第10話 文化祭 前編 P.6
・・・人の多い廊下と階段を通り抜けて、健斗とヒロは昇降口で靴を履き替えていた。ローファーに履き替えると、昇降口を出て、少し歩いたところに自転車を停めてある駐輪所がある。そこの狭い横道を通ると、いくつかの扉がある建物がある。
ここが部室棟だ。サッカーの部室は真ん中目の辺りにある。健斗とヒロは「サッカー部」と書いてある部室の前に立つ。
部室の扉の周りは落書きだらけだ。そして、その内部はもっとひどい。スパイクやユニフォームが散らかっているし、狭いし、汗臭い匂いが鼻につく。さらに、ドアの裏の部分やロッカーには……R15指定のポスター……さらに、あるロッカーの中にはR18指定の雑誌や漫画がある。
とても女の子が入れるような環境ではなく、ザ・男子というような部屋である。
部室内部に入ると、そこには既に知った顔が何人か集まっていた。山下、剛、そしてのんちゃんだ。みんなサッカー部の一年である。
「うぃーす。山中、ヒロ。」
山下が気だるそうな挨拶をしてくる。健斗とヒロは「うぃっす。」と軽く返事をしながら、長椅子に自分の鞄を置いた。すると、のんちゃんがあんぐりと口を開けてヒロのことを見つめていた。
「は、話には聞いてたけど……本当に坊主にしたんだね……ヒロ……」
「なッ?最高だろ、こいつ。」
山下は面白そうに笑いながら、のんちゃんの肩に手を回した。健斗はそれを聞いてプッと可笑しそうに笑ったが、その反対にヒロはぶすっとして不機嫌そうに答えた。
「笑いたきゃ笑えよ。俺はこれからこういう感じで行くからな。」
「うん……正直、笑えないかな。驚きすぎて……」
のんちゃんもヒロとは中学のころからの仲だ。ヒロはこれまで坊主なんてしたことなかったから、その容姿の変貌ぶりに戸惑っているに違いない。その気持ちは健斗にも十分わかるのだが、健斗はそれよりも笑いの方が勝ってしまった。とはいえ、こうして一日いっしょにいるだけで案外今のヒロの状況に慣れてしまった部分がある。
「う~……マジでこの姿を先輩たちにさらすのがネックだわ……」
「まぁ、似合ってないしな。」
「余計なお世話だ!」
山下の言葉にヒロがかみついた。健斗はその後ろでうんうんとうなずいていた。
「あ、もう先輩たち、グラウンドに集まってるから急いだ方がいいよ。」
「おう。」
「……。」
のんちゃんにそう言われつつ、健斗たちは制服を脱いですぐにサッカー着に着替え始めた。
この部室内にいる五人が神乃高サッカー部の一年生だ。サッカー部は、この一年と二年生八人、合計十三人で成り立っている。三年生の人数は十数人とかで人数が多かったらしいのだが、すでに引退している。それでも時々、健斗の顔の知らない人が練習に来るときがある。多分それが、引退してしまった三年生なのだろう。
正直、まだ二年生の人を全員覚えきれているかといえば結構危うかったりする。部長兼キャプテンである今泉陽介さんのことは、当然分かるもの、他の先輩の名前と顔はさすがにまだ一致しない。
一年は当然覚えている。というより、健斗とヒロ、のんちゃんの三人は中学がいっしょだから当然だし、山下と剛に関してはあの日からよく話すようになったから、あっという間だ。神乃中のとき、サッカー部といえば健斗たち含むあの七人だったから、こうしてみると結構新鮮な気持ちだったりする。これからは、新しいこの五人で神乃高サッカー部を支えていかなきゃならない。
健斗たちはサッカー着に着替えて部室を後にした。最後に出たヒロが鍵を閉めて、これでオッケーだ。五人は歩きながらグラウンドに向かっていた。
「今日すごかったろ?こいつの声。」
山下が歩きながら健斗に言ってきた。それは今日の音楽の授業、課題の曲を剛がものすごい歌声で歌ってくれたこと。その風貌とのギャップに、健斗と佐藤は驚きを隠せなかった。
「すごかったというか……もう別の次元って感じだったよ……」
「そりゃそうだろ。だって、こいつの親父、元オペラ歌手なんだぜ?」
「マジでッ!?」
「えっ!そうなの?」
「え?何?何の話?」
一名、話の蚊帳の外にいるが、健斗とのんちゃんは目を丸くして剛のことを見た。のんちゃんは山下と剛とはすでに半年の付き合いだから剛の歌声のことは知っていた。だが、彼の父親が元オペラ歌手だという情報は知らなかったらしい。あの歌声はそういう経緯があったのか……確かに納得できる。
「すごいんだな、剛って。」
「……恥ずかしっス……」
普段感情をあまり見せない剛も、さすがに照れているのか、無表情のまま顔を少し赤くした。健斗と山下とのんちゃんはおかしさを感じて笑ったが、ヒロは何の話をしているのかわからなそうな顔をしていた。
「……なぁ!何の話をしてるんだよー!」
健斗たちがグラウンドにつくと、すでに二年生の先輩たちが集まっていた。健斗たちは急いで階段を降りてグラウンドに向かっていく。すると、スタンドに何人かの人だかりができていた。健斗たちが駆け降りると、その人だかりが「おぉっ!」と歓声をあげた。手にはカメラやメモ帳らしきものを持っている。そして、その少し離れたところには女の子の集団もいる。こちらはうちの生徒だ。
「なんだろう……あの人だかり……」
のんちゃんが走りながら健斗にささやいてくる。健斗もよくわからないといったように首をかしげて見せた。五人は二年生の先輩たちが集まっているところに着いた。
「遅いぞ、五人とも。」
今泉さんが五人の姿を見て、少しドスの利いた声でそう言った。健斗たちは「すみません。」と一言謝る。
「……しかし、あれだな。なんだか……やりにくいよな。」
今泉さんが腕を組みながら苦笑いを浮かべる。よく見ると、ほかの先輩たちもなんだか緊張しているみたいだ。すると、健斗の耳元に山下がささやいてきた。
「結構話題になってんだよ。二軍とはいえ、あの洗目を負かした無名校……ってことで。」
「……あぁ……」
なるほど。ということは、あの女の子たちの集団はともかく、あのカメラを持っている人たちは地元の記者の集団か。
健斗がそんなことを考えていると、今泉さんからちょうど説明があった。どうやら山下の言うとおり、あの練習試合がどうやら回りに回って隣町の新聞社に通じたらしい。それを興味を持った新聞社の編集長から、今日一日だけ取材と練習風景を見学させてくれないかと学校側に話があったらしい。それを学校側は学校の宣伝とか何たらと利益があると考え、校長の口から今泉さんに伝えられた。今泉さんは渋々それを了解したという。ということで、今日新聞記者の集団が練習風景を見学しているということだ。
「――というわけだ。少しやりにくいかもしれないけど、みんな我慢してくれ。」
「「「…………」」」
みんなの顔は明らかに緊張の顔が浮かんでいる。これからの練習風景によって、神乃高サッカー部の評価が決まるのだ。だが、その割には髪型を気にしているものなどもいる。ヒロに至っては、その坊主頭をなでながら「こ、この頭が……写真に撮れてしまうのか……そんな……」なんて言って、切羽詰まった顔をしている。今の状態で平気な顔をしているのは、さすが部長の今泉さん、健斗、そしてなぜか山下だった。(剛は無表情のため感情が読み取れない。)
健斗はこういう状況を一度経験しているから慣れている。中2の春の地区大会、あのくそ忌わしい――いや、崇高なる大先輩小山さんのおかげで、地元の新聞社に取り上げられたことがある。あの最低最悪の――いえ、最高最良の通り名とともに。
まぁ、なんにしたって、このままの空気はなんかいやだな。
「じゃあ、練習に入る前に何か連絡事項があるやつは――」
「はい!」
「ん?なんだ、山中?」
健斗は手を挙げて、連絡事項があるようにふるまう。が、本当は何も連絡事項なんてない。ただ、伝えたいのは――
「えっとー、みんな見ればわかると思うんですが……ヒロのやつが、坊主頭になりました!」
「ひょえっ!?」
突然話を振られたヒロは驚きの声を上げた。すると、二年生が一斉にヒロのことを見るために後ろを振り返った。
「「「…………」」」
「…………」
「……プッ――」
「「「うわっはっはっはっはっはっはっはっは!!」」」
二年生全員、ヒロのことを凝視してから途端に笑い始めた。中にはおなかを抱えて苦しそうにもがいているものすらいる。あの今泉さんですら笑いを我慢できず、後ろを振り返って体を震わせながら笑っている。健斗たち一年生も、もう慣れたはずなのに二年生のあまりの笑いっぷりに耐え切れず思わずつられ笑いをしてしまった。
「うわー!すげー!なんだこれー?」
「なんで急に?」
「それにしても、全然似合ってないなー?おいー?」
二年生に頭をなでられたり、ヒロはやられ放題だった。一方そのヒロは完全に放心状態になっており、目が点になっている。ちょっと憐れだが……すまん、ヒロ。これも部活のためだと思え。健斗は笑いながらヒロにそうつぶやいた。
そのとき、ヒロの目から一筋の涙が伝うのを健斗は見逃さなかった。