1.レトロな若草色
(このコ、誰だろう?)
いつの間にか、隣に坊主頭の少年が座っている。
年の頃は10歳くらい。つぎはぎだらけの着物を着ていて、一枚の葉っぱを唇に当て、かぼそい音で器用に曲を奏でている。聞いたことのないメロディだ。
少年はゆっくりとこちらを振り向くと、微笑んだ。可愛い笑顔だ。
「この草で吹くのは難しいんだ。莢子と冬子は、こっちの草でやるといい。」
そう言うと彼は立ち上がって、周りの草から何かを摘み取りだした。
話し方は優しくて、幼いながらも頼りになるお兄ちゃん、という感じだ。
「ほら、カラスノエンドウの豆。こうやって、端をちぎって、開いて…豆を取り出したら、出来上がりだ。これだと、曲はなかなか吹けないけど。」
彼は豆を取り除いた幾つかの莢をこちらに手渡し、自分も口にくわえると、すぐに鳴らしはじめた。
(そうだ、思い出した。私、このお兄ちゃんのこと、好きなんだっけ。なんで忘れてたんだろう。)
渡されたものを口に当てて、真似して息を送ってみる。鳴らない。
冬子と呼ばれた、隣に座っていたもう一人の少女も、同じように鳴らそうとし始めるが、一回ではうまく出来ない。
(このコも、見覚えがある…。)
ぼんやりと思いながら、何度か顔を真っ赤にしながら挑戦していると、少しずつ音が鳴るようになった。
「そうそう。莢子はすぐ出来るようになったな、すごいぞ。上手いな。」
「冬ちゃんのも、もうすぐ鳴りそうだよ…、あっ、鳴った!!冬ちゃんも、私も、二人とも音が出るようになったね、やったあ!」」
自分の口が勝手に動いて、子どもの声で話すのを聞いているのは、不思議な感覚だった。
「二人とも、やるな。すぐに俺より上手くなるんじゃないか。」
ほめられて、俄然やる気が出ているのが自分でも分かる。
(……このコ、優しい。)
弱弱しい太陽の光が、雲間から辺りをまだらに照らしている。
冬枯れした草むらから、放射状の小さな草花の芽が早くも伸び始め、辺りは柔らかい新緑に覆われている。
(今って春先なんだなあ…。)
少し湿気を含んでいて、それでいてどこかに冬の厳しさを潜ませた、柔らかい風が耳元のおくれ毛を揺らす。
周囲をなんとなく観察しながら練習していると、小さな男の子の集団が通りがかった。どの子もやはり、つぎはぎだらけの着物に丸坊主だ。
(なんだか、発展途上国みたいな雰囲気…。)
「リョウ兄ちゃん、こんなところで座ってないで、こないだみたいに野球ごっこしようよ。」
「野球って言ったって、今日はボールもないだろ?また今度だ。」
「ちぇっ。……女の子たちと何やってるのかと思ったら、草笛かよ。そんなの鳴らすの簡単だろ。俺たちにだって出来る!!」
「俺も出来るし!!」
男の子たちも次々に豆を摘み取り、先を争って挑戦し始めた。しかし、なかなかすぐに音は鳴らない。
あっという間に飽きたらしい一人が、気づかなくて良いことに気が付いた。
「あれ???莢子が莢を笛にしてるのか??……ハハハ!サヤコがサヤ吹いてる!サヤコがサヤを笛にしてる!ハハハ!」
「本当だ!!サヤコがサヤ吹いたら、共食い、じゃなくて、共吹きか?ギャハハ!」
「ギャハハハ!ほら、吹いてみろよ、サヤコ!うまく共吹きしてみろよ!」
(ひどくない?子どもって、残酷すぎるよ…。)
思いがけず悲しくなり俯いた莢子の視界は、みるみる歪み始めた。
自らの膝あたりの着物の縞模様がぼやけて見える。
リョウ兄ちゃんと呼ばれた少年が、のんびりと、穏やかな口調で口を開く。
「おいおい、女の子をからかって、それで勇士になれるのか?愛国烈士、爆弾三勇士だったなら…。たとえ尋常小学生の時分であっても、そんなことしなかったんじゃないか?」
男の子たちはピタリと黙った。
「たとえば今、勇士が尋常小学校一年生で、ここに居たとしたら…」
リョウ兄ちゃんは、少し間を置いた。
「どんな任務を任されるだろうな?」
「爆弾を、抱えて、トツゲキする!」
「爆弾三勇士だ!!」
「あの木を目標にしよう!!トツゲキだ!!」
男の子たちは、空中で見えない何かを大事そうに腕で抱えた。
そしてその腕の形を保ったまま、興奮と緊張の混じった面持ちになると、突然走り去った。
どうやら遠くに見える木に「トツゲキ」するらしい。歓声が遠ざかる。
「莢子、大丈夫か?」
「うん…」
「あいつら、ああやって要らないことばっかり言うんだよ。本当に腹立つよね!気にすることないよ、莢ちゃん。」
冬子も憤懣やるかたないという様子で口をはさむ。
「お兄ちゃん、あんな奴ら、殴っちゃえば良いのに!!」
「おいおい、俺はあいつらより三つも年上なんだぞ?チビたちを殴ったら弱い者いじめになるじゃないか、そんな訳にはいかないよ。」
リョウ兄ちゃんは冬子の怒りをまったく気にしていない。
「それにしても莢子は泣かなかったな、偉いぞ。」
「ううん、本当はちょっと泣きそうになったよ。でも我慢したの。」
「ハハ、そうか、偉い偉い。」
二人に慰められて、莢子の気分はほとんど元に戻った。
改めて身じろぎしてみると、懐の中で何かがガサガサと音を立てる。
紙包みがそこに入っているのに気づき、取り出して開いてみると、そこには干し芋の切れ端が数切れ入っていた。
「あっそうだ、私、干し芋持ってきたの。干し芋好きなんだ。みんなは好き?」
(良かった!我ながらナイスタイミング!嫌なことがあっても、美味しいものさえあれば、気分って回復するよね。)
「美味しいよな、好きだよ。」
「私も大好きー!」
「じゃ、みんなで食べよう」
そそくさと三人で分配する。
「うわあ、莢ちゃんありがとう!」
「ありがとうな」
「干し芋、干し芋」
ワクワクしながら、両手の指先につまんだ干し芋を、食べようとして……
紗綾は目覚めた。