第9話 新たなる決意 P.69
晩御飯を堪能しながら、健斗、麗奈、小山さん……あとついでというこでヒロも加わって長い間色々な話をした。
そして時間も気づかない内に大分経ったようで、時刻が夜の10時を回ったときだった。小山さんが、明日は朝早い内に東京の方に帰らなければならないから……という理由でお暇することになった。
健斗は麗奈、そしてヒロとともに小山さんを見送っていた。外は肌寒くって、星が綺麗だった。
「じゃあまたな。今日は楽しかったよ。」
小山さんが別れ際に健斗たちにそう言った。健斗はゆっくりと笑って照れくさそうに言った。
「また、帰ってきてくださいよ?待ってますんで。」
「あぁ、時間が空いたときにまた……な。麗奈ちゃんも元気でな?」
小山さんがそういうと麗奈はにっこりと微笑んでゆっくりと頷いた。
「はいっ!サインありがとうございました。」
小山さんはそれを聞くと可笑しそうに吹き出して笑った。
「あぁ。じゃあ、またいつかな。」
そういうと小山さんはゆっくりと闇の中を歩いていった。健斗たちはその後ろ姿が見えなくなるまで見送ろうとした。するとだった。突然小山さんが振り返った。
「健斗、ヒロ。」
名前を呼ばれて健斗とヒロは表情を強ばらせた。すると小山さんはにっと笑って健斗たちに言ってきた。
「さっさと力をつけてこい。そんで……来年までにアンダーに来い。そこでまたいっしょに、サッカーやろうぜ。」
健斗とヒロはそれを聞いて、可笑しそうに笑った。言ってることはとても厳しい条件だったが、でも何でか嬉しかった。
「はい。待っててくださいよ。」
「すぐに追いつきますんで。」
健斗とヒロが自信たっぷりに答えると、小山さんは再びにぃっと笑った。そしてまた前を向き直すと、ゆっくりと歩きだした。徐々に姿が見えなくなった。そして健斗とヒロはふぅっと小さくため息をついた。
「来年か……」
「こりゃめちゃくちゃ厳しいなぁ。」
そう言って健斗とヒロは笑い合った。本当に厳しい条件だったが、それ以上にやってやるぞっ!という意識の方が強かった。
その気持ちは以前と同じようなものだ。胸の中にこみ上げる、どことなく熱い感覚。健斗はそれが嬉しくってたまらなかった。
「じゃあー……俺も帰るわ。つーか今日俺体ガッタガタ……」
「あ……あ、そうだな。」
健斗も今更のように体中に感じる疲労感を思い出した。今日は本当に無茶をしたはずなのに……小山さんのおかげすっかりそんなことを忘れていた。だが再び思い出した疲労感により、健斗は早く家に帰って休みたいという気持ちが起こった。
「あ、お前、仲直りはしたの?」
健斗が麗奈といっしょに家の中に入ろうとしたときにヒロにそう聞いた。するとヒロはゆっくりと振り返って、恥ずかしそうにニヤリと笑っていた。
「野暮なこと訊くなよ……」
「……そうだな。また明日な。」
「おう。」
ヒロとそう会話を交わすと、ヒロはゆっくりとした足取りで自分の家の方へ帰っていった。健斗はその様子を見て、可笑しそうにクスッと笑った。
「仲直りって……」
麗奈が健斗の隣でそう訊いてきた。健斗は小さく頷いた。
「あぁ。今日あいつ、試合終わってから佐藤のこと待ってたんだ。その先は言わなくても分かるだろ?」
「……そうだね♪」
健斗と麗奈は互いに笑い合って家の中に入った。靴を脱いで二階へと続く階段を上っていった。今日は本当に疲れたから……早く休みたい。
「……何か健斗くんってすごいよね?」
「ん?」
麗奈が健斗を見上げながらそう言ってきた。健斗はそんなことを言う麗奈を見て、不思議そうに首を傾げて見せた。
「何かさぁ、人との繋がりが深いっていうか……色んな人と色んな繋がりがあるんだね。」
「え?いや、そうかな?」
「そうだよ。今日みたいにさ、小山さんやヒロくんと、まるで兄弟みたいな関係じゃない?」
「あの二人は特別だよ。ヒロと翔、そんで小山さんは小学校のときから家同士の繋がりがあるし……まぁ、確かに兄弟みたいな感覚で育ってきたのはあるな。」
「でしょ?何だか羨ましいなぁ。」
健斗はそんなことを言う麗奈を見て、ぷっと吹き出して笑った。変なことを言うやつだな、と健斗は思った。
「何言ってんだよ。お前だって同じだろ?」
「え?」
「お前だって、家とそういう関係があるから、今この家にいるんだろ?」
「あ……そっか。」
「そうだよ。何、肝心なこと忘れてんだよ。」
「うん……何だかね……私、自分がどの家庭に属してるのかよく分からなくなるんだよね……」
健斗は部屋に入りながら、そんな風に言う麗奈を見た。麗奈も健斗の部屋に入って少し困ったように笑っていた。
「どういう意味?」
健斗が尋ねると、麗奈はちょっと困ったように笑い、小さく頷いた。
「うん……何か、私はこの家族でもあるけど、でも大森家っていう家族の一人でもあるじゃない?だから、どっちが本当の私なんだろうって……たまに分からなくなるんだよね。」
麗奈はたまに、自分が誰なのか分からなくなることがある。自分はこうして当たり前のように山中家の家族の一員として暮らしているが……自分には本当の家族がNYにいる。
しかも、麗奈のお父さんがもう一度……麗奈といっしょに暮らしたいと言っているのだ。それはそれでいいのかもしれないが……もしそうなったら、一体自分はどうなるんだろう……と麗奈は少し考えていた。
今は当たり前のように山中家の家族の一員として暮らしている。それは紛れもない事実だし、実際麗奈もこの家族は家族以上の強い繋がりを感じている。
でもまた達也と暮らすことになれば、そういう麗奈はいなくなる。山中家の一員として暮らしてきた麗奈はいなくなるのだ。
家族なのは確かだ。でも……そんな風にコロッと変わってしまう。そうなったら自分は一体、誰なのか分からなくなる。“大森麗奈”であるのは間違いない。
ただ、アイデンティティの喪失と同じような感覚をどうしても覚えてしまうのだった。
「……あ、ごめん。変な話しちゃって……気にしないで。ちょっとふと思っただけ。」
麗奈がそう言って笑っても、健斗は表情一つ変えようとしなかった。ただじっと麗奈を見つめるだけ。
何だか空気が重かった。せっかく今さっきまで楽しい時間を過ごせていたのに、麗奈の余計な一言で全てを台無しにしてしまうような気がした。
止めよう、こんな話。今はまだ……こんな話をするべきではない。
「じゃあ~……私、もう寝るね?おやすみぃ。」
麗奈が笑顔を作りながらそう言って、健斗の部屋を後にしようとした。これ以上何か言うと、健斗をただ困らせてしまうだけだ。だから止めておこう。麗奈はそう思った。
けど、その瞬間健斗が麗奈の腕を引いた。麗奈は驚いて健斗を見ると、健斗は悲しそうな表情を浮かべていた。
「……健斗くん?」
「……お前はお前だよ。」
「え……?」
健斗はそう言うと、ゆっくりと麗奈を抱きとめてきた。突然のことに麗奈はどうすればいいのか分からなかった。健斗の暖かい温もりと鼓動が伝わってきた。麗奈の体温も上昇すると共に、鼓動が早くなるのを感じた。
「お前はお前だよ。“大森”麗奈でもなければ、“山中”麗奈でもない。お前は、“麗奈”っていう一人の人間なんだ。」
「健斗くん……」
「だから……そんな悲しいこと言うなよ。自分が誰だか分からなくなるなんてさ……もう、言うな……」
健斗はそう言うと麗奈を強く抱きしめてきた。その温もりが暖かくって、麗奈はゆっくりと目を閉じた。暖かい……健斗がここにいるという感覚を覚えた。
そして健斗はゆっくりと麗奈を離した。麗奈は多分、自分は顔が赤いだろうということを意識しながら健斗のことを見れないでいた。まさか、健斗に抱きしめられるとは思っていなかったのである。
「それにお前……それって本当はすげー幸せなことなんだぞ?」
「え?」
健斗はニコッと笑った。麗奈はゆっくりと顔を上げて、健斗のことを見つめた。
「だってお前、それって二つの家族を持ってるってことになるじゃん。そう考えると、それってすげー幸せなことだって思わない?」
確かに、そう言われればそうなるかもしれない。でも、それはあくまでもポジティブ思考に考えればの話だ。現実は違う。
いつか達也と暮らすようになれば、これまで築き上げてきた時間なんてものはいずれは消えていく。それはもう、麗奈の分かっていたことだった。何度も引っ越しを繰り返してきた、麗奈だからこそ分かることなのだ。
健斗はそんな麗奈の浮かない顔に気づいて、ゆっくりと麗奈の頭を撫でてくる。手のひらを通じて、健斗の優しさが伝わった。
「お前にだって、俺と同じように……色んな人と色んな繋がりがあるだろ?」
「……うん……」
「少なくとも……俺とお前の中には……家族以上の繋がりがある。違うか?」
麗奈は驚くようにして健斗を見上げた。健斗がそんな風に言ってくるのは珍しかった。健斗はいつも、自分と麗奈とは家族だ。とかそういうことは言ってくる。ただ……“家族以上”なんて言い方はしてこなかった。
健斗はゆっくりと笑うと、健斗の部屋に置いてあった鞄を探り始めた。やがて、立ち上がると手に何かを持っていた。麗奈はそれが何なのかを見つめた。
「だから……お前にこれをやるよ。」
「え……」
健斗がそう言って麗奈の手を握りながら渡してきたのは……あのブレスレットだった。他の二つは健斗とヒロがつけていた。だからこれは最後の……健斗の大切な親友である、翔の分のブレスレットだった。
健斗とヒロと翔。この三人の絆の強さを示す、大切なブレスレットのはずだった。そんなブレスレットを、あろうことか麗奈にあげると言っている。麗奈はあまりの驚きに目を見張らせた。
「……どうして?」
麗奈が聞くと、健斗は照れくさそうに顔を背けた。
「……何ていうか……お前に持っておいて欲しいから……」
「……私に?」
「うん……」
健斗は照れくさそうにポリポリと頬を書いた。そして本当に呟くような小さな声で麗奈に言ってきた。
「……今回俺が頑張れたのはさ……全部……お前がいてくれたからなんだよ……」
「え……?」
「お前が……俺に言ってくれただろ?“もう苦しまないで欲しい”って……」
確かにそう言った。あの言葉は何よりも麗奈が一番強く思っている思いだった。本当に正直な気持ちが、もうこれ以上健斗に苦しんだり、悲しんだりして欲しくなかったのだ。
健斗は顔を赤らめて、麗奈をわざと見ないようにして言った。
「……お前のあの言葉で……ずっと悩んでた思いがようやく固まったんだ。お前がいてくれたから俺……ずっと頑張れてこれたんだよ……」
「健斗くん……」
「だから……それをお前に持ってて欲しい……いらないんなら……俺が持っておくけどさ……」
嬉しかった。健斗がそこまで麗奈のことを考えていてくれたなんて。今回の件は、自分は健斗に対して何もしてやれないとばかり思っていた。
今回の件は健斗自身の問題だし、それに口を挟んだりしてはいけない。それに自分に出来ることは本当にごくわずかだった。もっと健斗を支えてあげたかった。そう思っていたのだ。
だけど……健斗はずっと麗奈は充分やってくれていると言ってくれていた。そんなの嘘だと、健斗が気を遣ってそう言っているだけだと思っていた。でも本当にそうだったのだ。麗奈の知らないところで、麗奈は健斗のことを支えていたのだ。このブレスレットが、何よりも大切な証だった。
そして同時に、麗奈が健斗にとって“家族以上”の存在であることを何よりも示していた。それが本当に嬉しかった。
麗奈はそのブレスレットを大切に握った。
「……嬉しい……ありがとう。健斗くん……」
「……おう。」
「本当に嬉しい……私……」
「も、もう分かったよ。そんなに言われると照れるだろ。」
健斗が恥ずかしそうにそう言ったので、麗奈は愛おしさを感じると共に可笑しさも感じてクスッと笑った。
「……うんっ!」
「……よし。じゃあ……もう俺も寝るから……さすがに……ちょっと……クタクタだわ、俺……」
健斗はふらっと体を揺らしながらベッドにバタンと倒れた。麗奈はまた可笑しそうに笑うと、ブレスレットを握ったまま健斗の部屋を後にしようとする。
「じゃあ、おやすみぃ。」
「……ん……おやすみ……」
麗奈はそう言うとゆっくりと健斗の部屋のドアを閉めた。そしてもらったブレスレットを見ながら、自分の部屋に入った。ブラックとレッドの合わさった格好いいブレスレットだ。
麗奈は会ったことのない、櫻井翔から受け継いだようなそんな感覚を覚えた。それくらい大切なブレスレットなのだ。
健斗と何よりも強く結ばれている証……
麗奈は嬉しくって、そのブレスレットを大切に握りしめた。
心が晴れやかになった。