第11話 文化祭 後編 P.4
健斗、麗奈、早川、寛太。この四人で帰るのは結構珍しかった。今まで早川も寛太も、部活が終わる時間も違うから、こんな風に揃うことなんてあまりなかった。
天気が悪そうだ。暗いが、月も見えないし雲も厚い。
早川と麗奈は健斗と寛太の一歩手前に行って楽しそうに話していた。すると並んで歩いていた健斗に寛太が囁くように言ってきた。
「大森と喧嘩してんの?」
「な、何だよ。急に。」
「さっき仲悪そうだった。」
「…………」
別に喧嘩しているつもりはなかった。ただ麗奈が妙にツンケンしてるから、うっかり……
「知らねぇよ。最近、不機嫌なんだよ。あいつ。」
「なんで?」
「だから知らねぇって。いつものことだよ。気分屋だからな。」
「ふーん……」
「……何だよ。」
寛太がじと目で見てきたからそういうと、「別に。」と言ってはぐらかされた。実際、麗奈は気分屋だしすごいマイペースだから、そんな麗奈に振り回されるのも慣れていた。だが、ここ最近の麗奈は何だか変だった。
でも今目の前で愉しげに話している麗奈はいつもの麗奈だった。たまたま今日不機嫌なのかもしれない。
「雨、降りそうだ。」
「……あぁ。」
途中分かれ道に差し掛かるところで、別々になるのは分かっていた。早川と寛太が同じ方向で健斗と麗奈が同じ方向(当然だが)だ。
「じゃあ二人とも、また明日ねー。」
「またなー!」
早川と寛太が笑って手を振って、暗い夜道の中に溶け込んでいった。健斗と麗奈はそれを見送ってから、互いに顔を合わせる。
「……じゃあ、行くか。」
「……うん。」
なんとなくぎこちなかった。いつも通りの帰り道のはずなのに、全然違ったものに見えた。
「後ろ乗れよ。」
「……いい。歩くから。」
「はぁ?なんで。」
「なんとなく。歩きたいから。」
「なんとなくって……っておい!ちょっと待てよ。」
麗奈は健斗のことなんか意も介さず、スタスタと歩き始めた。健斗をそれを自転車を押しながら小走りに後を追う。明らかに態度が変だった。さっきのやり取りで怒ってしまったのか、それとも……
「……最近、変だぞ。お前。」
「いつものことでしょ。」
「そうだけど……いや、そうじゃなくって!久し振りにまともな会話をしたと思ったら、やけに冷たいじゃねぇか。」
「別に冷たくした覚えはないもん。」
「今だってそうじゃん。」
「だから歩きたいからって行ったじゃん。」
「なんで急に?」
「それは……女の子には色々あるの!」
「はぁ?」
麗奈はそんな風に吐き捨てると、さらに先を歩いていこうとした。そんな麗奈を見ながら健斗はうんざりしたようにため息を吐いた。
「ったく……何なんだよ、一体。」
「……何よ。」
「ツンケンしちゃってさ。可愛くねぇやつ。一体何が不満なんだよ。」
「別に何も不満なことなんてないもん。」
「嘘つけ。明らかに俺への態度可笑しいだろ。早川と話しているときとは大違いだぞ。」
健斗がそういうと、麗奈はピタッと足を止めた。それに準じるように、健斗も足を止めた。
「……健斗くんだって、いつも結衣ちゃんと私とじゃ態度違うじゃん。」
「はぁ?俺のどこが?」
「結衣ちゃんと話すときの健斗くんは、いつも楽しそうで優しいでしょ。」
「そんなこと!」
と、そこで否定してしまっては早川と話すのは楽しくないということになる。実際はすごく楽しいに決まってる。今日だって……すごく楽しかった。
健斗はふぅっとため息を吐いて、嘲け笑うように言った。
「確かにな。早川は上品で優しいし大人しいし、女の子っぽいからな。お前とはそこんとこが全然違うよなー。」
皮肉を言ってやるつもりだったのだ。
いい加減、この態度に多少なりとも腹がたっていたのかもしれない。だから皮肉を言ってやろうと思ったのだ。大人げなかったかもしれないが、つい言葉が先だったのだ。
その言葉を聞いた瞬間、麗奈は健斗の方を振り返って叫んだ。
「どうせ私は!!」
麗奈の怒声が辺りに木霊した。健斗は思わずその場に固まる。さーっと乾いた風の音がその後に聞こえた。麗奈はかなり怒っているということが分かった。怒りの表情を全面に出していて、拳を握ってわなわなと震えている。そしてしばらく下を俯いた。
「……もういい……もう知らない……」
そう言って冷静さを取り戻した麗奈は冷めきった言葉を健斗に突きつけた。そして再び歩き出そうとした。健斗ははっと我に返った。ここで話を終わらせてはならないと直感的に思った。
「お、おい!待てよ!意味わかんねぇよ!」
しかし麗奈はまったく振り返ろうとしなかった。健斗は自転車を捨てて、走って麗奈の後を追いかけた。そして、麗奈の腕を掴む。すると麗奈はものすごい力で健斗の腕を払おうとした。
「放してっ!」
ものすごい力だが、やはり女子が男子の力に勝てるはずがなかった。
「話を聞けよ!一体俺が何をしたんだよ!?何がそんなに不満なんだ!?」
「だから何も不満なんてないってば!何度言ったら分かるの!?」
「いいや、分からないね!それとも今のお前は普通だって言うのかよ!?」
「そうよ!普通。普通なの!これが私なの!健斗くんは知らないかもしれないけど、これが私なの!」
そんなの嘘だ。健斗の知る麗奈はこんなやつじゃない。いつも能天気に笑顔を振る舞い、マイペースな猫型娘だ。だからこそ、ずっと違和感を感じてるわけだし、明らかに麗奈が健斗に対して怒りを感じていると分かるのだ。
「そんなの嘘だ!こんなのが普通なわけがねぇ!いつものお前はもっとーー」
「放してってば!!」
強引に手を振りほどかれた。健斗は思わずよろめく。麗奈は大きく肩で呼吸をしている。健斗も体力を消費していたみたいで、息を荒くしていた。
しばらく静寂が続いた。するとだった。鼻の頭に冷たい感覚を突然感じた。そう思った瞬間、ポツポツと雨が降り始めた。叙情にそれは激しさを増し、サーっと長い雨が降った。
冷たい雨が身に染みた。
「いつもの私って……何?健斗くんが私の何を知ってるの。」
麗奈は完全に冷えきった口調で、健斗に向かって言ってきた。
「健斗くんは私のこと、何も知らない。だって、最後に会ったのは十年前。その間に私がどんな風に過ごしてきたのか、どんな子だったのか知らない。小学生の私、中学生の私を健斗くんは知ってる?知らないよね!健斗くんが知ってるのは、今の私だけ。」
「………………」
「私もそう!健斗くんのことなんか何も知らない。健斗くんが小学生のとき、中学生のときどんな人だったのかなんて知らない。私は、本当の健斗くんがどんな人なのか……知らないの。」
麗奈は大きく深呼吸して息を落ち着かせた。そして、健斗のことを強い目つきで見つめた。
「さっき言ったよね?何がそんなに不満なのかって……あるよ。一つだけある。」
「……何だよ。」
健斗がそう聞き返すと、麗奈は強く胸をドンッと叩いて心臓部分を示した。
「私は、そんな何も知らない健斗くんが、私のことを分かったような口で言ってくるのがむかつくの!私の心の中を、気持ちを、そうやって勝手に決めつけるのが嫌なの!なんで、それを分かってくれないの!?私のことなんてどうせ誰も、分かってくれない!!お父さんだって、お母さんだって、誰も分かるはずがない!だって、私だって……私だって自分が何なのか、分からないんだから!!」
麗奈の叫び声が辺りに響いた。サーっと長い雨が麗奈の怒りを徐徐に冷ましていくように、麗奈は次第に落ち着きを取り戻していった。
麗奈の言葉は叫びだった。分かってくれない。でも、分かってほしいっていう気持ちを健斗には感じられた。
でも分からなかった。何を分かってほしいのかが。分からなかった。
そして、それは胸に強い衝撃を受けた。今までの時間が全て崩れさっていくように思えた。
「……じゃあ……どうすりゃいいんだよ。ほっておけばいいのか?」
健斗がそう聞くと、麗奈ははっと我に返るような表情を見せ、悔しそうに歯を食いしばった。
「……そ、そう。そうよ。私のことなんてほっておけばいいの。健斗くんにはもっと、やるべきことが他にある。だから、私のことなんかほっておいて!」
「……それが、お前の望みなのか?俺のことなんか、どうだっていいんだな。」「そうだよ。健斗くんのことなんかどうだっていい。だから私にもう、構わないでよ!」
麗奈の言葉を聞き、静かに目を閉じる。そしてしばらくそうしてから、ゆっくりとため息を吐いた。
「分かった。お前の言う通りにする。」
「え……」
健斗はゆっくりと振り向き、さっき麗奈を追いかけるために捨てて倒れてる自転車を起こした。そしてゆっくりと麗奈の方向に向かっていく。
そして麗奈の横をすれ違うときに、健斗がボソッと呟くように言った。
「……じゃあな。"大森"」
「……っ……」
健斗は自転車にまたがってゆっくりとこぎ始めた。麗奈のことを置いて、構わず、そのまま帰り道を一人でこいでいった。
麗奈は一人、下を俯いたままだった。冷たい雨が身に染みた。きっと顔に流れている滴も雨に混じって消えていくんだろう。
雨が全て洗い流してしまうように……