第9話 新たなる決意 P.67
「……ウ……イテテテテ……」
試合が終わってから大分時間が経った。何とか歩けるようになった健斗は、部室のシャワー室を使い汗を流し、何とか着替えをすまして、こうして家路についていた。
色々と支度に手間取り、帰ろうとする頃にはすでに夕暮れ時になっていた。そしてその間、麗奈は健斗のことを待っていてくれてたため、麗奈と二人きりで帰ることになった。
本当はヒロもいっしょに帰る予定だったが、ヒロにはちょっとした事情が残っていた。そのため、帰りは別行動だった。早川は部活の途中だったし、佐藤も同じ理由だ。
佐久や琢磨とは家の方向は違うからいっしょには帰れないけど、ちゃんと少し話をしてから別れた。二人とも、健斗が麗奈といっしょに暮らしているということに対して、とても驚いていた。
どうやら二人は妙な誤解をしてしまったらしい。あの女性に全く興味を示さない健斗が、あろうことかこんな美少女といっしょに暮らしているっ!
失礼な話である。確かに中学のとき、健斗はそういう色を見せていなかったが……ちゃんと女性には興味があった。だって、そのときは早川に対し健斗は恋心を抱いていたのだ。
ところで帰る、とまではいいが、問題はどうやってかだった。健斗の身体は本当に限界を超えていて、何とか南ちゃんの薬品の効果(本当に効果があったのかどうかは怪しいが、少なくとも大分楽にはなった。)によって何とか歩けるようにはなったが、それでも動く度に身体中に激痛が走った。
そのため帰りは久々にバスを使うことにした。自転車はとりあえず明日まで学校に置いておけばいいし、バスを使わないと日が暮れてしまう。
そして健斗と麗奈は家近くのバス停で降りた。そしてそこから十分くらい歩けばもう家だ。そのぐらいなら何とか根性で歩けるはず。
「今日はお疲れ様♪」
麗奈が微笑みながらそう言ってきた。麗奈は健斗の身体を気遣ってか、健斗の重い荷物を持ってくれていた。その代わり、健斗は麗奈の軽い荷物の方を持っていた。
麗奈にそう言われて健斗は小さく笑って頷いた。
「あぁ。あ、応援してくれてありがとうな。」
「ううん。でも本当にすごかったね?私、サッカーってあんなにドキドキするものなんだなぁって改めて思ったよ。」
「当たり前だろ?俺を誰だと思ってんだよ。」
「“ホワイト・マジシャン”だもんね。」
麗奈がクスクスと笑いながらそう言った。健斗はそれを聞いて面白くなさそうな表情を浮かべた。「それ、止めてくんない?気に入ってないんだよ。」
「え~?何でぇ?格好いいじゃん。」
「どこがだよ。遊戯王っかっ!って感じだよっ……アイテテテテ……」
駄目だ。もう大声を出すだけで身体中が軋む痛みを覚える。
「大丈夫?」
「う~ん……ちょっと無理したかも……」
本当にその通りだ。“剛”のドリブルは一試合に一度しか使えないのに、今日は二度も使ってしまったのだ。身体に相当な疲労が蓄積しているに違いなかった。
「でも、南先生の薬品のおかげで大分楽になったんでしょ?」
「ぜってー関係ねぇよ。あのやろー……打つなって言っても打ってきやがったし……副作用なんか起きたらどうすんだよ……」
「前はどうなったの?」
麗奈にそう聞かれて、健斗はそのときの恐怖の思い出を思い出しながら苦笑い浮かべた。
「前は、中一のときかな……俺が部活中に熱出しちゃってさ。保健室に行ったんだよ。そこで、南ちゃんが“これを飲めば熱なんて一発よっ!”って言ってさ、わけの分からない薬を出してきたんだ。」
「そ、それを飲んだの?直接?」
麗奈に聞かれて、健斗は苦笑いを浮かべたままゆっくりと頷いた。
「うん……飲んだ瞬間、俺気絶したんだ。確かに熱は下がったけど……丸1日失神して大変な騒ぎになった……」
「……そ、そうなんだ……」
「だから俺はあのときから、もう二度と南ちゃんの薬には手を出さないって決めたのに……あのやろー……」
「アハハ……大変だったんだね。」
麗奈は苦笑いを浮かべてそう言った。なるほど、だからあのとき健斗はトラウマを思い返していたのだ。そしてその事情を知っていたのんちゃんとヒロは被害を避けるために、部室へ逃げていったのだろう。
まぁでも何にせよ、これで健斗はようやく新しい一歩を踏み出すことが出来たのだ。それ以上に嬉しいことなどなかった。
「健斗くんはこれからサッカーを続けるんだね。」
麗奈にそう言われて、健斗はゆっくりと笑ってそう言った。
「……あぁ……」
「……何だか嬉しいなぁ。健斗くんがようやく前に進めたような気がして……」
「……そうだな。今回のことで、俺は今までのことを全部振り払うことが出来たような気がする。」
健斗はそう言いながら、腕にしてあった、あのブレスレットに手を触れた。それを大切に撫でるようにして見つめていた。
そのブレスレットは健斗の大切な大切な絆の証だった。健斗の心の支えになって、健斗の心の糧となっている大切なブレスレットなのだ。
すると健斗はそのブレスレットを見つめながら、ゆっくりと笑いながら言った。
「でもまた、こっから全部が始まんだなって思うんだ。俺は今、ようやくスタート地点に立てたんだなって。だから……これからなんだ。」
その横顔を見て、麗奈は胸をドキンッと高鳴らせた。健斗の中に新たなる決意が宿っているようだった。その横顔はいつもとは少し雰囲気の違った表情だった。まるで麗奈の知らない健斗を見ているようだった。
胸の高鳴りが収まらない。
「そ、そうだね……」
麗奈は慌てて健斗から目を逸らしてそう言った。何だか健斗のことを今見ることが出来なかった。
麗奈は今日の健斗を思い出していた。
――……後は任せろ……
その言葉通り、健斗はやってくれた。健斗の大活躍によって、神乃高サッカー部は救われたのだ。何だか本当に、胸にぽかんと穴が空くような気持ちだった。それくらい感服していた。
「……今日の健斗くん……」
「うん?」
「……すごく格好よかったよ……」
麗奈がそう言うと、健斗がかぁっと顔を赤らめたのが分かった。麗奈も多分顔が赤いだろう。
ヤバい……多分麗奈は今までよりもずっと、健斗のことが好きになってしまったみたいだ。
「……な、何言ってんだよ。変なこと言うなよな……」
健斗が恥ずかしさを隠すように笑いながらそう言った。麗奈も小さく笑って、健斗から顔を逸らす。何だか甘酸っぱい雰囲気が漂っていた。
……いつもの二人らしくない。
何か話題を変える必要がある。でも、そう考えてみても話題なんて見つかりっこない。今麗奈の胸の中は最大限に高鳴っている。
健斗も同じ気持ちなのかなぁ……と麗奈は少し想像してみたりした。今回のことを通じて、麗奈はさらに健斗の心の奥に大分近づけたような気がしていたからだ。
そんなことを考えていた。するとだった。麗奈はふとあのときのことを思い出した。
それは試合が終了して、麗奈がスタンドにいる観客の方を見たときのことだった。麗奈の記憶の中に何かが引っかかる、見覚えのある人が観客に混じっていた。
「……あっ!」
麗奈は全てを思い出すような声をあげた。慌てて健斗を見ると、健斗はまだ少し顔を赤くしたまま麗奈を不思議そうに見つめていた。
「ねぇ、健斗くん。ほら、あの人……何だっけ?」
麗奈がそう言うと健斗は分からないと言ったように首を傾げた。
「……あの人?」
「うん。ほら、この間雑誌で見た人――」
「……雑誌……綾瀬はるか?」
「違うよっ!その雑誌じゃなくって、ほらぁっ!あのサッカーのこととか書いてある雑誌に乗ってた人だよ。健斗くんの先輩って言ってた人っ!」
「あ、小山さんか?」
「そうっ!小山さんっ!」
麗奈が慌ててそう言うと、健斗はそれでも分からないと言ったような表情を浮かべたままだった。
「小山さんがどうかしたのか?」
「その小山さんがいたのっ!」
「は?」
健斗がきょとんとした顔をした。
「いたって……どこに?」
健斗が茫然とした状態で聞くと、麗奈は躍起になって説明をした。
試合終了直後に、麗奈の視界にある人物が写った。その人物はどこかで見たことがあった気がして、すぐに思い出したのだ。
雑誌で見せてもらった、健斗の先輩だと言っていた人だ。
だけど……健斗はその話を聞くと、呆れるように笑ってため息をついた。
「何言ってんだよ。いるわけないだろ?小山さんは今頃遠征とかで海外にいるんだぜ?」
「嘘じゃないよっ!本当に見たんだもんっ!」
「見間違いだよ。それにあの人、もう一年以上こっちに戻ってきてねぇんだぜ?たまたま似てる人だったんだよ。」
「違うってばっ!本当に本当にいたんだもんっ!」
「ハイハイ。いたんだな?分かった分かった。」
健斗はもう麗奈をまともに相手にするつもりがないらしい。麗奈の話を軽くあしらうようになった。でも、健斗にそう言われると自分も本当だったかどうかが怪しくなってくる。
何せ距離が遠かったし、麗奈はその人自身に会ったことがない。健斗の言っているように、ただの見間違いだったのかもしれない。
でも……あのどこか普通の人とは違う雰囲気が気になっていた。
それから少し時間が経って、ようやく家にたどり着いた。健斗は家を見ると、ほっと大きくため息を吐いた。ようやく身体を休めることが出来ると思ったのだろう。麗奈はそんな健斗を見ながらクスクスっと笑った。
そして引き戸を空けて家の中に入った。
「ただいまー。」
「ただいま。」
玄関に立つと居間の方から笑い声が聞こえた。一人は母さんの笑い声だった。この五月蝿い甲高い声は間違いなくそうだ。
健斗はふと、玄関に置いてある靴の数に気がついた。玄関には健斗の革靴とランニングシューズ、父さんのサンダルとビジネスシューズ、そして麗奈のブーツが置いてある。
だが妙なことに、その中に見慣れない靴があった。
「……誰か来てるみたいだね?」
麗奈もそのことに気づいたらしく、健斗を見上げてそう言ってきた。健斗は黙ったまま頷いた。
「誰だろうな?」
こんな時間に訪問してくる人なんてそうはいない。健斗と麗奈は少し気になり、家に上がり、居間の方へと向かった。
「あの明ちゃんがね~?こんなに立派になっちゃってぇっ!」
「いや~、俺なんてまだまだっすよ。世界には本当に化けもんみたいなやつがいっぱいいますから。」
「でも明信もその内の一人じゃないか。この間テレビで特集されてたの見たぞ?」
「おじさん見たんですか?うわっ!恥ずかしいなぁ。」
明ちゃん……明信……
まさか……
健斗と麗奈はゆっくりと居間を覗いた。その瞬間、健斗は呼吸が本当に止まった。麗奈も同じような気持ちで茫然としている。
居間には父さん、母さんがいた。卓袱台を囲んで座っている。だがそんなことはどうでもいい。その中に混じっている人物を見て、健斗は大きく驚いていたのだ。
健斗たちの気配に気づいたらしく、その人物はゆっくりと振り返った。もう間違いなかった。
その人物は健斗の顔を見ると、あたかも当然のような振る舞いで、にこっと笑った。
「よっ!帰ってきたか。お邪魔してるぞ。」
「こ、小山さんっ?」
健斗は家中に響くほどの驚くような声をあげた。なんと、そこには小山明信が卓袱台を囲んで座っていた。