいお店、実はまだまだいっぱいあって……」


「うん。」


 紗綾が持っていたバッグはいつの間にか涼太に奪われ、それと同時にあっという間に左手を取られてしまった。

 突然手をつながれた紗綾の鼓動が早くなる。


「きょ、今日は着物じゃないから、そんなにすぐ転んだりしないよ……。大丈夫だよ……。」


 涼太はいたずらっぽく笑った。

「紗綾さんの『大丈夫』は『大丈夫』じゃないから。」


 紗綾は口をとがらせた。

「……そ、そんなこと、ないもん……」



 涼太は平然と続けた。

「それに、この手はフニャフニャしてて触り心地がいいんだ。」


 つないだ手を見下ろしながら、涼太は数回軽く手を握りしめる。


「フニャフニャ!?……そんな、私、ぬいぐるみみたいじゃない!」





 なぜだか最近の涼太は、以前の涼太と別人のようだ。


 二人でいるところを襲撃され頭を打った影響で、彼の人格が少し変わってしまったのだろうか?

 それとも元からこんな性格の人だったのか?

 紗綾は理解に苦しんでいる。




 バイト先では今までとほとんど変わらない態度の涼太だが、二人でいる時にはやたらとちょっかいをかけたり揶揄ってくる。

 そのため、恥ずかしくて紗綾はすぐ赤くなってしまう。

 ついつい軽い言い合いになることもしばしばだ。




 憤慨する紗綾に涼太はなおも畳みかけた。


「ハハハ、そうか、じゃあ、ぬいぐるみじゃなくて『モモコ』だな。」


『モモコ』というのは涼太の実家のシーズー犬だ。


「……私、モモちゃんには似てないって、この前お家にお邪魔したとき、涼太君のお母さんも言ってたじゃない!」




 先日涼太の家に招かれた紗綾は、彼の両親や家族に温かく迎え入れられた。

 以前涼太から「紗綾に似ている」と言われた『モモコ』ともついに対面した。


 モモコはちぎれそうな勢いで尻尾を振り、一生懸命に紗綾の顔をなめようとして、涼太の母に叱られたりしていた。


 どうやら彼女なりに歓迎のアピールをしていた様子だったのだが。



「………。」

 涼太は聞こえないフリをしている。



(なんなの、この人!!なんでこんな風になっちゃったの!?)

 紗綾は内心で憤慨しつづけている。




「もう、そんなこと言うなら、あげない……」

 紗綾がつぶやいた。

「え?何?」

 聞こえないフリをやめた涼太が尋ねる。


「バレンタインチョコ、そのバッグに入ってるけど、もうあげない……。」


 紗綾はうらめし気に言った。

 本当は、二人で一緒に食べたいと思って買ったのだ。

 だが、こんなことをされるくらいなら一人で食べてしまった方が良いかもしれない。


「えっ……本当に?」

 驚いた涼太はつないだ紗綾の手を離し、バッグの中身を見ようとしている。


「返して!見ないでよ!」

 バッグを取り返そうと、紗綾は涼太にピョコピョコと飛びついた。

 しかし、紗綾の身長では長身の涼太が持ち上げている高さには、到底届かない。


「やった!ありがとう!」

 涼太のはじけるような笑顔は爽やかそのものだが、今の紗綾にとってそれは免罪符にはならない。


「返して!」

 飛び跳ねながら紗綾は叫ぶ。

「ハハハ……嬉しいな!」


 輝くような笑顔の涼太に、紗綾は今度こそ苛立った。

 絶対にバッグを取り返さなければならない。


(そう来るなら、私だって……)

「あっ、猫がいる!」

「うわっ!!」


 叫んだ涼太は反射的にバッグを手放した。

 真下で構えた紗綾が、それを無事にキャッチする。


 猫が居るのは嘘ではなかった。

 紗綾をからかうのに夢中過ぎて、涼太は見逃していたのだ。




 生垣の前の道端に、しゃがみこんでいる女の子がいる。生垣の中には、数匹の猫がたむろしていた。






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