14.お正月は松葉色
「行ってきまーす。」
「転ばないように足元に気を付けてね~~!行ってらっしゃい!」
満面の笑みの母に見送られて玄関を出る。
「やっぱり外は寒いね…。」
しかし防寒インナーと手袋を装着し、ストールを羽織っているため、それほど辛くはない。
正月の空気はどこかキリっとしている。
通り過ぎる家々のそれぞれの門口にはしめ縄が飾られていた。
すっきりと晴れて、風が穏やかなのが嬉しい。
「思ってたより歩きにくいなあ…。」
ずっしりと重量を感じる着物で歩いてみると、洋服での歩き方とはまるで勝手が違うのが分かる。
草履にも慣れていない。
紗綾は注意深く、なるべく凸凹の少ない路面を選んで歩くようにした。
街にいつもの喧噪はなく、駅の構内も、ガランとしていて人が少ない。
しかし、大きな神社の最寄り駅に近づくにつれて車内はだんだんと混みあうようになった。
実際に改札口を出ると、かなりの人出で賑わっている。
それは静かな正月というよりは賑やかで心が浮き立つような雰囲気だ。
紗綾は待ち合わせ場所に、涼太より先に到着した。
(……もしかして、私の着物姿ってどこか変じゃないかな?)
紗綾は緊張しながら、一人で涼太を待っている。
すると目の前を通り過ぎた女性たちの囁く声が、にぎやかな喧噪に混じってかすかに耳に届いた。
「カワイイよね、着物……」
「アンティークかな……カワイイ……」
「私も着物、着て来れば良かった……」
大勢の参拝客の中には、紗綾と同じように晴れ着を身にまとった女性もチラホラと見かける。
自分のことを言われているのではないのかもしれない。
それでも紗綾は嬉しいような恥ずかしいような不思議な気分になった。
(涼太くんは、今日の私を見てどう思うのかな……。なんか勢いでこんな格好してきちゃったけど、変な人だと思われないといいな……。)
紗綾の気持ちは、恥ずかしさ、期待、不安で出来た三角形の座標の中をゆらりゆらりと移動する。
人混みの中でも、長身の涼太の頭は見えやすい。
遠くからでも、紗綾を探している涼太の姿はすぐに見つけられた。
(あっ、涼太くんだ……。)
紗綾は涼太の居る方向へと近づいたが、背中を向けている涼太に、なかなか声を掛けられない。
心臓は激しく鼓動し、このまま回れ右して逃げたくなる衝動に駆られた。
(あーもう、なんか逃げちゃいたい…。でも、でも、せっかく来たんだし…。)
矛盾する二つの感情の狭間でしばらく葛藤したあと、紗綾はようやく声を絞り出した。
「りょ、涼太くん……」
スマホを見たりキョロキョロしたりを繰り返していた涼太は、声を掛けられて振り向いた。
「……あれ??……遠藤さん……??」
少し訝しむような声で言った涼太は、その女性が紗綾であることを認めると、息を呑んだようだ。
紗綾は極度に緊張していて、彼の顔をまともに見られない。
「…あの、…あ、明けまして、おめでとうございます。」
「あ、明けましておめでとうございます。……あれ?遠藤さん、今日は……」
紗綾が思い切って彼の顔を一瞬見上げると、涼太は目を丸くしていた。
彼には、着物で来ることを伝えてはいなかった。
なんとなく、驚く顔が見たいと思ったからだ。
「あの、実は、お正月だから、これ、お母さんに着せてもらったの……」
言葉を無くした涼太の表情を何度か覗き見ているうちに、紗綾はなんとなく緊張がほぐれた。
多分、悪い印象は抱かれていない、そんな気がして、少し気分が高揚する。
「へえ……。いいね。うん、すごく、似合ってると、思う…」
涼太は紗綾の着物の上から下まで視線を走らせると、輝くような笑顔を見せた。
「その、浴衣。」
「………。」
気まずい沈黙が流れた。
「………??あれ?」
次第に涼太が不思議そうな表情になる。
「……えっと、これ、浴衣じゃなくて、着物なんだ。浴衣って、夏に着るものだから……。」
なんとなく気まずい気分で紗綾は答える。
「……ああ、そうなんだ。なんか、ごめん。」
涼太はパチン、と手を合わせる。
「男の人って、あんまりそういうのに関心ないもんね……そりゃ、そうだよね…。」
紗綾は緊張がほぐれてきた。
そのうちにだんだんおかしくなり、笑いがこみ上げてくる。
(涼太くんって、なんか完璧ぽいイメージなのに、時々こういう風になるよね…。)
「…あははっ。なんか、おかしい…ふふっ。」
「??」
微笑みながら不思議そうにしている涼太を見ていると、紗綾は妙な感覚を覚えた。
「遠くから見ていた素敵な男性」の知らない一面を、少しずつ、発見していく…。
「リアルな友達」として、等身大の彼が、そこに居た。
紗綾はぎこちなく、涼太と並んで歩きだした。
(草履があるから、普段より背が高く感じる…。涼太くんとの身長差が、縮んでるみたいで嬉しいな…。)
神社へと向かう参道は人が多いため、平らな路面ばかりを選んで歩くことは出来そうにもない。
慎重に歩いていたものの、狭い歩道の急な傾斜は足を取られやすかった。
「キャッ!!」
油断したつもりはなかったのに、紗綾はいきなり転びそうになった。
その腕を、咄嗟のところで涼太が掴んで支える。
「大丈夫?」
紗綾はバランスを崩したものの、なんとか転倒だけは免れた。
「……あ、ありがとう…。大丈夫……。」
焦りながら、支えられてまっすぐに立ってみる。
足首を動かして確認すると、幸いにも傷めた様子はなかった。
「ありがとう、……なんだか、ごめんなさい……。」
一人で歩いていた時は大丈夫だったのに、涼太に会って緊張しているのか、もしくは浮かれているのか…。
(気を抜くと、すぐに涼太くんに迷惑かけちゃう…。私って、なんて注意力散漫なんだろ…。)
「……もし遠藤さんが嫌じゃなかったら、この腕に掴まる?」
涼太が紗綾に近い方の腕を差し出した。
(……!!)
「う、ううん、大丈夫…ちゃんと歩けるよ…。ここの歩道狭いから、すごく斜めになっててちょっと歩きにくいだけ…。気を付けてれば大丈夫だから。」
焦って言いながら歩き出した瞬間、紗綾はまたつまずいた。
今度はごくごく軽くひねっただけなので転びそうにはならない。
「……。」
涼太を確認すると、「どうする?」という表情でニコニコしていた。
(気まずい…。)
これ以上強がってみても、醜態をさらすだけなのかもしれなかった。
「あの、…やっぱり、掴まらせてもらっても、いいかな…??」
「いいよ。なんなら、手をつなぐ?」
涼太はいたずらっぽく笑っていたが、その目はあくまでも優しい光をたたえている。
紗綾は猛烈に恥ずかしくなった。
「……て、手をつなぐのは、なんだか申し訳ないから、掴まらせてほしいかな……」
「はい、どうぞ。」
涼太は再び腕を差し出した。その仕草はどことなく紳士的で優雅に見える。
(どうしてこの人は、こんなにいつも余裕があるんだろう?…同い年の筈なのに。それに引き換え、私ってずーっとドタバタしてて、見苦しいよね……。)
「ありがとう……。」
涼太の腕の、厚い上着の部分だけを注意深く指先でつまむ。
服越しとはいえ、こんな素敵な男性の腕に触れるのは、許されない気がした。
彼の腕につかまって歩いている自分は、他の人たちから見ればどんな風に映っているのだろうか。
もしかしたら、彼氏彼女に見えているかもしれない…。
そう考えると、紗綾は涼太に申し訳ないような気がする。




