第9話 新たなる決意 P.44
帰る頃には日が落ち掛ける時間帯だった。遠くの方でオレンジ色に焼ける夕日が光っている。
帰り道の途中で佐藤と別れ、健斗は独りどこかぼんやりとした心地でゆっくりと帰り道を自転車で漕いで行く。その気持ちはどことなく清々しさがあった。
竜平がこの町からいなくなるのは来週だと言っていた。急なことだから他の人には挨拶が出来ないかもしれないから、よろしく言っておいて欲しいと健斗は言われた。
来週にはあの店もなくなり、竜平はこの町から去っていく。どうしても寂しい気持ちがあったが、健斗はなるべく前向きに考えることにした。
そうじゃないと今まで支えてくれた竜平に申し訳ない。
そんなことを考えていると、ふと目の前に誰かが歩いているのが見えてきた。その後ろ姿は健斗のよく知っているものだった。
「おーい。」
健斗が笑いながらその後ろ姿に声をかけると、その人はゆっくりと後ろを振り返る。麗奈が健斗を見て笑顔になった。
「健斗くん。」
「今帰りか?」
「うん。今日部活のことで遅くなっちゃった。」
「そっか。そういや言ってたもんな。後ろ乗れよ。」
健斗が自転車の後ろに乗るように促すと、麗奈は嬉しそうに笑顔になって鞄を籠の中に入れて、ゆっくりと後ろの荷台に座る。それを確認すると健斗は再び自転車を家に向けて発進した。
「ごめんな。最近お前ずっとこうやって歩いて帰ってんだよな。」
健斗はテスト期間中麗奈と帰ることがなかった。というのは健斗にも色々なことがあったため、麗奈と時間が合わなかったのだ。麗奈は首を横に振って、目の前で少しずつ沈んでいく夕日を眺めながら言った。
「ううん。この辺の景色見ながら帰るの好きだから、大丈夫だよ。」
「そっか。」
「……竜平さん、どうだった?」
麗奈が気になるようにそう言ってきた。健斗はしばらく黙ってから小さく頷いた。
「うん……喜んでくれた。もう安心だなって。」
「……そっか。」
「俺、改めて分かったんだ。」
「何を?」
麗奈がそう尋ねてくる。健斗は少し間を置いてから、ゆっくりとした口調で呟くように言った。
「俺には……俺は色々な人に支えられてるんだなぁって。」
「……………」
「自分は独りだ。誰も自分のことなんて考えてないって思ってた時もあった。でも本当は違う。俺は色んな人に心配されて、色んな人に支えられてる。俺は独りじゃないんだって。」
「……健斗くん。」
「だから……その……何て言えばいいかな……」
健斗は言葉が上手く浮かばなく、言葉を詰まらせた。すると後ろで麗奈が可笑しそうにクスッと笑うのが聞こえた。そして、自分の背中に麗奈が寄り添うようにしてくっつくのが分かった。体を傾けて健斗の背中に寄り添う。そして小さくつぶやくように穏やかな口調で言った。
「……分かってるよ。」
健斗は自分の胸がトクンと一つ高鳴るのを感じた。麗奈もその一人だった。健斗の傍にいて健斗を大きく支えてくれる人。健斗は何だか照れくさくなって、それ以上言葉を出そうとはしなかった。
だんだん家が見えてくる。どうやら日が完全に暮れるまでには家に着きそうだった。
「ねぇ、健斗くん。」
「ん?」
「健斗くんも同じだよ?」
「え?」
健斗が後ろを向いて聞き返すと、麗奈は寄り添ったまま顔を健斗の方に向けた。
「健斗くんも支えてもらってるのと同時に、色んな人を支えてるんだよ?」
「……俺が?」
「うん。少なくとも、私は健斗くんにいっぱい支えられてる。」
そう言って、麗奈は健斗から顔を逸らしゆっくりと目を閉じた。
「私がこの町に来た理由を話したときとか、誕生日の日とか……他にも色々。健斗くんのおかげで、私変われたような気がするの。」
「……………」
「だから……ねっ?」
麗奈はまた健斗を見てにっこりと微笑んだ。しばらく見つめ合って健斗は小さく笑ってまた前を見た。
「……あぁ。」
しばらく二人何も話さず、家までの道のりを帰っていった。だけど健斗の気持ちはどこか暖かい感覚に包まれている。心地よい沈黙だった。
家に着くときだった。健斗の家の前に誰かが立っていることに気がついて、健斗は目を細めるようにしてそれを見る。
それはヒロだった。ヒロが健斗に気づくと笑って大きく手を振ってくるのが見えた。健斗はゆっくりと自転車のスピードを緩めて、ヒロの目の前で停止した。
「よっ。」
ヒロはにこやかに笑っていた。その表情は何だか迷いがすっかり消え去っていて、健斗と同じように清々しい表情をしている。その表情を見ただけで健斗は大体のことを悟った。
「……上手く行ったんだな。」
「まぁな。」
ヒロは照れくさそうに笑ってそう言った。
「二人とも、ちゃんと分かってくれたよ。俺らの今の気持ち……会いに行って良かった。」
それを聞くだけで充分だった。健斗の気持ちはさらに清々しさを増し、自分は間違ってなかったという確信が強まった。
するとヒロはう~んっと腰を伸ばして欠伸をした。
「そんだけ知らせたかった。じゃあ帰るな。」
「あ、飯食ってく?」
健斗が自分の家を指差してそう言った。すでに母さんが帰っているようで、家の明かりがついている。しかしヒロはゆっくりと首を横に振った。
「いんやぁ、今日はいいや。ちょっと疲れてるし。また今度な。」
「そっ?じゃあ、また明日な。」
「おう。麗奈ちゃんも、また明日な。」
「うん♪バイバーイ。」
ヒロは手を振りながらゆっくりとした足取りで自分の家に帰っていった。健斗と麗奈はその後ろ姿を見えなくなるまでその場に佇んでいた。
そして健斗は自転車をいつものように庭の方へと運んで行く。ゴンタがいつものように健斗が帰ってきたことに気がつくと、健斗に甘えるように寄り添ってきた。すると着いてきたのはゴンタだけではなく、麗奈もだった。
健斗が自転車をしっかりといつもの場所に置くのを見ながら笑って言ってきた。
「……よかったね?」
「あぁ。本当によかった。」
今はまだ会えないけど、健斗も近い内に二人に会うつもりだった。事が上手く進んでいる。健斗はそれを感じていた。
自転車をいつもの場所に置いて、健斗と麗奈は再び家の戸の方へと向かった。引き戸を開けて、玄関に入った。
「ただいま。」
「ただいま~!」
健斗と麗奈がほとんどハモるようにして言うと、居間の方からエプロン姿の母さんの顔が見えた。
「おかえりー。今日も随分と遅かったわね。」
「うん、まぁね。」
「ご飯作ってるから、先に済ましてちょうだい。」
「はいはい。」
「“はい”は一回っ!」
母さんにそう言われると健斗は眉をピクッと動かして、嫌そうな目で母さんを見た。そのセリフ、ここ最近よく聞くような気がした。というより、何だか元祖からそのセリフを聞くと妙に嫌な気分になる。
麗奈もその事情を察したのか、プッと吹き出してクスクスと口元を押さえて笑っていた。母さんは不思議そうな顔を浮かべて、居間の方へと姿を消していった。
健斗は軽くため息を吐きながら、麗奈と共に階段を上っていった。
「お前のせいで何か変な感じに聞こえたぞ。あのセリフ。」
「そうだね。私も変に聞こえた。」
と言って楽しそうに言ってくる。そして健斗は自分の部屋に、麗奈は麗奈の部屋に戻っていった。
部屋で家着に着替えて階段を下りていく。そしてテレビの音が居間から流れているのを聞きながら、居間を覗くと、そこには父さんがちゃぶ台の前に座っていた。すでに缶ビールを一本、つまみと共にありついているようだった。
父さんは健斗に気がつくと、ビールを口にしながら「よっ。」と言ってきた。
「あれ?今日早いんだね。」
健斗は父さんの隣に座りながらそう言った。
「あぁ。たまにはな。」
「ふ~ん。珍しいね。」
「そうか?っていうか見てみろよ、これ。今どきこんなのが流行ってるんだな。」
と言って父さんがテレビを指差してきた。健斗はそれに従うようにテレビの方に視線を向けた。その番組は年代ごとに流行った物を特集していくバラエティー番組で、今ちょうど現代の流行り物が映っている。
「あぁ。これ?ファッション雑誌の付録についてるやつでしょ?女子高生の間で流行ってるみたい。麗奈もいくつか持ってるよ。」
「へぇ。鞄が付録ってすごい時代になったもんだな。」
「確かにそうかも。」
しかもこういうバッグはブランド物を扱う会社が作っていると聞いた。そのため柄も良いし、なおかつファッション雑誌の金額でそれが手に入ると考えれば、相当安上がりなんじゃないだろうか。
「ブランド物って何が良いか知ってるか?」
父さんがそう尋ねてきて、健斗は最初何を言っているのかよく分からず首を傾げた。
「え……高級感あるとかそういう感じ?」
「違う。ブランド物っていうのは、丈夫で長持ちする上に壊れたらそれを完璧に修理してくれるとこに利点があんだぞ。」
「どういうこと?」
健斗がよく分からないというように、首を傾げると父さんはビールを口に進めながら説明してきた。
「例えばブランド物の時計とかあるだろ?それは他の時計よりずっと丈夫なんだ。」
「それって当たり前じゃない?高いやつは丈夫なもんでしょ?」
「いや、その上に万が一壊れたとしても完璧に修理してくれるんだぞ?それってすごくないか?」
やっぱりどういうことかよく分からなかった。健斗はまた首を傾げて見せた。父さんは小さくため息をついた。
「いいか?例えばそうだな、五万円のブランドの時計を買うのと安くて三千円程度の時計を買うのとじゃ結果的にどっちの方が安く上がると思う?」
「三千円?」
「あのな……結果的に、だって言ってんだろ。壊れやすくて直せない三千円の時計を何度も買うより、丈夫で何度でも直せる五万円の時計の方が一生に渡ったら安上がりになるだろ。」
「あっ!あ、そういうこと?」
健斗は全てを納得したように大きく頷いた。なる程、ブランド物というのにはそういう利点があるのかということが改めて分かった。確かに、三千円の時計を何度も買い直すよりも一生物のものを買った方が結局安く上がるということだ。
「ん?でもさ、何でブランド物のやつは完璧に直せるわけ?」
「それはだな、ブランドを扱っている会社っていうのは全部歴史が深いのは知ってるな?例えばヴィトンとかエルメスとか……」
「ん~……まぁ、なんとなく。」
「そういう会社の本社には昔の部品が保存されているんだ。だから百年前の時計でも本社に持っていけば直せる。部品が揃ってるし、図面だってあるからな。だから一度買えば一生使っていけるんだ。ブランドっていうのはそもそもそういう買い方が正しいんだぞ?」
「へぇ……意外な知識。じゃあその辺の金持ちがブランド物どんどん買うっていうのはめちゃくちゃ金の無駄遣いなんだね。」
父さんはその健斗の言葉に大きく納得をするように頷いて見せた。するとちらっと母さんの方を見た。母さんはキッチンの方で鼻歌を歌いながら料理をしている。どうやら安全確認のようだ。そして健斗の耳元に顔を近づける。
「だからな……母さん、しょっちゅうブランド物買うだろ?財布とか鞄とか……しかも黙ってこっそり。」
「あ、じゃああれも……やっぱり無駄遣い?」
「そうだよ。父さんが母さんと付き合ってたときに、すっごい高い財布をプレゼントしたんだ。八万ぐらいしたやつ。今ではもう古いから使ってないって言って新しいの買ったみたいだけど……」
健斗はそれを聞いて小さく吹き出した。
「何それ?父さんプレゼントした意味ないじゃん。」
「そもそも金を入れるための物にそこまで金賭けるって矛盾してると思わんか?本当に女の考えてることって――」
「何か言ったぁっ!?」
父さんはギャッと軽く悲鳴を上げて自分の頭を痛そうに押さえた。その後ろに母さんが包丁を持って仁王立ちしている。どうやら包丁の峯の部分で父さんの頭を叩いたらしい。
父さんは痛そうに頭を押さえながらすぐに振り返った。
「おまっ!包丁は危ないだろっ!」
「何なら今度は刃の部分でやってあげましょうか……?」
と母さんは言いながら包丁を父さんに見せつけてきた。刃の部分が光に反射して光っている。父さんは引きつった笑いで首を横に振った。
健斗は冷や汗を垂らしながら逃げるように視線をテレビへと向けていた。今夜母さんに逆らったらマジで殺される……
「大体ねぇっ!あたしはそんなにブランドなんて買ってませんっ!あ~んたの方だって何よっ?この前高そうなスーツ買ってたでしょ?」
「お、俺の方は仕事のためだろっ?サラリーマンたりとも、身嗜みは大切なんだよっ!」
「そんなこと言って全然出世しないくせに。」
「何だとぉっ!」
「何よっ!」
父さんはいきり立って立ち上がって母さんに向かっていった。どうやら男のプライドというものがあるらしい。
また始まった……と健斗はため息を吐いた。母さんと父さんの些細なことからの口喧嘩。どうせ結果は目に見えているのに……母さんには逆らわない方が身のためなのだ。
するとだった。麗奈が家着姿――健斗と同じようにパーカー姿――で居間の方に入ってきた。鼻歌を歌いながら居間に入ると、ギャーギャー騒いでる父さんと母さんを見てギョッと驚いたように目を見張った。
「な、何これ?どうしたの?」
「いつもと同じ。飯もうちょっとかかるみたいだからとりあえず座っとけよ。」
健斗がそう暢気に言うと麗奈は戸惑いながらゆっくりと健斗の隣に座った。
「オラオラオラァッ!」
「痛いっ!ア゛~~~ッ!!健斗ぉっ!!助けろっ!!ア゛~~っ!!」
いつもの結果。父さんは手が早い母さんのプロレス技にハマり始めた。健斗は興味なさそうに、そして退屈そうに大きく欠伸をしてテレビを眺めていた。麗奈はその様子を可笑しそうに眺める。
しばらく家の中で父さんの悲鳴が響き渡った。
もしかすると久しぶりの山中家の風景かもしれません(笑)
久しぶりに健斗パパが出てきましたねぇ。相変わらず女房の尻にしかれているようです。
このブランドの話は大学のマーケティングの講義の中で先生が少しだけ話していたのを思い出して取り入れてみました。
みなさんもブランド物を買う時は、何度も買い換えるのではなく、一生物を買いましょうね(笑)。