第9話 新たなる決意 P.47
健斗がそう言い、チラッとヒロを見た。するとだった。ヒロは健斗に視線を向けてかなり引いた表情で健斗を見ていた。健斗はそんな表情にぎょっとなって驚き、自分が言っていることが急激に恥ずかしいように思えた。
「え……お前急に何告ってんだよ?鳥?鳥に告ってんのかぁ?」
ヒロが茶化すような言い方で健斗にそう言ってきた。健斗は急激に恥ずかしくなり、不愉快と共にヒロから慌てて目をそらした。
「う……うっさいっ!お前がそんな風に言うからっ!」
本当に自分は何を言っているのだろう。と健斗は自分を戒めるように心の中でそう言った。つい、自分の今の本当の気持ちが出てしまった。
自分でも本当に最近気がついたことだったのだ。それは縁側で麗奈と将来のこととかを話した日に、健斗は麗奈のことが好きだという気持ちに気づいたのだ。
――好きになってもらえるように頑張るからっ……
その言葉が現実のものとなってしまった。そう自嘲気味に健斗は小さく笑った。
「……あー、今麗奈ちゃんのこと考えてるだろ?」
「はぁっ?」
ヒロが茶化すようにまたそう言ってきた。いつものようなおどけた口調で健斗を見て小さく笑ってくる。
「顔がにやけてるぜ。分かりやすいやつだなぁっ?」
「お前っ……もういいっ!」
茶化すように言ってくるヒロに憤りを感じながら、健斗はその場を立ち去ろうとした。だがそれを慌てて制してきたのはヒロで、健斗の腕を掴んできた。
「だぁ~っ!分かった分かった。俺が悪かったってぇっ!」
「……………」
健斗は振り返ってヒロを睨みつけるようにして見た。ヒロは苦笑いを浮かべながら反省するような表情を浮かべている。
分かったならいい。健斗はゆっくりと振り返ってまた元の位置に戻った。
「……翔の墓参りに行った日さ……」
「え?」
ヒロが突然また真剣な表情で健斗にそう言ってきた。健斗はそれを聞いて思わず聞き返し、ヒロの言葉に耳を傾けた。
「この間翔の墓参りに行ったとき、俺訊いただろ?早川のこと、本当に好きなのかって。」
「あ……」
健斗はそれを言われてその時の記憶が頭の中に浮かぶのが分かった。確かにヒロにそう言われた。
本当に久しぶりの翔の墓参りの日、ヒロは翔の墓石を見つめながら健斗に言ってきたのだ。
健斗が早川に対して恋心を抱いている。それはもしかしたら、翔に対する罪悪感のようなものから生まれた思いなんじゃないのかって。
「あの時から俺、薄々気づいてた。お前は麗奈ちゃんに惹かれ始めてるんだってこと。」
「……………」
そうだったのかもしれない。あのときはまだ麗奈に対してそういう気持ちを抱いてはなかった。だがヒロはその奥底に秘めていた健斗の気持ちに気づいていたのだ。だからあんな言い方をしてきた。
「普通ありえないだろ?見ず知らずの人が突然自分の家に来て、いっしょに暮らす。俺だったら、お前みたいにすぐに受け入れるのは難しいと思うし……誰だってそうだよ?普通だったらな。でもお前は違った。」
健斗は何も言えず、少し黙り込んでいた。そのとおりだ。どうして自分はあんなに警戒心を抱いて麗奈を、いつの間にか受け入れるようになっていたのだろう。もし麗奈じゃなくって、他の人だったらどうなのだろう。健斗はそんなことを考えていた。
「それはきっと、お前が麗奈ちゃんに惹かれ始めてるからだって俺は確信した。だから訊いたんだよ。本当に早川のことが好きなのかって……」
「……………」
「実際のところ、どうだったんだ?」
その気持ちは健斗にしか分からない。だからヒロはそれを聞いてきたのだ。健斗はしばらく黙り込んで、またヒロから視線を外して遠い景色を見つめた。
早川……早川は今でももしかしたら翔のことを引きずっているのかもしれない。それなのに、健気に笑って明るく振る舞う。今でもそうだ。
それなのに早川は翔の葬式の日、早川だけが健斗に優しい言葉をかけてくれた。自分だって辛いのに、それを押し殺して健斗を心配してくれた。その優しさに惹かれた。
でも分からないのが一つ……健斗は翔に対する罪悪感から、早川を守りたいという勝手な使命感に酔いしれていたのではないか、という疑問があった。それはヒロにも言われたことで普通ならそんなわけがないと否定しなければならなかった。
だけど出来なかった。何故?自分でも分からなかったからだ。絶対そんなことはないと言い切ることが出来なかった。それくらい翔に対する罪悪感は確かに健斗の中で渦巻いていたし、かと言って早川に対するあのドキドキ感も間違いなかった。
松本事件の後早川と二人きりで帰った日のことや、夏祭りで早川と楽しげに話したこと、そして何より夏休み中に早川とデートをしたときも……あのときの気持ちは間違いなく、早川のことが好きだから……楽しくてドキドキとした気持ちを感じていた。
早川を思わず抱きしめてしまったときの温もりは今でも覚えている。だから……
「そう言われるとあれだけど……でも俺はやっぱり早川が好きだったよ。」
「……そっか。」
「うん。それが翔に対する罪悪感もあったのかもしれない。でもそれ以上に、俺は早川自体を好きになってたんだ。早川っていう人間を好きになってた。」
ヒロは何も言わなかった。でも健斗は間違いなくそれは言えた。確かにヒロの言うとおり、翔に対する罪悪感から生まれた部分もあるかもしれないが……でもそれ以上に健斗は早川という人間を好きになったのだ。
「でもな、今は違うんだ。」
「麗奈ちゃんがいるからだろ?」
ヒロは健斗の気持ちを推し量るようにしてそう言ってきた。健斗は躊躇わずにゆっくり頷いた。
「いつの間にか俺の中で早川よりも、麗奈の方が大事になってた。麗奈のことが好きになってたんだ。いつからか分からないけど……」
早川のことは確かに好きだった。でも今はそれ以上に、麗奈に対する気持ちの方が強い。それはやっぱり、麗奈がいつの時でも健斗の傍にいてくれたから。健斗を励まし、勇気づけてくれる大切な存在だから。
健斗はそんなことを考えながら、ふと自嘲気味に笑ってヒロを見た。
「……やっぱり俺って、節操なしなのかなぁ。好きな人がいたくせに、他の人を好きになるなんて。」
そう捉えられても可笑しくはなかった。周りの人から見ればそういう風に見えるだろ。健斗がその結果に至るまでのプロセスに関係なく、気持ちをコロッと変えた自分はどこかそのように思えた。
するとヒロは小さく笑って首を横に振った。
「いや、そんなことねぇよ。人の気持ちなんてそんなもんだろ?季節が移り変わるように、人の気持ちもまた移り変わる。それだったら、みんながみんな節操なしだよ。」
どこかの和歌修辞の評論家の言いそうな表現だった。
「俺はただ、お前は早川に対して何らかの罪悪感を持ってるのかって思ってた。それだったら最低だし、許せねーって思ったけど……そうじゃないんなら、俺はそれでいいと思うよ。」
「そっか……そうだよな。」
一々迷う必要はない。人の気持ちの推移は激しいもの。季節が春から夏、夏から秋、秋から冬へと変わるように人の気持ちも変化を富んでいくものだ。
以前は早川のことが好きだった。
でも今は麗奈のことが好きだ。
それでいいじゃないか。それでいいのだ。
ヒロはそう言うと可笑しそうに声を立てて笑った。
「いや~っ、でも俺の言った通りだったなぁ。お前の恋愛ってこれからどんどん面白くなりそうだな。一体どうなるんでしょうねぇ~?」
「人の気持ちを暇つぶしみたいな感じで言うなよ……それに人のこと言えねーだろ?」
「……どういう意味?」
「佐藤のことだよ。」
健斗がその名前を出すと、ヒロの表情はまた固まった。健斗はニヤリと笑って、攻守逆転だなと思った。
「大好きな佐藤とこのままでいいのかなぁ~?」
「だ、だから俺は別にあんなやつのこと何とも思ってねぇよ。」
「お前はそうだとしても、あっちはどうなんだろうな?」
「はぁっ?ちょ、ちょっと待て!お前それってどういう意味?あいつと何か話したの?」
「何度も言ってるだろ。」
「聞いてねぇよっ!詳しく聞かせろっ!」
ヒロが健斗に飛びかかろうとしたそのときだった。
屋上のドアが音を立てて開いた。突然のことに健斗とヒロは驚いてドアの方を見る。それを見て、健斗は瞬時に顔が凍りついた。
「え……?」
「あ……」
健斗とヒロは声にならない声を上げた。屋上に来たのは健斗たちと大きく関わりのある人物だった。
柔らかな髪が風に靡いて、鋭い目つきで健斗たちを見つめている。ポケットに手を入れながら、健斗たちへゆっくり歩み寄ってきた。
松本絢斗だった。
健斗たちに近づいて、二、三メートル距離を置いたところで足を止めた。
「……久しぶりだな、山中。」
落ち着いた口調で松本はそう言ってきた。健斗は頷くことも出来ずただ呆然としていた。