第9話 新たなる決意 P.6
この店に入ってしばらく経って、会話が弾んでいるところだった
早川がふと聞いてきた
「そういえばヒロくん、部活辞めたって本当?」
そう聞かれたヒロは早川を見て、口元でそっと笑みを作った
「あれ?知らなかった?」
「うん……本当なんだ」
早川が少し残念そうに呟いた。そんな早川の様子を見ると、健斗は何だか妙に胸が切なくなった。ヒロは早川がそんな風に言ってくるのが可笑しく思えたみたいで、軽く笑った
「まぁな。ハンドは何つーかさ、俺には合わなかったみたいなんだよね」
「そうなの?あんなに頑張ってたから、てっきりハンドにはまってるのかなって思った」
早川の言葉にヒロは返す言葉が見つからないのか、伏し目がちで黙り込んだ。健斗は何となく、ヒロが何故ハンド部を辞めたのか分かっていた。分かっていたが、それをあえて口にしようとは思わなかった
思わなかったというより、出来なかったのだ。ヒロを悩ます原因は、そう、自分にあるように思えたからだ
「そこそこな。そこそこ楽しかったよ。うん。まぁでも、三年間続けようとは思えねーな」
「ふーん。そっかぁ。これからハンド部大変だろうね。長浜くんが言ってたよ。ヒロくんが辞めたことで戦力が一気に落ちたって」
「マジ?俺ってやっぱそんなに頼りにされてたんだぁ。なぁ聞いた?俺頼りにされてたんだぜ?」
ヒロが浮かれた気分で健斗に言ってくる。健斗は半ば呆れながらため息をついた。こいつ、本当は何も考えずに辞めたんじゃないだろうか?
「他の部活には入らないの?」
さっきまで雰囲気に圧倒されていた佐藤がヒロにそう言った。ヒロは佐藤を見て首を傾げた
「他の部活?」
「だって、他にも色々部活あるじゃない?」
「ん~……今更別のとこ入るってのもなぁ。つーかやりたいこととかないし」
「でもさ。やっぱりもったいないよ。まだ一年だよ?これが二年とかなら分かるけどさぁ。まだまだやれることいっぱいあんじゃん」
今日の佐藤はやけに真剣に話してきた。空気がだんだんと深刻さを増してきた。さっきまで調子に乗っていたヒロも目つきが真剣になった
「そうだよね。本当にやりたいこととか何もないの?」
早川も念を押すようにもう一度尋ねてみた。ヒロはうーんと考える素振りを見せている
「バイトとかは?」
早川のその提案にヒロは苦笑を浮かべた
「うん。それも考えてみたけどさ、バイトはちょっと……だるそうだし」
「そっかぁ。まぁ、この辺バイト出来る場所なんて限られてるもんね」
早川の言う通りである。この辺にある店は言うなれば、ほとんどが自営業なのだ。自営のため、バイトを雇う必要性がほとんどないし、おそらくそんな余裕もないだろう
元々都会と違ってここは田舎なのだから、人の出入りも少ない。つまり、猫の手を借りたいほど忙しいと言えるほど実際はそんなに忙しいことがないのである
ここRyuもそうである。実際今、平日の夕方過ぎであるが客としているのは健斗たちだけである。これが健斗は平日にあまり入らない理由の一つでもあるし、閉店時間が早いというのもそのためだ
だが利点も当然ある。人の出入りが少ないということは忙しいということがない。つまり今のようにゆったりとした雰囲気を楽しむことが出来る。市内の喫茶店と違う点がこういうとこである
話を戻すと、だからそんなにバイトを募集しているとこはないということだ。あったとしても日雇いとかそんなものだろう。もしバイトをしたいのなら市内に出るか、隣町に行くしかないだろう。だがここから日に本数がほとんどない電車を使って行かなければならないため、それは大変なことになる
健斗はそんな中を黙って聞いていた。すると真剣な目つきでヒロが健斗の方を見てきて、目が合った。その瞳の奥にはある迷いが潜んでいるように思えた
言い出そうか迷っている。そんな意志が見える。しかしヒロはすぐに目をそらして大きく欠伸をした
「俺はいいんだよ。一年っていったって気がつけばすぐに受験期になるって」
「じゃあずっと勉強するつもり?」
「そういうわけじゃないよ。そりゃ遊んだり、彼女作ってデートしたり……とにかく何かしら部活に入ったりバイトをしたりしなきゃ、良い高校生活を送れないってわけでもないってこと」
「あんたに彼女が出来るかどうか疑問だけどね」
「うるせぇ」
ヒロが吐き捨てるようにそう呟いた。しかし佐藤は未だに納得がいかないみたいで、さらにヒロに詰め寄った
「本当はやりたいことあるんでしょ?」
「ないよ」
「嘘つき。だってサッカーがあるじゃない」
佐藤の言葉にヒロだけではなく健斗も反応してしまった。その言葉を聞いたとき健斗の心臓がトクンと一つ高鳴ったのが分かった
「サッカーがあるじゃない」
「お前ねぇ。サッカーは辞めたの。もう二年前の話だぜ?今や素人同然」
「そんなことないでしょ。だって健斗すごかったじゃん。松本さんとの勝負のとき」
佐藤がそういうと、ヒロはプッと吹き出して笑った
「俺と健斗をいっしょにするなよ」
そう言ってヒロは健斗を指差した
「いい?こいつは中学……いや小学生のときから周りから注目され続けてきた。他のやつとはレベルが一つ二つ、いつも上をいってたからな。しかも中二のときにはU‐15のスカウトが来たんだぜ?分かる?その凄さ」
「いや、あれは違うだろ。あれは小山さんが……」
「小山さん?」
麗奈が健斗にその名前を復唱して聞いてきた。健斗は一旦麗奈を見て、それから続けて言った
「それに俺結局落ちたし」
「バカ。あれはお前が……」
ヒロはそこまで言って急に決まりが悪くなったのか、大きくため息をついた。後ろ頭をかきむしって、苦虫を噛み締めたような表情で言った
「とにかく俺は健斗と違って、何の取り柄のないただのサッカー少年だったんだぜ?そんな俺が今更サッカーを始めてどうすんの?」
「だったらまた頑張ればいいじゃない。中学のときまで、それなりに頑張ってきたんでしょ?」
佐藤がそう言うとヒロはぐっと口を閉じた。その言葉は健斗自身にも問われてるような気がした。
今でも思い出すことがある。ふと目を閉じれば、汗の匂い、風の音……あのときに感じていた感覚を……
「それに、出来ない出来るじゃない。やりたいかやりたくないの問題でしょ?」
佐藤はそれからさらに続けて言った
「もったいないよっ!あたし、あのとき辞めた理由だって聞いたよ?確かにつらいかもしれない……でも、ヒロと健斗自身は――」
「おいっ!」
ヒロが声を荒げて怒鳴った。急なことだったので全員がびっくりしてヒロを見つめる。ヒロの目は怒りに満ちていた
「もうその話はすんじゃねぇよっ!つーかさっきから何なんだよお前。別にお前には関係ねぇだろ」
ヒロが感情を露わにして佐藤に激昂をぶつけた。その異様な状態に早川も麗奈も驚いて目を見張っていた。健斗も久しぶりにヒロのこんな姿を見た
「か、関係ないかもしれないけど。けどあたしはただ……」
「関係ねーだろっ!俺はこのままで言いつってんだよ。そーいうのなぁ、お節介っていうんだよ!」
「おいヒロッ!」
健斗も声を荒げた。佐藤は衝撃を受けたみたいに呆然とした。健斗はそんな佐藤の様子を気にしながら調子を沈める
「言い過ぎだよ。止めろよ、もう……」
「…………」
しばらく沈黙が続いた。誰も言葉を発さず、只沈黙が続いた。
すると突然佐藤が立ち上がった。表情から怒りの感情が読み取れた。唇を震わせ、目には涙が溜まっている
「あたし……帰る」
それからヒロを睨みつけて続けて言った
「お節介で悪かったわねっ!勝手にすれば!」
そう言って、ヒロにフォークを投げつけた。フォークはヒロの胸に当たり、跳ね返って床に金属音を奏でながら落ちた
それから佐藤は鞄を持って走って店を出て行った。すると早川が慌てて立ち上がった
「ちょっ……ちょっとマナっ!」
早川も立ち上がって鞄を持ち、佐藤の後を追いかけた。二人が店を出て行ったあと、重たい空気がずっしりと乗っかってきた
しばらく三人共、黙り込んでいた。麗奈は佐藤の様子が気になるのか、外の方をチラッと見ていたが健斗とヒロのこともほってけないからかそこに止まっていた
すると麗奈は健斗の手をキュッと握った。健斗はゆっくりと麗奈を見る。不安気な表情で健斗を見ていた。どうすればいいのか、分からないと健斗に訴えている
正直健斗も答えることが出来ない。健斗もどうすればいいのか分からないのだ
「……お前……さ……」
「え?」
ヒロが小さく呟くように何かを言ってきた。だが小さすぎて健斗は聞き取ることが出来なかった。ヒロはチッと舌打ちをした
「何でもねぇ。俺も帰るわ」
「あ……」
ヒロは立ち上がって鞄を持ち、さっさと店を出て行ってしまった。健斗は何か声をかけてやろうと思ったのだが、何て言えばいいのか分からず黙り込んでしまった。残されたのは健斗と麗奈だけだった
「……みんな、行っちゃったね」
麗奈が寂しげにそう呟いた。健斗は小さくため息をついた
「あぁ……」
店の中は静寂としていた。テーブルの上には5人分の食器。今はそれが妙に寂しさを漂わせていた