第11話 文化祭 後編 P.6
次の日からの朝は、何もかもが変わってしまったような気がしていた。恐らく、健斗だけ。こんなにも変わったように見えるのに、教室内はいつもと変わっていない。
矛盾した話だが、健斗はそう表現せざるを得なかった。その日の古文の授業中、健斗はずっと窓を眺めていた。本当にいつもと変わらない風景なのに、健斗にはすべてが変わってしまったように見える。
言葉で表しては矛盾が広がるこの気持ち。それは苛々にも似た気持ちだったが、胸が切なくなるような傷みでもあった。しかしそのやり場のない痛みを誰にぶつけることもなく、健斗はこうして窓の外を眺めることしかできなかった。
「ーーまなか。山中!」
自分の名前が呼ばれた気がした。それは気のせいではなく、確かに呼ばれたのだ。古文担当の先生が健斗のことを睨み付けるように見ていた。そして教室内にいるほとんどの人間が健斗に視線を向けていた。
「授業中にずっと窓の外を眺めて何をしてる?ちゃんと授業に集中しなさい。」
「……………」
健斗は何も答えずに、ぷいっと顔を反らした。不機嫌そのものだというのを全面に表していた。その態度が堪に触ったのか、先生はしかめ面をしていたのだが、これ以上一人に構っていると授業が先に進まないと考えたのだろう。それ以上健斗に追及してこなかった。
だが、この健斗の態度により、クラスは緊張したムードが何となく流れていた。健斗の態度にクラス中が少し動揺していた。
その中、麗奈はチラッと健斗を見た。しかし健斗は全くこっちを見ることはない。分かっていた。そして、それでいいのだ。
授業が終わり、昼休みを告げるチャイムが鳴る。すると、それとほぼ同時にヒロが健斗の席に近寄ってきた。
「どうしたのお前?さっき完全に先生に喧嘩売ってただろ。」
「……別に売ってねぇよ。」
「何キレてんの?らしくねぇ。」
「うっさい。俺にかまうな。」
健斗がそういうとヒロはぴくっと眉をひそめた。何かを感じ取ったようにヒロがじっと健斗のことを見つめる。健斗は特にそんなこと気にするようなしぐさを見せなかった。
「まだなんか用?」
「いや、別にねぇけど。」
「だったら、悪いけど一人にしてくれ。今誰とも話す気分じゃねぇし、一人がいいんだ。」
「………………」
「おーい!健斗、ヒロー!」
そんな二人に向かって呼び声が一つ。元気で溌剌としたその声は、間違いなく佐藤のものだった。佐藤が少し離れた席、というのは麗奈の席だ。麗奈の席で早川と佐藤が机を寄せ合っている。
「久しぶりに五人でお昼食べよう?」
「……………」
健斗はそういわれても何も言わずに立ち上がった。そして麗奈の席の方へと向かうわけでもなく、そのまま一人教室の外に出て行った。佐藤と早川は唖然としていた。ヒロはその後ろ姿を見ながら、チラッと麗奈の方を見た。麗奈は下をうつむいていた。それだけで、ヒロはその優秀な頭を回転させて状況が把握できた。
「……何あれ……無視ってひどくない?あたし、健斗に何かしたぁ?」
憤りを感じている佐藤を早川が「まぁまぁ」と言いながらなだめている。ヒロはやれやれとあきれるようにため息を吐いた。そして麗奈はずっと下をうつむいたまま、何も言おうとしなかった。
健斗は教室を出た後、どこともなくふらふらと廊下を歩いていた。廊下にも人はたくさんいて、健斗はなるべくそれを避けながら移動していた。もっと人のいない、静かな場所。一人になれる場所に行きたかった。
そうなると、やっぱりたどりつくのはここだった。この屋上ならだれも来ない。少し肌寒い風が吹くようになった今の季節に、誰が好き好んでこの場所に来るだろう。健斗は屋上の扉を閉めたのち、柵によりかかるようにして風景を見つめた。いつもと変わらない風景だ。真下にはグラウンドが見える。そして、その先にはいくつかの建物。家や、コンビニ、そしてそのさらに先には田んぼが並び立っている。健斗の右手には駅があり、そのさらに奥には商店街がある。何十年も姿を変えぬこの町が、健斗にはすべてが変わってしまったような気になってしまう。
この感覚、前もどこかで感じたことがあった。どこでだったかは思い出せない。しかし、今のようにすべてがつまらなく、無機質で……くだらないと感じる。心の中に大きな穴が空いた、そんな感覚だった。
やめよう。こんなところでくだらない感傷に浸っていること自体がそもそも間違えている。何も考えたくない。考えてしまっては、今がつらい。健斗は長い溜息を吐き出した。
そのときだった。屋上の扉が開いた音がした。健斗はその音に気づき、ぱっと後ろを振り返る。そこにいたのは……
「よっ!」
「……お前かよ。」
そう。そこにいたのはヒロだった。健斗はなんとなくがっかりした気持ちでヒロを見つめた。すると、ヒロはまるで健斗の言葉を拾うかのように、健斗に近づきながら言ってきた。
「誰を期待してたんだよ。」
「べ、別に誰も期待してねぇよ。」
「あそ?」
「何の用?」
「別に用なんてないけど?」
「だったら一人にしてくれって言っただろ。何ついてきてんだよ。暇な奴。」
健斗がそう悪態をつくと、ヒロは健斗の前に立ち止まった。まっすぐ健斗を見つめてくる。健斗はその視線を受け入れて、ヒロの瞳を見つめ返した。
「……なんだよ。」
「そんなに気にしてるなら、さっさと仲直りすればいいじゃん。」
「なっ!」
突然核心をつかれたような言い方だった。健斗はまだなにも言っていないのに、ヒロはすべてを知っているかのように健斗に話してくる。
「お前も、麗奈ちゃんも懲りないね。そんなに機嫌悪くするなら喧嘩なんかしなけりゃいいのに。この前それをお前が俺に言わなかったっけ?」
「な、何のことだか、さっぱり。」
「わかってるくせに。俺には全部お見通しなんだよ。何年いっしょにいると思ってやがる。」
健斗はそんなことをヒロに言われて、だまりこんだ。それにしても何も言っていないのに、まさかそこまで見破るとは思ってなかった。でも、健斗はあえて何も言いたくなかった。ヒロに言ったところでどうこうなる問題ではないし、言いたくもなかったのだ。そして、麗奈のことなんかこれっぽっちも気にしていないということを示したかった。
「お前には関係ない。それにもう、れい……大森のことなんか、どうだっていい。あんなやつ、俺には関係ない。」
そういって、すっとヒロの横を通り過ぎた。そしてそのままヒロの前から姿を消そうとしたのだ。しかし、そのときだった。ヒロが「健斗。」と一声かけてきた。健斗はそれに反応して、ゆっくりと後ろを振り返った。
「あ?」
健斗が後ろを振り返った時には、もう遅かった。目の前に、固く握りしめられた拳があった。それは健斗の頬を正確に捉えていた。鈍い音が屋上で響き、健斗はその強い衝撃を受けてそのまま後ろにひっくり返った。いつの間にか自分は地べたに倒れこんでいた。それを自覚すると、徐々に頬にしびれるような痛みと口の中に広がる血の味を感じた。
「……って……」
「………………」
「……何、すんだよ。」
にじむ血を拭いながら、健斗は頭の中が冷静な状態でヒロをにらみつけた。ヒロは無表情で健斗のことを見下していた。
「目覚ましナックル。少しは効いた?」
「喧嘩売ってんの?いくらお前でも、キレるぞ。」
「だったらかかってこいよ。それとも口だけか?」
ヒロの挑発口調に冷静さを一気に失った。頭の中が一気に熱くなった。頭だけじゃない、鼓動も早くなり胸の中には言葉では言い表せられない、熱い感覚が一気に押しあがっていた。健斗はゆっくりと立ち上がる。そしてヒロをにらみつけ、一気にヒロへと目がけて突進していく。ヒロは避けることもしないで、健斗の突進を食らった。そして、お互い地べたに倒れこむ。健斗はすかさず立ち上がって、ヒロの上にまたがりヒロの顔面に目がけて思いっきり力を入れて殴りつけた。鈍い音が響く。もう一発入れた。ヒロの眼鏡は吹っ飛んでいた。ヒロの頬に殴られた跡がくっきりと残り、血が流れる。
もう一発殴ってやろうと拳を振りかぶったとき、腹にとてつもない衝撃を食らった。どうやらヒロに蹴りを入れらたらしい。健斗はそのまま後ろに倒れこんだ。するとヒロは何事もなさそうに、ゆっくりと立ち上がった。健斗は苦しそうに呼吸をしながら立ち上がった、そこにヒロがよろよろっと近づいてきて、健斗の顔面に目がけて拳を一発入れてきた。健斗はそれをもろに受ける。倒れはしなかったが、それがさらにヒロの攻撃を受けることとなった。健斗にパンチを入れた後、もう一発殴られ、さらに蹴りを食らわされた。倒れこむように後ろにのけ反ったが、健斗は倒れずに踏みとどまった。
「このやろぉっ!!」
怒声が屋上に響き、健斗は思いっきりヒロにパンチを放った。ヒロはそれを食らい、後ろにのけ反る。倒れると思った。
ところがヒロは倒れなかった。一瞬時が止まったように思えた。ヒロは動きを止めて、そして口から鼻から流れる血をぬぐった。
ヒロの表情は驚くほどに無表情だった。刹那にターミネーターて出てくるアーノルド・シュワルツネッガーを思い出した。
健斗は肩で大きく呼吸をしながら、ズキンズキンと痛む拳を擦った。よくみると、手の皮が剥けて、真っ赤だ。骨が軋むような痺れる痛み、きっとヒロも同じ痛みを抱えているはずだった。
しかし、ヒロはスタスタとゆっくり健斗に近づいてきた。そして、ヒロは固く拳を握りしめ、健斗に渾身の一発ともいえるパンチを食らわせてきた。健斗は予想外の出来事に、どうすることもできずそのまま柵の方に倒れこんだ。ヒロの最後の一発が重く、健斗は熱い痛みを感じながらそのまま座り込んでいた。
そんな健斗の様子を見ながら、ヒロは激しく呼吸をしていた。そしてすっと拳を引っ込めた。
「……満足したか?」
「…………っ!」
「そのやり場のない気持ちを俺にぶつけて、ちったぁ気が紛れたのか?」
ヒロにそう言われた健斗は何も言い返すことが出来なかった。ヒロの言う通りだった。この行き場のない思いを吐き出したかった。ヒロはそれに気づいていた。
何も言ってないけど、ヒロはほとんどに感づいているのかもしれない。いや、感づいているのだ。
「何があったのかぐらい、ちゃんと話せよ。」
「……話したくない。」
「ふーん……で、また同じことを繰り返すつもりなんだ?お前。」
ヒロにそう言われて、健斗は初めて顔をあげた。ヒロは真剣な眼差しで健斗を見下ろしていた。
「ようやく全部取り戻したばっかなのに、そうやってお前はまた同じことを繰り返して、また全部無くそうとする。」
「………………」
「まぁ、お前が関係ないとか言うんなら、俺は無関係なんだろうな。ただ、散々お前に振り回された俺からのお礼だよ。これは。」
そういって、ヒロはくるりと健斗に背を向けた。そして、落ちている眼鏡を広い顔にかけると、スタスタと扉の方に向かっていった。
するとだった。突然扉が開いた。中から入ってきたのは、佐藤と早川だった。二人はヒロと、そして座り込んでいる健斗の姿を見て驚きの声をあげた。
「ちょ、ちょっと二人とも!何してんの?」
傷だらけのヒロと健斗の顔を交互に見ながら、佐藤が叫ぶように言った。ヒロはそんな佐藤と早川に意も介さず、二人の間を黙って歩いて校舎の中へと消えていった。
状況が全く掴めないでいる、佐藤はヒロの後ろ姿を見ながらオロオロとしていた。しかし、早川は真っ先に傷だらけで座り込んでいる健斗の元へ駆けつけた。
「健斗くん!大丈夫?」
早川が話しかけても、健斗は何も言わなかった。早川はスカートのポケットからハンカチを取り出して、付着している血を拭おうとした。それを健斗は抗うことなく、受け入れていた。
ハンカチが傷口に擦れる度、針を刺すような痛みを感じた。
「……喧嘩したの?ヒロくんと。」
「……………」
「どうして……こんな……」
早川はそのあと言葉を紡いだ。何も言わずに健斗のことを見つめていた。健斗は俯いたまま、白いコンクリートをじっと見ていた。そこに何かが映っているわけではなかった。
ヒロに言われた言葉が頭の中で反芻していた。
少々、暴力シーンを加えてしまいました。不快に思われた方へ、申し訳ありませんでした。
なんか、こんな風にヒロと健斗が殴りあいをする描写をしたのは初めてかもしれません。自分で書きながら、何だか怖くなりました。