第9話 新たなる決意 P.63
用語説明(※サッカーについてある程度分かる人は読まなくても大丈夫です。)
キックオフ……試合が始まるときの合図みたいなもの
FW……攻撃を中心とするポジション
MF……中心ら辺でプレーするポジション。主に攻守両方を担う。右サイドハーフと左サイドハーフと真ん中で構成される。
DF……守るポジション。右サイドバックと左サイドバックとセンターバックで構成される。
GK……ゴールを守る選手。手を使っていい。
ハーフライン……グラウンドの半分を示すライン
クリア……自陣からボールを出すこと。
ペナルティーエリア……ゴール前らへん。
センターサークル……ハーフライン上の大きな円。この円の中心で、キックオフがされる。
オフサイド……相手のDFラインより後ろでパスをもらうファール。
プレッシャー……相手からボールを奪おうと圧力をかけること。
センターリング……右か左のサイドからゴール前に送られるパス。自分にとってはチャンス、相手にとってはピンチとなる。
インサイド……足の内側。
アウトサイド……足の外側
何か一つでも分からないものがあったら、どんどん質問してくださいっ!
「……なぁっ。」
「ん?」
洗目高校の選手の一人が近くで靴紐を結び直してる仲間に声をかけた。彼は健斗とヒロのことを見ながら、二人を見るように促した。
「あの二人……メンバー変えて来たぞ。あんなやつらいたか?」
彼がそう言うと、もう一人のやつも二人を見た。しかし彼の方はあまり興味がなさげな表情ですぐに靴紐の方に視線を向けた。
「知るかよ。どうせ控えのやつとかだろ?」
「……いや……俺どこかであの二人見たような気がすんだよ。特に10番の方……」
「考え過ぎだよ。それよりも早くポジションにつけよ。コーチからノルマがプラス2点つけられたんだからな。さっさと終わりにして帰ろうぜ。」
靴紐を結び終えた彼は面倒臭そうにそう言うと自分のポジションへと戻っていった。しかし、もう一人の彼は二人のこと……特に10番の存在が気になって仕方がなかった。
「……気のせいか?」
ホイッスルが鳴った。ついに後半戦がスタートした。キックオフでボールは動かされ、まず健斗の足元に収まる。
すると相手選手のFWが健斗に突進してきた。だが健斗は慌てない。じっと相手の最終ラインだけを見つめていた。
――今だ!
健斗は半身を後ろに振り向かせると、ボールを蹴り出した。そのボールは、MFでもなく、最終ラインのDFでもなく、何と一番後ろのゴールを守っているヒロの場所まで送られた。
するとヒロは転がってきたボールを見定め、そのボールをそのまま……
「いっっっけぇぇぇっっっ!!」
力強い蹴りでボールを蹴っ飛ばした。ボールはハーフラインを越えて、さらに相手の最終ラインを裕に越えた。
しかしそのボールは勢いがあり過ぎたのか、最終ラインを越えてゴールキーパーの辺りまで飛んでいった。突然のことに誰しもが動揺している。特に、洗目高校のやつらは何の意図があるのかさっぱりという顔をして、空を飛んでいるボールを見ていた。
「何これ?クリア?」
「おい、キーパー。そっち行ったぞ!」
最終ラインの要の選手がキーパーに声をかけた。遠くで構えているキーパーが了解するように手を挙げた。
「オーライ、オーライ。」
キーパーは飛んできたボールの着地点を見た。それは自陣のペナルティーエリア内だった。そのため、キーパーはそれをダイレクトにキャッチをしようと構えていた。
が……しかしだった。
「っ!!ちげーよっ!!戻れっ!」」
誰かがそう言ったときには、もう遅かった。
「……えっ!?」
キーパーは絶句した。何と、彼の目の前に選手が一人現れた。健斗がキーパーにくっつくようにボールの着地点で構えていたのだ。
突然の出来事に、キーパーは絶句した。
「……うっ!」
ボールが着地点に到達しようとしたとき、健斗はそのボールを空中でワンタッチした。するとゴールキーパーは眩しそうに目を思わず瞑った。健斗はソフトなタッチでボールは軌道がかわり、相手のゴールキーパーの頭上を越えた。
健斗もそれに流れるようにゴールキーパーの横を抜く。そして、健斗の目の前にはもう誰もいなかった。
健斗はニヤリと笑いながらボールを蹴った。そのボールは、誰にも邪魔されることなくして、吸い込まれるようにしてゴールに収まった。
そしてホイッスルが鳴る。それは一点決まったという証でもある。
しばらく沈黙が続いた。
「……うっおおおおっ!!」
神乃高選手が歓喜の声を上げた。するとグラウンド内も、そしてスタンド側も騒然とした。後半が始まって一分も経たないうちに、何と神乃高が一点取ったのである。
健斗は笑いながら「うしっ!」と言ってガッツポーズすると、ゴールの中からボールを手に持ち走ってセンターサークルへと向かった。
洗目高校の選手はキーパーを含めて唖然としていた。あまりの出来事に頭がついていかなかった。だが、事実健斗は試合開始直後に一点を決めたのだ。
「ちょ、ちょっと待てっ!何?今のオフサイドじゃないの?」
「……オフサイドじゃねぇーよ……」
慌てふためく選手に、最初に状況に気がついたやつが苦々しい表情を浮かべてそう呟いた。
「ボールが蹴られる前……あいつ、センターサークルらへんにいた……」
「はぁっ?」
「俺はずっと見てたんだ。ボールが蹴られた瞬間、あいつはセンターサークルから同時に走り出したんだ。オフサイドにはならない。しかもボールの着地点をあそこに落ちるようにしたんだ。」
「ちょ……ちょっと待てよ。センターサークルからペナルティーエリアまで何メートルあると思ってんの?人間の足の速さじゃありえないだろっ?」
「それが有り得たからこうなってんだろっ!!」
苛立だしげに彼はそう怒鳴った。すると慌てふためいてたやつはビクッとして口を閉ざした。
そして彼は舌打ちをすると健斗の方を見た。
「……あの二人……ただもんじゃねぇぞ……」
「やったぁぁっ!!」
「さすが健斗だっ!!もう一点決めるなんてっ!!」
のんちゃんやその他の部員たちが健斗に駆け寄って喜びを分かち合った。健斗は体を叩かれながら嬉しそうに笑った。
「ありえないゴールだったなぁっ?つーかよくオフサイドになんなかったな?」
健斗はそう言われるとゆっくりと頷いた。
「はい。計算してやったんで。」
「計算?」
「はい。よく見てください。」
健斗はそう言いながら、未だ呆然と立ち尽くしている相手の最終ラインを指差した。
「相手のラインが全体的に前に上がったんです。恐らく、ノルマとかがあって、全体的に攻撃してくるつもりだったんだと思います。でも、それが原因で……見て下さい。キーパーと最終ラインの間が間延びしてるでしょ?」
健斗の言うとおりだった。相手のゴールキーパーと最終ラインの間に大きなスペースが出来ている。
「だからヒロにそこに蹴り込んでくれるように頼んだんです。しかも太陽が高い位置にあるから、相手のゴールキーパーは見えにくくなる。それを狙ったんです。」
「……それを全部計算したの?あの一瞬で?」
今泉が驚いたように目を見開きながらそう訊いた。他の部員たちも同じような気持ちなのだろう。健斗はにっこりと笑った。
「はいっ。」
「……ハハ……こりゃすごいや……」
今泉は感嘆するように笑った。だが健斗は表情を強ばらせた。
「でも勝負はこれからっすよ。」
「え?」
「今のゴールが上手く行ったのは、相手がこっちを完全になめてたからっす。でも今ので相手も警戒してくると思います。」
「……そ、そっか。」
「はい。だから……こっからは全員で点を取りに行きましょう。守りに入るよりも、相手に攻撃させないくらいに攻めるんです。」
「でも……そんなことしたら守りが薄くなって、危なくないか?」
部員の一人がそう心配そうに言った。確かに、その不安は拭えない。が……
「いや、健斗の言う通りだよ。」
のんちゃんが健斗を見ながらそう言った。のんちゃんは健斗の意図をちゃんと分かっているらしい。
「僕たちは負けたらダメなんだ。一点入れたはいいけど、まだ三点差……だからどんどん攻めないと……」
「のんちゃん……」
健斗はのんちゃんの言葉を聞いてゆっくりと笑った。
「そういうことっす。……それに、後ろはそんなに心配しなくても大丈夫っすよ。」
「えっ?」
「あいつがいるんで。」
健斗はにやけながらゴールの方を指差した。健斗が指差した方向は当然ヒロだった。みんなヒロのことを見てお互いに納得するように頷いた。
そして、みんなそれぞれ自分のポジションに戻って行こうとした。のんちゃんは右のサイドバックだから、のんちゃんもそこの位置に戻ろうとした。
「のんちゃん。」
のんちゃんが戻ろうとすると、健斗が呼び止めた。健斗はのんちゃんの堅くてがっしりした肩を叩いた。
「……引き分けとかじゃなくって、勝ちに行くぞ。」
「……え……」
「俺とヒロがいんだ。自信持って行こうぜ。なっ?」
のんちゃんは自分の気持ちを見透かされているような心地で健斗のことを見つめた。健斗はいつもそうなのだ。中学のときもこんな風に、のんちゃんにそうやって声をかけた。
それが何だか懐かしいような気もして、のんちゃんは嬉しく思いにっこりと微笑んだ。
「うんっ!」
のんちゃんはそう言うと、自分のポジションに戻っていった。健斗もその後ろ姿を見ながら小さく笑い、自分のポジションへと戻っていった。
スタンドは騒然としていた。始まった直後に、何と健斗が一点を返したのだ。麗奈はこのありえもしない事実に胸を驚かせた。同時にこの厳しい試合に対して、希望の灯が灯るようだった。
「すごいっ!!」
結衣が嬉しそうに後ろではしゃいでいる。結衣だけじゃない。麗奈の隣でマナも、そして佐久や琢磨と一同となって喜びはしゃいでいた。
「さっすが健斗だっ!!もう一点決めるなんてさっ!」
佐久が興奮するようにそう叫んだ。麗奈も同じ気持ちだ。健斗のサッカーの実力がすごいということは予め知っていたが、やはりこうして改めて見てみると本当にすごい。
しかもあの足の速さ……あの最後に見せた超スピードのドリブルを支えていたものがそれだった。健斗はとてつもなく足が速かったのだ。
麗奈は口元で笑みを作りながらゆっくりと頷いた。
これなら行けるっ!そう思った。
そして試合は再開された。ホイッスルが鳴ると、相手はボールを繋ぎながら徐々にこっちのエリアに進んでくる。なるほど、確かにこのパスワークはなかなかのものだった。
そして左サイドにボールが運ばれて、その左サイドのやつから中央のやつにボールを渡そうとパスしたときだった。
そのボールを健斗がパスカットをして奪った。相手はボールを奪われると「しまったっ」というような声をあげた。だが健斗は容赦なく、ボールを運び出す。
相手のMFが健斗にプレッシャーをかけてきた。だが健斗はそれを物ともせず、鮮やかなテクニックで一人、二人を抜いた。まるで風のように突き抜けていく健斗を見て、抜かれた相手選手は唖然としていた。
「はさめっ!」
また誰かがそう言った。すると中央でドリブル突破を図っている健斗に対し、前から一人、後ろから一人と健斗にプレッシャーをかけてきた。目の前のやつは上手くコースを切って右に促そうとしている。
だが健斗はそんなものに動じなかった。健斗は冷静に周りを見て、そして自分の右サイドにいるサイドハーフ――名前はまだ知らないから、7番の仲間にボールをパスした。
7番は、ボールをもらうとそのボールを持ってドリブルをしかける。が、しかしそれに相手のセンターバックの一人がカバーに行きプレッシャーをかけようとした。
それに臆したのか、7番の選手は慌てて中央にボールを送った。中央には健斗がいた。健斗はそのボールを見た。しかし、そうはさせまいと相手のDFが詰め寄ってくる。
確かに早いプレッシャーだ。並みの選手ではない。だが、残念ながら健斗には通用しない。
ボールはやや、健斗の前に送られた。健斗の前にあるスペースにボールが送られていて、相手はそこでパスカットを図ろうとしている。だが、健斗はニヤリと笑いながら、自らそのボールを迎えに行く。
そしてワンタッチで自分の体と一緒に相手を抜き去った。相手はあまりの速さに振り返る余裕すらない。これも健斗の得意とするドリブルの一つ――ラン&ラン――だった。
ボールをただトラップするのではなく、自分の走るコースに向けてボールの軌道を変えるようにトラップをして、そのまま流れるように相手を抜く。すると相手はワンテンポ早い動きについてこれず、思わず立ち往生してしまうわけだ。もっともこれは、相手がスピードに乗って健斗を潰しにかかった場合にしか使えないが……今の状況は健斗にとって絶好の的だった。
すると健斗の前にシュートコースが開いた。健斗はそれをすかさず見逃さないで、シュートを思いっ切り放った。
相手のゴールキーパーは健斗が撃ってくるのを用意していたために、健斗の放ったシュートコース――ゴールの左の隅に向かって飛んだ。
「……なっ!」
彼はそのシュートを止められると確信したのだろう。だが、そのボールの軌道は彼が描いていたものとは違った。彼の手にボールが触れる瞬間、何とボールの軌道が下に変わったのである。ボールは彼の手の下を抜けて、そのままゴールネットを揺らした。
するとホイッスルが鳴り、再び大歓声が起こった。ゴールキーパーは唖然として転がっているボールを見つめた。そして驚くように、健斗を見た。
――ドライブ回転だ……
彼が知る限り、そういう類のシュートを、しかもあんなに正確に放てるものはいない。驚きで胸が高鳴った……
「ば、化けもんかよ……あいつ……」
「よっしゃぁっ!!」
神乃高のメンバーが喜びはしゃいでいる。健斗はその喜びを受け入れるように、みんなとハイタッチを交わす。
健斗はパスをくれた7番の人を見てにこっと笑う。
「ナイス……パスっす。えっと……」
「あ、守田っす。同じ一年……」
「あ……守田……くん。一年……えっ!一年っ!」
健斗はその言葉を聞いて驚いた。彼の風貌からしたら、二年生だと思っていた。彼は恐縮そうに頭を下げた。
すると陽気に笑っている部員の一人が可笑しそうに笑った。
「こいつ、老け顔だから一年に見えないだろ?あ、ちなみに俺は山下薫。俺も同じ一年だから。よろしくっ!」
「あ、よろしく……」
そういや全員の名前を知らない……自己紹介とか、そんなことをやっている時間もなかった。まぁ……それは後でもいい。
「つーかマジやべぇぞっ!おいっ!これマジで勝てるかもっ?」
「山中がいれば逆転も無理じゃねぇってっ!」
健斗は肩で呼吸しながらにっと笑った。
「……ハァ……任せて……ハァ……下さいっ!」
「頼もしいなぁっ!!おいっ!!」
そう喜びを分かち合っている中、のんちゃんはそんな健斗の様子を見て違和感を感じていた。
「……あれ?」
のんちゃんはその違和感を確かめるように、学校に設置してある時計を見た。後半が始まってから、10分が経過している。そしてもう一度健斗を見る。
汗をかいて、呼吸が乱れているが、まだまだいけるぞっという顔をしている。
そしてのんちゃんはあらゆる要素を思い出しながらある予感を感じていた。
「……もしかして……」
「ハァハァハァ……くそっ!何だよあいつっ!あの10番……」
「うちの一軍ですらあんなやついねぇよ……」
「……しっかりしろっ!まだ後半は始まったばかりだっ!まだうちがリードしてる。すぐに取り返すぞっ!」
そいつがそういうと、全員が声を出して返事をした。みんながポジションに戻っていく中、そいつはもう一度健斗を見た。
「……くそっ!絶対見たことあるぞ、あいつ。どこのどいつだったかな……」
試合が再開されて、再びボールは洗目高校だった。
「サイドで散らせっ!中央は通すなっ!」
相手側がそう指示を出す。懸命な判断だと健斗は思った。中央でプレーすれば、また健斗にパスカットされる恐れがある。そしたらさっきとまた同じ繰り返しだ。
だからサイドを使って攻める。そしたら、さすがの健斗もボールを取りに行けない。健斗までサイドで守りに加わったら、中心で攻撃の起点が作れなくなる。逆転するためには、健斗が守りに入っている時間はない。
――でも……
やはり相手の選手もしっかりした攻撃の形は持っているようだった。サイドで崩されて、今度は神乃高のピンチとなった。
右サイドからセンターリングのボールが上がった。相手の攻撃陣はそれなりに体が大きく、競り合いで勝てる見込みがない。
健斗はその様子を、センターサークルのやや後ろで見ていた。健斗の側には一人がっしりとマークがついている。
健斗はそんな中、ヒロを見つめた。そしてふと、この間の夜のことを思い出した。
「準備できたぞ。」
ある日の夜だった。健斗とヒロは神乃中のグラウンドに忍び込んでいた。灯りはあるが、やや暗く、ぼんやりと校舎が建っているのが薄気味悪かった。
「キーグロ(キーパーグローブの略)をつけるなんて久しぶりだよ。」
ヒロは笑いながらそう言った。健斗はサッカーボールを使ってリフティングをしながらヒロに言った。
「いいから早くゴールの前に立てよ。」
「ヘイヘイ。」
健斗に促されるようにヒロはゴールの目の前に立った。健斗はそれを確認すると、ペナルティーエリアの外側にボールを置いた。
「うわっ!この光景、ちょー久しぶり。」
ヒロはうきうきしながらそう言った。
何故健斗たちがこんなことをしているのかと言えば、それはこのヒロのキーパー練習みたいなものだった。長い間、こうしてゴールキーパーの感覚を失っている。そのため、こいつが今どのくらい出来るのかを計るために、健斗たちはわざわざこのグラウンドにいるのだ。
ヒロの出来具合が、今度の試合を左右する。
「言っとくけど、本気でやるからな。」
「分かってんよ。」
ヒロは手をヒラヒラと振りながらそう言った。健斗はそう言われるとぐっと力を込める。
するとヒロの顔つきも変わった。パンっと手を叩くと、ぐっと力を込めて構える。
少しの間沈黙が流れた。冷たい風が吹いている。
すると健斗は助走をつけて、目の前のボールを蹴った。インパクトの感覚からして、最高のシュートだった。
内側に回転をかけて、ボールはバナナのようなカーブの軌道を描きながら、左サイドの隅っこに向かっていった。我ながら最高のフリーキックでのシュートだった。
これは入ったな……健斗はそう確信した。ところがだった。
ヒロはまるで予測していたかのように、そのボールの軌道に向かって飛んだ。すると彼の手のひらがボールを弾いた。その事実に健斗は胸を驚かせて唖然とした。
ボールは転がってどこかに消えた。健斗は唖然としたまま、ヒロを見る。ヒロはゆっくりと立ち上がって大きく息を吐いた。
「ぷひゃぁぁっ~!アブねー、アブねー。」
「お前っ……今の止めたのかっ!」
「あん?何驚いてんだよ。」
ヒロはさも当たり前のような顔をしていた。グルグルと肩を回す。
「俺のセーブ率なめんなよ。」
「……………」
確かに、この男は神乃中の時代、本当に優れたキーパーだった。あらゆる場面でスーパーセーブを見してくれたことから、こいつは“神乃中の守護神”と部活内で言われていたほどだ。
「でも確かに不思議だな……」
「え?」
ヒロは自分の手を見つめながら言った。
「……今、お前のシュートがスローに見えた。」
「は?」
「挙動から全部。全体的にゆっくりだった。」
そんなわけがない。健斗は少なからず、思いっ切り最高のシュートを放った。まったく手も抜いてない。だから驚いているのだ。
「と、とりあえずもう一回やってみようぜっ!」
健斗はそう言いながらボールを拾いに行った。
そして再びボールをセットした。またヒロはじっと健斗を見つめてかまえる。
――少し球の種類を変えるか……
健斗はそう考えながら、助走をつけてボールを蹴った。するとボールは今度は右サイドへと向かう。しかし今度のボールはカーブではない。
無回転である。そのためボールはぶれて、面白いほどに威力が強い。弾くだけでは止められない。これも間違いなく入ったと健斗は過信した……ところがだった。
ヒロはその球種を見定めて、ボールの軌道上に乗っかり両手を前に突き出した。するとものすごい音を出しながら、ボールは弾かれて頭上を越え、さらにゴールの上を越えていった。健斗はまた唖然とした。
「……ッテェッ!!お前威力強すぎだっつーのっ!」
ヒロは痛そうに手のひらをパンパン叩いた。
間違いなく、ヒロはボールが見えている。
「ど、どうなってんの?マジで見えてるわけ?」
「そうみたいだな。アイテテテ……」
ヒロはまだ痛そうにしながらそう言った。健斗は信じられない気持ちを感じながらため息をついた。
「多分……ハンドの影響かも。」
「ハンド?」
ヒロは笑いながらそう言った。
「あぁ。ハンドはさ、ものすっげー至近距離からもっと小さいボールをものすげー速さで撃たれんだよ。」
確かにそれは知っている。健斗も以前、ハンド部の練習などを見たことがあったが……あの速さはすごい。
「でもサッカーなんて、まず挙動がハンドほど速くはないだろ?それに今は何メートルも距離が離れてるし、ボールの速さだってハンドほどしゃない。」
「ま、まぁ……そうだけどさ……何、それでゆっくりに見えるってこと?」
「そうみたい。」
ヒロはにっと笑ってそう言った。つまりヒロの話をまとめるとこういうことだ。
ヒロは以前からハンド部で練習を重ねてきた。そのため、体がハンドボールのスピード感に慣れてしまい、逆にサッカーになるとゆっくりに感じてしまうらしい。
理屈は分からなくもないが、妙に変な理由で健斗は呆れるように笑った。
「スポーツ漫画じゃあるまいし……何なんだよ、それ……」
「まぁな。人間の構造って不思議なもんやねー?」
大阪のおばちゃんみたいな言い方をするヒロに健斗は可笑しそうに笑った。
結局その結果、健斗は十本蹴ったが、その内の七本をヒロのやつに止められてしまった。
ゴール前では右サイドから上がったボールを取ろうと取られまいと言った攻防戦になっている。
しかしやはり相手の方が一枚上手だったらしい。相手選手が高くジャンプをした。
「おりゃっ!」
ヘディングでボールをゴールに向かって叩きつけた。決定的な瞬間だった。
が、しかしそれを、何とヒロが飛び込んで両手でキャッチした。ヒロは相手選手の挙動から何までじっくりと見つめ、まるでシュートがどの部分に打たれるかを予測したような動きを見せた。相手選手は自分の確信的なシュートを見事キャッチされて唖然としていた。
「……っふうっ!」
ヒロのこのスーパーセーブに対してまた歓声が起こった。確かに、あんなゴール前の場面で、ボールを弾くのはともかく、キャッチまでするなんてものすごいことだと思った。
しかしヒロはまったく怯まず、キャッチしたボールを蹴り上げた。
「健斗っ!」
蹴り出されたボールはほぼ正確に健斗の元へと送られる。柔らかい回転のかかった素晴らしいパントキックだ。
健斗はそれを受けようとしたが、相手選手が健斗がトラップしたところを狙おうとしていることに気づいた。
――だったら……
健斗はそのボールをトラップする……と思いきや、右足のインサイドでボール軽くワンタッチした。するとそのボールの軌道は見事に変わり、相手の頭上を超えた。
だが相手は気づいていない。健斗はそのまま走り抜けた。
「えっ?あれ?ボールは?」
「後ろだっ!バカッ!」
遠くで見ていた仲間に言われるまで気づかなかったが、もう遅い。健斗はすでにハーフラインを越えて相手陣地にボールを進めている。
「くそっ!止めろっ!」
健斗は周りを見たが、どうやらパスを送れる仲間はいない。というより、健斗のすかさずの反撃に誰もついてこれてないのだ。
だからフォローしてくれる仲間がいなく、大勢が健斗にプレッシャーをかけてくる。だが、それも無駄だ。
――行ってやるっ!
健斗はエンジンをかけるようにスピードを上げた。自慢のこの足の速さで、健斗はどんどん相手選手を抜いていく。
“柔”のドリブルから“剛”のドリブルへとスイッチを入れ替えたのだ。
四人くらいを抜いたところだった。
「ファールしてでもいいから止めろっ!」
誰かがそう言ったのと同時に相手選手の一人がスライディングをかましてくる。が、健斗はそれ飛んでよけた。
こうなったらもう誰も止められない。シュートコースが見えた。
「いっけぇぇぇっ!」
放ったシュートはそのまま空を突っ切った。超スピードを乗せたままのシュートだった。その速さは普通ではなく、相手のゴールキーパーは一歩も動けないままボールはゴールネットを揺らした。
三点目の追加を知らせるホイッスルが高らかに鳴り響く。
「よっしゃぁぁぁっ!!」
同時にみんなが歓声を上げた。健斗は呼吸を荒くしながら、膝を抱えた。
「ハァ、ハァ、ハァ……や、やりぃ……ハァ、ハァ……」
健斗は大きくガッツポーズをしながら、自分の陣地へと戻っていった。
相手選手はもはや言葉がなかった。懸命の“剛”のドリブルを見せられては、それも当然だろう。三点目なんて、キーパーは一歩も動くことが出来なかった。
「……思い出した。」
相手選手の一人が呟くようにそう言った。するとみんなが彼の方に注意を向けた。
「……あれ、“ホワイト・マジシャン”だ。」
「は?何て……?」
「……三年前、中学の地区大会でついた異名だよ。その年に優勝した神乃中で、とんでもねープレーを見してきやがったやつ。新聞にも名前が乗ってた……」
「マ、マジかよっ?」
そんなとんでもないやつが、何故この学校にいるのかが不思議だった。
「あんなやつがいるだなんて聞いてねぇぞ……くそっ!」
そいつは悔しそうにそう言い捨てた。洗目高校の選手はみんな言葉を失ったままだった。
「やべぇよ、山中っ!」
みんなが健斗をはやし立てる中、健斗は激しく呼吸をした。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……と、当然っす……ハァ……ハァ……」
「お、おい?大丈夫かよ~?今バテてもらったら困るぞ~。」
「余裕っす……大丈夫……」
「健斗っ!」
健斗の元にヒロとのんちゃんが駆け寄ってきた。健斗はゆっくりと顔を上げて、その二人を見た。
ヒロとのんちゃんは心配そうな顔をして健斗を見る。するとヒロが機転を利かせ、みんなに言った。
「さぁっ!みんなっ!あと二点っ!こっからが正念場っす。早く自分のポジションに戻ってっ!」
ヒロがそう言うと、みんなは声を出して走って自分のポジションに戻っていった。だが、ヒロとのんちゃんだけは心配そうに、激しく呼吸を乱している健斗を見た。
「……バカだなお前。何で今のタイミングで“剛”を使うんだよ。」
「つ、つい……」
「大丈夫なの?」
のんちゃんが心配そうに聞いてきた。健斗は本当は今、息をするのも苦しくって、足が震えていた。
「よ、余裕だって……後二点だろ?俺が取ってきて……やるよ……」
「……健斗。」
健斗はそう言うと大きく息を吸い込んだ。そして相手に“そのこと”を悟られまいと気合いを入れ直して自分のポジションに戻っていった。
「……ヒロ……もしかして健斗……」
のんちゃんはさっきから抱いていた違和感を聞いてみた。するとヒロは苦笑いを浮かべてゆっくりと頷いた。
「……あぁ……そういうこと。」
「……まずいね……その上、“剛”を使ったし……」
「……健斗を信じるぞ。あいつが後、どこまでやれるか分からないけど……」
「分かった。」
ヒロとのんちゃんはそう会話を交わすと、自分のポジションに戻っていった。
その会話はスタンド側でも行われていた。
「琢磨……健斗、もう“剛”を使ったよ……」
「……うん。」
「これってヤバいんじゃないの?試合はまだまだ時間が残ってるよ。」
「分かってるって……あいつ……飛ばし過ぎだよ。」
麗奈はその会話を聞いていた。ヤバいって……何が?
「ねぇ、ヤバいって何がヤバいの?」
麗奈の気持ちを代弁するようにマナが二人にそう聞いた。すると二人は、少し戸惑ってから何も言わなかった。
「……そういうことか。」
後ろで松本さんがそう呟いた。結衣も奈津紀も、みんな同時に松本さんの方を見た。松本さんは歯がゆそうな顔をして、時計を見た。
暗躍な空気が流れていた。良い方向に向かっているのに……この雰囲気は何だろう?
麗奈はもう一度健斗を見つめた。遠くにいる健斗は、腰に手を当てて大量に汗をかき、まだ肩で呼吸している。少し、具合が悪そうに見える。
……どうしたの?
麗奈はそう心で聞いてみたが、当然返事は返ってこない。
試合が再び開始するホイッスルが鳴り響いた。