第10話 文化祭 前編 P.4
「カーーローミオベーーンッ!クリーーリーアルメーーンッ!」
「だぁっ!うるせぇっ!」
健斗が苛立って隣で歌っているヒロに向かってそう怒鳴りつけた。今は音楽の時間で、課題の練習中だ。何か、どっかのドイツか何かの歌らしい。それが来週に実技テストをするからということで、今必死に練習中だった。
なのに、この隣にいるやつはやかましくて仕方がない。
「ヒロ、音程ズレ過ぎっ!あんた歌もちゃんと歌えないのっ?」
佐藤が抗議の意図を持ってヒロにそう言った。するとヒロはむっとして佐藤に言い返した。
「うるさいっ!俺は俺なりに必死にやってんだよっ!」
「周りに迷惑かけんなよな。お前ちょっと向こう行ってやれ。」
健斗が指差すとヒロは大きくため息を吐いた。
「そうやってみんなして俺のことをバカにすんだ……うぅ……ちくしょーっ!もう孤独の世界に陥ってやるっ!」
ヒロはそう言うと拗ねるようにしてどこかへと消えてしまった。そんな様子を、山下が見ていて苦笑いを浮かべながら健斗たちに言ってきた。
「い、いいのか?あれ……」
「ん?あぁ……いいんだよ。今日あいつずっとうるさいんだ。やっと静かになったって感じ。」
「あっ……そう?」
「それより、どこまでやったっけ?」
佐藤が楽譜を広げながらそう聞いてくる。健斗は佐藤の楽譜を見ながら、指を使って指し示した。
「ここだな。この部分から……~~♪~~♪~~♪~~……か……」
「え?今の何?」
健斗が鼻歌を交えて音程を取ったので佐藤が驚いたような表情を浮かべた。健斗はきょとんとした表情でそれに答えた。
「え?いや、だからこの部分だって。」
「そうじゃなくって。健斗、楽譜読めるの?」
「え?あ、まぁ、ある程度なら……」
「マジで?スッゴーい。そういえば健斗って、結構歌上手いもんね?どっかの誰かさんと違って。」
そう言われて、健斗は照れくさそうに鼻の辺りをポリポリと掻いた。
「そ、そっかな?」
「そうだよ。ねぇ、今度みんなでカラオケ行こうよ?あたし健斗の歌聞きたいしぃ。」
「いや、歌ならこいつの方がやべぇぜ?」
山下がそう口を挟んできた。健斗と佐藤は驚いたようにしてそれを見ると、山下は剛のことを指差しながらそう言った。
「こいつの歌唱力はマジで神。」
「本当かよ?」
「本当だって。剛、やってみろよ。」
「……うっす……」
山下に促されて剛はすぅっと大きく息を吸い込んだ。そして、ピタッと呼吸を止める。しばらく沈黙が流れて、健斗と佐藤、そして山下は揃って剛のことを見る。するとだった。
「カァ~~ロォミオベェ~~ンン♪♪クリィ~~リィアァ~~ルメェェ~~ン~~♪♪」
健斗と佐藤は驚いて目を見張り、その神がかった歌唱力に圧倒された。健斗たちだけじゃない。この教室にいる誰もが剛の方に視線を向けた。
剛は寡黙なやつだが、こんなに透き通った歌声を持ってるなんて想像もつかなかった。
あろうことか、まだ触れていないパート部分まで剛は歌い切った。歌が終わると、健斗と佐藤はしばらく呆然として何も言うことが出来なかった。
すると教室中にいる人が感服しながら剛に拍手を送った。健斗と佐藤も思わず惜しみない拍手を送る。
「すげぇ……」
「オペラ歌手みたい……」
「だろ?こいつの歌唱力は半端ねぇんだ。」
何故か山下のやつが得意気にそう言ってきた。健斗と佐藤は苦笑いを浮かべて小さく同意するように頷いた。
「こいつ、しかもピアノも弾けるんだよ。」
「ウッソッ?」
「マジッ?」
「マジだって。おい、剛。やってみろよ。」
「……うっす……」
剛は突然楽譜を持って、ピアノの前に立つと、その楽譜をピアノの上に置いた。そしてすっと、その大きな手を添えた。またしばらく沈黙が流れた。健斗と佐藤はゴクッと唾を飲み込んでその様子を見ていた。
すると、剛がとても綺麗な音色で今やっている課題の曲を弾き始めた。そのピアノの音色すら美しいもので、健斗と佐藤は再び言葉を失った。その様子を見ながら、山下がまた得意気に二人に言ってきた。
「なっ?」
「……あ、あぁ……」
「……キャラに合ってない……」
そして音楽の時間が終わり、健斗と佐藤、山下と剛。そしてついでにヒロの五人で教室へと向かっていた。途中で山下と剛と別れて、健斗たち三人はA組へと足を運んだ。
「しっかし驚いたなぁ……あの風格で意外な特技を持ってるんだなぁ……」
「人は見かけで判断出来ないってことね?」
「何の話?」
「いや……何でもないよ。」
そんなことを話しながらA組の教室に入って行った。まだ全員がこの教室に戻ってきてるわけではないが、ある程度の人は戻ってきている。
健斗は早川の姿を確認した。ということは、麗奈もいっしょのはずだ。ところが、予想に反して麗奈の姿はどこにも見えなかった。
「あれ?結衣、一人?」
佐藤が結衣に近づいて、そう聞いた。すると結衣はゆっくりと振り返って小さく頷いた。
「うん。そうだよ?」
「麗奈ちゃんは?」
「麗奈ちゃんなら、円ちゃんといっしょに購買に行ったんじゃないかな?」
「そうなの……ふ~ん……あ、ねぇっ!聞いてよ。B組の守田くんっているでしょ?あの人がさぁ~――」
どうやらガールズトークに入るみたいだったので、健斗はため息をついて自分の席に戻ることにした。次の時間は、確か生物だったような気がする。生物の教科書はロッカーにあるから、ロッカーの方へ行かなくては……そう思って、健斗は教室を出ようとしたときだった。
「だぁれだっ?」
突然目の前が真っ暗になった。健斗はすぐさまそれを振り解き、代わりに肘で腹の辺りに一発入れる。そいつは「うっ」と声を上げて、すぐさまぱっと手を放した。
「寛太……俺の可憐な瞳に触れるとは良い度胸してんじゃねぇか?」
「な、何だよー。冗談だろ?どこ行くの?」
寛太がそう聞いてきたので、健斗は歩みも止めずにそっけなく言った。
「ロッカー。」
「あ、俺も行く。次生物だよな?教科書そっちにおきっぱだ。」
と言って、健斗と同じような理由で健斗の後ろについて行った。
「なぁなぁ、そういえばもうすぐ文化祭じゃん?」
「え……あ、そうだっけ?」
そういえばそんな話を聞いた。でもまだ一カ月も先の話のことだ。あまり実感は湧いてなかった。
「そうだよ。忘れんなよなぁ。なっ?うちのクラス何やると思う?」
「さぁ?何かやりたいことでもあんの?」
健斗が興味なさげに聞くと、寛太は大きく頷きながら言ってきた。
「そりゃ色々とさ。例えばメイド喫茶とかもいいじゃん?あと……アニマル喫茶とか、萌え萌え喫茶とか?」
「全部そっちけいかよ。うちのクラスの女子にやらすんだろ?そういう格好。絶対嫌がるぞ?」
「大丈夫だって。うちのクラス結構ノリいいじゃん?絶対受けがいいと思うんだよなぁ~?」
「そっかなぁ?」
そんなことを話しながら健斗はあることに気がついた。廊下にいる生徒たちが、健斗のことを見てヒソヒソと何か話をしている。それどころか、何だか笑われているようにも感じた。
ふとそんなことを思いながら、健斗はさっき山下から聞いた話を思い出した。
ここ最近、自分のことが噂になっているらしい。もしかして、こうして見られているのも……それと影響しているのだろうか。
そんなこと考えながらロッカーから教科書を取り出し、また教室に戻ろうとした。やっぱりその際も、周りの生徒たちが健斗のことを見てくる。やけに視線が熱い……
「……何か嫌だなぁ……」
「何が?」
寛太が可笑しそうに笑いながら健斗にそう言ってきた。健斗と寛太が教室に入ると、すぐさまヒロが健斗たちのことを見てきた。するとヒロはポカーンと口を開けて唖然としていた。
そしてすぐさま、プッと吹き出して笑ってきやがった。
「何それ、お前……ギャグ?」
「は?何が……」
「自分の顔、見てみろよ。」
「顔?」
健斗はガラスに映る自分の顔を確認した。その瞬間愕然とした。
「な、何じゃこれはっ?」
何と健斗の両目辺りが真っ黒に染まっていた。健斗はそれを慌てて拭うと、手に付着した黒い部分の匂いを嗅いだ。墨の匂いだ。
と、なるとこういうことをしてくるのは一人しかいない。
「寛太……てめぇの仕業かっ!」
健斗が振り返ると寛太はもうそこにはいなかった。寛太はまるで予測していたかのように一足先に健斗の元から逃げ出していた。
周りの人が健斗を見てきたのはこれが理由だったのか……
「てめぇ……待ちやがれっ!」
制裁を加えるために健斗は走って逃げ出していく寛太を追いかけ始めた。健斗の足の速さなら、十数秒もしない内に捕まえることができるはずだった。