第10話 文化祭 前編 P.8
面識のない男性が健斗にゆっくりと近づいてくる。健斗は警戒心を見せながら、彼が近づいてくると一歩後ずさりをした。そんな健斗の反応を見て、男は少し驚いた顔を見せた。が、健斗の心境にすぐに気づいたらしくもう一度笑顔になった。
「あぁ、僕は怪しいもんじゃないんだ。えっと……確か名刺がこの辺に……」
男は自分の上着の内ポケットを弄り始める。すると彼の右手に一枚の紙。それを健斗に手渡そうとしてきた。健斗は警戒心を解くことなく、それを受け取った。そして家の明かりを頼りにその紙を見つめた。それは確かに名刺だった。
「僕は戸河内正毅。新聞記者をやってるものだけど。」
「記者さん……ですか。」
それにしてはそれらしくなかった。今日の記者団のように、メモ張やカメラも何も持ってない。出で立ちも、ジーパンに黒いシャツの上に薄いYシャツを着ているだけ。本当に新聞記者なのだろうか、と疑いさえする。
「えっと……新聞記者さんが、うちに何の用ですか?」
「あぁ、正確にはスポーツ記者だけどね。」
「スポーツ記者?じゃあ……」
「ご察しの通り、君に用があって来たんだ。」
健斗はそれを聞いて名刺をゆっくりとポケットの中にいれた。そして、戸ヶ内という男の顔をじっと見つめる。
「俺に……何の用ですか?」
「約三年前。」
彼は健斗の言葉のあとにほとんど間髪入れず、そう口に出した。
「約三年前、地元中学の春の地区大会に、とんでもない選手がいたのを知っているかい?」
「…………」
「その選手は白いユニフォームを纏い、まるで魔法を使っているみたくボールを鮮やかに、自由自在に操って、地区大会の決勝戦で強豪校から3点を奪いっとった。まぁ、それだけならまだいいのだが、あの小山明信が一目置いている選手だということも話題性を呼んだ。そして、最近の情報によれば、小山明信がその選手に接触したとか……」
彼は一歩ずつ健斗に近づいてくる。やがて健斗の目の前に立ち、そして見下ろすように見てきた。
「“白魔術師”……それが当時の呼び名だ。そして、その本名は――」
「山中健斗……」
健斗は自ら白状するようにそう言った。すると、戸ヶ内とやらはにやりと笑みを浮かべた。
「そう、山中健斗。君のことだ。」
「…………」
「三年前、一時期サッカー界を騒がせた子がまさかあんな高校にいたとは……ちょっと驚きだね。それに、三年前を最後に君のことがちっとも話が挙がらなかったのも不自然だ。いったいどこで何をしていたのか……僕はそれが知りたくってね。お伺いしたんだけど……」
健斗は何も言わなかった。目の前にいるこの男がひどく醜悪に見えてしまう。人の過去を興味本位だけで掘り探ろうとする、醜悪のかたまりだと思ってしまう。
「あの洗目の二軍を負かしたのも、君の力のおかげなんだろう?じゃなきゃ、あんな高校が、洗目の三軍にだって勝てやしない。他社の連中はまだそれに気づいていなくてね、出し抜くためのチャンスなんだが……」
「…………」
彼は健斗をしばらくじっと見つめると、少し笑みを浮かべて小さくため息を吐いた。
「……今日は出直した方がよさそうだね。いきなり尋ねるのも、迷惑な話かな。」
戸河内という男はそういうと、健斗に背を向け、ゆっくりとその場を立ち去ろうとした。
すると、途端に足を止めて再び健斗の方に向きなおした。
「また後日伺うとするよ。そのときは、色々話を聞かせてもらえるといいけど……」
彼はそう言い残し、今度こそ健斗の前から立ち去っていった。健斗はその姿が見えなくなると、ほっと息を吐いた。
そしてポケットに入れた名刺を取り出して、それを見つめる。スポーツ記者か……いつかはバレるとは思っていた。
『新聞記者が?お前んとこに?』
電話越しにヒロがそう言ってきた。健斗は濡れた髪をタオルで拭き取りながら、頷いて言った。
「あぁ。さっき家の前で話しかけられたんだ。戸河内正毅っていう人。」
『戸河内……あ、俺知ってるぞ、その人。ライターだけじゃなくって、コメンターとしても結構有名だよ。あちゃー!その人に目をつけられちゃったかー。』
健斗は全然知らなかったが、戸河内正毅の書く記事は雑誌でもよく採用されるらしい。つまり、彼の記事は多くの人に読まれ親しまれているということだ。
『コメンターだからかもしんないけど、結構辛口なんだ。適当に話すと、何書かれるか分からないぜ?』
「今日はほとんど何も話してないけど……けど、また来るって言ってた。」
『家にってこと?』
「さぁ、どうだろう……でも、そういう感じ。」
ヒロはしばらく考えるように押し黙った。
『ひょっとしたら、学校の帰りとかに待ち伏せされるかもな。もしくは、練習を見に来たりとか……』
「マジ?くわぁ~……もう最悪だよ。」
健斗は頭を抱えながら、タオルを投げ捨てベッドに腰掛ける。すると電話越しにヒロが可笑しそうに笑った。
『御愁傷様。でも、まぁ……予想はしてたことじゃん。』
「まぁ……そうだけど……」
そう。話のとおり、健斗はこうなることを一応予想はしていた。
三年前の春の地区大会、小山さんが一目置く次世代のスーパー中学生。それが"白魔術師"なのだ。
しかし、そんな選手がサッカー界から姿を消した。一時期サッカー界を揺るがせておきながら、この二年半の間名前が挙がることはなかった。やがて、"白魔術師"の名前は少しずつ人々の記憶から消えていた。
しかし、その選手が再び高校サッカーに姿を現したとなれば、これほど大きな話題性を呼ぶ話はないだろう。空白の二年半の謎は如何に?というように、見世物になってしまうだろうとあの試合をやる前から分かっていた。
ただ、誤算だったのが……
『嗅ぎ付けるのが思ったよりも早かったな。』
「……あぁ。」
そう、誤算だったのが健斗のことがバレるのが早かったということだった。大きな大会に出もしなければ、しばらくはその素性を探られるようなことはないだろうと思っていた。だが、それは甘い計算だった。
この間の練習試合。県内で私立校にも引けをとらず、おそらく三本指に入るだろうと思われる洗目高校。その高校が二軍とはいえ、無名校に負けたという。その話に興味を持った連中が回り回って、今の状態を作り上げてしまったのだ。
『数日前の新聞を探してみたんだ。そしたら、あったよ。小さな記事だけど……この間の試合のことが書かれてた。」
その記事の内容とは……『想いが生んだ。弱小無名校の大きな奇跡』という名の内容らしい。前半四点から折り返した奇跡の逆転劇とか……なんとか……たかが、練習試合が公になってしまったのは向こうの監督のおかげである。向こうの監督が記者団にコメントまで残している。「次はうちの1軍で全身全霊を込めて勝ちにいく。」と。
その洗目がライバル視する高校とは一体どんな学校なのか?と、なれば記者たちは取材など試みるだろう。やがて、あの練習試合のことが公になり、今日のように取材に来る記者が現れるのだ。
と、なればその内の誰かが健斗のことに気づいても可笑しくはなかった。そして、それが今日健斗に接触を求めてきた戸河内ということだ。
『まぁ、しばらくは話題になってるだろうな。熱が冷めるまで待つしかないし……それまではお前も、その戸河内ってやつに色々付きまとわれると思うぜ?』
それが問題だった。健斗は電話を握りながら、唇を噛み締める。今日も戸河内が言っていた、知りたいこととは……一時期サッカー界を揺るがせておきながら、二年半もの間まったく話に挙がらない。その二年半の謎を迫られるだろう。
そして自動的に、それは翔のことについて言及されるということだ。それが健斗には大きな問題だった。他人に興味本位で探られるのも嫌だし、その記事を多くの人に読まれ、悲劇のヒーロー扱いされるのも嫌だった。もしそんな記事を読めば、翔のお母さんやお父さんは一体どう思うだろうか。自分の子供の死をネタにされて喜ぶ親がどこにいるだろうか。それに、もしかすると常識を弁えない悪質な新聞記者が面白がって翔の両親に接触を試みるかもしれない。それだけはなんとか防がなくってはならない。
面倒なことになった。
しかし、そう考えると小山さんはすごいなと思う。中学生のときから常にマスコミに注目されつづけ、淡々と日常を過ごしているのだから。まぁ、あの性格だから彼は何も考えてないのだろうが……それでもちょっとすごい。
『まぁさ、気楽にやれよ。別に敏腕刑事の取り調べってわけじゃねーんだし。翔のことは上手く隠していくしかないって。』
「それもそうだな。ワリィな、夜中に電話して。」
『別にいいって。んじゃ、また明日なー。』
「おう。おやすみ。」
そういってヒロとの電話を終えた。健斗は携帯を机の上に置いて、時計を見る。時刻は九時半を過ぎていた。
そのとき、健斗のドアがノックされた。コンコンと二回。そしてすぐそのあとに声がした。
「健斗くーん。いるー?」
「いるよー。」
健斗が答えると、ドアが開いた。ドアの向こうから、制服姿のままの麗奈が入ってきた。
「なんだ、お前。今帰ってきたの?」
「うん。話し込んでたら、すっかり遅くなっちゃった。ねぇ、今誰と話してたの?」
麗奈にそう聞かれて、健斗は少し考えた。
「……ヒロだよ。あいつ、今日はお前のせいで散々だった!って怒りやがってさ。」
「む~……健斗くんからかいすぎだよ。ヒロくん、可哀想だったよ?」
「ちゃんと謝ったよ。で、何?」
「あ、お母さんが呼んでるよ。ゴンタをお風呂に入れてあげてって。ゴンタったら、また庭の穴掘り返しちゃったみたい。」
「またかよ!仕方ねぇなぁー……ったく。」
健斗はそういいながら下に降りていった。そろそろゴンタの穴を掘り返す癖、直さなくてはならない。
問題が山積みだな……と思いながら、健斗は軽くため息を吐いた。