10.夜更けの雪色
(完璧に見える涼太くんが、猫が苦手…。意外…。)
それを知って、紗綾はなんとなく以前よりも涼太に親近感を感じた。そして少し気になっていたことを、話してみたくなった。
手袋にくるまれた指を、一瞬ギュッと握りしめる。
以前の紗綾なら、そんなことを持ちかける勇気はなかったかもしれない。
しかし今日は、帰るついでとは言え、イルミネーションにも誘ってもらえたのだ。
『一緒にイルミネーションを見てもいい』と思ってもらえる間柄なら、きっと、ダメとは言われないだろう。
たとえ、二人で写った写真が、激しく不釣り合いに見えたとしても……。
「……あの、涼太くん……」
時折吹く風はまだ強い。紗綾は髪を押さえた。
「はい?」
「あの、私、敬語で話してないし、……だから、涼太くんも、普通の話し方にしない?」
涼太は嬉しそうに視線を合わせた。
「いいんですか?」
「……う、うん、全然…いいよ。」
涼太はくしゃっと笑った。目元が思いがけず、人懐こくなった。
(よ、良かった…。こんなに嬉しそうな表情をしてもらえるなんて…。まるでワンコみたいな笑顔だなあ……か、かわいい!!)
「遠藤さんは、まだあまり話してなかったから、馴れ馴れしくしちゃいけないかと思ってました。……そういえば……」
(他の人には敬語じゃないのに私にだけ敬語だから、疎外感を感じていた、なんて、絶対に言えない…!)
紗綾のテンションは一方的にぶち上がっている。
「そういえば、遠藤さんって、前に会ったことって、あるのかな?なんか見覚えがある気がする。」
紗綾は息が止まりそうになった。思わず呼吸が乱れ、咳こんでしまう。
「ゲフッ!ゲホゲホッ…」
(どうしよう!!さっき食べた干し芋が戻ってきそう……万が一、こんな素敵な男性の前で、ひどい醜態をさらしたら……)
「ゲホゲホッ…」
(もう、もう、生きていけない!!人としての、尊厳を失う!!)
恐怖にさいなまれながら必死の努力をした末に、紗綾の尊厳はかろうじて守られた。
「大丈夫?」
「う、うん…。」
(……こちらは夢で、あなたと同じ顔の男性に何度も会ってます、なんて気持ち悪い事、言えるわけ、ないよ!!)
スウ、ハア…。スウ、ハア…。
紗綾は呼吸をなんとか整え、なるべくナチュラルを装って答える。
「……え、えーっと。も、もしかしたら、どこか学校とかで、一緒だった事があるのかもしれない…よね?」
お互いに、今まで通っていた学校を挙げてみたが、同じ学校だったり近隣の学校であった様子はない。
「うーん、どこかで見たことあると思ったけど、違ったか…。うーん、遠藤さんが誰かに似てるのかもしれないなあ……。」
涼太は遠くの方を見つめてしばらく考えこんでいた。
「あ、そうだ、モモコに似てるのかも。」
「……モモコ??」
なにやらスマホで画像を探し始めた涼太を見て、紗綾は急に怖くなった。
(モモコって、誰?……ひょっとして、彼女だったりする??……そ、そりゃ彼女くらいいるよね?……でも、ちょっと待って、心の準備が必要かも……)
紗綾の鼓動は早くなる。
「あった。……これ。」
怯えている紗綾の目の前に、容赦なく差し出された彼のスマホには、シーズー犬の満面の笑顔が映し出されていた。
「ウチのモモコ。もうけっこうお婆ちゃんの高齢犬なんだけど、可愛いんだ。」
「!!!!!……?????」
紗綾の顔色は最初に青くなり、その後しばらくして赤くなった。
(ええっ!!これって、どう答えるのが正解?分からない、分からない!……けど、泣きそう…あ、いや、と、とにかくなんて答えたらいいの…!?)
咄嗟のことで、紗綾は一言も言葉を発することができない。
恐怖、驚愕、落胆、そんなものが入り混じった紗綾の表情は、さぞかし妙なものだったのだろう。
無言のリアクションだったのにも関わらず、涼太はさすがに気配を察したらしい。
「……あっ!もしかして、気に障った?」
紗綾はなんとか取り繕った。
「……ううん、そんなこと、ないよ。私、友達にもよくワンコに似てるって言われるから、アハハ…」
我ながら、あまり上手く取り繕えなかったような気がする。案の定、しまった、という表情で涼太は謝った。
「なんか、ごめん……」
しょんぼりした涼太を見るに見かねて、紗綾はフォローに入った。
「謝らないでよ、可愛いワンちゃんだね…」
なおも涼太は神妙な表情を変えない。
「……ああ、本当、ごめん。」
涼太は少し沈黙し、しばらく考えた後、口を開いた。
「うーん、そうだ。お詫びに、今度何かご飯とか、お茶とか、奢らせてくれる?」
「……え?いいの??」
暗い雲間から満月が覗いたかのように、紗綾はあっという間に笑顔になった。
食べ物に関する事なら、だいたい心底嬉しくなるのだ。
「うん、もちろん。何がいい?」
紗綾は割合食い意地が張っている方かもしれない、と自分では思っている。
「えっと、えっと……何がいいかな……??」
食べてみたいもの、行ってみたいお店は、実はけっこう沢山ある。
友達の間で話題になっているお店にも行ってみたいし、SNSで流行りのスイーツにも興味がある。
気になってはいるがまだ行けていないお店は、いつだってリストに積み重なっている。
いざどれにしようか考えても、すぐには決められそうになかった。
「……じゃあ、ちょっとゆっくり考えてもいい??どのお店がいいか、また連絡するね!」
「了解!」
そのとき、一段と風が強く、冷たくなった。
凍える寒さに思わず身をすくめた紗綾は、その風に何かが混じっているのに気が付いた。
小さな雪の粒が、ところどころに見える。そう思った矢先に、大量の雪の粒が空から吹き付けてきた。
「…あれ、雪…?」
「えっ?本当だ……。」
あたりはあっという間に吹雪になった。
粉雪は容赦なく、人にも街路樹にも吹き付ける。
わずかに街に残っていた、クリスマスの浮かれたムードが消し飛んでいくようだ。
「遠藤さん、早く屋根のあるとこ行こう!」
「うん!」
先ほどから強い風が吹いていたのは、雪の降る前触れだったのかもしれない。
二人の髪にもコートにも、粉雪がついて真っ白に覆われていく。あまりの寒さに、紗綾の耳はちぎれそうに痛い。
慌てて駅の出口に駆けこんだ二人は、屋根の下で雪を払った。
「すごい雪だね…」
紗綾の指先は、手袋をしていても、かじかんでいた。
「遠藤さん、まだたくさん髪についてるよ。」
「…ほ、ほんと?」
涼太に笑いを含んだ目で優しく見つめられると、時が止まったような感覚になってしまう。
せっかく頑張って自然な感じを装っていたのに、また挙動不審になりそうだ。
紗綾は駅の改札口で、涼太と別れた。
二人とも髪にわずかに残った雪が溶け始めて、少し濡れている。
「ここまで送ってくれて、ありがとう!」
笑顔で手を振り合って、背を向け、紗綾はホームへの階段を下り始めた。
今夜はたくさんの出来事があって、全体的に……特に後半は、夢を見ているようだった。
遅い時間なので駅の乗降客はかなり少ない。
この階段には常に風が吹き抜けているが、人が少ないせいかいつもより風が強く感じる。
暖房の混じった、生暖かい向かい風の空気に吹かれて階段を下っていると、少しずつ冷静になった。
(……あれ?……これって、もしかして、…デートの約束だったりする…??)
(……ううん、違う違う、そんなわけないよね……。え、でも…こういうの、初めて、かも…。)
◇◇◇◇◇◇
帰宅した紗綾は、わずかに濡れた髪もそのままに、リビングに入ると叫んだ。
「ただいま!!」
「お帰り!あら~、濡れちゃって、寒かったでしょ?雪が降ってるもんね、紗綾大丈夫かなって、心配したわよ~。一応、チキン焼いてあるし、ケーキも予約したの買ってあるわ~、食べるでしょ?」
「うん、食べる!ていうか、お母さん!!お願いがあるんだけど!!」
「ん?なに??」
「今度、着物着せてほしい!!!」
「………ええええ!?ど、どうしたの!?」
音もなく降り続ける雪は、積もるほどではないが止みそうもない。
深夜の遠藤家を窺っていた人影が、泥雪混じりの路面を引き返して行った。




