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グッラブ! 3  作者: 中川 健司
第9話 新たなる決意
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第9話 新たなる決意 P.55

「ア、アッハハハハ~……いや~、ごめんねぇ~?見苦しいとこ見せちゃって。」


陽気な女性は自分の失態を笑って誤魔化すように、ソファーの辺りを片付けていた。その辺には何やらビーカーなどの実験器具があって、その中に入っている液体から薬品臭い匂いが発せられている。


「まさかこの時間帯に人が来るなんて思ってなかったもんだから。この間買った馬券の結果が気になってね……あっ、どうぞ座って?」


「こ、こちらこそすみません。急にお邪魔しちゃって……」


「あら、いいのよ。ちょっと待ってて?すぐお茶出すから。」


麗奈は少々戸惑いながら綺麗に片付けられたソファーに座った。


「やっぱりお茶は静岡に限るわよねー♪」


鼻歌を歌いながらお茶を入れている女性。この人が……この間ヒロが話してくれた、南莉子先生。通称南ちゃんだ。


何ていうか、明るい人だなぁと麗奈は思った。ヒロが確かそんな風に話していたけど、まさにその通りである。一風変わった養護教諭だが、生徒からの信頼は厚いらしい。


結構若く見えるが、ヒロの話によれば一児の母だと言っていた。長い黒髪を一つに束ねている。肌も艶々していて、本当に若々しい。


南先生は麗奈の前にお茶を持ってきてくれた。熱いお茶が湯呑みから湯気を立てている。


「熱いから気をつけてね?」


「あ、はい。ありがとうございます。」


麗奈は恐縮しながら頭を下げた。南先生はにっこりと微笑んで、麗奈と対面するようにゆっくりと座り、自分で入れたお茶をゆっくりと呑んだ。


「えっとそれで?大森さん……だったかしら。神乃高の一年生って言ってたけど……あなた、ここの卒業生じゃないわね?」


「あ、はい。えっと訳あって……東京の方からこっちに来て……」


「へぇ、わざわざ東京からっ?」


南先生は少し驚いたような顔を見せた。麗奈は恐縮そうに小さく苦笑いを浮かべて肩をすくめた。


「で、そんな大森さんが私に何の用かしら?」


お茶を飲みながら、南先生は単刀直入にハキハキした口調でそう言った。麗奈は小さく頷いてみせた。


「はい、あの……先生は――」


「“南ちゃん”でいいわよ。みんなにそう呼ばれてるから。」


そう言われて麗奈は少し困ってしまった。そんなこと言われても、麗奈はこの人と初めて会ったばかりなのだ。別に人見知りをする方ではなかったが、そのように呼ぶのは少し抵抗があった。それを察したのか、南先生は表情を緩めた。


「まっ、いいや。続けて?」


「あ、はい。あの……山中健斗を覚えてますか?」


麗奈がその名前を口にすると、南先生は少し目を見開いて麗奈を見つめた。


「……山中くんのことかしら?」


「あ、そうです。」


「もちろん、覚えてるわよー。あの問題児でしょー?へぇ~……そっかぁ。山中くんのお知り合いなんだ。」


南先生は少し興奮気味でそう言った。問題児っていうところが麗奈にとって意外だった。昔の健斗は、そんなにやんちゃ坊主だったのだろうか。


「ま、まぁ、知り合いというか……友達というか……」


「……あ、もしかして……山中くんの彼女さんかしら?」


南先生がニヤリと笑いながら探るような言い方で麗奈にそう言ってきた。そんなことを言われて麗奈は顔を赤くして慌てて首を横に振った。


「い、いえっ!そういうのじゃないんです。えっと何て言うか……訳あって今いっしょに暮らしてるというか……」


「いっしょにっ!?」


南先生はそのことが一番驚いたらしく、大きな声を上げた。ああ~もうっ!と麗奈は心の中で叫ぶ。何でもっと上手い言い方が出来ないのだろう?


「あ、あのいっしょに暮らすと言っても、私が一方的に健斗くんのお家でお世話になっているというか……そういう疚しい意味とかじゃなくって……」


「あら、そうなの。なぁ~んだ、残念。てっきりお付き合いを飛び越えて同棲してるのかと思っちゃった。」


南先生は可笑しそうに声を立ててケラケラと笑っていた。だが一方麗奈はすでに疲労のようなものを感じていた。何だかこの人相手だと、ペースが崩されるような気がしていた。


そして、南先生は健斗のことを懐かしむように笑っていた。


「そっか~……山中くんかぁ。元気にしてる?あの子。」


南先生は困ったように笑いながら麗奈にそう訊いてきた。そう、南先生も健斗の事情はよく知っているはずだった。それは恐らく麗奈よりもずっと深く知っていることだろう。


麗奈は表情を緩めて微笑みながら頷いた。


「はい♪毎日楽しそうにしてます。」


「本当にっ?あの子が?」


「はい。」


「そう……それなら良かった……」


南先生は安心するように小さく笑ってため息を吐いた。きっと健斗の状態をずっと気にしていたのだろう。翔が死んでから、健斗はまるで人が変わったように孤独の日々に陥っていったと言っていた。そしてそのまま、この神乃中を卒業したのだ。


南先生が心配するのも当然だった。南先生はゆっくりと窓の外を眺めていた。ここの窓の外からは広いグラウンドが見えていた。


「……あの子がここの一年生のときねー、私がまだこの学校に新任したばかりだったの。」


その話は聞いていた。今から約三年くらい前に南先生はここの学校に新任したばかりだったと。


「結構無茶する子でさー。部活中とかしょっちゅう怪我してはここに来て……本当に手のかかる子だったわ。」


「そうなんですか。」


麗奈はクスッと笑いながらそう言った。その話も麗奈は少しだけ聞いたことがあった。健斗のお母さんからそのような話を聞いていた。


サッカーをやってたころは擦り傷や何やらをいっぱい作ってきて本当に大変で手のかかる子だったって。そこからも相当元気のいい子だったということが想像出来たのだが、やっぱりそうだったらしい。


今の健斗からは想像の出来ない姿だ。


南先生は視線を戻して、手の中の湯呑みをじっと見つめた。


「それがいつからかねー?急に笑わなくなって……あのときの元気良さが売りだったのになぁ~……」


「……………」


「あ、ごめんね?ちょっと懐かしんじゃって。」


南先生が照れるようにそう言うと、麗奈はクスッと笑ってゆっくりと首を横に振った。


「いえ。私も先生の気持ち、なんとなくだけど分かります。」


「そう?」


まるで健斗のことを本当の我が子のように扱うような言い方だった。よっぽど健斗に思い入れが深いのだろう。


竜平は健斗にとって第二の父親のような存在なら、南先生は健斗にとって第二の母親のような存在だと麗奈はなんとなく考えていた。


「あ、それで用ってのは何だっけ?」


南先生は急に本題に入るようにそう言ってきたので、麗奈も表情を強ばらせた。


「あ、はい。実は健斗くんから頼まれたことがあって……」


「山中くんから?」


「はい。……えっと……」


麗奈はそう言いながら、鞄を開けてある物を探し始めた。そしてそれを見つけると麗奈は手に取って見せた。それは前夜、健斗から預かっていた手紙のようなものだった。


「これを健斗くんから預かりまして、先生に渡して欲しいって。」


「私に?……何かしら。」


南先生は少し戸惑いながらその手紙を受け取った。そしてその手紙を開いて、内容に目を通し始めた。


麗奈はその手紙の内容を知らなかった。もちろん、その中身を見ようとも思わなかった。それはエチケットというか、麗奈が見ることによって内容を汚したくないとなんとなくそういう気持ちが表れたからだった。


健斗は前夜、麗奈の部屋にやってきてそれを渡してきた。本当なら自分が直接行きたかったが、生憎都合が合わないからよろしく頼むと麗奈に頼んできたのだ。


今日は健斗はヒロたちといっしょに、翔の両親に会いに行く日だったからだ。


南先生に会いに行って欲しい、という頼み事自体は二日前に聞いていたけど、それが何のためなのかは麗奈は何も知らない。ここに来ればどうせ分かることだろうと思ったからだった。


しばらく黙って、南先生は真剣な表情で手紙と向き合っていた。やがて、南先生は手紙を閉じた。一息吐いてから、どこか嬉し気に笑った。


「……そっか……あの子ようやく……」


「………………」


「……あ、ちょっと待っててね。」


南先生はそう言うと立ち上がって、机の方へと向かった。そしてその引き出しを開けて何かを手にし、するとゆっくりとソファーの方に戻ってきた。手には小さな可愛い柄の三つの紙袋が収まっていた。


麗奈はそれを不思議そうに見ると、紙袋の表面にはそれぞれ名前が書かれていた。健斗、ヒロ、翔と書かれている。南先生は紙袋から中身を取り出した。


すると机の上に並べられたのは、黒いリング状の物だった。ゴムのような素材で出来ていて、真ん中に赤い印が刻まれている。ブレスレットだろうか?どこかで見たことなあるやつだった。


「……これ、何ですか?」


麗奈が尋ねると、南先生はゆっくりと頷いた。


「スポーツブレスレットよ。」


「スポーツブレスレット?」


「そう。シリコン素材で出来たブレスレットなんだけどね、中にホログラムっていうのが内蔵されてて、そこから出す電磁ホログラムの効果でボディーバランスを上げるやつなんだけど……スポーツをやってる人とかがよく使ってるものよ。」


「へぇ~……」


なんとなくスポーツをやってる人がつけているのを確かに見たことがあった。デザイン性に優れていて、普通につけていてもカッコ良さそうだ。


でも……これが何なのだろう?


「……これ、山中くんたちの絆の証みたいなもんなのよ。」


「え?」


麗奈は顔を上げて南先生を見た。南先生は微笑みながらそのブレスレットを見つめていた。


「中学一年生になったときに三人で買いに行ったらしいの。三人でお揃いのやつをね……中学の大会で全国に行くんだってはり切ってたのよ。それはその願掛けみたいなもの。」


「そうなんですか……」


いかにも健斗らしいことだった。よっぽどその当時、やる気と気合いに満ちていたのだろう。健斗やヒロにとっては絆の証のようなもの。幼い頃から共にしてきた、大切な品物。


「……翔くんが亡くなってから、あの子がこれをゴミ箱に捨てようとしてね……」


「え?」


「私は何度もそれを拾って彼に返そうとしたの。でもあの子は……受け取ろうとしなかった。そんなものもういらないって。そう言って……」


「……………」


「だから私は言ったの。これは私が預かっておく。あなたがいつの日か本当の意味で前に進むことが出来た日に、これを取りに来なさいって。」


そうか……だから健斗は南先生に会いに行く必要があったのだ。だから本当は自分が行きたかった。自分自身でこれを受け取りたかったのだ。


でも都合が合わないせいで、それを受け取っている時間がなかった。だから、麗奈に任せてきたのだ。


「あの子はもう……前に進もうとしてる。だから、これを返さなきゃね。」


手紙の内容はそのことだったんだな、と麗奈はようやく納得した。南先生も今健斗の身の周りに何が起ころうとしているのか、理解したようだった。


南先生はゆっくりと顔を上げて麗奈ににっこりと微笑んだ。


「悪いけど、これを山中くんに……お願いしてもいいかしら?」


南先生にそう尋ねられた。もちろん麗奈の答えは決まっていた。


「はいっ!ちゃんと健斗くんに、渡しておきます。」


麗奈がそう言うと、南先生も笑って頷いた。そしてそのブレスレットを元の紙袋にそれぞれ閉まって、麗奈に渡してきた。麗奈はそれをしっかりと受け取った。三人の絆の証は、何となくどこか重く感じた。


麗奈はそれを大切にしまうと、南先生がクスッと笑って言ってきた。


「……けど、まさかこれをあなたに任すなんてね。」


「え?」


南先生はクスクスと笑いながらそう言って、麗奈に言った。


「とっても信頼されてるのね?あの子に。」


「え……あ……」


麗奈はそう言われると顔が火のように熱く感じた。健斗に信頼されている。何だかそれを人に言われると、すごく恥ずかしいというように照れ臭かった。


「あの子って自分の気持ちを素直に表現出来ない子なのよ。」


「そ、そうなんですか。」


「そうよー。不器用で大変かもしれないけど……あの子のことよろしくね?大森さん♪」


南先生はそう言いながらウインクをしてきた。まるでヒロと同じことを言う、と麗奈は思った。


顔から火が出るほど恥ずかしかったが、それ以上に嬉しさを感じた。麗奈は大きく笑って「はいっ。」と言って頷いた。








南先生に校門の外まで送られて、麗奈は神乃中に続く坂をゆっくりと下っていった。日はほとんど沈んでいて、道は薄暗く少し寒かった。


時計を見ると、五時半を過ぎていた。早く家に帰ろう。


麗奈は心踊るような気持ちで坂を一気に下っていった。




坂を下り、さっき来た坂の前にたどり着いた。こっから確か、右に曲がっていけば知っている道に出るはずだった。でも少し不安だから地図を見ようと思い、鞄を開けようとした。そのときだった。


「遅いっ。」


「え?」


後ろ頭をこつかれて、麗奈は慌てて後ろを振り向いた。そこには麗奈の大好きな存在がいて、麗奈を見下ろしていた。


「健斗くんっ!」


健斗は眠そうな目つきで麗奈を見ていた。麗奈は突然の登場に思わず驚きの声を上げてしまった。まさか健斗がここにいるとは思わなかったのだ。


「もう帰って来てたの?」


麗奈が訊くと、健斗は眠そうに大きく欠伸をしながら言った。


「あぁ……結構前にな。」


「そっか……待っててくれたの?」


「まぁな。この辺、お前知らないだろ?」


麗奈は何となく嬉しかった。健斗がこんな風に麗奈のことを気遣ってくれることなんてあまりなかった。健斗は「元々頼んだの俺だしな。」とぼやきながら、照れくさそうに頭を掻いていた。


「それで、南ちゃんに会えたの?」


健斗にそう言われて、麗奈はにっこりと笑いながら頷いた。


「うん。ちゃんと会って話もしたよ。」


「そっか。相手にすんの大変だったろ?」


健斗は可笑しそうに笑いながらそう言った。麗奈もクスッと吹き出して笑った。あのドアの前の表や、競馬のことや、やけに薬臭かった実験器具など、確かに戸惑うことが多かった。


「うん、まぁ、少しね?でもすごく良い人だったよ。」


「ふ~ん……そっか。」


「うん。あっ!そうだ。」


麗奈は渡されたものを健斗に渡そうと思い、鞄を再び開けたが、健斗がそれを制してきた。


「帰ってからでいいよ。今日はありがとうな。もう暗くなるから、早く帰ろう。」


健斗はそう言いながらゆっくりと歩き出した。麗奈はそれを追いかけるようにして健斗の後について行った。


「ここまで来るんだったら会いに行けばいいのに。」


「……今日はやめとく。また日を改めてな……」


「照れてるんだ?」


麗奈がからかうように言うと健斗が少し頬を赤らめた。


「別に……照れてなんかねーよ。」


そんな風に言う健斗が可笑しくって、麗奈はクスクスッと笑った。健斗は不機嫌そうにぶすっとしている。本当に不器用な人だ。


何だかちょっと可愛い……あぁ~もうっ……何でこの人といるとこんなに居心地いいんだろう。


麗奈はそんなことを思いながら、健斗を見上げた。健斗が自分のことを、そんなに信頼してくれているのと同様に麗奈も健斗に対して絶大なる信頼を寄せている。


でもそんなこと今言っても健斗は戸惑うだけだし、この喜びは麗奈の心の中に閉まっておこう。


「あ、そういえばどうだった?翔くんのお母さんとお父さん……」


麗奈が訊いてみると健斗はゆっくりと笑って頷いた。


「あぁ……元気そうだったよ。昔と何も変わってなかった。」


「……そっか。」


「行って良かったよ。ようやく俺の中で、翔に対するわだかまりが消えたような気がする。もう……俺は大丈夫だ……」


「……本当に?」


麗奈がそう訊くと、健斗はすっと麗奈に視線を向けて微笑んだ。


「……あぁ。」


健斗の目は澄んでいて、清々しい表情をしていた。麗奈はそれを見ると心の底から安心するような気持ちを感じた。今まで健斗はずっと苦しんできた。その苦しみから今日、ようやく本当の意味で解放されたらしい。それは麗奈にとっても本当に喜ばしいものだった。


「おかげで色んなこと思い出したよ。昔のこと……ずっと小さいときのことも……お前と会ったときのこともな。」


「えっ?」


麗奈はびっくりして健斗を見上げた。健斗は微笑みながら麗奈を見つめていた。


「小さいとき……初めてお前と会った日のことだよ。はっきりとじゃないけど、俺なんとなく思い出したんだ。」


「そ、そっか。」


麗奈はちょっと気恥ずかしい気持ちがして目を逸らした。麗奈自身もはっきりと覚えてなかった。小学校に上がる前、達也や夏奈と共にこの神乃崎に遊びに来た。


そこで初めて健斗と出会い、滞在期間だった一週間、ずっといっしょにいた。そしてそのとき初めて、麗奈は健斗に対して小さな恋心を抱いていたのだ。


「……でもそれだけじゃないような気がすんだよな。」


「……何が?」


麗奈が訊くと、健斗はゆっくりと麗奈を見た。


「……小学校四年生くらいのときかな?」


「えっ?」


胸がドキッとした。


「何か……俺誰かの葬式に行くために、一度だけ東京に行ったことがあるんだ。」


健斗はじっと麗奈を見つめた。麗奈はその視線を逸らすことが出来ず、吸い込まれるようにして見つめていた。


「そこで俺……河原の近くで女の子に会った。あの歌を……“糸”を歌ってたんだ。泣きながら……」


「……………」


「ちょっと上手く思い出せないんだけどさ……あれってもしかして……」


「さ、さぁ~?何のことかなぁっ?私何も知らないやぁっ!!」


麗奈はわざと声を大きくして健斗にそう言った。麗奈の突然の振る舞いに健斗は呆然と麗奈を見ていた。明らかに麗奈の振る舞いは不自然なものだった。


麗奈は高鳴る胸が押さえきれなく、健斗の顔を見ることが出来なかった。その記憶なら麗奈はよく覚えている。


夏奈の葬式の日、泣いている麗奈の元に一人の男の子が来た。その男の子のおかげで麗奈は少し元気が出せた。その男の子の名前は知らなかったが、今の麗奈はそれが誰だったのか知っている。


縁側で同じようなことを言ってくれたとき、間違いなくイメージが重なった。小学校四年生の健斗に、麗奈は励まされたことがあった。


だが、それを今ここで掘り返されることがとてつもなく恥ずかしかった。それは小学校に上がる前のときのことよりも、何だか恥ずかしかった。出来ればそのことを触れずにおきたい。だから麗奈は知らない振りをした。


健斗はそんな麗奈の気持ちに気づいたのかどうか分からない。だが、麗奈の後ろ姿を見て小さくため息を吐いた。


「……そっか。」


麗奈はその声にまたドキッとした。何かを悟ったような言い方だった。









家に着くと、健斗と麗奈は揃って玄関で靴を脱いだ。家の明かりはついていて、どうやらお母さんたちが帰って来ているようだった。


と、思ったら居間の方からお母さんの顔が出てきた。


「お帰りー。」


「ただいま。」


「ただいまー。」


「今ご飯作ってる最中なんだけど、先お風呂入る?」


お母さんにそう言われて、麗奈は健斗を見た。


「どうする?」


「俺は飯食ってからでいいや。お前先入れば?」


健斗はそう言いながら階段を上っていった。麗奈もその後をついていく。一応部屋に鞄をおいて着替えを持っていかないといけない。


「……ねぇ、そういえば明日だね。」


麗奈が健斗の後ろ姿に声をかけながらそう言った。健斗は何も言わず、黙って自分の部屋へと入っていく。麗奈は健斗の部屋の外から健斗を見つめていた。


「……試合は何時からなの?」


「……一時過ぎくらいかな。」


「……間に合う?」


麗奈がそう言うと、健斗は苦笑いを浮かべた。


「分かんない……でも何とか間に合わせるようにするよ。……ところで……あれ。」


「あ、うん。」


麗奈は健斗の部屋に入りながら、鞄を開けて例のものを取り出した。三つの可愛い柄の紙袋。それぞれ表面には名前が書かれていた。健斗はそれを黙って受け取ると、徐に中身を見つめた。しばらく見つめてから、ふっと表情を緩めてそれを丁寧に机の上に置いた。


「……今日はありがとうな。」


「え?あ、ううん。平気。これくらいしか役に立てないけど……」


麗奈は照れながらそう笑って言った。本当ならもっと色々と役に立ちたかったが、麗奈に出来ることは限られていた。


「そんなことねーよ。充分に力になってくれてる。」


「そ、そう?」


「うん。ほら、早く風呂入りに行けよ。飯出来ちゃうぞ。」


健斗にそう促されて、麗奈は小さく頷いて健斗の部屋を出た。部屋を出てから麗奈はチラッと振り返った。


すると健斗は片手に携帯電話を持ち、誰かに電話をかけようとしていた。ヒロだろうか?麗奈はそう考えながら、自分の部屋へと向かって言った。





健斗は電話を手に持って、ダイアルを押した。やるべきことは後一つだった。この時間にかけて、出てくれるか分からないが健斗はとりあえず電話を耳に当てた。


コール音が数回鳴った。するとコール音が鳴り止み、電話の奥から声がした。


「もしもし?」


電話の奥から聞こえたのは、間違いなく……佐奈の声だった。



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