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16.熱帯の緑

 パタパタパタパタ……。

 良太(りょうた)の母親、ハルの左手で引っ張られている布が、風にはためくような小気味よい音を立てる。


 右手で縫い針を軽く握っているが、それはほとんど動かさずにただ静止しているように見える。


 しかし、実際には確実に一針一針の縫い目が、楔のように打ち込まれていく。


莢子(さやこ)ちゃん、今日は十三参りしてきたんだって?」

 機械のように素早く左手を動かしながら、ハルは尋ねた。




 物心がついてからというもの、良太の母であるハルはいつも縫い物をしている。


 家族のものを縫うのは勿論だが、腕の良いハルは呉服店から依頼されて、高級反物を着物に仕立てることもある。

 その仕事はこの家の貴重な現金収入の手段でもあった。


 良太の父は左官職人だが遊び好きだった。

 いつもフラフラとどこかへ姿をくらますので不在がちだ。




「うん、昼に見かけた。」

 良太は何げなく答える。

「髪を結って、綺麗な着物を着てたから、最初は誰だか分からなかった。」



 莢子(さやこ)は良太の妹である冬子(ふゆこ)と同い年だ。

 妹の冬子は気が強いが、莢子はどちらかというとおとなしい。

 対照的な性格である冬子と莢子は、なぜか仲が良く、一緒に遊んでいることも多かった。


「莢子も、もう十三詣りなんだな。昔から冬子とずっと一緒にいるから、もう一人妹がいるみたいだよ。」




 莢子のことを考えると、どことなく滑稽な気がして、良太は笑いそうになってしまう。


 ついさっきまでいじめられて泣いていたと思ったら、どこからか干し芋を取り出してみんなに分け、笑いながら食べていたりする。


 彼女はずっとそんな気性で、ずいぶん楽天的な性格だと思う。


 良太は感情を抑えようとしていても、彼女のことを考えるとついつい口角が上がってしまっていた。




「冬子だって、十三詣りに行くんだろう?いつだっけ?」


「来週だよ。せっかくなんだから、冬子とあんたも一緒に、家族みんなで写真を撮らないとね。あんたは家を出ていくのだし…。」


 ハルの表情が、一瞬淋しそうに曇ったが、彼女はすぐに居住まいをただした。


「それよりも……」


 手を止めると、良太を注意深いまなざしで見つめた。



「十三詣りっていうのは、大人になるってことなんだよ。着物の肩上げも外して、一人前の女になるんだ。これからはもう、莢子ちゃんに馴れ馴れしくするんじゃないよ。」


「……。」



 良太は息を呑んだ。曲りなりにも女子を相手に、馴れ馴れしくしているつもりはなかった。

 それでもいまだに幼い女の子を扱うような感覚で、彼女に接していたのは確かだ。



「まあ、もうあんまり莢子ちゃんと会うことはないと思うけど、念のためにね…。」

 ハルはしんみりと続けた。


「これからはもう、立派な軍人さんにならなきゃいけないんだよ。恥ずかしくない振る舞いをしないとね。」





 良太が入校のために家を出たのは、15歳の春だった。


 駅での見送りの時、ハルは涙をにじませているように見えた。

 いつも気丈だったはずの母のそんな表情を生まれて初めて見て、良太は自分を待ち受ける将来に身が引き締まる思いがした。


 そんな内心を誤魔化したいのと、深刻な家族の空気を変えたくて、良太はわざと笑顔で明るく振る舞いながら故郷を後にした。





 ◇◇◇◇◇◇





唐津(からつ)伍長殿に、小包が届いております。」

 兵卒から手渡された小包の宛名は、妹の冬子のものらしき筆跡で書かれてある。



 陸軍の飛行学校を卒業してから、一年余りが経っていた。

 このように折に触れ、配置先の戦地へ実家から物資や便りを届けてもらえるのは、実のところ良太の励みになった。




 戦地の宿舎の周辺には「酒保」と呼ばれる酒を出す店もある。


 しかし、故郷から遠く離れたこの地…。

 強烈な日差しと緑の濃いこの地へ、はるばる日本から届けられる荷物は何であっても嬉しいものだ。


 周囲は日本人ばかりで話し相手には困らないが、家族がどのようにして過ごしているかは、常に気になっている。




 良太はその小包を慎重に開封した。

 箱を顔に近づけ、そっと匂いをかいでみる。


「すうっ…」

 この小さな空間に、故郷の空気や匂いが入っているような気がしてならない。




 中にはいつものように、家族からの絵葉書も入っていた。母や妹から送られる便りは、受け取るといつでも心が和む。




『お兄さん 慣れない土地の気候でお身体にお変わりはありませんか 

 家族は皆元気なので、安心してください

 お母さんが肌着を縫ったので同封します

 昨今の情勢でよい布が手に入らず、申し訳ありませんが、これで辛抱してください 

 何かご入用の物があればまた知らせてください  冬子』




 箱の中には、他にも手ぬぐいや肌着、剃刀や絆創膏、流行歌曲集や雑誌が入っていた。

 一般的な品物ばかりだが、どれもありがたい。




 良太は送られた荷物を片づけ、箱を小さく畳もうとしたとき、底に何かがあるのに気づいた。

 もう一枚の絵葉書、そしてお守りくらいの大きさの黒っぽいぬいぐるみのようなものだ。




『良太様 お元気でお過ごしのことでしょうか 

 戦地ではきっとご活躍されていることと思います 

 外地で戦っていらっしゃる皆様に負けないよう、私たちも頑張っています

 冬子さんに無理を言って、歌曲集を同封して頂きました 

 歌ってみても、草笛で演奏してみても良いと思います 

 そちらには笛に適した草はあるのでしょうか 

 これからも武運長久を祈念しております  莢子』



(……なぜ莢子からの絵葉書と歌曲集が入っているのだろう?)



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