15.鉄色
「サヤちゃん…」
後ろから誰かに呼ばれ、紗綾は何げなく振り返った。
「サヤちゃん…どうしてそんな男と歩いてるの??」
そう言いながら、見知らぬ男が歩いてくる。
「……?」
「遠藤さんの知り合い?」
涼太が尋ねる。
「……ううん、知らない……」
その男には、こちらの会話は聞こえていない様子だ。
「……ああ、わかった。…そうか、その男に付きまとわれてるんだね?」
その男は夢でも見ているように抑揚なくつぶやきながら、なおもゆっくりと近づいてくる。
どことなく陰鬱な気配をまとい、黒ジャケットを着た男の、その目は据わっていた。
「お前、サヤちゃんから離れろ……。」
その男の目は、こちらを見ているようでいながらも、どこか別の世界を彷徨っているような雰囲気だ。
どう見ても、様子がおかしい。
知らない男性だ…
そう思っていた紗綾だが、その異様な雰囲気の男の、あまり特徴のない顔は、どこかで見たことがあるように感じた。
(…え?いつ?どこで見たの…?夢…?ううん、違う…。)
「えっ……?」
(も、もしかして、マッチングアプリで会った人…?)
思わず身体が凍り付いた。
(…え?なんで?…なんで?)
青ざめこわばった表情で立ちすくんでいる紗綾を見て、かばうように涼太が立ちふさがる。
「近づかないでください。彼女、怖がってるじゃないですか。」
(…え?え?意味がわからない…)
どくどくと血が逆流するような気がする。
(…一回だけ会って話したけど、すぐ退会して…。それからまったく連絡取ってない…よね?なんで今、ここに居るの…?なんで…?え?)
あの時話をしただけの男性が、半年も経った今になって突然現れ、意味不明のことをつぶやいている。
そんな現実に強烈な違和感を感じ、それが実際に起こっていることとは到底思えなかった。
(も、も、もしかして、お店の周りに出没してた不審者って、まさか……この人……???)
「サヤちゃん……、僕がどれだけ手間を掛けて、君を探したと思う??」
いつの間にか、男の手に刃物が握られていた。
「やっと、探し当てたと思ったら……こんな奴に邪魔されるなんて……」
涼太が叫ぶ。
「遠藤さん、離れて!誰か、警察呼んで下さい!」
周囲を歩いていた人たちが、騒ぎに気づき、ザワザワしはじめた。
「……あ、わ、私、電話する!」
気づけば紗綾の喉はカラカラで、声を出しにくかった。
震える指でスマホを操作する。指が自分のものではないように、うまく動かせない。
「逃げろ!早く!!」
突然、男が突進した。
立ちふさがる涼太と、もみあいになる。
ドサッ!
二人がもつれ合い、音を立てて倒れた。
「……りょ、涼太くん!!」
「キャーーー!!!」
通りすがりの女性が悲鳴を上げた。
驚いて逃げ出す人たち、少しでも近くで撮影しようとスマホをかざす人、何事かと集まってくる野次馬。
ただでさえ初詣に向かう客で混雑していたというのに、たちまち周囲の混乱の度合いはひどくなり、押し合いへし合いになる。
「110番!通報して!早く!」
誰かが後ろで叫ぶ。
紗綾の身体は今度こそ本当に硬直して、動かすことが出来ない。
組み合った二人の隙間から、思いがけず軽い音を立ててナイフが路上に転がった。
しかし、その二人はなおももつれあったまま、格闘を続けている。
離れて見ていた男性の一人が、隙を見てナイフを遠くへ蹴飛ばした。
「あの男を取り押さえろ!!」
どこからともなく叫び声が上がる。
その声をきっかけに、別の数人の男性たちが飛び出し、涼太に加勢した。
しばらくもみ合った末に、不審な男は、男性たちに組み伏せられた。
紗綾は、ヘナヘナとその場にしゃがみこんだ。
数台のパトカーで駆けつけた警察官たちに、男は拘束された。
観念したのか、その男はうなだれて、おとなしく警察の車両に乗せられていく。
涼太はその様子を見届けて、ようやく一息つくことが出来た。
それから誰かを探すように人だかりを振り返り、あちこちを見渡す。
そして無事でいる紗綾の姿を見つけると、わずかに口角を上げた。
「遠藤さん、大丈夫?怪我はない?」
涼太はしっかりとした足取りで、紗綾へ歩み寄りながら、ゆっくりした口調で話しかける。
「ありがとう、大丈夫。……涼太くんは?怪我はしてない?」
彼の顔色は少し青ざめているようだが、それ以外は特に異常がなさそうな様子だ。
紗綾は自責の念に駆られ、泣きそうになった。
あの瞬間は情けないことに、ずっと自分の身体は硬直し、足は小刻みに震え続けていた。
涼太が不審な男と格闘している間、ほとんど何も手助けすることが出来なかった。
紗綾は、慣れない上に動きづらい着物を着て来たことを、心底後悔していた。
(泣く資格なんて私にはないのに、涙をこぼしそうになるなんて、本当に申し訳ない……)
「多少身体をぶつけた気がするけど、たいした怪我じゃないよ、大丈夫。」
一見したところ、流血したり、どこか怪我しているようには見えない。
それでも、紗綾は不安で仕方なかった。
「……ごめんなさい。本当にごめんなさい。こんなことに巻き込んでしまって……。も、もし、涼太くんが怪我をしてたら、私……。」
「ハハ、大げさだよ。」
そこまで話した時、事情を尋ねる警察官たちがやって来た。
二人が尋ねられるままに、事情をしばらく説明していると、涼太の言葉が突然止まった。
「……。」
異変に気付いた紗綾が見上げると、彼の顔色はさっきより悪くなっている。
そして痛みをこらえているように、頭を片手で押さえて呻き始めた。
眉間に軽くしわを寄せている。
「……う……。」
「……あれ?……大丈夫?涼太くん……」
涼太はゆっくりとうずくまると、そのまま意識を無くし、横向きにどさりと崩れた。
倒れた彼の顔色は、雪のように白い。
「……!!」
「お、おい、君…大丈夫か!?」
「……ど、どうしたの?……涼太くん、大丈夫?」
驚いた紗綾はしゃがみ込み、涼太に声を掛ける。
慌てて肩に軽く手を当てたが、涼太は目を開けなかった。
(……どうしよう!)
「君、大丈夫か?……おい、救急車要請して!」
かがみこんで涼太の意識を確認していた警察官が、車両で待機している別の警官の元へ走って行く。
「え…。何…?誰か倒れた…?」
「あの人、さっき犯人と格闘した人じゃない…?」
さっきとは違う種類のざわめきが、周囲に広がる。
程なくして人混みをかき分けるように、サイレンの音と共に救急車が現れた。
涼太が担架で担ぎ込まれると、紗綾も付き添って救急車に同乗することを許可された。
◇◇◇◇◇◇
(どうしよう、どうしよう、私のせいだ……)
(自分のせいで、涼太くんがこんなことに……)
狭い救急車の中で、紗綾は何度となく自責の念に駆られた。
(せっかく仲良くなれたのに、こんなの嫌だ……)
涼太は苦しそうに、少し眉根を寄せていた。
何度も声を掛けているが、気が付く様子は見られない。
(嫌だ、早く気が付いてほしい……)
紗綾はそっと涼太に近づいた。
『なんなら、手をつなぐ?』と揶揄うように笑った涼太の笑顔を思い出す。
せっかくそう言ってくれたのに…
その時の紗綾はちゃんとした彼女でもないのにそんな図々しいことは出来ないと思った。
そしてなによりも恥ずかしかった。
それなのに……
それからわずかの時しか経っていないというのに、今では彼は意識を失い、その顔色は真っ青だ。
あの優しい表情は消えてしまった……。
紗綾は両手で、涼太の片手をそっと支えるように挟みこんだ。
「涼太くん……」
涼太の手は紗綾よりかなり大きく、関節がしっかりしていて指が長い。
そして暖房の効いた車内なのに、信じられないくらいに冷たかった。
その冷たさは、否応なく不吉なものを感じさせる。
紗綾は思わず目をつぶり、首を振った。
(嫌だ……嫌だ……帰って来て…!涼太くん!)
もしも自分の掌の体温がその手に伝わったなら。
芯まで温めることが出来たなら。
涼太の意識が戻ってくるだろうか……
そんなことは関係ないと頭では分かっていても、彼の手を温めずにはいられない。
(神様、お願いです……!涼太君が無事に目を覚ましますように……!)




