第11話 文化祭 後編 P.9
練習というのは、当然嘘だ。あの場から逃れるためについた、麗奈の口から溢れた出任せに過ぎなかった。
二人には悪いことをしたという自覚はあったが、それでも麗奈は一人になりたかった。健斗のあんな表情を見ると、胸が痛くなった。
一人になれる場所、屋上は恐らく健斗が向かっただろうから、麗奈は音楽室に向かった。ここなら、誰も来ない。少なくとも昼休みの間は。
麗奈は音楽室の窓から見える景色を眺めていた。健斗と口を聞かなくなって数日。募る思いはやがて消える。そう思っていたのに、それはむしろ逆でいっこうに消えない。
でも、これでよかったんだって自分に言い聞かせるしかない。俗に言えば正当化。自分は正しい。健斗はもう、麗奈のことを嫌いになったはず。自分のことなんか気にしないで、そう……これからは結衣といっしょに。
健斗に向かって、随分酷いことを言ってしまった。あんなことまで言うつもりはなかったのだが、感情が高ぶってしまったのだ。それは言い訳に過ぎないのかもしれないけど……
ごめんね。
ほっといてなんて嘘だよ。関わるななんて嘘だよ。でも……健斗は自分のことを知らないのは本当。健斗のいう「いつもの麗奈」というのは、本当の自分なんかじゃない。だから、それが少し許せなかった。でも、知らないのは仕方ない。言ってもないし、それは自分でも分からないのだ。本当の自分なんて……
今の自分に、嘘をついているつもりはない。繕っているつもりはないけど……それが自分に言い聞かせているようで自分が嫌になってしまうのだ。あの頃の自分が本当の自分なのか、それとも今の自分が本当の自分なのか。自分が知らないのに、そんなの言えるわけない。言えるわけ……
麗奈は窓から離れてピアノに触れた。トンと押すとピアノの音が音楽室に響いた。昔の家で、夏奈がまだ生きていた頃、幼いころの自分にたくさんピアノを教えてもらった。それは今でも残ってるよ。
物語や歌の台詞に出てくるような「過去が息づく」とはこのことなのだろうか?だとしたら、良い過去だけ残ってくれたら。今、息づいている過去は「亡霊」。過去の亡霊と呼ぶのがふさわしい。
私は何を言っているんだろう。軽く自嘲気味で心のなかで呟く。ピアノで夏奈に教えてもらったメロディーを弾きながら、それを麗奈は聞きながら静かに目を閉じた
健斗は三人に麗奈との間に起こった出来事を話した。三人とも、今までとは違う何かを感じ取ったのだろうか、真剣な表情で健斗の話を黙って聞いてくれた。
「私たちと別れた後に、そんなことがあったんだね……」
考えてみれば、あの日は早川と寛太ともいっしょに帰っていたのだ。そして、二人と別れたあとあんなことになってしまった。
「私と話していたときは、いつもとそんなに変わらなかったけど……」
そういえば、あのときは早川と寛太もいっしょに帰ってたんだということを健斗は今更ぬがら思い出した。早川と話しているときの麗奈が普通の麗奈だったことは知っている。健斗の知っているいつもの麗奈だ。
健斗はそれを聞くとやはり原因は自分にあるんだということを再確認した。
麗奈は間違いなく自分に怒っている。多分それの理由は……
「麗奈がそんときに言ったんだよ。俺は、麗奈のことなんか何も知らないって。だから自分の気持ちを分かったように決めつけるなって。」
健斗の言葉をひとつひとつ聞くために、三人は黙りこんだ。
「別にさ……そんなつもりはないんだ。俺は……でも麗奈は……」
「一つ思ったんだけどさ。」
健斗がいいかけてたときに佐藤が口を挟んできた。健斗は顔を上げて佐藤を見た。すると佐藤は真剣な顔をして健斗を、いや三人を見ていた。
「友達のすべて、何もかも知ってないと駄目なのかな?」
「え?」
「ほら、人にはさ言いたくないこととか、知られたくない過去のこととかきっとあるでしょ?それを全部知った上でないと人に何か言わないといけないのかな?」
「それは……」
「そんなんだったら。私だって麗奈ちゃんのことなんかほとんど知らない。結衣のことだって。ヒロのことだって……でもね、私は麗奈ちゃん含むこの五人が"仲間"だって言える。」
仲間……健斗の胸に重く響いた。
「あたしはこの五人が本当の仲間って思ってる。今のみんなが大好きだし、今のままでいいって思ってる。大事なのは過去じゃなくって、今……じゃないのかな?」
佐藤の言葉は正しいと思った。生きていけば、誰にも失敗があるし、それを糧とすればいいだけの話だ。わざわざ人に言うことでもない。それを知らなければならない理由がどこにあるのだろう。
佐藤が言うと、ヒロが口元で笑って見せた。
「お前の割には良いこと言ったな。」
ヒロがそう言うと、早川も笑って頷いた。健斗も笑って頷いた。そうだ。佐藤のいう通り、昔のことなんかどうだっていい。健斗にだって、知られたくないことなんて山ほどある。自分が嫌で嫌でたまらなくなったことだってある。
でも、それはもう昔のことであって今ではもうちがう。健斗もこの四人が最も信頼のおける中で、それは仲間と呼べる。辛いときや苦しいとき、いつだって助けてくれた。支えてくれたこの四人が、今の四人が大好きだ。
「うん。ありがとう。」
健斗が小さく笑ってそう言ったそのときだった。昼休みが終わるチャイムが鳴った。それを聞いた早川が慌て出す。
「大変!次の授業が始まっちゃう!早く行かなきゃ!」
「えー?別にいいんじゃない?次の授業って退屈じゃーん。」
「そういう理由でサボろうとしないの!早く行こっ!」
「はーい……」
早川が急ぐ中、佐藤は渋々と嫌そうにしながら早川の後に保健室から出ていこうとする。もちろん健斗とヒロも同じように教室に戻るために保健室をあとにしようと立ち上がった。
しかし、その前にヒロが振り返って健斗を見た。
「佐藤の言うとおりだからな、健斗。」
「え、あ、うん。」
「なら、それを麗奈ちゃんに伝えるんだ。」
「え、麗奈に?」
「俺がお前の話を聞いて思ったことは、やっぱ麗奈ちゃんの言ってた"あのこと"だと思うんだ。」
「あのこと……」
ヒロの言いたいことが分かった。あのこととは……麗奈が言っていた中学のときの嫌な経験。
「麗奈ちゃんは多分、そのことを今でもずっと引きずってんだ。何があったのかは知らないけど、麗奈ちゃんにとっては相当なことなんだとおもう。でも、それに捕らわれてる麗奈ちゃんの目をお前が覚ますんだよ。つーか、お前以外に覚ますことができるやつなんていないと思う。」
「……うん。」
健斗とヒロがそう話していると、保健室のドアが開いて外から早川の顔が出てきた。
「二人とも。早く行こう?」
「あ、オッケー。行くぞ。」
「……おう。」
とりあえず、次の授業に出るために健斗たちは保健室をあとにした。