第11話 文化祭 後編 P.12
「あー!ちょっと休憩!もうくったくただよぉ~!」
麗奈の傍で、マナがそう叫んだ。麗奈もマナと同意見だ。かなり体中が疲労感に包まれている。二時間近くも、ずっとスパルタで演技の練習をしてきたのだ。さすがにちょっと休憩しないと身体が持たない。
「しっかし、あたしの役はなんだろうね?ヒロインの妹役なんている?」
「まぁまぁ。日村さんがせっかく作ってくれたんだもん。」
「麗奈ちゃんはいいね~。やっぱりヒロインは違うね~?」
「もう。それって嫌味?」
「あははは♪」
麗奈とマナがそんな風に会話をしていると、そこに結衣が近づいてきて「二人ともお疲れ様。」と声をかけてきた。結衣も委員として、今の場を十分に仕切ってくれたからやりやすかったといえばやりやすかったのだが……あのスパルタはきつかった。
「結衣もお疲れ~。さっすが結衣の指示はばっちしだね。今日だけでずいぶん進んだんじゃない?」
麗奈が台本をめくりながらそういうと、結衣はちょっと困ったように笑った。
「ありがとう。でも……今日はここまでかな。みんなの感じを見たら……」
結衣の言葉を聞いて、麗奈とマナはそろって周りを見渡した。すると、すごく陰湿な雰囲気だった。エクセトラの役の人から殿様役の人まで、全員ぐったりしている。顔が青い。みんな麗奈たちのようにとっても疲れているのだろう。そして、そのぐったりしているみんなに日村さんが「ごめんなさい!ごめんなさい!」と切実に謝っている。さっきまでの日村さんとはまったくの正反対だ。
「あはは……だね。」
「日村さんすごいよね。あんな日村さん初めて見たよ、あたし。」
「好きなことには熱が入るっていうじゃない?日村さん、小さい時から演技とかにすごく憧れてたみたいだよ?」
「でも、日村さんは監督っていう立場で演技しなくない?」
「憧れてるんだけど、いざ演技をすると恥ずかしくってどうしても駄目みたい。だから脚本とかそういうのを手掛けるようになったんだって。」
結衣の説明通りなのだろう。こういう舞台劇とか、お芝居とかきっと日村さんはものすごく好きなのだ。そして、文化祭でやるのは自分が作ったストーリーなわけだから余計に力が入ってしまう。わからないことはない。
「すごいねー。あたしもあんなふうに“これが好き!”っていうの見つけなきゃ。」
「弓道は?」
「あれは高校からだし、やってみようかなって思っただけだもん。そうじゃなくて、趣味とかそんなの。」
趣味か……そういわれると、麗奈自身もそういうのないかもしれない。音楽は好きだから、吹奏楽部に入ったのだけど、日村さんのようにまではいかない。あんなふうに人が変わるくらい、好きってものあるだろうか。そう考えると、日村さんはとてもすごいと思う。
今思えば、健斗もそうだ。健斗も普段はおっとりというか、のげーっ!というか、ぼんやりしているけれども、サッカーをやっているときの健斗はとっても魅力的だ。あれも好きなことをしていると人が変わるというものだ。切実に羨ましいなと思う。
「趣味か~……私は読書かな。」
「結衣、本読むの~?似合いすぎ~!」
「おばあちゃんがいろんな本を読みなさいって子供のころから言ってたから。それを影響して、私もいろいろ読むようになったんだ。」
「本か~。あたしはちょっと無理かな。活字読むの疲れちゃうもん。」
「マナはそういうタイプっぽいよね。」
「あ~!今、馬鹿にしたでしょ?」
「ちょっとね~♪」
そんな風に言い合いながら、三人は楽しくおしゃべりをしていた。すると、そこに……
「大森さん、佐藤さん、早川さん!」
「はい?」
そこに来たのはさっきまでいろんな人に謝り続けていた日村さんだった。眼鏡の奥には泣きそうな目で麗奈たちを見ていた。
「さっきはごめんなさい!!」
そういって日村さんは深く頭を下げてきた。顔を真っ赤にして、ひたすら謝罪の意を見せてくる。いったい何に謝られているのか麗奈は理解できずにマナと結衣を見た。すると二人も突然謝られて唖然としていた。
「わ、私、本当に……駄目なの。こういうことになると、つい熱くなっちゃうというか、こだわっちゃうというか……私が私でなくなるというか……とにかく、本当にごめんなさい!!」
「あ、い、いいよ、日村さん。顔を上げて。私たち、別に怒ってないから。」
それで日村さんが何に対して怒っているのかを理解した麗奈はそういったのだが、日村さんはまったく顔をあげようとしなかった。すると、結衣が微笑んで日村さんを見ながら言った。
「そうだよ。日村さんは一生懸命やってくれたじゃない。私たち、とっても感謝してるんだよ?だから、顔をあげて?謝らなくていいから。」
「うぅ……」
「ちょっとスパルタすぎるけどね~。まっ、でもそのおかげで今日だけでだいぶ進んだし?」
「うぅ……」
「ちょっとマナ?」
「てへへ★」
三人の言葉を聞いても、日村さんは全く顔をあげようとしなかった。本当に申し訳なく思っているんだろう。こんなことをしなくても、別になんとも思っていないのだから、大丈夫なのだが……日村さんはこういう真面目な子なのだ。麗奈はそんな日村さんを見ながら、にこっと笑った。
「日村さん、のど乾いてない?」
「え?」
そこで初めて日村さんが再び顔を上げた。聞かれたことにちょっと驚いているみたいだった。
「仕事が終わって疲れてるでしょ?私、飲み物買ってくるよ~!」
「え、あ、い、いいよ!というか、それなら私が……」
「いいから、いいから♪結衣とマナの分も買ってくるね?それじゃ!」
「あ、大森さ――」
日村さんは何か言おうとしたが、麗奈はその前にまるで風のように教室を出て行った。麗奈が凄まじいスピードで教室を出て行ったあと、ほかの三人はぽかんとそれを見つめていた。と、そこでマナが結衣のことを肘で突っつく。
「ねぇ、あれどう思う?」
「あれって?」
「麗奈ちゃん。やっぱり、いつもの麗奈ちゃんだよね。」
「あ……うん……まぁ……」
「とても健斗と喧嘩したようには見えないよね?いつもだったら、もっとわかりやすいっていうか……でも今の麗奈ちゃん、とっても自然。」
「うん……」
教室を出て行って、麗奈はみんなの飲み物を買いに行くために学食の方へ向かっていた。自動販売機に買いに行こうかと思ったが、四人分(麗奈を含めて)の飲み物を一気に買うならそっちの方がいいと思った。廊下を走って、角で曲がり、一番奥の階段まで走って行こうとした。そこを降りていけば、学食が目の前にある。麗奈はそう思ったところで、ぴたっと歩みを止めた。
その目の前から歩いてくる人物を発見したからだ。その人物を見て、麗奈の心が大きく揺れ動いた。
健斗だった。健斗は大きく欠伸をしながら、手にたくさんの何かが入ったビニール袋を持ってこちらにゆっくりと歩いてくる。
「途中でみんなの分のやつを買うのを思い出して、学食で買ったのはいいけど……すっごい量になっちまったなー……」
そんなことを一人でつぶやきながら、歩いていたところで健斗は麗奈の姿を見て一瞬同じようにピタッと足を止めた。だが、それからすぐにこちらに向かって歩き出す。
どうしよう。どうしよう。
健斗がこっちに向かってくる。麗奈の心臓は激しく動悸した。このままでは対面してしまう。いや、もう目があった時点で遅いのかもしれないが。逃げてしまおうかと思った。だが、体が、足が思い通りに動かなかった。
そんなことを考えいてる間に、健斗はどんどんこっちに近づいてくる。気が付いたときには、もうほとんど目の前にいた。麗奈はその顔が見れなくって、すぐに下を俯いた。今、健斗はどんな顔をして麗奈を見ているのだろう。早く通り過ぎて行ってほしい。そう思ったのだが、健斗も麗奈の前に来るとそこで立ち止まった、じっと麗奈のことを見つめていた。
しばらくお互い沈黙が続いた。すごくつらく、耐えられない時間だった。
が、そのときだった。
「ほら。」
「ひゃっ!」
麗奈の額に冷たいものが当たった。健斗が手に冷えたジュース缶を麗奈の額に当てていたのだ。麗奈はそれを見ると、健斗の表情が見えた。健斗はとても普通の目をしていた。怒っている目ではなく、いつものようにこんな風にばったり出会った麗奈に対する目だった。
「ん。」
無造作に、ジュース缶を差し出してくる。受け取れ、という意味らしい。
「あ……ありがとう……」
麗奈はお礼を言いながら、差し出してきたジュース缶を受け取った。ジュース缶はまだ冷たくて、その感触が掌に広がった。
「……演技の練習、もう終わったのか?」
久しぶり。本当に久しぶりに声を聞いた気がした。それは、本当にいつも通りだった。いつもどおりのトーンだ。暖かくて、優しい。何も変わらない。変わらないことが怖かった。だから、麗奈は言葉を発せず素早くうなずいた。
「……そっか。」
健斗はそういうと再び歩き出して、麗奈の横を通り抜けた。それ以上何も言ってくれない。それでいい。そのまま私から、遠ざかって行ってほしい。そう思った。
「あ、あの!」
なのに、自分とは無意識に健斗を呼びかけていた。健斗は麗奈の声を聴いて、ぴたっと足を止めた。そしてゆっくりと振り返って麗奈を見つめる。麗奈は目が合わせられず、戸惑ってまた下を俯いた。どうして呼び止めたの?自分でもわからない。
「あ……えっと……その……あの……」
何を言おうとしているのかさえ分からなかった。もしかして、あの日のことを謝ろうとしているのだろうか。それがいい。それが一番かもしれない。そうすれば、健斗はきっと笑って許してくれる。いつものように笑って、「気にすんな。」って言って麗奈の頭を撫でてくれるはずだ。でも、それをしてしまえば……あの覚悟はどうなってしまうのだろう。自分は、そこから退場するって決めたはずだ。
健斗は麗奈の次の言葉を待つように、そこにいた。でも、麗奈は言葉が詰まって何も言い出せなかった。
「……ヒロインさ。」
「え?」
健斗が先に口を開いた。健斗はちょっと恥ずかしそうな顔をして、口をとがらせている。
「ヒロイン……なれてよかったな。」
「ヒロイン……?」
「この前、早川と……ちょっとなったじゃん。どっちがなるかって……」
「うん……」
「あのとき……その……」
健斗は麗奈から目をそらした。そして前を向いて、その表情を隠そうとした。
「あのとき、俺はお前になってほしいなって思った。」
「え?」
「お前がヒロインになってほしいなって思った。だから……お前がヒロインに決まった時……うれしかった。」
「……健斗……くん?」
「……そ、そんだけだから!」
健斗はそういうと、耐え切れなくなったように走り出した。走り出す瞬間、麗奈は見た。健斗の耳はとても真っ赤になっていたこと。きっとたまらなく恥ずかしくなって、逃げだしたのだ。
しばらく取り残されたように、ぽかんと健斗が走り去った後を見つめていた。そして健斗の言葉が頭の中で反芻した。麗奈はもらったジュース缶をぎゅっと顔に押し付けた。冷たいはずが、徐々にそれを失っていったように思えた。