第11話 文化祭 後編 P.7
早川と佐藤の二人に、保健室に連れて行かれようとしたのだが、健斗はそれを拒否した。理由は、保健室に行くことで先生に殴りあいの喧嘩したことを知られて、騒ぎになるのを避けたかったからである。
健斗の言い分を聞いて、佐藤と早川は納得してくれたが、早く冷やさないともっと腫れてしまう。そう言われて、今健斗はグラウンドの水飲み場にいた。佐藤が保健室に行って氷を取ってくるとのことで、その場には健斗と早川の二人だけだった。
「傷、痛む?」
早川に貸してもらったハンカチを冷たい水で濡らして、健斗は押しあてながら小さく笑って頷いた。
「でも大丈夫。これくらい、なんともない。」
「そう……」
早川はそう言うと目を伏せて黙りこんでしまった。健斗もしばらく黙りこんだ。涼しすぎる秋風がさーっと流れるように吹いたとき、健斗が先に口を開いた。
「……どうして、二人とも屋上に来たの?」
健斗がそう聞くと、早川は健斗のことを心配そうに見つめながら言った。
「だって……健斗くんもヒロくんも、そして麗奈ちゃんも。三人とも様子が変だったから。」
「え?」
健斗が聞き返すと、早川は下をうつむきながら続けて言った。
「健斗くんが教室を出ていったあと、麗奈ちゃんも"練習があるのを忘れてた。"って言って、どっか行っちゃったの。いつの間にかヒロくんもいなくなってて、それで屋上にいると思ったら……」
健斗とヒロが傷だらけでそこにいたというわけだ。でも早川はあまり追求してこなかった。おそらく、聞いていいのか分からないのだろう。
「……さっきさ……」
「え?」
「さっき、ヒロに言われたんだ。"また同じことを繰り返すのか?"って……」
健斗にはその意味が分からなかった。でも、ヒロが言ったその言葉に不思議と引っ掛かっていた。早川はそれを聞いてしばらく考えるように黙りこんだ。
「……多分、今日のことを言ったんだと思う。」
「……今日のこと?」
「うん。今日の健斗くん……さっきまでの健斗くんはその……戻ってたような気がした。翔くんが亡くなった後の健斗くんに。」
翔が死んだあとの自分。健斗はそれを聞いて即座にそれを思い出した。あの頃の自分は、誰も寄せ付けたくなかった。近づきたくもなかったし、近づかれるのも嫌だった。周りが空虚に思えて、色の抜けた世界の中で過ごしているようだった。
待てよ?
健斗は自分自身に問いかけた。その感じは今の気持ちと似ている。いや、似ているだけじゃなく本当にそうなのだ。今抱いている心の穴は、あのときと同じだ。
そこで初めて健斗は、ヒロの言った言葉の意味に気がついた。あのときと同じ過ちを、健斗は繰り返そうとしていた。だからヒロはわざと健斗を挑発したのだ。
「……………」
「……健斗くん?」
早川に話しかけられて健斗はふと我に戻るように早川を見つめた。
「あぁ、うん。ごめん。もう大丈夫。」
そういって健斗は笑うと、早川はなんとなく安心したのかふっと笑みを溢した。
久しぶりにヒロと殴りあいをしたな、と健斗はそんなことを考えていた。小さいときは卒中だったが、中学に上がってからはそんなこともなくなっていた。お互い大人になっていけば行くほど、そんなこともなくなっていくのだ。
今思えばすごく不思議だった。ずっといっしょにいたから、見た目とかそんなに変わったのかといえばよく分からない。ただ、ヒロとの殴り合いがこんなにも懐かしく感じるなんて我ながら可笑しな感覚だった。
健斗はそう思うとまた笑いが込み上げてきて、くくっと可笑しそうに笑った。
「よしっ!」
「え?」
健斗が突然立ち上がると、早川は驚いて健斗を見上げた。
「ちょっとヒロのところまで行ってくる。」
「え!ちょ、え……だって二人ともまだ……」
「いいんだ。なんか無性にあいつをもう一発殴りたくなった。」
健斗はそういうとスタスタと歩き始めた。それを見て早川はオロオロと動揺していた。するとちょうど良いタイミングで佐藤が手に氷の入った袋を持って帰ってきた。健斗がスタスタと歩いていくのを見て、そして動揺している早川を見て佐藤も不思議そうな顔を浮かべた。
「ちょ、健斗どこ行くわけ?」
「な、なんか無性にヒロくんを殴たくなったって……」
「えー!なんで?嘘!早く止めないと!」
すっかり健斗に振り回されている佐藤と早川はとりあえず健斗のことを追いかけるために走っていった。
教室に戻ると、クラスは少し騒然としていた。しかし健斗が入ったとたん、それがピタリと止まった。みんな健斗の顔を見て凝視した。騒然としていた理由は間違いなく自分の席にどんっと座っているヒロにあるみたいだ。
ヒロの近くには寛太がいた。寛太は健斗の顔を見ると驚いたのか目を丸くして、健斗とヒロを交互にみた。そんな寛太を気にせず、健斗はスタスタと歩き、ヒロの席の前に立った。
ヒロの顔も健斗と同じくらい酷かった。ヒロは無表情のまま、健斗を見上げるように見つめた。
「……何だよ、その面。ダッセー。」
「お前も人のこと言えねっつの。俺より酷いぞ。それ。」
お互いにそういって、しばらく見つめ合うともう駄目だった。健斗とヒロは互いに笑いが込み上げられなくなった小学生みたいに盛大に吹き出して笑った。
その異様な様子にクラスのみんなは理解が出来ないでいるみたいだった。そして健斗から遅れて入ってきた佐藤と早川も、楽しそうに笑っている健斗とヒロを見て唖然とした。
「な、何これ……どうなってるわけ?」
「……さぁ……」
佐藤と早川は全く状況が掴めず混乱しているのに、それに全く気づかず子供みたいに笑っている健斗とヒロはまるで、小学生のそれのようだった。