18.銀色の要塞
良太の眼下に広がっていたのは紅蓮の炎が今なお広がりつつある市街地だった。
木造の建造物をすべて呑み込もうとしているその巨大な炎が吐き出す黒煙は、風防の隙間から操縦席にまで入ってくる。
「……これは……。」
良太は絶句した。
わずか数時間前まで無数の人たちが、いつもと変わらない暮らしをしていた町……
そしてそれは自分の生まれ育った故郷の町でもある……
それが、炎に呑み込まれようとしている。
信じられない。
むしろ悪い夢であってくれれば、と思った。
「どういうことなんだ……。これは、いったい……。」
父や母は。妹は。
……莢子や、幼馴染たち、近所の人たちは。
こんなに火が広がって、無事でいられるのか?
無事でいてくれるのか?
こんな状況で、冷静で居られる人間は存在するのか……??
疑問が頭をもたげた。
(……自分は今まで、何のために戦ってきたのか……。)
心が芯まで冷え切って、足元からすべてが崩壊してしまいそうな気がする。
(なぜ、なぜ…こんなことに……。)
「……駄目だ、駄目だ!」
ともすれば涙で視界が霞みそうになるのをこらえ、良太は必死で自分で自分に言い聞かせる。
「精神を集中させろ。……今はそれを、考えるな。」
これまで外地でも内地でも幾度となく敵機に遭遇してきた。
しかし、上空でこんなにも自分自身の精神が動揺していたことは、かつて無かった。
B29から本土を防衛する。
それが良太の所属する戦隊に課せられた任務だ。
その任務は、困難を極めた。
B29の一編隊は九機から十機。
その編隊が次から次へと押し寄せては爆弾や焼夷弾を投下する。
B29には、前部と尾部に機関銃射撃主を配置してあり、ほとんど死角はない。
相手から見える角度でむやみに近づけば、十機のB29、合計二十の砲門から激しい弾幕が浴びせられる。
極限まで軽量化された日本の戦闘機は、近づくことすら出来ずに、撃たれてバラバラになることも多かった。
良太の所属する飛行戦隊は、最近では戦死者や負傷者が続出している。
不足した操縦士は、大幅に訓練期間を短縮した経験が未熟な隊員で補充されていた。
若い操縦士は血気盛んで、B29への体当たり攻撃を志願するものも多い。
だが、この戦隊では、体当たりは強制されてはいなかった。
実際のところ、体当たりできたとしても、撃墜できる場合もあれば、撃墜できない場合もある。
(とにかく今は……。……今この瞬間、自分にやれることをやるしかないんだ……)
夜空を飛ぶB29は、空に浮かぶ巨大な銀色の要塞のようだ。
それに引き換え、良太たちの操る戦闘機はなんとも小さく、数も圧倒的に少ない。
たとえるならば、クジラの大群の後をたった一羽で追いかける小さなカラスだ。
(前回の空襲より、かなり高度を下げている……これなら2000m程度か……)
たとえ相手の数が多くとも、自分には戦闘機乗りとしての矜持がある。
大型のB29に比べれば、旋回、機動能力はこちらの方が上なのだ。
地上のサーチライトによって煌々と照らされている、編隊からやや遅れた一機のB29が視界に入った。
あれほど明るく照らされていれば、目がくらんでほとんど何も見えていないはずだ。
(後ろから忍び寄って撃ちまくれば、何とかなるかもしれない……)
目標との距離、速度を見定めて計算しながら、良太は斜め後ろ上方から忍び寄った。
そのまま操縦桿を傾け機体をゆるやかに降下させると、慎重に的を照準器の射程内に入れる。
(よし、今だ!)
機関砲でエンジン付近を狙い撃つ。
ドドドドドドッ…
振動と共に発射された砲弾のうち、数弾に一弾は曳光弾だ。
闇夜に浮かび上がる曳光弾の光は、まっすぐにB29のエンジン付近へ吸い込まれていく。
ほどなくして、弾が当たった箇所から煙が上がったのが見えた。
「よし!」
しかし、その攻撃によりB29の航跡が変わった様子は見られない。
その銀色の機体は、ほとんど変化なく航行しているようだ。
B29はとにかく頑丈で、少し砲弾が当たったくらいではビクともしないことも多い。
(……自分は何のために、ここまで戦ってきたのか…。一体なぜ…。)
さっき一瞬よぎった疑問が、また頭をもたげる。
その黒々とした葛藤は、圧倒的物量で押し寄せる敵機よりもはるかに大きく、いともたやすく良太を呑み込んだ。
(……自分は、故郷や愛する人々を守れなかったのだ…。)
感情を抑えても抑えても、現実は目の前から消えることはない。
そのあまりにも残酷な事実は、良太の心を蝕み、ズタズタに切り裂いていた。
目前のB29が霞んで見える。
そのときふと、出撃直前に上司の戦隊長にかけられた言葉が脳裏をよぎった。
「死ぬな。」
良太は深く息を吸い込むと、気の迷いを振り切るように再び機関砲を撃ちこんだ。
……相手からの反撃は無い。
やはりサーチライトで視界がくらみ、外が見えていないのか。
曳光弾は順調に敵機へと伸びていくが、それ以上の煙は上がらない。
高速で移動する双方の機体は、燃えている地帯から離れつつあるが、夜の底は未だに赤々と妖しい光を放っている。
(……自分は何のために、軍人になった…?)
(……いったい、何のために?)
高速で移動していた良太の機体は、気が付いたときにはB29の至近距離に迫りつつあった。
事前に予想していたより、はるかに接近している。
(しまった!)
距離感は掴んでいると思っていたが、夜間で認識がズレていたのか?
(……いや、絶対に、撃墜してみせる…!)
覚悟を決めた瞬間、良太の操る戦闘機はB29に衝突し、激しい衝撃が良太の機体を襲った。
ガクン!
「……開いた!」
衝撃を感じて、良太は意識を取り戻した。
一瞬意識が遠のいていたが、落下傘と身体をつないでいる縛帯に引っ張られ、落下傘が開いたことがわかった。
(生きている……。)
衝突の際、機体はバラバラになり、涼太は衝撃で意識を失ったまま、空中に投げ出されていたらしい。
顔面や頭部を強打したのかもしれない。
目も負傷しているのか、あるいは頭部から出血していて目に入ったのか…。
どちらかは分からないが、視界はかなり悪く、自分の置かれている状況すらよく把握できない。
それでもなんとか自分がまだ生きていることだけは分かった。
地上での大火災は強い気流を生み、落下傘はその上昇気流の影響で流されているようだった。
何とも言えない猛烈に焦げた匂いが充満している。
目すらよく見えない良太には、流されていても為す術はなかった。
ドドッ!
良太は衝撃とともに倒れ込んだ。
地面への致命的な激突は避けられたが、負傷しているためまともな着地の姿勢も取れない。
それでも、木や高圧線に引っかかることもなく、火災にも巻き込まれず、平地に着地したらしいのは、かなり幸運と言えた。
熱さは感じないものの、うっすら煙の匂いが漂っている。
燃えている地帯からはかなり離れたところに着地したように感じられた。
必死で息をしているはずなのに、猛烈に息苦しい。
やはり衝撃を受けた際、深い傷を負ったのだろう。
自分の意志ではもはや動かせない身体が、もがき苦しみながら勝手に身をよじらせ動いているのは皮肉だった。
………いずれにせよ、自分自身はもう長くない。そう、感じた。
もしも落下傘降下に成功できたなら、何度でもまた飛ぶつもりだった。
そうすれば、一機でも二機でも、少しでも多くの敵機に攻撃することができる。
それが、被害者へのせめてもの罪ほろぼしだ…。
……そう考えていたが、現実はそう上手くはいかなかった。
(……父さん母さん、冬子……。そしてこれまで世話になった人たち……。すまない。みんなを守れなくて、申し訳なかった……。)
一足先に、散華してしまった先輩や同僚たちの顔を、一人一人思い出す。
(彼らもこんなに苦しい思いをしながら、亡くなっていったのだろうか……。)
意識が遠のく。
(……みんな、さよなら……。)
そう思った時、どこからかかすかな声が聞こえた。
この作品はフィクションです。このエピソードについても複数の体験談などを参考にしておりますが、特定の人物や出来事の記述ではありません。




